TOKOROZAWA

くじら時計

TOKOROZAWA

「ふっ…はっ…はっ…」


部活を始めてから、近くにある公園のランニングコースを走るようにしている。


いつも走っている2キロのコースは飛行機のオブジェがあることで有名だ。僕はストレッチをしながら、それを何とはなしに眺める。


「はっはっ…はっはっ…」


来た。


彼女は今日も走っている。髪の毛を後ろで束ねた、ポニーテールの彼女は今日も同じ公園を走っている。


彼女が近くを通りすぎる。まるでカモシカが弾むようにリズミカルでバネのある走り方で…気がつくと、姿が小さくなっている。


その背中をしばらく眺めたあと、僕はまた走り出す。


立ち止まっている僕は、彼女の背中に追いつくことなど出来るのだろうか。





「アハハ…」


習慣となったランニング以外で彼女と会うのは始めてだ。


真剣に走っている彼女からは想像がつかない、楽しんで笑っていると分かる、感情豊かな笑顔を見て、僕は止まってしまった。


「…おい、置いてくぞ?」


「あ、ごめんごめん。」


時間が動き出す。


人混みの中ではぐれると後々面倒だから、僕は友達の後を追いかける。


和服姿の彼女は、桜祭りに似合っていた。


今年の桜祭りは思い出に残る桜祭りになった。





今までも一緒になったことはあったのだろうか。


自分が気づかなかっただけであったんだろう。


友達と来たプールには、彼女がいた。


彼女の姿は眩しすぎた。


「あ、ごめんなさい。」


「あ、うぁい。」


流れるプールでぶつかった時は、とっさの返事ができず、変な声が出てしまい、とても恥ずかしかった。





イチョウの木が黄色に染まり、紅葉が赤く染まる。


それに意味を感じたことはなかったけれど、彼女が立ち止まって見ていると、それだけで特別な木になってしまった。


僕も同じように立ち止まるのだけど、何が見えていたのか分からなかった。





「はっはっ…はっはっ…」


弾む息が白くなり始めると、自分の全身から湯気が出ているのが、何故か気恥ずかしくなった。


彼女は冬用のランニングウェアなのに、僕は防風のウェアを着て全身から湯気が出ないように走っていた。


熱が逃げないからすごい汗だくな僕の横を、彼女はいつもカモシカのように、しなやかに走りさっていた。





二度目の桜祭りには、彼女は彼氏を連れてきてた。それしか見えなくて、見たくないのにそれしか見えなくて。彼氏の隣で笑っている彼女を見てた。





暑くなってくると、彼女の姿を公園で見かけなくなった。


リズミカルに走る彼女。彼氏の出来た彼女。


イチョウを眺めていた彼女。彼氏の出来た彼女。


息を白く吐き出しながら走っていた彼女。


何故だか公園が僕を拒絶しているように苦しくなって、僕も走るのを止めてしまった。





あれから彼女とは会うことはなかったけれど、


噂では東京の高校に入ったらしい。


僕は地元の高校に通った。


けれど、あの公園に行くことはなかった。





季節は巡り、僕も大学受験を目指す時期になった。


努力のおかげが、大学は無事に東京の第一志望に入学。


僕は大学生になった。自由という責任をまだまだ感じないが、自由を自己選択出来ることに喜びを感じて謳歌していた。





僕は成人式のため、この街に帰ってきた。


時々は友達と遊ぶために帰ってきていたが、東京で遊ぶことも多く、久しぶりの帰郷だと感じる。


子供の頃は不自由を感じなかったが、大人になると、道幅の狭さやちょっとしたことに不便さを感じてしまう。


まだ、会場に入るには時間がある。友達とは昨日の夜から飲んでいて、今日は現地で集合する予定だ。


学生の頃、歩いていた道を通る。懐かしさと共に、時代が変わったことを感じさせてくれる。


久しぶりにあの公園にいくか…


あの時から行っていない公園。


桜祭りの時には友達に誘われたりもしたが、足が向かなかった。


あの時から比べると僕も大人になったと思う。久しぶりの公園は独りで当時を思いだし、行くのが良い。


久しぶりの公園は冬の静けさを携え、どこか凛とした雰囲気を醸し出していた。


昨日のお酒が残っていて、走り出すことは出来ないから、少し歩こう。


ランニングコースを歩いて回る。


息は白く、靴音が響く。


あの時感じていた世界が今もここには残っている。


彼女が眺めていたイチョウの木もあった。葉が落ち、むき出しの木だけが、あの時の思い出を記憶してくれている。


あの時と同じように僕も眺めてみた。


木々の間からは雲のない冬晴れの空が見える。


「ははっ。」


感傷に浸った気持ちを笑い飛ばし、僕は成人式へと向かった。


成人式には懐かしい顔ぶれが揃っている。


友達に同じクラスの知り合い、別人だろって言いたくなる同級生。


