Sクオリファー・ワン・ラティア 

倭人

第一章 ベルトーチカ会戦

第1話 さがしものはなんですか?

 Sクオリファー・ワン・ラティアは、広く心地よいリビングに一人突っ立っていた。

 静かで、それでいてかすかにピアノ演奏でも聞こえてきそうな部屋にならって、有機金属錯体筋繊維の動かす指で柔らかく鍵盤を叩く仕草をして自分の手先を遊ばせている。

 でも着ているカフェオレ色の高校制服がしっくりこないままでいる。緑の瞳にかかる眼鏡もやはり妙な感じがする。それは、人形の姿形を人に似せれば似せるほど感じる違和感に通じるものかもしれない。一年前の自分の身なりに、姿形は戻っているのにと、天を仰ぐ。そのうち指先の動きも止まっていた。

 人間ラティア・メルティの身体から霊魂・記憶・意思を、このSクオリファーという人型戦闘兵器へインストールされて以来、ずっと戦闘防護服・ギアスーツを着ていた。インストール先のボディは、十六歳の自分の外見そのままだった。市販の人形レベルなどではない、最新科学の粋を凝らして、完璧に人の姿を再現している。触れる肌の触感・温感、微かな息づかいまで再現して、およそ生身の人と見分けが付かないボディとなっている。そんなインストール先のボディのまま、身だしなみだけを元に戻している。けれど姿見に映る姿はしっくりこない。見た目は一年前の姿形、そのままなのに。ぼんやり、部屋の空気へ視線を泳がせながら、自身の違和感へまた勝手に思いが浮かんでくる。

 身だしなみは戻してみた。

 でも、今も機械の、戦闘兵器なボディのまま。

 人間の能力を超越した最先端技術と一体化したまま。 

 この機械のボディはカスタマイズ製造ではあるものの、壊れても消耗してもパーツを交換すれば元の姿形に戻った。実際、激烈な戦闘を繰り返し中破大破する都度、腕や足や頭部の一部まで、あちこち身体は入れ替えられた。記憶も、データ領域が破損すれば元の肉体・頭脳から記憶をコピーして再インストールすれば済む。

 あちこちパーツやモジュールを取り替えられ、つぎはぎだらけにボディはどんどん変わっていった。でも、整備ヤードへ入って修理される都度、何事もなかったように、どこも変わりない自分が出てくる。変わっているはずなのに変わらない。それは姿見を見てもはっきりしている。でも何かが変わっている。人から遠ざかっているのかも、という怖れが脳裏を過ぎる。

 特に研究所が破壊されて人間に戻れなくなってしまってからだった。生身の人間の身体から離れて、インストール先で、一生機械の体となってしまって。人間とは言い難い超機能の体となって。

 私は機械の体でも人間。どんなに交換されても、パーツやモジュールの寄せ集めじゃない。記憶もデータコピーされても元は同じ、一人の人間なんだ。

 そんな当然なことをわざわざ意識しなければ怖くなってしまう。それは生身の、元の身体から引き離された、この戦闘兵器のボディが、心に影を落としてくるのか。今や自分の体だというのに。体が自分になろうとしているのか。

 やっぱり自分はもう、自分ではないのだ。そう思う一方、それでも人間でありたいと思う自分がいて。なにか、しっかり手にとって感じ取れないものか。誰かに安心しろと言ってほしいとする自分がいて。

 けれども今はリビングに一人。

 より詳細には、ラティアは軍に幽閉されている。

 いけないいけないと首を振り、言い聞かせる。

「だめだよ。機械の体のままでも、戻れなくても、私はラティア。ラティア・メルティ」

 もう一度心地よいリビングを見回して、わあっと軽く歓声を上げてみる。不快につり上げていた肩をほぐしながら。

 足元にはふかふかの絨毯が敷かれている。石張りの壁には間接照明が淡くともされて、暖炉には薪が燃え、時折はぜている。この星の北極圏に近い首都ラウナバードは十月でも氷点下の気温になる。でもこの部屋なら寒さも吹雪の吹き抜ける音も気にならない。

 それらは中世地球の住まいを再現していた。地球は三世代を経て、もう距離も時間も遠い彼方の星となっている。それでも、ヴィンテージ風な地球の住まいは、今も地球人にとって憧れな高級マンションとなる。

 もちろんラティアもそうと感じている。だから浮かれようとした。でも吐息をした。

 こんなリッチでゆったりした部屋にいるなどあり得ないのに。

 これは悪い夢を見ているのじゃないかと思ってしまう。

 今は最終局面であるというのに。

 戦争はまだ続いている。

 戦場にいたのに。

 仲間と。

 でも。


 違う。

 考えるな。

 頭を切り変えて!

