第10話 テニスと合宿とエタノール①

 春乃達は大学生活で初めての試験という山を乗り越えた。結果は夏休み中に通知が届くというのだから恐ろしい。


しかし、レポート提出と筆記試験を終えた春乃達は解放感に浸っていた。試験が終われば夏休み。夏休みと言えばサークル合宿である。


二泊三日、テニスコートのあるペンションを借りての合宿が待っている。


夏休みも基本は休み前と変わらぬ曜日で練習を行っていた。今日は合宿前最後の練習日だ。


「サークルの合宿ってどんな感じなのかな?部活だとがっつり練習!って感じのイメージだけど……」


練習後の汗をタオルで拭きながら奈緒が言った。


「先輩から聞いたんだけどー、お昼は練習してー、夜は飲み会なんだってー」


水分補給をしていた紗友里が答える。紗友里の情報網は広いうえに信頼度が高い。


「雪子先輩も来るんかな?」


光輝は雪子が来ることを期待しているらしい。


「雪子先輩は研究あるから来ないんじゃないか?夏休みも研究室に籠るって言ってたし」


春乃は雪子の研究内容について試験前に軽く聞いていたので、そんな余裕はないのではないかと思った。しかし、春乃自身も雪子の参加は気になるところだった。


「雪子先輩は院生になってから来たり来なかったりらしいよー。去年は来なかったってー」


「今年はハルいるから来てくれるとかねぇかなー」


光輝は春乃のことをチラチラと見ながらつぶやく。


「はぁ?そんな理由で来てくれるわけないだろ」


「それもそうか」


男子二人の落胆ぶりを見て女子二人は少し不機嫌そうにする。


「なんかー、私達じゃ不満みたいな感じだねー」


「そうだね。確かに雪子先輩は美人で優しいけど、なんか……ねぇ?」


奈緒と紗友里が腰に手を当てて春乃と光輝を睨む。


「いや、そーゆーわけじゃなくて!見慣れてしまったといいますか……なっ!」


強引に振られた春乃は困ったように、「う、うん」と答えただけだった。


 合宿当日の朝六時。春乃はスマホのバイブ音で目が覚めた。


画面を見ると『奈緒』の二文字。デジャブだ。


春乃は渋々通話ボタンを押す。


「……もしもし?」


「春乃おはよう!合宿当日だよ!今度こそ遅刻しないようにね!集合は八時半だよ!」


朝から元気いっぱいの奈緒アラーム。


「うん、わかった。わかったから声のボリュームを下げて」


「あっ、ごめん」


春乃は頭を掻きながら起き上がった。


「どうせこの後、光輝にもかけるんでしょ?俺はもう大丈夫だから」


「そう?じゃあ、また後でね!二度寝禁止!」


ブツッと切れたスマホを見下ろし、「なぜ、奈緒は朝からあんなに元気なのか」という自分の問いに、不毛だと感じた春乃は考えるのをやめた。


昨晩のうちに荷物はまとめてあったので、身支度を整えてリビングへと向かった。


「あら、おはよう。奈緒ちゃん?」


母親がキッチンで朝ごはんの支度をしながら笑う。


「笑い事じゃないよ。俺はもう少し寝ていたかったのに」


ちょうど今出来上がったと思われる朝食が春乃の前に並べられた。今朝のメニューは目玉焼きに納豆、ご飯に長ねぎとわかめの味噌汁だ。


「いただきます」


春乃は朝の天気予報を見ながら朝食を口にした。どこの地域も曇りなく晴れ模様の天気図を眺めてほっとする。


どうやら合宿のある三日間、雨予報は出ていないらしい。絶好の合宿日和である。


「舞い上がって飲みすぎたりしないでよ?」


「未成年なんだからそんなことしないよ」


母親はなぜか顔を曇らせた。


「春乃、たまには遊び心があってもいいと思うんだけど……」


「どっちなの」


春乃は光輝と同じようなことをいう母親に思わず笑ってしまった。


 集合時間十分前に到着した春乃は、既に到着していた光輝、奈緒、紗友里の三人と合流した。


「おっ!ハル、今日は遅刻しなかったな!」


「あれはイレギュラーであって、そんなに遅刻なんてしないよ」


そういいながら、春乃は集まっている人を確認したが雪子の姿はなかった。すると、紗友里が春乃に近づいて来て耳打ちをした。


「雪子先輩は見かけてないよー。今年は来ないかもって先輩が言ってたー」


春乃は一瞬で自分が雪子を探していることに気付いた紗友里の洞察力に感服すると同時に、恥ずかしくなった。


