第8話 惚れた弱み!王子、雪花に誑かされる

 先にジョチの方が目を逸らした。

 

 (あんの野郎…… 人にガン飛ばしといてそれかよ!)

 

 視線を追う。ジョチは赤毛の兵士を見つめていた。

 実に好ましそうに。

 

 (トゲトゲした葉っぱみたいな野郎だ…… 異性を前にしたら本性隠す奴の特徴だ。やっぱりあの赤毛の……)

 

 今日の王子、勘が冴えてる!?

 

 (髭か!?じゃあ俺も髭を生やすようになれば睨まれない!?)


 やっぱり王子って頓珍漢とんちんかんみたい。

 

 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*


 結局、雪花シュエホアはジョギングに参加させられた。


 「あの赤毛。雪花あいつに似ている気もするが…… うん?もしかすると―― あれは付け髭だとしたら!?よし!確認するか」

 

 王禎ワン・ジョン達高麗組は、一番先頭を走ることを思い付き、追い抜きついでに将軍に手を引っ張られて走る、赤毛の兵士の顔をチラりと見て首を傾げた。

 

 (うーん。よくわからん。考えれば赤毛の奴なんて世の中にいくらでもいる、か。やっぱり勘違い? バヤンがえらく気に入ってるみたいだが…… あれはバヤンの寵童か?)

 

 「疲れたぁ~はうぅぅ……」


 シュエホアはヘタヘタっとは地べたにしゃがみ込んだ。

 

 「こら!ちー坊!しっかり走らんか!新参兵に負けてるぞ!!」


 お昼は酢豚らしい。それを聞かされた新参兵達は、目の前に人参を吊り下げられて走る馬の如く、嬉々としていた。

 

 

 宮城から、巨大な石造りのアーチ型の海子ハイズ橋を通り、湖の畔に建つ鼓楼までひた走る。

 ここまで来て貴公子達は上司の断りもなく、勝手に茶楼の軒先で休憩をし始めた。

 

 「くぉら~お前ら!!シバン!オルダ!ボアル!今は訓練中だぞ!!」

 

 バヤン将軍は怒ったが、てんで効果はなかった。貴公子達のお耳は、右から来たモノを左に受け流すと言った感じに、自分達に都合良く出来ていた。

 

 「バヤンおじさんも休憩しようよ!おばさ~ん!お茶ちょうだ~い!」

 

 「お、おじさんだと!?私はお前らの上司だぞ!私のことは将軍か閣下と呼べ!!」

 

 「はーい!バヤンおじさん!!」と、手を上げる貴公子達。言ったそばからこれだ。

 

 「まあまあ、バヤンおじさん。そうしたら駄目っすよ!」

 

 シバンはよく冷えた甘酒をバヤンに手渡した。

 

 「……お、お前らな、よくそんなで親衛隊ケシクが務まるな……」

 

 バヤンは急に頭痛がし出した。

 猛将と称されるバヤンを、それこそ近所に住むおじさん呼ばわりする貴公子達。

 これでも、将来は国を担う幹部の養成機関である怯薛ケシクの一員である。

 シュエホアは貴公子の中に見覚えのある顔を見つけた。

 こちらと目が合うと、親しみのある笑顔を見せた。いったい何処で出会ったのだろう?


(薬用ビュー○君みたいに包容力ありそう。おまけに、なんというか…… 清澄な雰囲気の人だわ)

 

 トクトアが華やかな牡丹なら、この貴公子は菖蒲の花だ。剣の様な鋭い葉と青い花が、彼のイメージにぴったりだ。

 

 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*


 お昼時、訓練が終了した。

 シュエホアは兵舎の廊下を歩きながら独り物思いに耽っていた。

 

 (千字文の講義か…… なかなか時間が取れないし、どうしようか?ハァ~これじゃお小遣い貰えないよぅ)

 

 正面から高麗の王子が歩いて来るのに全く気付かなかった。

 

 「ご苦労だな……」

 

 すれ違う時、王子に声を掛けられてハッとした。

 シュエホアは氈笠せんりゅうのつばの端に手を添え、そつなく優雅に一礼して足早にすれ違おうとしたが、王子は後ろから声を掛けてきた。

 