 部屋を見回しだした。

 眺めているうちに、探していた。

 年季の入った探偵のように注意深く探る。

 うん? と気になった一角へ視線を移す。暖炉だ。

 暖炉へ近寄り、全体を見回し、やがて暖炉を組むレンガに手を添え。

 目をこらし見つめて、下の方を視線で追って、ついには四つんばいになって。

 片方、ソックスからずれて脱げかけたスリッパを器用につま先へ残しつつ這って。

 ときどき眼鏡に掛かる、ラピスラズリ色のショートセットヘアを手でかき上げながら。

「あった! やっぱり!」

 指でなぞった薄暗がりの先に、銀色のプレートがあった。

 部屋をデザインした設計士の名前が記載されたものだ。

 予想が当たり目を輝かせた。

 でもすぐにふて腐れ、暖炉を背にぺたんともたれる。背中に暖かさがじんわり伝わるのを感じながら、ぼんやりつぶやいた。

「 ……って、私はなにを喜んでいるのよ……」

 ネームプレートはこんな隅にあざとく、予想通りに貼り付けられていた。そしていかにも取って付けたような真新しい代物だった。

 ラティアはふらりと頭を傾けた。視線の先のリビングにはコンテナボックスが山積みになっている。総司令本部から私物一切を持ち込まれたものだった。上長のロナウ大佐から、もう何もするなと言われて体良くここへ押し込められた。ビロードのカーテンをかけた広い窓は鋼鉄で塞がれている。玄関はセキュリティロックがかかって、出ることはかなわない。人間ならば。

 ラティアの、今の人型兵器のボディなら、コンクリート防壁だろうと力任せに破ることはできる。できるが、ほおづえを付いたほほがぷうっと膨らんだ。

「でもさ、キングコングみたいに暴れて壊すなんて、できないじゃない。これじゃあ……」

 見回す部屋の作りは丁寧かつ心配りが行き届いている。これを作り上げたデザイナーや職人の『仕事ぶり』をラティアは感じ入ってしまう。そこで気付いたのだ。そうして探してみるとやはりあった。ラティアも知る著名な設計デザイナーのネームプレートが。

 彼女の今のボディは兵器でも、心は設計デザイナー職に憧れていた人間のものだ。感じてしまうものはどうしようもない。

「ああ、絶対にそう! 監獄や核シェルターなんかより、ここなら手を出せまいって。わざわざ結界のお札みたいにネームプレートを貼っておいて。こっちの性格を見透かして。へえ、そうなんだ、一流デザイナーが造った部屋をぶち壊すんだ。精魂込めて作ったものを、へぇー! デリカシーないねぇ、ちったあ敬意を示せないもんかね? いいのか? やるのか? マジか? それでいいのかっ? て。……ホント、嫌な手を思いついてくる男だよね」

 肩にまた力が入りかける。眉がつり上がる。

 いけない、止めな、落ち着きなさいと自分に言い聞かせる。けれどあのロナウ大佐のしたり顔がまた脳裏に浮かんでしまってカッとなりかける。いけないいけない、発散だ。無理に押し殺そうとすると暴発する。うまく抜くんだ、うまく。自分を制御だ。

 そう。まんまと策ではめられている。でも、実際この部屋を壊すなんてことはできない。やればまた鼻先で笑ってくる。笑いには笑いだ。

「いいよ! ぐうの音も出ないような、エスプリの効いたのをかましてやるから!」

 そうするんだ、よしっと声に出して宣言して。一人うんうんと考えこんで。

 でも、エスプリを効かせたアイデアは早々にひねり出せなかった。人工ニューロンに量子プロセッサをも搭載した頭脳があるのに。これもインストールした元の性格の生真面目さ故か。性格が可能性を妨げる。そんな要らないところまでこのボディは人間らしく作られているなと恨みつつ。

 ラティアはそのうち諦めてコンテナボックスを整理しだした。コンテナを片付けていると、小さな缶が出てきた。中にはアールグレイの紅茶茶葉が入っている。今も戦場で戦っているSクオリファー・ツー・ジャンヌがくれたものだ。口元に寄せるとほのかな茶葉の香りがする。

「ジャンヌのせんべつ、いただいちゃおうかな」

 Sクオリファーの機械の体に飲食は不要。でもあれこれが悶々と湧く自分を静めるために、きっかけが欲しい。一人きりというのは、次々余計なことが頭に浮かんでしまう。

 うん。今は香りと暖かさが欲しい。

 ラティアはキッチンへ向かった。



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