勇者とコンビニ


 吾輩は勇者である。

 職はもう無い。


「っしゃーせー。ただいま“メラチキ”揚げたてです、いかがでしょうかー」


 生まれ故郷である世界――こちらでは“向こう”と呼ばれる場所だ――では、魔王を倒した勇者として持てはやされていた吾輩は現在、とある街のコンビニ店員として働いている。


「勇者くん、ボク休憩行くから。忙しくなったら呼んでね」

「うぃス」

「きみ、“異客人”なのにすっかりこちらに染まってるよね……。まあ、だからお店を任せられるんだけど。じゃ、よろしくね」


 呆れと感心を混ぜた笑いを残し、休憩室へと退がろうとする店長。吾輩は申し訳なく思いつつも、慌てて呼び止めた。


「あ、店長! 『ぷりボン』のドッキドッキくじ、もう出していいですか?」

「ぷり――ああ、『魔法ガイコツ☆ぷりてぃーボーン』のグッズくじか。入荷してたっけ?」

「はい! もう梱包も解いて、組み立て済みです。売り場も空けてます」

「おお、仕事が早いねえ」


 ハキハキと答える吾輩に頷き、店長は眠そうな目を腕時計に落とす。


「うん。もう日付変わったし、手が空いたら出してくれて良いよ」

「あの……仕事上がりの時、くじ引いても良いっすか?」

「あはは、買い占めないなら良いよ。そういや前の時も引いてたね、E賞ばっかりだったけど。勇者って、みんな強運の持ち主ってわけじゃないんだねえ」

「み、みたいっすね」


 店長は太い喉を鳴らし、面白がる視線を投げる。吾輩がその道の“探究者オタク”であることにも偏見を抱かない良い男なのだが、時々傷口にサイダーをぶっかけてくるようなところがある強者だった。


「ふー……」


 店長が退がり束の間の自治を任された吾輩は、7時間に渡る業務に凝り固まった肩を回す。都会とは呼べない街の深夜帯とはいえ、こんな時間に来る客の対応は少し用心せねばならない。


 とくに――吾輩も含めた、“異客人”が来店した場合には。


「たーのもー!」

「っしゃーせー」


 グッズくじの用意を終えいつも通りの迎え文句を口にしつつも、吾輩の警戒センサーがしっかりと作動した。今時酔っ払いですら、深夜のコンビニに立ち寄る際にそんなテンションは発揮しない。


「おお、此処が“こんびに”か。なんという明るさよ」

「……」


 この国の大人しい民たちとは明らかに異なる、彫りの深い顔を持つ美丈夫。加えて黒髪の間から突き出ている立派な角が、男が“異客人”であることを示していた。逆にそれが無ければ、上下スウェット姿の彼になど注視しなかっただろう。


「書物に食物、それに日用品まで……なんでもあるのだな、ここは! 気に入ったぞ」


 すでに数多くの後輩アルバイトを従える吾輩は、そんな大きな独り言になど反応を示さない。この異客人はまだ“こちら”に来て日が浅いか、現地の文化に染まろうとは思わないタイプなのだろう。


 というか、気付きたくもないのに気付いてしまった――この男、魔王だ。多分。染まるというより、人々を恐怖に染めていくのが仕事の存在だ。


「ふむ、目当ての品は何だったか。ええと、まずは酒か」


 圧倒的なカリスマ感からさぞ大層な存在なのだろうと警戒した吾輩だったが、男が小さなメモ紙を広げたのを見て拍子抜けした。いちいちコンビニに買い物メモを持参するとは、勤勉な悪党もいるものだ。


「色々、か……」


 店内のBGMに紛れる程度の声で呟く。

 かつての世界で吾輩が剣を向けたのは、もっと卑劣で忌むべき存在だった。


“行くぞ、魔王ヴェナーンッ! 食らえ、我が雷光の剣を! はああああ”


