第7話 地味子&レディ

 ひと山越した。ラティアが吐息すると、ボギーが白い息を吐きながら駆け寄ってきた。

「Sクオリファー、本当に来たんですね!」

 ボギーが驚きと助かった喜びで手を差し出しかけた。でも途中で止め、慌てて敬礼した。

「少佐、助けていただき感謝します!」

 ラティアの方は握手に手を差し出しかけて、ボギーの手が止まったのを惜しんだ。兵員不足で緊急動員されたばかりな少年兵。一方、ラティアは少佐でありフェムルト最後の希望と言われている。けれどラティアは十七歳、見た目同い年の少年兵に四角張られても、少しもうれしくないのだが。

 ただ、続けてボギーは意外なことを口にしだした。

「あの、失礼ですが少佐はラティア・メルティさんじゃないでしょうか? ファイラ第四小学校に通っていませんでしたか?」

 ラティアは驚きの目でボギーを見返した。ボギーはミリタリーキャップを外した。少しくせっ毛混じりの藍色髪が露わになる。

「カースティン・ボガード。ボギーです。教室で席が隣だった」

「……小学校三年まで第四小学校にいて……隣……」

「吊り橋から落ちたのをおぼえてないっ? 俺一人だけ死にかけたやつ」

 あっと思い目をしばたいた。あの目の前で人が谷底へ落ちた衝撃は一生ものだった。

「あ。あなた、ボギー君? 思い出した!」

 ボギーの顔がぱあっと明るんだ。ファイラ地方に生まれ育った者は髪に青の色素が現れる。ラティアの髪はラピスラズリ色。ボギーは青の色素が濃く、藍色だった。同郷の、そして互いの子ども時代を知る友達との出会い。ここまで張り詰めていたラティアの心は緩んで、明るい笑顔になった。

「やっぱり! やっぱりそうか! ラティアだ!」

 ボギーがラティアの手を取りブンブン振る。さっきまでの期待とは少し違った、子供っぽさ全開な握手をしてくる。たった今死にかけていたのに、相手は少佐なのに踏み込みが鋭すぎやしない? とラティアは内心苦笑したが。

「でもよく私だって分かったね? 小学校三年で転校したきりだったのに」

「ニュースで名前を見ていたからな。ずっと頭にお前の名前が残っていてさ。学校でみんなお前の噂話をしていた。先祖は地球のアジアで王族だったって。つまり御姫様だって」

「あれは、百年以上も前の話をされてもピンとこなかった。今は普通の家だし」

「でも正直、外見はうんと変わって、少し自信がなかった」

「そうかも。あの頃は地味子していたから」

 休み時間の度に校庭へ飛び出して仲間と駆け回っていたボギーに対して、ラティアは席に座って一人静かに絵を描いてる子だった。

「あの頃は目立たなかったもんな。今は立派になって。いやそんな言い方おかしいよな。背も高くなった」

「ボギー君だって背は伸びているじゃない。それに私よりちょっと高くなってる」

「えーっと、じゃあ表現を変えて。レディっぽくなった」

「まだお互い十七歳じゃない」

「お前を見ていると、マティーニグラスとドレスのイメージが浮かぶけどな」

「何か、お軽くなってない? いつも女の子にそんなことを言っているの?」

「知り合いと会ったんだ。陽気にしたいじゃん?」

「まあ、褒めてくれるなら嬉しいと言っておく」

「女性を立てているんだ。あくまで社交儀礼」

「なんかそれ、失礼っぽいし、じじくさい」

 ラティアは笑いだした。嫌みではなく、打ち解けられる人と話せる楽しさに包まれるのが心地よかった。ボギーもそんな屈託無い笑いをしている。

「実際、お前カッコ良いもん。メタリックブルーとシルバーがベースのギアスーツ姿も様になってる」

「ボギー君だって、肩ががっしりして……あ、あんまりジロジロ見ないでよ」

 ラティアが紺青色のマントを身体の前へ引く。全身をピッタリ覆い体のラインが出るギアスーツだった。インストール直後のときは機械のボディとセットの構造物くらいに思っていた、機械のボディに慣れてきても、あくまで軍服だと自身に思い聞かせていた。それを見る相手がボギーとなって、今頃隠している。レディと言われたことが妙に頭に残ってしまっていて。

