第7話 思わぬ再会


 

 「ちー坊、まだ怒ってるのか?確かに皇后様の御目にかなえばなぁ~ってちょっぴり考えたかも知れん。でもな、やっぱりお前は後宮なんかより、我が家で暮らす方が絶対いいに決まってるって思ったんだ!」

 

雪花シュエホアの顔は暗く、長椅子の上に両膝を抱えて座っていた。


 (なぬー!やっぱり思っとたんかい!)

 

バヤンは隣に座わった。


 「な~雪雪シュエシュエ、機嫌を直せよ!」

 

 (誰が雪雪シュエシュエよ!私はパンダかい!)


 「お前に名を贈ろうと思ってるんだからさ!つまり  だ!」


 雪花は顔を上げた。興味津々。

 

 「名前ですか!?」

 

 バヤンは自分の養子にふさわしいモンゴル名を付けるという。

 

  「ああ勿論!良い名を授けてやろうな!」

 

 「わーい!嬉しいな!」

 

 バヤンは前置き代わりにコホンと咳払いした。

 

 「名は、バヤル・ジョノン。どうだ?私の子供って感じだろ?」

 

「素敵な名前…… でも、キラキラっぽい響きですよね?」

 

 バヤンは目を剥いて言った。

 

 「何?キラキラだと!? な~にを言うか!私は子が生まれたら絶対!この名前を付けようと思ってたんだぞ!嫌なのか!?」

 

 「いえ、そんなこと…… とても素敵です!ありがとう存じます!ところで伯父様、この名前の意味は?」

 

 「……お祭り王子。いや、喜びの王子!!」

 

 社会に出たら冷笑されそうだ。

 

 「り、立派にキラキラした名じゃないですか。それは男の子に付けるし…… 女の子名はないんですか?」

 

 「え?いる?」

 

 「いりますよ!!私は女ですよ!」

 

 だよなぁハァ、とバヤンはため息をついた。

 

 「よし! ではもうひとつ。良い名前を考えておこう!」

 

 「もうひとつ?まさか…… バヤルバヤンとかバヤンバヤルじゃ……」

 

 〈バヤル〉だけで良いのでは?

 

 「お前な…… 公文書に残す方だぞ。可愛い娘の為だ。あーでも……」

 

 「何ですか?」

 

 バヤンは顎髭をしごきながら神妙な顔して言った。

 

  「……可愛い子や名前が可愛いって言われる子はな、草原の言い伝えで " 悪魔に連れ去られる " って。昔、お祖父様が話してたっけ」


 ゾクッ。肌が粟立った。

 

 「ちょっと…… そんな怖いこと言わないで下さいよ」

 

 あの超・能力で、遥か遠くにある貝加爾バイカルの湖を視ることが出来る、というお祖父様だ。お年寄りが語るのって、格言的なのも多いが大抵子供が怖がる話が多い気がする。


 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*∽*


 高麗の王子である王禎ワン・ジョンは大都宮城内の離宮で優雅な人質生活を送っていた。

彼はモンゴル皇室の血を受け継ぐ者であり、将来高麗に帰国後、元の公主の附馬キュルゲン(婿)になるよう運命づけられている。

 されど王とは言っても名ばかりの、いまだ強大な軍事力を誇る大元の国の一部を任された総督みたいな立場。

 元の属国。それが彼を腐らせ、どうしようもなく荒れさせていた。

 そんな彼の心を救ってくれた存在がいた。

 

 「雪花シュエホア…… ムニャムニャ……ウフ、ウフフフフ」

 

侍女の膝枕で愉しい夢の中。

 ナギルとタスルとチャンディの三人の従者は、王子に頼まれて市場へ西瓜を買いに出かけている。

 そこへ見目麗しき若者達を引き連れてエル・テムル丞相が現れた。

 丞相は侍女に向かってシーっと唇に人差し指を当てると、なかなか起きる気配のない王子の頭をひょいと持ち上げ、代わりに自分の膝の上に乗せた。

 