 もはやあの緊迫感が、懐かしくさえ感じる。というより。


「ああ……」


 間違いなく世界を救った偉業だったのだが、今は正直そこそこ恥ずかしい。カウンター内の補充作業に集中したくとも、吾輩は思い出された黒歴史にひとり悶えていた。


「ああああ、もう――!」


 違う、あれはラスボス相手で少しテンションハイになっちゃっただけなのだ。そこまでの道のりは意外と地道だったし、実は魔王討伐の報酬も事前に細かく打ち合わせとかもしてたし、普段は冷静な男なのだ吾輩は――


「おい、そこの店員」

「! は、ハイッ!?」

「そうだ、貴様だ。掃除ばかりしてないで客の相手をせぬか」


 いつの間にかカウンターの前まで来ていた男に、吾輩は目を瞬かせた。近くで見ると、やはり相当の気迫を感じる。


「我は重要な使命を帯びてここへ来た。しかし勝手が分からぬ。仕事が無いのなら貴様も手伝え、暇そうな店員」

「は、はあ……」


 かつて魔王を屠った愛剣はこの街の決まり上、外には持ち出せない。正直あの“無敵チート剣”に選ばれたから吾輩は勇者としてやっていたわけで、この場ではただの人間だ。

 対して眼前の存在は、手をかざせば小さなコンビニを灰塵に帰すことくらい朝飯前のような力を持っていてもおかしくはない。冷や汗が制服の背に滲んだ。


「――かしこまりました。何をお探しでしょうか」


 それでも吾輩は背を伸ばし、異客人を見据えねばならなかった。

 休憩室にいる店長――彼の“最後の晩餐”を、期限間近の弁当にはしてやりたくない。この世界に来て右も左も分からなかった“勇者わがはい”に、生活の術を教えてくれた大切な恩人なのだ。


 もう守る世界もなければ、誰に期待されるわけでもない。

 それでも守るべき人、そして職と収入のためなら――吾輩はどこの地にあっても、誇り高き“勇者”となろう。


「うむ、なかなか気骨のある返事だ。では早急に、ここに書かれた品を揃えろ」

「はい。お借りします」


 尊大な調子の男からメモを受け取り、吾輩は愛する仕事場を縦横無尽に駆けた。

 一番高価なワインに缶チューハイ、最新号の『週刊少年ダッシュ』と付録付きの女性誌、新商品のふわもちスフレプリン――そして、グミやアクセサリー付チョコなどの女児向け玩具菓子。


「お、お待たせ、しました……ッ!」


 買い物カゴに満載された商品をカウンターに降ろし、吾輩はずれた帽子のつばを直して告げた。コーヒーマシンをしげしげと観察していた異客人は驚いたようにこちらを見、大股で歩いてくる。


「ほう、早かったな。褒めて遣わす」

「あ、ありがとう、ございます……!」


 日頃のゲーム三昧が祟って息が上がる。それでも満足した客の様子を見て、吾輩はひとり胸を撫で下ろした。これならば、店長は明日も元気に期限切れ間近の菓子パンにかぶりつけるはずだ。