 ボギーが顔を赤らめている。身体のラインがくっきり出ているギアスーツ姿を見た恥ずかしさか、それをラティアに見とがめられた恥からか。

 どうにも調子が狂う。レディと言われるうちに、男らしさを褒めてあげないとと思っているうちに、互いに相手の身体をジロジロ見合っていることに気付いた。ボギーの方も変に意識しだしたらしい。気まずい空気を醸し出している。

「え、えーと昔話終了。少佐として命令します」

「お、おう。いや、ハイ、少佐!」

 一瞬、真面目ぶった様子に、互いに吹き出しかけたのを呑み込んで、ラティアは続けた。

「ベルトーチカ基地から来たんだよね? 案内してくれる? つもる話は道すがらで」

 ボギーの表情が途端くもった。

「行ってどうするんだ?」

 否定の含みを持った言葉だった。ボギーもはっきりと、もう感じ取っているのだろう。人類がもうお終いなのだと。ボギーに限ったことではない。吹雪く首都ラウナバードから出発したときも、見かけた人は皆肩を落とし視線はうつろだった。国中が今、息を詰めて最期のときを迎えようとしている。自分が守ろうとしてきた人々が先に心折れてしまっている。

 彼らは群衆。彼もその虜へ自ら加わってしまっている。

 違う。そうじゃない。機械へインストールされた心は、彼らから距離を置いた視線で見ている。いや、見えている。彼らは必要以上に事態を悲観しあい、互いに観念の枠に寄り集っていく。まるで破滅のときを待つべきだと、思考停止していると。

 私が戦わなければ本当に人間は終わってしまう。私が支え、立ち上がらせなければ。

「私はアルスラン帝国と戦うために、そしてベルトーチカ基地の人たちを助けるためにベルトーチカ基地へ行くの」

 ボギーは両手を軍服のポケットに突っ込み、その場にどすっと座り込んでしまった。

「俺たちは基地から脱出してきたんだ。無意味に死ぬことはないって命令されて」

「基地にはもう誰もいないの?」

「まだ二十人残っている。侵攻軍を食い止めるって。ただ、若い者は生きろと言ってラウナバードへ向かうように命じられたんだ。残っているのは戦って死ぬ気の二十人だけだ。行っても死ぬだけだ。無駄だよ、ラティア」

 ボギーは空を見上げた。空は鈍色の雲に覆われ、吹き付ける雪がボギーの表情すら消すように白く降り溜まっていく。

「もうあの基地はおしまいだ。いや、フェムルト共和国自体も……」

 ふいにラティアが体を寄せてきてボギーは驚いた。ラティアがひざまずいて、ベルトポーチから取り出したハンカチでボギーの髪に付いた雪を拭い落としていく。

「お、おい、いいよ、そんな……」

「あきらめないで、ボギー君」

 ラティアは努めて明るく語りかける。

「心の中へ勝手に思い浮かべたものになんか、惑わされないで。持てる力を出し切ること。行動することが大事だよ」

「心の中じゃねえよ、現実だよ。現実に無理なんだよ!」

 ボギーはあきれたように言い放った。

「パンゲアノイドはあんな化け物なんだ! パンゲアノイド一人でも人間が五人、十人かかったって歯が立たない。それが明日には万を超えるパンゲアノイドが押し寄せてくる」

 ボギーは膝を抱え込んで顔を伏せた。

「そうだね。そうだよね……」

 ラティアは格別ボギーを否定しなかった。ただ、ほほ笑みながらこう告げた。

「それでもまだ私がいる。フェムルトにはこのSクオリファー・ワン・ラティアがある。ボギー君、私を信じて」

 ボギーは驚きラティアを見上げた。

「ゴレイに言ったのもハッタリじゃない。私は本気よ。本気で勝ってみせる」

 ラティアは自身の胸元に手を添えた。

「このボディを動かす疑似モノポリウム・リアクターはまだ生きている。変波形磁場形成装置ファンデリック・ミラージュも生きている。統化技術、システム・クオリファーも生きている。そしてなによりも……」