 「邸下ていか~!!真っ昼間からいい若い者がゴロゴロとは!あまり感心しませんな!年寄りばかりに仕事をさせるものではありませんぞ!」

 

 突然、地上に落ちた雷撃みたいな恐ろしい声が王子の鼓膜に落ち、驚いて見上げれば、額に青筋を立てた世にも恐ろしい丞相の顔が間近に迫っていた。

 王子は危うく床に転がり落ちそうになった。

 

「……な!?丞相!」


「私はこの国の丞相。何処だろうと許可なく入れます。あなた様が何処におられようと容易く見つける自信もございます。お忘れなきよう…… さて邸下、あなた様の力を思う存分発揮出来る良い機会が巡って来ましたぞ。あなた様もこの国にある内は怯薛ケシクとしての責務がございます。それは草原の古くからの伝統にある禿魯花トルガク(質子)にも課せられし義務。あなた様も我らと同じく蒼き狼の血が流れているということをゆめゆめ忘れてはなりませんぞ」

 

 エル・テムル丞相は、邸下という高麗世子に対する尊称で呼び、丁寧な対応をしてはいるが、実質は部下に対するような命令も同じだった。

 

 「はい!」

 

 有無を言わせぬ迫力に、直立不動の元悪徳王子。

 

 「これにひかえる若者達は、容姿だけでなく実力も親衛隊ケシク随一です。如何ですか?闘争心がむくむくと湧き上がってくるでしょう?邸下はこの若者達とバヤン将軍率いるアスト親衛軍に入って頂きます。しっかりと我が国、いや、高麗の為に尽力なさるのがあなた様の使命。高麗の阿剌忒訥失里アラトナシリ殿下も大変お喜びだとか」

 

 「父上が……」

 

「左様」

 

自分は戦に駆り出される。

 父、忠粛王をわざわざモンゴル名で呼ぶとは。自分にもそれはあるが絶対呼ばれたくない…… そして高麗王となれば、元への恭順の意を示す意味で名前にの字を付ける。自分は死ぬまで元の傀儡。

王子は再び闇にとり憑かれる思いがした。

 目の前にいる若者達はいけ好かないケシク四人組。

 

 「さあ邸下、バヤン将軍が待っております。ご準備を。西瓜を買いに行った従者も連れて来ております」

 

 エル・テムル丞相は魔王の様な笑顔で若者達を送り出した。

 

 

 *∽*∽*∽*∽*∽*∽*

 


 〈阿速アスト親衛軍 軍事練兵所〉の古い立札が風もないのにコテと倒れた。そろそろ替え時だったが知っての通り、今のアスト親衛軍には金銭的な余裕はない。

 そこへボンボンケシクと高麗王子とその従者達が到着した。

 

 (ちっ、面倒な奴らが来たな)

 

 バヤンは眉間にしわを寄せ、しかめっ面をしたまま答えた。

 

 「欽察キプチャク親衛軍もあるのにのう。ハア…… 我が阿速アスト親衛軍にようこそ。歓迎する」

 

 若者達は、指揮官バヤンのあからさまにやる気のない顔を見て、今の言葉が社交的な口上だと知った。

雪花はいつもの様にバヤンの傍らにいたが、綺羅綺羅しい若者達を見て全身が硬直した。

よりによって、一番会いたくない者達がいる。王禎ワン・ジョンと愉快な仲間達。

 

 (なっ、嘘でしょう…… 高麗の王子とお馬鹿従者もいる!?そっか、ケシクだからか……)

 

 雪花はバヤンと揃いの焦げ茶色の氈笠せんりゅうを目深に被り直した。

 

 (素敵な "おじさんお髭" をしてきて良かった……)


これでどっから見ても立派なおじさんに見えるハズ。

 が、ただ一人小柄で小綺麗にしているから目立つのか、若者達はチラチラとこっちを見ている。

 

 (……なんか視線が痛いぞ)

 

