第25話 ダメすぎ

 ラティアは思いあまった表情でカウンターへ向き直った。

「あ、あの。ロナウさん、随分立派なお店ね」

「どうだ、クラシカルだろう?」

 ロナウ自慢の店だった。ラティアが持ち上げても、悪びれもせずに胸を反らしている。

「パンゲアノイドでも人間の酒が気軽に飲める店! それが狙い通りに当たってな。それと今、ファイラ地方の食材がブームで、これも追い風になっている。俺もファイラ出身だからな」

 そう言って紺色の髪を指先でひねってみせる。同じファイラ出身でもラティアはラピスラズリの青。人によって青の度合いは異なってくる。

「それは私も聞いてる。青みを帯びた髪がちょっとしたはやりなんだってね?」

「戦争直前に封切りしたジム・ストイリッチと劉・レニーが共演する、なんたらとかいう映画の影響だ」

「『狼たちの隠れ家』のことね」

「ああ、実にすばらしい映画だ! 三分も見ていれば眠れる。不眠症に最適だ!」

「なによそれ?」

「まあ中身なんて知れてる。だがはっきり言って間抜けだね。俺やお前たちみたいに、ファイラのものを何年か食わなきゃ、髪に青みは帯びない」

「確かに。ちょっとばかり食べても、髪は青くならないけど……」

 ロナウの上機嫌にラティアは一度口をつぐんだ。ゴクリとつばを飲むような顔をして、口を開いた。けれどそれより先にロナウがさっさと背を向けてしまった。冷蔵庫を開けて何か探しこんでいる。

 間が悪いなぁと、顔をゆがめているのはボギーだった。

 それでもと、ラティアはカウンターに歩み寄った。

「あ、それでねロナウさん……」

 ホレというロナウのかけ声に合わせてジュースの瓶が二本、目の前に飛んできた。驚いて瓶をつかむと、さらに栓抜きまで飛んできた。子供向けのフルーツジュースだった。ロナウも振り返り一本瓶を手にしていた。ラティアにとっては懐かしい、古めかしいタイプの瓶だった。

「瓶入りのジュースなんて見るの久しぶり。あ、これファイラのメーカーだったんだ」

「このメーカーは昔から造りを変えねえからな。それがステイタスになってる。飲めよ」

 上機嫌なロナウにラティアはつられて笑った。一方でボギーは目をつり上げて、何を喜んでるんだ、ガキかお前は! と口をぱくぱく動かしている。ラティアは栓を開け、むすっとした顔で一本ボギーへ押しつけた。

「懐かしいだろう? お前が喜ぶと思ってな」

「夕べと随分態度が違わない?」

「なぁに夕べのご機嫌取りさ。この商売やってると、自然と媚びへつらいがうまくなる」

 ロナウはニタリと笑った。

「こうして変わらないものもあるが、世の中は変わっていく」

 ジュースを飲み干すと、唐突にロナウが、手にした空き瓶をラティアに示してきた。

「そこに生きる人間もだ。お前もそうだよな、ラティア?」

 ラティアは、はっとして居住まいを正した。

 粗野で我が強く、人の感情を逆なでする品の悪さとロナウの欠点を挙げればキリがないが、それは一端でしかないことを知っている。フェムルト最高の野戦指揮官は、ときに聞き落とせない含みを投げかけてくることがある。ラティアは謝罪に来て切り出せずにいる自分をロナウに見透かされたとものと思った。自分も変われと暗に諭された気がした。

「あ、あの、ロナウさん……それでね……」

 けれどロナウはラティアに頓着せず、ぽいと空き瓶をケースに投げ入れて、店の向こうを指さした。

「ボギーの朝飯を作るにはちょいっと時間がかかる。今のうちにアレを元に戻しておけや」

 店の端へテーブルが寄せてある。ラティアが礼拝のスペースを取るために、どけたものだ。

「あ、あの……」

 ロナウは、もうラティアに背を向け冷蔵庫を開けている。開けた扉の陰でロナウが鼻歌交じりにベーコン、卵、クレソン、レタスと、食材をあさっている。

「お前、ダメすぎ……」

 カウンターテーブルからすごすご引き返すラティアへボギーが声を押し殺して笑っている。

「あんたがやれって言ったんじゃないの!」

 小声で口をとがらせるラティアは、ふくれっ面のままテーブルを運んでいく。

 室内はコーヒーの香りが漂ってきていた。ロナウがコーヒードリップを始めている。

「ほら、もっと会話会話!」

 ボギーが小声でラティアへ催促する。

「人間関係はコミュニケーションが大事……」

「わかってるわよ。いちいちあんたはもう……」

 ラティアはげんなりしながら天井を仰ぎ思案顔になる。戦時中、ラティアはロナウの入れるコーヒーに散々付き合わされたことを思い出した。

「随分良い香りね。ロナウさん、アルカンデラ・コーヒーから宗旨替えしたの?」

 ロナウは、はんっとあごひげを突き出し、自慢げに答えた。

「違う、違うぜお嬢さん。これが本当のアルカンデラだ。戦争中は手に入れようもなかった新品だぜ。一本芯があるこの芳香! それでいてキレがある! 気品すら感じるだろう?」

