第5話 蛮族襲来

 地球人類のフェムルト共和国と、この星固有の亜人種パンゲアノイドの国家・アルスラン帝国との戦争。開戦から、十一か月目に入った今、それは最終局面を迎えようとしている。攻め込まれる人類フェムルト共和国側は兵力が枯渇し、物資も底を尽きかけていた。一方で帝国軍はフェムルトが雪で覆われる前に決着を付けようと、大兵力を投入してきている。

 フェムルト亜大陸の山々は既に白く雪に覆われ、平地も晴れと雪を繰り返しつつ、徐々に根雪が広がりつつある。特にここベルトーチカ盆地は、季節外れの吹雪で膝上近くまで雪が積もった。空は分厚い雪雲で鈍色になり、今も粉雪が吹き付けてくる。

 いよいよその日、ベルトーチカ基地へ指令が届いた。ラムナック大要塞から敵の大軍が迫っている。基地を放棄し退却せよと。気温が氷点下に下がった悪天候下で、少年兵二十名が軍用車両に分乗し、基地を脱出した。カースティン・ボガードもその一人だった。

 しかし十分も走ったところで、ボガードの乗っていた先頭車両がスタックに乗り上げ横転してしまった。日没が迫り、鈍色の空から雪風が一団と強くなってきている。空が轟いている。風の音だ。そして季節外れの雪がこの世の終わりをささやいてくるようで、少年兵たちは生きた心地もない。膝下まで雪に埋もれる足をどうにか抜き差しして、足場を踏み固め、冷えた手足に力を込めて、横転した軍用車両を懸命に起こそうとしていた。しかし踏ん張る都度、踵がズグッと雪へのめり込み、思うようには動かせない。五人、十人と一緒に、えいおーえいおーと声を上げている中でボガードがぼやいた。

「なんで俺はこう、いっつもどん底にばかり転げ落ちる人生なのかなあ」

 すると隣で車両を押していた少年兵にミリタリーキャップを乱暴に押し下げられた。首根っこを引き回されたようにボガードがつんのめり、キャップが反動で舞い落ちる。

「なにすんだよ!」

「ボギー、縁起でもないことを言うな!」

 どん底と聞いて少年兵は嫌な顔をした。ボガードことボギーは、次々雪のまぶし付いてくる藍色の髪を手ぐしで手早く直した。フェイラ地方出身者特有の青の色素が付いた髪だった。キャップをかぶりなおすと再び車両を押す配置へ戻った。押しながら隣へまた声を掛けた。

「まあまあ。まだ続きがあるんだ」

「続きだとお?」

「実はな、俺は運悪くどん底に落ちても、それっきりになったことはないんだ。めちゃくちゃな目には遭う。でもズタボロになっても、次は何故か幸運が必ず舞い込んでな。揺り返しが来るんだ。不思議と浮かび上がるんだ」

「例えば?」

「小学校の遠足で吊り橋の板木がもろくなっててさ、板が割れて俺一人だけ五メートル下の川へ落っこちたことがあった。前後の子たちは全員無事だったんだけど」

「ほー、とんだ災難だったな。そこへ鳥が飛んできてお前を助けてくれたと?」

「俺の場合、どん底までいくさ。そのまま川へどぼーん! 気を失って流されて。でもそのとき、たまたまライフセイバーが年に一度の救助訓練をしてる最中でな。流された先ですくい上げられた。心臓マッサージに人工呼吸で息を吹き返したらしい」

「けっ。大した悪運だな」

「毎度毎度こうなのさ。だからまあ、心配するな」

「馬鹿言え。自動車が戻らなきゃ、助かるもへったくれもないだろうが。この先ずっと原野だ。ライフセイバーどころか、二十人がまとめて泊まれる民家なんぞ、あるもんかって」

