第33話 大ピンチ、そして旧敵

 ラティアはロナウのカフェバーへ戻った。

 ボギーは無事だった。ただしボギーがカフェバーに戻ったときは、既に店にロナウの姿はなかったと言う。

「鍵もかけてない、暖房も入れっぱなし。コーヒーカップも、洗いおけの水に沈んだまま。よっぽど急いで飛び出したんだと思う。俺に新渋谷の街を案内しろと言って追い出したのも、爆破テロに加わるためだったんじゃないかな?」

 ラティアはカウンター前の椅子に座り考え込む。最悪のケースを考えなければならなくなった。ロナウが敵に廻ったとしたら、大戦中の心強さが恐ろしさに置き換わる。ロナウは毒蛇と呼ばれた旧フェムルト軍最高の野戦指揮官なのだ。ゲリラたちは今、化学物質を手に入れた。これを元に硫化ベデロクスを精製すれば、新渋谷十数個分の都市へ化学兵器を使用した攻撃が可能になる。ロナウの心理戦を織り交ぜたテロ作戦をスフェーンKが実践展開したら。化学兵器による甚大な被害はもとより、心理的にパンゲアノイドを激発させかねない。人間とパンゲアノイドの間に決定的な亀裂が生じるだろう。絶対に阻止しなければならない。

 しかしラティアは孤立無援だった。スフェーンKはラティアを上回る戦闘力を見せつけてきた。一方でチェニスとその仲間がラティアの隙を狙ってきてもいる。

「大ピンチ……かな?」

 ラティアに見つめられたボギーが、えっ? 俺のせい? と自分を指さす。

 ボギーの方は、それでもロナウの行きそうな場所へ電話をかけ続けている最中だった。

「そう。やっぱりボギーと一緒のせいかな? ろくな目に遭わない」

 電話相手としゃべりながら、ボギーがラティアへ向かって身振り顔つきで抗議する。おいこら何てこと言うんだ、シツレーなやつ! と。ラティアが冗談冗談と笑みを漏らす。

「でもなんとか切り抜けないとね。ボギーのジンクスは、揺り返しが起きる。せっかくのジンクスだもん。破っちゃいけないからね」

 ボギーは携帯を切った。やはりロナウの行方は分からないらしい。

「それで。どうするつもりだ、ラティア?」

「今、状況がどんどん変わっている。ともかくも時間が惜しい……」

 硫化ベデロクスの製造にさして時間は掛からない。時間との勝負になる。まずは硫化ベデロクス精製を食い止めるのが先だった。チェニスが先に示してきたゲリラの拠点は十四か所にも及んでいる。それらをラティア一人で一つずつ廻るような時間のロスはできない。

「……敵の敵は味方。その手で行こうと思うの」

「えっ? ラティア、何のこと?」

 ラティアはテロが始まってから自身の各種センサ感度を引き上げていた。それらは今、治安部隊の車両がここへ迫っていることを察知している。

「来たわ」

 外でカフェバーへ向かって駆け寄る足音が響いてきた。

「ボギー、こっちへ来て」

 ラティアの様子にボギーは無言でうなずき駆け寄る。

 カフェバー周辺に治安部隊が駆けつけ、包囲した。新渋谷の連続爆破には全く間に合わなかった治安部隊だが、道玄坂でラティアの姿は広く目撃されている。スカーフの破れた顔が監視カメラにも写っていただろう。それでラティアは治安部隊がここに来るのを待っていた。

 一方でラティアの予想と異なる事態も起こりつつある。治安部隊の特殊車両とは異なる、柔らかなタイヤの制動音が聞こえる。それは小役人が乗る類いの乗用車ではない。帝国要人が使う、政府高官専用車両のもの。乗用車のドアが開く音を機にカフェバー周囲のざわめきがやんだ。鎮まる外で、パンゲアノイドの足音がこちらへと向かってくる。ラティアとボギーはパンゲアノイドがくぐるであろう入り口の扉を黙って見据えた。

「ギランドゥ、貴様もここで控えていろ」

 入り口前から聞こえたパンゲアノイドの声に、ラティアははっとした。

 蝶番の軋む音が長く裾を引くように店内に響き渡る。開いた扉の陰から、雄大な体躯のパンゲアノイドが現れた。鋼鉄の鎧は金地飾りが施された第一級の将帥が身にまとうものだ。だが、武器は手にしておらず、交渉目的の来訪であることを相手に示している。扉越しに、外で治安部隊が居並ぶのが見え隠れしている。それも今すぐラティアを捉えようとなだれ込む気配はない。全員、雲の上の政府高官を前に緊張した、直立不動の姿勢で並び立っている

 そのパンゲアノイドはラティアと対話をするためにやってきた。

 足取りは重いが鈍重ではなく、踏み出す一歩一歩は揺るぎない。

 そのまま周囲の大気を全身で押し出してくるような『圧』があり、向き合う者にただならぬ『気』を感じさせる。

 ボギーの方はその巨大なパンゲアノイドが、近づくだけで気押されしだしている。ラティアが肩に手をかけていた。

「ボギー、相手はまだ何もしていないわよ。背筋を伸ばして。踏みとどまって」

 ラティアが静かに声をかけると、ボギーは後ろに下がりかけていた足を止めた。

「大丈夫。私がいるから」

 ラティアがボギーをかばうように、ボギーの前へ一歩出た。

 パンゲアノイドと相対すると、ラティアの頭は相手の腰の高さにしかならない。ラティアは相手をゆっくりと見上げた。そのまなざしは決して平和なものではない。硬く、研ぎ澄ました視線をひたと相手の両眼へと据えている。

 相手は深く青みがかった緑色の皮膚に、硬質の分厚い鱗が目立っている。首は太く長い。その上に乗る口元がゆがむと、乱ぐい歯をむき出しにしてニヤリと笑う。巨大な両腕を広げると室内に一陣の風が巻き起こった。

「久しぶりだな。Sクオリファー・ワン・ラティア」

 旧交を温めるかのような語りかけだった。ラティアからすれば、忘れようとして忘れられる相手ではない。ただし友好を示す謂われの相手ではない。ラティアの態度は冷ややかだった。

「ガルデニック・グエン。こんなところで出会うなんて、ちょっとした驚きだわ」

 かつてのフェムルト攻略総司令官にして、現在は占領統治府の総督を務めるガルデニック・グエン。アルスラン帝国側の評価は寛大かつ聡明、人類を馴致させた英雄であるが、フェムルト側からすればフェムルトを焦土と化した征服者であった。空中戦艦ガイエルドムクスを旗艦とした空中艦隊でフェムルト全土を砲爆撃し、最後には圧倒的な物量を動員してフェムルトの抵抗を封じ込めたのも、全てこの男の作戦指揮だった。戦争が終わっても、この男が芝居がかった親密さを見せても、感情的に今もって受け入れられない相手だった。

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