「そっか」


春乃はそっけなく返事をしてみたものの、それも紗友里には春乃の少し残念な気持ちが見抜かれていたのだろう。


「そんなに残念がらないでー。せっかくの合宿、楽しもうねー」


紗友里は困ったような笑顔をしながら春乃の肩をポンと叩いた。


 現地まではバスでの移動だった。サークルで仲良くなった先輩や同期たちと雑談やレクリエーションをしながら向かった先は長野の軽井沢。


一行は毎年利用しているというペンションに到着した。代表として竜弥がチェックインをしている間にバスから荷下ろしをし、各部屋の入室メンバーを確認する。


 ペンションは全部で五棟借りており、女男別れて入室する予定だ。ある程度学年は固まっているが、学年ごとにばらつきがあるためごちゃ混ぜになっている部屋もある。


 竜弥がチェックインを済ませると、全員を集めその日の流れを説明した。各部屋の備品確認が済んだら荷物を置いて、ペンションの敷地内に併設されている食堂に集合とのことだった。


 ペンションでは三食食事が付いている。サッカー場なども近くにあるため、毎年各学校から合宿で利用されている人気のペンションだ。ただし、食堂の営業時間の関係上、夜の飲み会は買い出しに行き、部屋ごとで飲むことになっている。


 昼食を済ませた一行は、新入生のための各所案内グループと練習準備グループに分かれた。春乃達新入生はペンションをざっと説明してもらい、新しいとは言えないがおしゃれな外観と設備の整ったペンションは大学生に人気な理由もうなずけた。


 各所案内が済んだ頃には練習準備も整ったため、全員着替えてコートに来るよう指示が出た。各自自分の部屋に戻り着替えを済ませコートに出ると、雲一つない青い空と避暑地らしい心地よい風が気持ちよかった。


 二時間ほどの練習が終わると、各自シャワータイムを挟んだのち、再び食堂に集まった。食堂ではすでに夕食の準備がされており、春乃はトレーに各料理を乗せ光輝の待つテーブルに向かった。


「ハル!お疲れ!」


光輝は右手を挙げて春乃を呼び込んだ。テーブルにはすでに奈緒と紗友里も座っている。


「春乃、お疲れさま!」


「お疲れさまー」


「ん。お疲れ」


いつものメンバーの笑顔に迎えられ、春乃も自然と笑顔になった。今では定位置となった光輝の隣に座ると紗友里が話し出した。


「なんか二時間があっという間だったねー」


「ホントだよね!いつもと場所が違うと新鮮で楽しいよね!」


「気温も暑すぎず丁度良いしなー!さすが軽井沢って感じだな!」


「俺はもう少し練習していたかったかな」


光輝達三人は顔を見合わせるとフフッと笑った。


「な、なんだよ」


春乃は笑われた意味が分からず、戸惑った。


「いや、ハルらしいなと思って。ハルにとっては二時間じゃ不完全燃焼だったんだな」


「不完全燃焼ってわけじゃないけど……。合宿費だって結構したし、もうちょっと練習してもいい気がして……」


春乃の言葉を聞いて、紗友里が頬に左手人差し指を当てて言った。


「合宿費はー、この後大学生の合宿ならではの行事が待っているからー」


大学生ならではの合宿行事と言えば飲み会である。毎年二年生が飲み物を調達し、部屋も学年も男女もごちゃ混ぜで、部屋を行き来しながら楽しむのがこのサークルの恒例となっている。


春乃は今朝母親に言われたことを思い出した。羽目を外しすぎないように遊び心を持て、と。


「ハル、今日は飲めるらしいから楽しもうな!」


光輝は笑顔で肩に手を回してきた。光輝は飲む気満々のようだ。


「お前は羽目を外しすぎないようにしろよ」


春乃は横目で光輝を睨んで言った。気を付けるべきは自分ではなく光輝だ。


「真面目なハルちゃん、今日くらいはいいじゃんか」


「そうだよー。合宿くらいはいいと思うよー、ハルちゃん」


紗友里にまで言われて、自分はそんなに真面目な考え方なのだろうかと、春乃は疑問に思ってしまった。

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白衣の女神は試験管を持っていた 芦都朱音 @akane_ashito

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