アイデンティティ・レアリティ(転生兎はレア素材!?)

長嶺 卓

第1話 白馬に乗った、王女様?

【地球 東京 新宿】


 空はどんよりと曇り、ジメジメとした空気が体にまとわりつく。

 道路は陥没し、地下鉄が剥き出しになっている。

 高層ビルが倒壊し、知ってる人も知らない人もまとめて押し潰していく。

 悲鳴が聞こえた気がしたが、なにかが崩れ落ちる音でかき消された。

 人々は、逃げ惑いながら振り返る。


 その視線の先には…

 怪獣。

 怪獣としか言い様のない巨体があった。

 鎧のような機械と、恐竜を無理矢理ごちゃ混ぜにしたような怪獣。

 東京タワーと同じくらいはあるかもしれない。


 その巨大な怪獣を前に、俺はただ呆然としていた。

 恐怖とか、悲しみとか、怒りとか、そんな感情よりも俺が感じていたのは、絶望?

 いや、どちらかと言うと、失望…かな…


 これで終わり…?

 俺の人生って、これで終わり…?

 俺っていままで、なにか、したっけ…?

 誰かの役にたったのか…?

 なにかの役にたったのか…?

 これからじゃないの…?

 生まれてきた意味…あったのかな…

 感情が深く沈んでいく、その時。


「お母さん!お母ぁぁぁさぁぁん!!」

 少女の悲鳴が聞こえた。

 少女は泣きながら母親に抱きついている。

 母親の体は瓦礫の下敷きになっている。

 二人の上に、巨大な足が見えた。


 せめて…

 せめて死ぬ前に…!

 なにか、ひとつでも…!

「誰か…一人でも!!」

 叫んで、走り出し、手を伸ばす、そして…




【異世界 森の中】


 覚えているのは、ここまで。

 目がさめたら森だった。そして…


「今!二度目の!!命の危機に直面してまぁぁぁぁぁす!!!」


 森の中をすごい勢いで、真っ白な生き物が駆け抜けていく。


 体格は人間の子供、3歳未満ぐらいだろうか?


 さっきの怪獣ぐらい大きければこんなに苦労はしないのに……などと考えていると、鋭い矢が頬をかすめて木に突き刺さる。


「ヒィィィ!イヤァァァ!!死ぬぅぅ!!!」


 長く伸びた耳でボウガンの音を捉え、大きな後ろ足でジグザグに飛び跳ねて、矢の狙いをずらす。


 そう、俺は今、ウサギの様な姿に生まれ変わっていた。


 地球のウサギにくらべて、かなり大きい。今は四足歩行で全力疾走しているが、後ろ足だけで立って歩けるし、前足も指は短めだが、手のように扱える。あと、肉球がある。ウサギって肉球あったっけ?


 聞いた話によると俺はいわゆる、異世界転生をしてしまったらしい。


 そしてその話をしてくれたのが…


「ほらほら、もっと速く逃げないと串刺しよ?」


 今、頭の中でのんきな声を出している自称女神様である。


「ちょっと、その自称ってのやめてよ。あなたに色々説明するために、わざわざあなたの脳内に降臨してやってるのよ?喜びむせび泣きながら感謝の言葉を捧げなさいよ」


「この状況を!なんとかしてくれたら!いくらでも、感謝しますよ!」


 叫びながら矢を避ける。その後ろには…


「チクショー!すばしっこい野郎だ!」


「久々の大物だ!絶対逃がすな!」


 明らかにただの狩人ではない雰囲気の人間の男が三人、ボウガンでこちらを狙いながら追いかけてきていた。


 彼らは先ほど、俺の脳内にご降臨あそばされている女神様から、異世界転生の話を聞いてる最中に突然襲ってきた。


 異世界転生した直後、ただでさえ非常識な話で混乱してるとこを襲われて、慣れない体で逃げ回る。それが今の俺の状況である…


「慣れない体とはいえ、かなり速く走れてると思うんだけど、なんで逃げ切れないの!?」


「あいつら、魔法で運動能力上げてるわね。このままだと時間の問題よ」


「そんなぁぁぁ!」


「そういえば」


「え?」


「私の名前はネメシスよ。あなたは?」


「自己紹介!?このタイミングで!?」


「あいつらのせいでタイミング逃しちゃったのよ。で?あなたは?」


 女神様のせいで気が散る!うわっ!今の危なかった!