 ラティアは自身の頭を指さした。

「ここに私の魂・意識がインストールされている。絶対に人間を守り抜こうとする魂がここにある」

 ボギーが改まった。風が吹き抜けたような表情をしている。信じられないくらいに、素直に聞き入っている様子に、ラティアはかえって心がざわめきだした。

「お前、本当にあのラティアか? 昔と全然違うような」

 指摘されてラティアはかすかに視線を泳がせた。

「立派になったなあ」

 繰り返し感心されて、ラティアは恥ずかしさでいっぱいになった。

「だめ! 忘れて、今の!」

「ええっなんで? 良い言葉だったじゃん」

 ラティアは両手指先を絡め合いだしていた。

「ああ、もう私何やってるんだか。知ってる人の前だと調子狂っちゃう……いつもなら言い切っても平気でいられるのに。演技してられるのに」

 軍では、皆年上ばかり。加えてラティアを毛嫌いする乱暴な男どもや、蛮族さながらな上司もいた。Sクオリファーチームリーダーとして、そんな輩と互していくためにハッタリもぬけぬけ言えるようになっていたのだが。

「いつもは無理やり、強気を演じてるってことか?」

 ラティアはこくりとうなずいていた。

「無理さ。お前、校庭で遊ばないで、ひとりで黙々と色鉛筆で絵を描いてるのが好きでさ」

 ラティアは顔を赤らめた。

「それは言わないで! もうボッチは卒業したから。それに私がこうでなきゃ、みんな本当にだめだと思い込んじゃうし。仲間のSクオリファーが二人ともね、超強気、超勝ち気でね。自分本来の性格じゃ、どうしようもないから、彼女たちになりきっていたりとか」

「演じてるんだ。本当は自分も怖いのに?」

「それは分からない。でもそう思ったらおしまいだって、考えないように抑え込んでる」

「そっかあ」

 ボギーが複雑な表情を浮かべている。考え込み、なにやら独り言のようにつぶやきだした。

「俺さ、ここのところずっと死ぬ前に何がしたいかって考えていた。でも何の因果応報か、気がつけばベッドにはシーツもないような最前線の基地にいた。ベルトーチカ基地のことだけどさ。あそこは原野のまっただ中。本当になんにもなかった。ダチと三日三晩町を歩き回って遊んで騒ぎまわりたいとか、ゴルゴンゾーラ・ピザを腹一杯食べたいとか。女の子とワインを飲みながらリッチなホテル……ま、まあ、しょうもないことしか考えてなかった。ただの現実逃避だ。考えていたのは自分のことだけだ。それに比べて、なあ」

 ラティアはふと思い出していた。初めすぐには分からなかったボギーの顔だったが、少し横から見ることで、今この思案している表情ならすぐにピンと来る。よく覚えている。

「よし、わかった!」

 ボギーが膝を打って立ち上がった。

「基地へ案内するよ。だからラティアも、さっきの調子で基地のみんなにもどーんと言ってやってくれよ! もう完全に死ぬ気で残ってる人たちだけどさ。無理だ駄目だと言い出したら、俺が何とかフォローを入れてやる。沈んでるみんなを盛り上げてやる。任せろ!」

 ボギーは一人で悩んで考えて解決して、勝手に背負い込む気になっているようだった。

 小学校のときもそうだった。ぶっきらぼうで面倒事はごめんだとか、最初は何だかんだと御託を並べる。でも誰もが尻込んでいると、仕方がねえ俺に任せろと面倒事を自分から買って出る。男気がある、根は気遣いな人だった。

 君は男たちとしか遊んでなかったけど、実はクラスの女子みんなから人気があったんだよ。

 それを言うのは、今も気恥ずかしいけれど。

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