 「……シュエホア」

 

 名前を呼ばれたので、うっかり立ち止まってしまった。

 

 「……やっぱりそうなのか?」

 

 「…………」

 

 返事をしないことにしたが、王子の方は大股で近付いた。

 シュエホアは素早く身を翻した。

 濃い緑色の胡服の裾が風になびく―― 腰から刀剣を鞘ごと掴み、王子の喉元にグイとそれを押し当てた。

 

 「どうか私にかまってくれるな!」

 

 「やっぱりお前は…… シュエ………」

 

 王子は驚く風もなく落ち着いているが、鞘で顎を押し上げられているので喋りにくそうにしていた。

 

 「……否、私はバヤル………… ジョノン」

 

 こっちも言いにくい。というより名前が恥ずかしかった。

同時に鞘を握る腕の力も鈍る。

 

 「ぷっ!バヤル・ジョノンだと!?」

 

 そら、笑われた。


 「ぶ、無礼な!貴様笑うか!?」


 「無茶言うな。そんなキラキラした名前付けてたら誰だって笑うだろ? ま、それは別として、何でお前はバヤンの近くにいる?まさかバヤンの寵……」

 

 再び鞘を握る腕に力を込めた。

 

 「バヤン将軍は我が養父!愚弄することは私が許さぬ!生きて再び高麗の地を踏みたくば、その口を閉じていることだ!」

 

 「バヤンが養父!?なるほど。いくら手下にお前の居場所を探らせても見つからなかった訳だ!ということは、お前が噂の姫君だったとはな」

 

 「……え?」

 

 こっちは噂の姫君が誰かなんて興味がなかった。


「やっぱりお前は面白いし」


 王子である自分に向かって、なんて生意気な奴。こんな口を叩く者がシュエホアの他にいったい誰がいるというのだろう。

 高麗の王子は笑いを噛み殺すのに必死だった。付け髭をしていっぱしの兵士気取り。


 「一緒にいて飽きない」

 

 シュエホアは仕方がないといった風にため息をつき、急にくだけた物言いにした。

 

 「あなたねぇ…… 前に私が言った言葉。覚えてますか?」


 「ああ、しっかり覚えてるとも。記念すべき口づけを交わした日だ…… 怒ったお前はこう言った。今度会ったらあなたを粉微塵にして濁った黄河に捨てて怪魚の餌にしてやる、ってな!どうだ!?」

 

 えっへん、と胸を張る王子。

 何も威張るほどのことか。

 

 (ダメだこの人。 全~然聞いてない。ってか効いてない……)

 

 シュエホアは諦めたように剣を皮帯に戻した。

 

 「なあ!この髭取れないのか!?」

 

 王子は付け髭を引っ張った。

 

 「痛たたた…… 何するんです!これって植物油じゃないと取れないんですよ」

 

 なってたってア○ンアルファばりに強烈な接着剤だ。

 

 「ところで、何でお前は兵士になってるんだ?」

 

 「さあ。何ででしょう…… 成り行きでしょうか……」

 

 出来心で受けた採用試験に通ったことを思い出した。

 

 (……わりといい加減な試験だったな)

 

 そこへ兵舎を守る衛士達が談笑しながら通りかかった。

 髭ヅラの小柄なおっさんと若いにいちゃんがイチャイチャしている風に見えていないだろうか?周りの目が気になる。

 

 「やっぱり武官でも読み書きくらい出来て当たり前だよな。出世に響く」

 

 「そうそう!ある程度の学識ってのも必要だ。宴なんかでいきなり詩を詠めとか言われて詠めなかったら恥をかくしな……」


 「おい、アストに入った奴らは文盲なんだってよ。どっから来たかわかんねぇ奴らだしよ」

 

 「国から禄をもらう者達なのに。恥だな!」

 

 「そんな奴らが大都を守る?世も末だ……」

 

 衛士達の嘲笑を聞いたシュエホアは、唇を噛み、手をぎゅっと固く握りしめた。

 

 (必ず識字率を上げてやる。そうだ!)