「い、イナバ、ユキト!」


「イナバ、『因幡の白兎』の因幡?」


「稲に葉っぱでイナバ!」


「ユキトは雪に兎?」


「幸せに人です!」


「なるほど『稲葉幸人』ね。でも今のあなたなら『因幡雪兎』のほうピッタリじゃない?どうせ前のあなたは死んでるんだし、読み方も同じだから改名したら?」


「いや!もう!どっちでもいい!!!」


 グサッ!


「っ!ぎゃあ!」


 痛い!刺さった!当たった!めちゃくちゃ痛い!


 矢が刺さった勢いで体勢が崩れ、地面に叩きつけられる。


 矢は、背中から俺の体を貫通していた。


「え……嘘でしょ?これ、即死?あれ?」


 一瞬死んだと思ったが、思ったってことはまだ死んでない。それどころか刺さったはずの矢が少しずつ消えていく。でも…


「体が……動かない………?」


「ったく、てこずらせやがって…」


 男たちが俺のそばに近寄ってくる。


「あの〜…これってどういう…?」


 体が動かないこと以外は割りと余裕なので男たちに話しかけてみた。


「へへへ…こいつはなぁ、刺さった瞬間に傷を塞ぎつつ、神経を麻痺させる魔法の矢だ。てめぇみたいな上物は、毛皮に傷がつくと値下がりするからなぁ」


「へ、へえぇぇ…スゴいっすねぇ…」


 終ったぁぁぁ!俺このまま毛皮、剥がれて売りさばかれるんだぁ!


「ごめんなさいね。神って、基本的に下界には手出しできないのよ」


 チクショウ!神も俺を見放したぁ!


「イヤだ!誰か!助けてぇぇぇ!」


「うるせぇ!静かにしてろ!」


 男たちの一人が俺の口を布で塞ぐ。


「むぐっ!んー!んーー!!」


「全身麻痺してるくせに騒がしいな、黙らせるか?」


「おい、手荒に扱うなよ?そいつの手、肉球が付いてるだろ?ウサギの中でも肉球付きは極上だ。体内の魔力の量が桁違いだからな。毛皮に肉、血、骨まで捨てるとこがねぇ。目玉なんか魔法使い相手ならとんでもねぇ値がつくぜ…」


「んー!?」


 な、なにそれ!?聞いてないんですけど!?女神様!?女神様ぁぁぁ!?


「ああ、あれよ、いわゆる異世界転生特典みたいな?この世界って基本的に魔力が多ければ多いほど強いし、色々良いことがあるのよ。だから異世界転生者には大量の魔力を与えてるの。そんで魔力の量が多い生き物には身体的特徴が表れるのもいて、ウサギの場合は肉球なの。だけど…」


 だけど…?


「ウサギって、魔力多くても大して強くならなくて…毛並みと味は最高なんだけどね…」


 は、はぁ…?

 なにそれ…?

 戦闘能力皆無だけど素材としてはチート級ってこと…?

 ふざけんな!

 ハズレじゃん!

 転生失敗じゃん!

 やりなおし希望!

 リセマラさせろ!


「リセマラ?が、なんなのかはよくわからないけど、無理よ」


 うわあぁぁぁん!ひどい!あんまりだぁ!


「よし、じゃあさっそくアジトに戻って解体を…」


 男たちが俺に向かって手を伸ばす。も、もうダメだぁ…



「おい、お前たち。そこで何をしている?」



 諦めかけたその時、そこに現れたのは、およそ森の奥深くには、いるべきでないほどの美女。その美女は…


 赤い長髪を三つ編みにしてアップでまとめ、藍色のドレスの上に銀色の防具を身に付け、腰には美しい装飾の片手剣を携え、純白の馬に跨がっていた。


 白馬に乗った、王女様…?


 本人が名乗ったわけでもないのに、俺は無意識にその美女を王族だと決めつけてしまった。


「え?…まさかステラ王女…?」


「第一王女にして、王国騎士団の団長様がなんでこんなとこに…」


 男たちがざわつきだした。


 本当に王女様だった。しかし王女で騎士団団長って、設定盛りすぎじゃないですか?