「死ぬ……のかなあ?」

 間にくしゃみと身震いを入れながらボギーが不安を口にする。

「この期に及んで人ごとみたいに」

「落ち着けよ。この寒さだ。一応怖くもあって身震いしてるんだけど」

「そもそもが、お前も俺もこの基地に流れ着いちまったのが運の尽きだった」

「これまで生き延びたこと自体、運が良かった方だぜ?」

「俺が言いたいのは、死ぬなら生まれ故郷や家族と一緒が良かったってことだ。こんな何もないベルトーチカの原野で……」

 そのとき、遠くで木の枝から雪がこぼれ落ちる音がした。ボギーたちが振り向くと、薄暗い森の奥で木の枝から雪が吹き落ちていた。その下に大きなものが動いている。目をこらすと巌のような体躯をした人影がいる。一人移送用の反重力飛行円盤上に立ち、帝国軍の防護服と鎧を着ている。青緑色の手には、巨大な鋼棒や戦鎚、円月刀や鋸刃の太刀が握られていた。

 円盤が雪面すれすれを飛空しながら、こちらへ向かってくる。

「敵だ! 帝国軍だ!」

 帝国の亜人種、パンゲアノイド。

 それは、爬虫類が二足歩行へ進化したこの星固有の知的生物。人間に迫る科学技術を持つ一方、人間をはるかに上回る体躯と筋力を有している。そして今迫ってくるパンゲアノイド兵五人は、いずれも身の丈が四メートルにも迫ろうとしている。

 パンゲアノイド兵の立つ飛行円盤が十メートルまで近づいていた。

 巨体が迫る風切り音がしている。睨めつけてくる顔は深緑色の鱗肌。恐竜のように突き出た口が開きかけると乱ぐい歯があらわになる。その口は人間の胴を丸かじりできる大きさだ。

 迫る超生物の巨大さに、こらえきれなくなった一人が恐怖から絶叫を上げる。携帯重砲を撃った。狙いが定まらずそれた重弾は近くの大木へ命中し、木を粉みじんに爆発四散させる。

 途端、パンゲアノイド兵たちが咆吼して手にする武具を振り上げた。

「逃げろ!」

「待て! 逃げきれない! 隊列を組んで……」

 そう仲間へ叫んでいたのはボギーだった。隊列を組んで一斉射撃をすれば、少しは足止めできる。その間に大型火砲を用意できるかもしれない。どん底を何度も経験しているボギーだけは、この急場でもそこまで考えた。しかし仲間たちは違った。突撃してくるパンゲアノイドの恐ろしさでパニックに陥った。考えるより、我先に逃げだしていた。

 だが深い雪に足が思うように動かない。

 それらをあざ笑うかのように円盤がすーっと彼らの背後へ向かい迫り、追いついてくる。

 雪面を逃げ惑う少年兵へパンゲアノイド兵が狙い定める。

 少年兵のすぐ後ろで鋸歯の太刀を振りかぶった。

 パンゲアノイド兵が少年兵の脳天へまっすぐ刀を振り下ろす。すると頭蓋から背骨が割れるように潰され、最後は文字通り腰砕けになって骨肉が四散した。

 パンゲアノイド兵の重く強く剛直な刀は、柔らかな人間の身体を斬れない。葡萄へ包丁を叩き付けたように切れず、ばっと人を潰して中身を飛び散らせてしまう。

 いち早く走り出した車両へは鋼棒が投げ込まれ、爆発四散した。

「ちちちくしょう! やりやがって!」

 発砲音が鳴り響く。だがパニックに陥っている少年兵達の射撃では当たるはずもない。無情な、潰され、中身が飛び散る音が続く。獰猛なパンゲアノイド兵が襲いかかる。

「やめろお!」

 悲鳴を裂くようにパンゲアノイド兵が次へ、また次へと円月刀を振りかざす。

「いやだ! いやだ!」

 バッ、バッと。冷たい雪へ次々赤い血がまき散らされる。

 泣き叫ぶほどに、彼らパンゲアノイド兵の目は血走り、興奮を高めていく。狩りを余すことなく楽しもうと、喜悦の笑みを浮かべて奔り縋ってくる。

「来るな! 来る……」

 断末魔の叫びを上げる間もなく脳天から首元が潰され、重く湿った音が響く。

 すぐに終わった。

 雪の上に骨肉が点々と。血が淡く雪に染み渡り。少年兵たちは皆潰されていた。

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