 

 シュエホアは口の端を二~と広げ、心でキヒヒと笑った。

 

 「シュエホア?」

 

 急にしおらしい態度で訴えてみた。あの後宮の妃嬪顔負けの演技で。

 

 「ジョン様……今の私には、あなた様のお力が必要なのです!」

 

  (フッ、どうだ!)

 

 名前を呼ばれて、天にも昇る心地の高麗王子。彼は気づいていなかった。

 シュエホアは以外にも腹黒だったということを。

 

 「何だ?是非言ってくれ!お前の頼みなら何でも聞こう!俺の力が必要とは?まさか……… 子作りなのか!?」

 

 「…………どうしたらそんな発想が思い浮かぶんです。今の衛士達の言葉を聞いて腹が立ちませんか?」

 

 「いや、俺のことを言ってる訳じゃなし」

 

 「私は腹が立ちましたよ!実はバヤン将軍から、兵士達の読み書きが習得出来るようにしろ、と仰せつかったのです。そこで!とーっても頼りになる王子様に!(ここは強調)千字文の講師をお頼みしたいのです!御幼少の頃に習われていたのでは?」

 

 「千字文か…… ああ。子供の頃に暗記するくらいよく書いていたからな。よし!いいだろう!他でもないお前の頼みだからな!」

 

「ありがとうございます!王子様!!」

 

 雪花はこれまで誰にも見せたことのない、極上スマイルを作って見せた。

 でも腹では――

 

 (フッ、チョロいな…… スマイルくらい無料よ。いくらでも笑ってやるわ。だってお小遣い稼ぎだもんね~ そうだ!もうボランティアで働かせちゃえ。今まで散々悪さしたんだからこれくらいさせたってバチは当たんないわ。神様ってちゃ~んと償う機会を与えて下さるのよん。ケケケ…… 楽して儲けた!)

 

 そう、神様の思し召しだと思えば、少しも心は痛まない。

 シュエホアの色香?にどっぷり浸かった王子の目には、その笑顔が眩しく映ったらしい。まさに天使の様な悪魔の笑顔だ。

 

 「任せておけ!この王禎ワン・ジョンに二言はない!」


 

 こうしてまんまと一杯食わされた?元悪徳王子は千字文の講師となり、文盲と笑われた者達を救う手助けをさせられた。

 シュエホアは香扇子の男性に書いてもらった素晴らしい文字を、王子に見せた。


 「シュエホア……これは……告白!?」

 

 「……え?何ですか?ああ!!」

 

 これはうっかり、我愛你あいしてると書いてある紙を抜いておくのを忘れていた。

 

 「そ、それはダメです!返して!!」

 

 シュエホアは顔を紅く染め、慌てて手を伸ばす―― しかしそれも虚しく手が届く前に、紙はひょいと宙に。 

 

  (ひぇぇ!私のお気に入りが~!)

 

 

 「シュエホア、お前の気持ち…… これをもらっても良いか?」

 

 王子の勘違いだった。

 

 「い、いえ、それは大事なお手本です!」

 

 「何を恥ずかしがる?そうか!恥ずかして文字にしたんだろ?」

 明らかに勘違いだった。

 

 「いや、だから違いますって!」

 

 「なるほどな。口で直接言うよりも、時には文にしたためた方が、想いがより強く相手の心を打つと聞く。古からの風習、言の葉か…… きっと原始の人も、葉っぱに愛の言葉をしたため、意中の相手に贈ったのだろうな…… よし!これは我が宝としよう!」

 

 王子、それは葉書の起源では?


 「もう!こっちの話、全然聞いてないし!」

 

 (って、原始の人に想いはせるのはいいとして、全く意味がわかんない)


 王子は紙を匂った。

 

 「なんと滑らかな触り心地。そして雅な香りだろうか……」

 

 紙はあなたの故郷の高麗から。

 香りは――あの香扇子の男性のですが。

 

 講義は主に夕餉ゆうげが終わった後と雨の日に限られたが、皆勉強が出来ると聞き、机に向かって慣れない筆を懸命に動かし、紙に文字を書いていった。

 王子は教え方も上手とみえ、兵士達の方も向学心があり、めきめきと上達していった。

 結局、は取り戻せないままだったが。


「ま、ボランティアさせてるからいっか…… またあの方に書いてもらおかなぁ」


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