「そうねえ。この香りなら全然……」

 アルカンデラはロナウこだわりのコーヒーだった。けれども大戦中はコーヒー豆が古かったのか、苦みと酸味がくどく、脂ぎってさえいるようで、とにかくまずかった。それとこのパンゲアノイドのコーヒーは飛び抜けてカフェインが多く刺激が強い。ロナウだけはこよなく愛飲していたが、戦闘母艦ブルーベースの乗員たちは違った。人並みな胃腸ではご相伴に付き合わされるたび、むごい胸焼けにさいなまされていた。

 皆が尻込みする中、ロナウに付き合ってアルカンデラ・コーヒーを飲む役目はいつしかラティアへと押しつけられていた。聞き分けのない上司は誰かがあやしてあげないと。仕方ない皆を助けようとロナウに付き合っていたものだった。

 ただ、今日のカップにロナウはアルカンデラのカフェオレを用意した。成長過程のボギーを気遣ったらしい。

「まあ俺がお前らくらいのころは、ブラックのまま酒のようにガブガブ飲んでたがな」

「酒は浴びるように飲むものでも、まして未成年が飲むものでもないでしょ? ロナウさんの『人に非ず』基準に当てはめないでよ」

「失礼なやつだ! 俺のジュラルミン製胃袋にエスプリで返す言葉はないものかねえ」

 正面の棚にはティーカップがズラリと並んでいる。酒瓶も隙間なくにぎやかにそろっていて店の繁盛ぶりがうかがえる。

「武士の商法ってわけじゃなさそうね?」

「当たり前だ。俺を誰だと思ってやがる」

「毒蛇だよね?」

 何げなしにそう、不意に口にしてしまった。言い過ぎた失言とラティアは後悔した。

 ロナウが少し変な顔をした。ラティアがひるむと、ゆっくりカウンター越しに身を乗り出してきた。そして人差し指を突き立ててきた。

「いいかい、お嬢さん? 俺様はな、若い頃は帝国の酒場でパンゲアノイドと飲み歩いたんだ。人間で俺よりパンゲアノイドの酒を知る奴はいねえ」

 ニヤリと笑うロナウにラティアもつられて、ぎこちなく笑いを浮かべるが。すかさずボギーが助け船を入れた。

「わかった! 酒を飲みまくった代金を酒で取り返そうっていうんだ!」

「そうよ! 俺をそこら辺の飲んだくれと一緒にするな」

 ロナウが豪快に笑う傍らで、ボギーがラティアへ目で合図している。いいんだ、行け! 行くんだ! GOだ! GOGO! と。

 ラティアが思い切って口を開いた。

「嘘くさいわ。飲んだくれの毒蛇のくせに」

 ぎこちない、棒読みのようなラティアに、今度は即座にロナウが笑い飛ばした。再び調理台に向き直り、朝食のサラダ、スクランブルエッグを調理していく。ボギーが小声でラティアに耳打ちした。

「よくやった。でかした、ラティア!」

「なにがなんだか」

 ラティアは肩をすくめてみせる

「お前、真面目すぎるんだよ。これくらいで良いんだ、ロナウさんと話をするときは」

「えっ? そうなの?」

「だから逆にロナウさんから口汚く言われても、言葉通りに受け取るな。口が悪い人だけど根っこは違うぜ」

「そっかなあ? ただの変人だよ?」

「この店だってそうさ。ロナウさんも元軍人だ、しかも総司令官だったしな。占領統治府に高給取りで再雇用してもらうことができた身だ。けどロナウさんは行かなかった。自分の席と給金を人に譲って、自分は店を開く苦労を買って出たんだ」

「へえ……やるじゃん」

 初めて聞く話だった。カフェオレを飲む手が降りていた。

「まあとにかく、早く謝っておけよ」

「うん。わかった」

「本当にわかってるんだろうな? でも、せっかく新渋谷へ来たんだ。少しゆっくりしていけよな」

「うん」

 どうにも面倒を見られている子のような気がしてくる。フェムルト軍在りし頃、自分は少佐で新兵のボギーより数段上の上官だったのにと詮ないことを考えたり。おない年ではあってもボギーの方は一段と背が伸びている。ボギーから、外見が変わり得ない、小さくなったラティアを年下のように感じているのだろうか。

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