「そうだ。折角こうして骨を折ったのだ、我自身にも何か褒美をやらねばな」


 ぽんと手を打って言った異客人に、労力を行使したのはこちらだと呻きたくなった。しかし敬虔な仕事人である吾輩は軽く一礼し、営業用スマイルを惜しみなく顔に輝かせる。


「今日のおすすめは、50円引きになっている“レッドメガポテ”です」

「辛いのは好かぬ。店員よ、貴様が断言する一番のおすすめを教えろ」

「えっ? わが……私の、ですか」


 そんな問い合わせを向けられたのは初めてだった。もちろんどう答えるべきかを示したマニュアルもない。狼狽した吾輩に、異客人は腕組みをして言った。


「我は、誰ぞ知らぬ者の策に嵌ってやるつもりはない」

「毎週行っているセールなんですが……」

「どうせ口にするのなら、見知った者が認めた食物のほうが美味であろう?」

「!」


 屈託なく笑う口元には、人外の証である長い牙が覗いている。しかし吾輩は、それに戦慄も嫌悪も覚えなかった。


「そう……ですね」


 世界が違えば、それぞれの関係も変わる。

 この世界での吾輩はコンビニの店員で、目の前の男はただの客なのだ。


 だから吾輩は、戦火に煌く剣ではなく――生身の指を、カウンターの中央に坐している“温かい宝箱”へと向けた。


「こちらの“あんまん”が、私のおすすめです」

「おお! このふっくらした白いヤツか。気にはなっておった」


 保温機の中に並んだ中華まんを見る異客人の顔は、子供のように輝いている。

 夜でも明るいこの店に引き寄せられてきた一文無しの“勇者”が、店長に差し出されかぶりついた時と同じ顔だ。


「どれ。では、こいつもふたつ追加してくれ」

「あ、はい。ふたつですね」

「包むのはひとつで良いぞ。帰りながら食うのでな」


 そういえば買い物の内容は、家族に頼まれた品がほとんどのようだった。こちらに奥さんと娘さんがいるのかと推測し、なんとも言えない気持ちになる。

 決して妬みではない。悔しくなんかない。


「お待たせしました。熱いので、袋分けておきますね」

「うむ。冷めぬうちに食すが良い」

「え?」

「褒めて遣わすと言っただろう。褒美だ、受け取れ」


 小袋に入ったあんまんをぐいと吾輩に差し出し、異客人は不敵に笑んだ。呆然としている吾輩を見下ろし、客は上機嫌に続ける。


「似たような“こんびに”なら、もっと近所にあったのだ。しかし散歩道にあるこの店はいつも、どの店よりも手入れが行き届いておる。加えて先日の寒空の下、とある店員が熱心に窓を拭いているのを見かけてな」

「……!」

「初めて赴くなら、この店にと――そう思い至り、足を伸ばしたのだ」


 冷水と洗剤で荒れた指が、じんわりとした温かさを帯びる。

 吾輩はあんまんの袋を静かに引き寄せた。かつての役職など忘れ、ぎこちなく頭を下げる。


「ありがたく……頂戴します」

「これからも精進せよ。では帰るか――ん? あれは……まさか『ぷりボン』ではないか!?」


 大量の買い物袋を軽々と肩に掛けた客は、入り口付近に設置したくじコーナーを目にして叫んだ。吾輩は感動を胸に仕舞い、業務の世界へと駆け戻る。


「あ、はい。さきほど始まったばかりのドッキドッキくじです」

「“運試し”というものだろう。商店街で見たぞ。興味深い……いくらだ?」

「1枚600円です」

「高いッ! 末端賞のハンカチなど、釣り合わぬ値ではないか!」


 なぜ吾輩がお叱りを受けるはめにと縮こまるが、なんとか笑顔を保ちつつ礼儀正しく訊いた。


「引きますか?」

「ううーむ……。電子まねーの残りでは、1枚きりしか引けぬ……」


 あとで引こうと目論んでいる身としては正直焦りもあるが、くじというのは最初から当たるものではない――前回敗者だけが持ちうる、謎の余裕だ。


「ええい、我という者が好機を逃してどうする! 買ったッ!」

「ありがとうございます。では、1枚お引きください」


 吾輩が差し出したくじ箱に、底をぶち抜く勢いで手を突っ込む異客人。

 せめてB賞の『特製タペストリー』くらいが当たってくれなければ、やはり吾輩も店長も朝日を拝めなくなるかもしれない――


「ん……えす賞?」

「!?」

「賞品は『限定生産フィギュア』だと? しかし“S”というのは、こちらの世界ではかなり末端の文字ではなかったか、店員?」

「…………」

「どうした。目から血でも吹きそうな顔をしおって」



 やっぱり勇者わがはいは――どこまでいっても、こいつらとは上手くやっていけない運命にあるらしい。




―出演―


1:勇者……最近ハマっているオンラインRPGでは、こっそり魔法職を選んだ。


2:魔王……娘とのままごとで、見事ペットから“お向かいさん”に昇格を果たした。

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まちかどファンタジア 文遠ぶん @fumitobun

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