第28話 神は分かって

 新渋谷は起伏の多い街だった。この付近はフェムルト亜大陸南部の台地から複雑に尾根と谷底をうねらせ落ち込む、すり鉢状のくぼ地になっている。この星に漂着した地球人は、かつての故郷と地形がそっくりなこの地に、同じ名を付けた。それが新渋谷の名前の由来だった。

 街中でも目の前に突然上り坂が現れ、辻を折れれば突然目の前に下り坂が現れる。尾根や谷筋に建つビルが、不揃いに高さを変えている。それらに反射する日の光が、あちこちビルの隙間から小路を照らし出す。ビルの影と光の境を次々通り過ぎながら、二人は道玄坂へと出た。

 夕べも照明のあかりが溢れる新渋谷に心奪われた。だが明るい日中に見る新渋谷の活気にもラティアは目を見張る思いでいる。夕べは語る相手もなく溜まっていた感想がラティアの口から自然漏れていた。

「新渋谷って、ほんとににぎやかだよな。地方はまだボロボロなんだぜ」

「うん。ロナウさんから良く聞くよ。復興に新渋谷を優先してるって。帝国からの復興支援物資を各地へ運ぶのに、恵比寿港で陸揚げして隣接する新渋谷から鉄道輸送して……」

「ああ、パンゲアノイドのビジネスマンも夕べ見かけた」

「国際都市ってやつになるのかなあ」

「良いことじゃないかな」

「ああ。ベルトーチカで出くわしたパンゲアノイドはそれこそ亜人種・蛮族だったけど。新渋谷で見かけるパンゲアノイドはみんな常識あるビジネスマンだよ」

「まあ、帝国も気をつけて妙な奴は寄こさないようにしてるんだろう。ベルトーチカへ来たのは傭兵中心の混成部隊だったらしいし」

「どうりで恐竜みたいな奴らだった。……それで? 話ってなんだ?」

「ああ、実は……」

 ラティアは話を切り出そうとボギーに振り向いた。そのときビル壁面の反射光がラティアの顔を照らし、陽の光のまぶしさによろめいた。よろめいたラティアをボギーがとっさに支えようと背中に手を回した。

「お、重い!」

 ボギーが一緒に倒れそうになって、ラティアも両足を踏ん張ってこらえた。

「ありがとう。やっぱり男だね、俺の体、見かけよりずっと重いのに」

「部活でも軍隊でも、新入生や初年兵は鍛えられっぱなしだったからな」

 ラティアは体を起こしながら頭を軽く振った。

「うん、大丈夫だ。心配しないで。俺の右目、少し異常が起きていて強い光が入ると……」

「ノイズが入って量子プロセッサを変調させちゃう、だろ? 覚えてるよ」

「すまない。それでだ、ロナウさんのことでボギーに頼みがある」

「俺に? わざわざ新渋谷へ来たのって、実は俺に会うために来たの?」

「いや、そういうわけじゃない」

「少しだけ気落ちした。仕事仕事と、つれない旦那に袖にされる女房の気分」

「期待に添えなくてもうしわけない」

 ラティアは笑った。

「実はロナウさんが民族主義ゲリラの一派に合流するうわさがあって。新渋谷で何か動きがあるかもしれないんだ」

 ボギーの顔から笑いが吹っ飛んでいた。

「またか」

「またって?」

「なんで俺なんだってこと」

「ああ、そうそう。昔から運の悪いことが向こうからやってくる、だよな? でも滅茶苦茶な目に遭うけど、マイナス・プラスがあってゼロに落ち着く」

「どうせゼロなら、初めからなにも無いに越したことはないんだけどなあ」

「ゆうべカフェバーで化学兵器の材料物質を、痕跡だけど見つけた。これがテロに使われる可能性がある。それとロナウさんとゲリラの間で交わした通信データも持っている」

「通信データって、どこから入手したの?」

「元フェムルト共和国の諜報部員から」

「うわ! やっぱりろくでもないことが起きそうだ。でもどうする? 俺とロナウさんのマンションの中も調べてみる?」

「そのつもり。学校をサボらせちゃうけど、上がらせてもらって良いかな?」

「全然構わないよ」

「それでボギーはしばらくロナウさんから、新渋谷の町から離れてほしい。どこか身を寄せられる安全なところはあるかな?」

「考えてみるよ。たぶん数日くらいなら大丈夫。ラティアはどうするの?」

「ファンデリック・ミラージュで君に化けて、しばらくロナウさんとすごしてみる」

「ちょちょちょちょ、ちょっと待て! 今、しれっとすごいことを言った気がする!」

「なにが?」

「もしかして、俺になりすまして、俺の部屋に寝泊まりする気?」

「決まってるじゃん。君がいなくなったらロナウさんが怪しむし」

「ラティア、いい年して男の部屋に女が勝手に入るもんじゃないだろ」

「ファンデリック・ミラージュで男になってるし」

「化けてもその実、女だろうが!」

「ボディは機械だもん。心だけは女のトランスジェンダーの一種とか考えれば良い」

「お前、自分の信じてる神様に叱られるぞ」

「神は分かってくれると思う。神の御意志と違えばすぐに罰せられる。けど、こうして今も無事でいる。だから間違ってはいない」

「違う……その理屈、何かが違う! 俺の頭の中の信仰ってのはもっとこう、敬けん深いというか、神様に対しても怖れ多いもので……」

「それとプライバシーには配慮するよ。男だもんね。先に行って部屋を片付けておいて。俺はしばらく新渋谷駅で時間を潰してる。その間に隠すものは隠しておいてよ」

「なんだよ、その何もかも見透かしたようなセリフ! 敬けんさも慎みもねえのかよ!」

「問題がないなら、このまま一緒に行くけど。どうする?」

「……一時間ほど時間をくれ。でも、男とかどうとかじゃないからな!」

「わかってるわかってる。了解」

 泡を食って自宅へ急ぐボギー。ラティアはふーっと吐息した。結構際どいことを口にしたけれど、我ながらうまくすかして話せたんじゃないかと安堵した。もし居直って、じゃあ一緒に行こうなどと言い出されたら、今度は自分の方がパニックになっていただろうから。

 ぎくっとした。ボギーが立ち止まってこちらを振り返って見ている。見透かされたのか? と焦った。

「ラティア。俺、今朝出がけにマンションの鍵を持ってくるのを忘れた」

 ラティアはホッとしつつ、さらにもう一段脱力した。この人は単に運が悪いのじゃなく、自分の間の悪さが加わっているのかもしれない気がした。

「わりい。ラティアが店にいるって聞いて、今朝は慌てて飛び出してきちゃってさ。ロナウさんのとこへ鍵を取りに行ってきて良いかな?」

「締まりがないなあ、もう……」

「さっき聞いた話も知らないふりをしてれば大丈夫だと思うし」

「ロナウさんに感付かれないようにな! 新渋谷駅の犬の銅像のところで待ってる!」

 ボギーは雪道に足を滑らさないよう小走りにカフェバーへと戻っていった。

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