 訓練が始まり、こそっと自分だけ退こうするが、敢えなく見つかった。

 

 「君、何処行くの?」

 

 ギクッ。雪花は外ハネショートヘアの貴公子に捕まってしまった。

 

 「……私はバヤン将軍の雑仕ぞうしですので、その……訓練は出なくとも良いのですよ」

 

氈笠の縁を持ち、うつむき加減にもごもごとしゃべる。

 

 「え?でも君の身なりからすると、優秀な武官って感じだけど。それに腰の剣がイカしてるね。柄に巻いてる赤い絹紐なんかも綺麗だ。鞘の装飾も獅子アルスランの模様だし」

 

 「……これですか?ああ。積水潭せきすいたんのバザールで買ってもらったんです。でも見てくれだけが良いナマクラ刀なんですよ…… じゃ、私はこれにて失礼……」

 

 ナマクラ刀なんて嘘。獅子アルスランの名に恥じない抜群の切れ味だった。バヤンとトクトアの弯刀わんとうと揃いの色違い。

  刀身は、ほんの少しだけ軽く仕上げてもらっていた。

 刀匠であり、雪花の槍の師、尭舜ぎょうしゅんの作。ナマクラ刀―― 刀匠が聞いたらさぞかし悲しむことだろう。

 雪花はそそくさと立ち去ろうとするが、素早く走り寄って来たバヤンに首根っこを掴まれた。

 

 「ふえぇぇぇ~!」

 

 「こぉら!ちー坊!何処行くんだ?ちゃんと訓練に参加しろ!お前も走るって言っただろ!」

 

 「うわーん!やだ~聞いてない~よぉぉぉ!」


 「こら!行くぞぉ!!」

 

 バヤンに手を引っ張られてるが、腰を落として必死の抵抗を試みる。

 まるで市場か歯医者の前で、駄々をこねる子供みたいだ。

 ケシク四人組と高麗組は、この二人の関係は何?という感じで見ていた。

 

 「世子アニキ。今の内にこそっと帰りやしょう」


 腰巾着チャンディが王子の袖を引っ張った。

 

 「バカ。んなこと出来るか…… ま、やる気ないけどな」

 

 王子はボソッと漏らし、従者のナギルとタスルが黙って頷く。

 

 なんか気が乗らないよな、と早くも帰りたいモードになっているケシク四人組。

 

 「でも…… 姫君の話が聞けるかもだ!」


 リーダーのシバンは、可愛娘ちゃんを射止める為なら頑張ろう、と提案。賛成する麗しの四人組。

 

 「走らんと禄は出さんぞ!頑張れ!」

 

 「やだい!あ……」

 

みんなに見られて恥ずかしくなったバヤンは、雪花を小脇に抱えた。

 その時、雪花が被っている氈笠が落ち、陽光に照らされて鮮やかなに映る赤毛の髪が見えた。

 その瞬間を王子は見逃さなかった。そして――あとひとりも。

 

 「あいつと同じだ……」

 

 (あの髪の色は?あんな赤毛はこの辺にはいない…… 肌も白いし)

 

 だが、急にゾクりとする様な殺気を放つ視線を感じる。王子は見た。

 麗しのケシク四人組のメンバーのひとりが、王子を刺し貫くかの様な鋭い視線を送っていた。

 何故自分が睨まれるのか?王子はその理由に皆目見当がつかなかった。

 

 (あいつの名は確か…… ジョチ。いったい何なんだ?)

 

 

 

 

 ※禿魯花トルガク(質子制度)

 モンゴル高原には古くから族長が他の遊牧勢力に投降する際に託身として質子を出す習わしがあった。この質子が族長を警護する親衛隊ケシクになるという制度が存在している。この質子制度の狙いとは?

 人質を取ることで投降した部族の勢いを牽制する。質子を親衛隊の一員として君主との主従関係に取り込んで将来の幹部、官僚の一人として養成する。

 属国である高麗は、この制度に従って元の宮廷に王子を送っていた。

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