話し合うことは大人になったけど、子供の頃の笑いあえる話をしていると、いつまでも子供のままに戻れるような、そんな不思議な体験だ。


ふと、何気なく辺りを見渡した。


周りでも自分達と同じようにいくつもの集団が出来てそれぞれが近況を話し合い、当時を懐かしんでいる。


いた。彼女だ。


当時とは雰囲気も見た目も変わった。たけど、楽しそうに笑っている顔は当時の面影を残していた。


僕と同じクラスの人がその集団にいた。


「ちょっとごめん。」


友達に断りを入れ、その集団に歩んでいく。


「あの…急にごめんなさい。」


「え?」


「あ、あの、昔、中学生の時に、飛行機のある公園で朝にランニングしてなかったですか?」


「あ、はい。してましたが…?」


「あぁ、よかった。僕もランニングしていたんですよ。すいません、懐かしくなって声をかけてしまいました。」


「もしかして…その時、坊主にしてた?」


「そう!坊主にしてました。」


「あぁ!走ってる時間が一緒でしたね。」


「えぇ。そうなんです。いや、懐かしいなぁ。」


「本当ですね。」


「「……。」」


「ごめんなさい、1つ聞きたいことがあって…」


「何ですか?」


「当時、すごく不思議に思ったことがあって。」


「はぁ…」


「イチョウが色づいてくると、ランニングの途中で立ち止まって見てましたよね?どうして見てたんですか?」


「そう?私って、そんなに見てました?」


「はい。気になったぐらいですから。」


「う~ん…色が変わってキレイだなって思ったんじゃないですかね。」


「キレイですか。」


「そう。やっぱり黄色とか赤くなったりするのがキレイだなと…そうじゃないですか?」


「今は思います。でも、あの時は子供だったんで。」


「確かにあの時は子供でしたね。何か恥ずかしいです。」


「いや、何か俺も恥ずかしくなってきました。ありがとうございました。」


「いえ。」


彼女と話したのはこれが最初で最後だ。


たわいない会話だったかも知れないが、当時は身体が勝手に動き出し、気がつけば彼女と話していた。


もっといい話し方をすれば良かったのにと思う。何であの時はイチョウの木について聞いてしまったのか。


もっと話すことあったのに。どこの大学に行っているのか、何に興味があって、何の食べ物が好きなのか。


今となればあれこれと出てくる。


でも、当時はあれしか出来なかった。精一杯だった。僕と同じクラスの人も交えて会話していれば、次もあったのかも知れないのに。


後悔しても遅いけど。





成人式の後から、時々、クラス同窓会が開かれるようになった。


毎回は参加出来ないし、時々誘われて参加しては、

見た目がおじさんおばさんになっていくのを、お互いに茶化して笑い飛ばしていた。


何回目の同窓会だろう。誰と話したのかもはっきりと覚えていない。ただ、台詞だけは覚えている。


「彼女、亡くなったんだよ。」


理由は分からない。死因も分からない。でも、彼女が亡くなったのだけは事実のようだ。


彼女は、あの時の成人式が最後だ。


僕は彼女に会いたかったのだろうか…分からない。


もぅ、自分とはどこか違う世界の人と思っていた。それでも、心のどこかで何かがきしむような音がした。





それでも、月日は流れていく。時間は立ち止まってくれない。僕も現実に終われ、彼女のことを考えることはなくなった。





二十代が終わり、三十代になった俺は、またこの土地に戻ってきた。


家を買ったんだ。家族も出来た。1人の日常から大きく変わり、新しい日常が作り出されていく。


変化はとても苦しくて痛みが伴うものだけど、それを越えられる、次に進めるチカラを持っていることを次の世代に伝えるのも父親になった僕は感じている。





飛行機の公園は今日も当時の面影を残しながらも新しくなっている。


ベビーカーを押しながら、当時の面影を辿っていく。


季節が巡りながら、また次の季節が押し寄せてきても、あの時の記憶は、公園の匂いと共に思い出される。


成人の日は、特に思う。


胸の歯車がきしんだあの日から、少しずつきしみがなくなり、今では僕の中でキレイな音を立てて回っている。大人になったということだろうか。


雑木林からは枯れ葉の擦れ会う音がする。風は林の声を俺の耳元まで運んでくれる。春には、またここに新しい命が芽吹くことを教えてくれる。


自然の逞しさなんて当時では気づけなかった。


変わらない美しさ、変わっていく美しさ。この公園はそれを俺に教えてくれているようだ。


葉の落ちたイチョウの木を眺める。


彼女が笑いかけている気がした。






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