「悲鳴を聞いて駆けつけてみれば…なんだこれは…?ウサギの狩猟と売買は禁止しているはずだが…?」


 ステラと呼ばれた王女様が、男たちを睨み付けた。


「こ、これは、その…俺たちも今来たとこで…」


「嘘だな。なんならその子に聞いてみるか?お前が塞いだ口を解いて」


「っ………!」


 男たちが言葉を詰まらせる。


「去れ。なんなら、今ここで切り捨ててやってもいいが…」


 王女様が馬から降りて剣を抜こうとした。


「わかった!俺らだって王女様とやりあう気は無いぜ!行くぞおまえら!」


 男たちが慌てて逃げていく。

 すると突然、王女様の指先から小さな光が飛び出して男たちの背中にくっついて消えた。


「これで奴らの居場所は把握した。確保と処罰は騎士たちに任せよう」


 なるほど、追跡できる魔法か。便利だなぁ。


「大丈夫だったか?まったく、麻痺の魔法矢とはな…あれは元々、犯罪者を殺さずに確保するために国が開発した物…どうしてあんな物を密猟者が…」


 王女様が口の布を解いてくれた。


「ぷはぁ!ありがとうございます!助かりました!もう死ぬかと思いましたよ…」


「どうやら元気そうだな。まだ体は動かないか?」


「はい…ぜんぜん動きません…」


「ふむ…さっきの魔法矢は、対象を確保したのち尋問するため、首から下を一時間は麻痺させる。しばらくは動けないだろうな」


「そうなんですか…」


 まったく、厄介な魔法だな。


「かといって、こんなところに放っておくわけにもいくまい。どうだろう?君さえ良ければ、王都に案内したい。森を抜けた丘から見える、フィア・グランツ王国だ。分かるか?」


「あ、いえ、この辺に来たのは初めてで、右も左も分からないんです。だから案内してもらえると助かります」


「そうか!それは良かった!ではさっそく行こう!」


 動けない俺を抱えて馬に乗ろうとした王女様が、立ち止まって「うーん」と唸った。


「どうしました?」


「いや、どうやって乗せようかと思ってな?後ろにつかまることはできないし、荷物のように、くくりつけるわけにもいかんだろう?」


「俺は荷物扱いで構いませんよ?」


「いや、ダメだ。せっかくなんだからもっと直接…」


「直接?」


「なんでもない!うーむ……ではこうしよう!」


 少し悩んだ後、腰に着けた小さなカバンから長い布を取り出した。怪我の治療とかに使うものだろうか?そして俺の体に布を巻き付け、自分のお腹に抱えるように結び付けた。


「なんか、赤ちゃんの抱っこ紐みたいですね…」


「うむ。私もちょうどそれを思い浮かべていた」


 なんか、ちょっと恥ずかしい…


「体に結び付けるなら、背中でもいいんじゃ…」


「いや、もし馬に乗っているときに解けてしまったらどうする?背中ではとっさに支えられない。こっちの方が安全だ!」


「まあ……たしかに……」


 そうかもしれないけど…


「ん?どうした?」


「…なんでもないです………」


 顔が近いな………あとこの人さっきからちょっとテンションが高いような?ウキウキしてる?


「では行こう!」


 俺のことを気遣いながら馬に乗る。

 そして王都に向かって歩きだした。


「そういえば」


「え?」


「私はステラ・フィア・グランツ。フィア・グランツ王国の王女だ。君は?」


 ああ、たしかに自己紹介がまだだった。


「俺は稲葉幸人です」


「イナバ・ユキト…聞きなれない雰囲気の名前だな。イナバがファーストネームかい?」


「あー、いえ、俺が生まれたとこでは、名前の順番が逆なんです」


「なるほど。では、よろしくたのむ、ユキト。私のことも気楽にステラと呼んでくれ」


「いや、さすがに王女様を呼び捨てには…」


「なぁに、気にするな!私たちはもう友人だろう?」


 なかなか気さくな王女様だ。あんまり謙遜しすぎるのも失礼かもしれない。


「じゃあ…よろしくお願いします、ステラ」


「うむ!」


 とても嬉しそうなステラの様子に、こちらまで思わず笑顔になる。笑った俺を見て、ステラはさらに嬉しそうに笑った。


 しばらく馬に揺られていると眠くなってきた。

 突然襲われて疲れていたし、命拾いして安堵していたし、人の温もりが心地いいし、まったく体が動かないしで、つい、うとうとしてしまう。気を抜くと、長い耳が垂れ下がる。


「ユキト、王都までまだ時間がかかる。少し休むといい」


 ステラの魅力的な提案に、俺は完全に眠気に抗う気力を失った。


「ありがとう…ステラ……それじゃあ……お言葉に……甘えて……」


 意識が深く深く沈んでいき、俺は一瞬で熟睡してしまった。


 森を抜けると目の前に広大な草原が広がり、その先には王国を囲む大きな壁が見える。


 すやすやと寝息をたてるユキトの頭を撫でて、ステラは幸せそうに微笑んだ。


「やっと見つけた………私の王子様」


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