第28話:貸し借り

 目を伏せる。もうこれ以上できることは何もない。魔物の足音が近づき、その振動が頬を震わせる。


 どうせ殺されるのなら、魔法を使って眠ってしまった方が楽だろうか。


 結局、何もできないまま終わってしまう。エリルに借りを返せていないし、勇者に復讐もできない。シャインの言う世界の危機とやらも分からない。


 目から一筋の涙がこぼれ落ちる。もう、疲れたな……。


 間近で足音が止まるのを感じながら、自己睡眠の魔法を唱えようと、目をつむった。


 魔物のものとも違う、軽やかな足音が遠くから聞こえ、こちらへ駆けてくる。なにかが風を切る音がして、肌を鋭く叩いたかのような打撃音が響く。


 叫び声をあげたのは、一ツ目の魔物だった。もう一度、同じようになにかが風を切り、また苦しそうな叫び声があがった。ズシンと、大きなものが倒れる音が、二度響く。


 僕はうっすらと目を開ける。細く白い足がそこに見えた。


「……エリルさん?」


「ユウト! 大丈夫か!」

 僕を仰向けに転がし、その頭をエリルが自身の膝の上にのせる。


「どうしてここに……」


「勇者とお前が二人でダンジョンへ向かったと聞いて、急いで後を追ったんだ」


「重要な依頼で来られないって」


「そんなものはない!」

 エリルが悲痛に叫ぶ。


 エリルを置いて出立したのも、クラルクの策略なのだろうか。僕がクラルクの予想以上に粘って生き延び、エリルが間に合ったということか。


「なにがあった。勇者は、どこへ行った!」


「僕を置いて……エリルさんも、あいつには……気をつけて」

 どうにか声を絞り出す。


 緊張がゆるみ、これまで必死にこらえていた、身体中の痛みと頭痛が増す。


「おい、しっかり──」

 エリルの声を聞きながら、意識を失った。


 次に目を開けた時には、ダンジョンの入り口にある大きな鋼鉄の釣り扉が目の前にあった。


「目を覚ましたか」


「俺は……助かったんですか」


「ああ、ここまでくればもう大丈夫だ。安心しろ」

 床に横たわる僕をエリルがのぞき込んでいる。その側には、見知らぬ白い教会服を着た男性がいて、光る手を僕にあてていた。


 次第に意識がはっきりしてくる。生きている……。安堵感で心が満たされる。


「また助けられちゃいましたね」


「これで馬小屋二泊と、短剣と、命二つの貸しだな」


「ドラゴン二百頭分の借りでしょうか」


「百九十九頭分にまけておいてやろう」


「とうてい稼げそうにないので……体で払っていいですか」


「バカ、お前の体なんかいるか。銅貨一枚にもならん」

 エリルが朗らかに笑う。


 僕はゆっくりと起き上がった。体の痛みだけでなく、頭痛もひいている。おそらく、治療してくれたであろう男性に、礼を言う。


 男性は頷くと、立ち上がって去って行った。謝礼はどうすればいいのだろうか。そんなことを考えながら、男性の後ろ姿を見送る。


「ダンジョンでなにがあったのか聞かせろ」

 エリルが真剣な表情でたずねてきた。


 僕は、ダンジョンの中で起こった顛末をすべて話した。エリルは時折、驚いた表情を見せながらも、口を挟まずに最後まで聞いていた。


「あの勇者が、どうしてそんなことを」

 エリルが険しく眉をひそめる。


「信じてくれるんですか」


「バカな下僕に、こんな壮大な作り話をでっちあげるだけの知恵があるとは思えん」


「そ、そんな理由で……」


「信頼している、と言ってるんだ」

 どうしてこうも、エリルは何事もひねくれた言い方しかできないのか。このエルフなりの愛情表現なのだろうか。


「どうして、あったばかりの俺に……出自もよく分からない僕に、こんなによくしてくれるんですか」


「お前には借りがあるからな」


「エリルさんが、俺に? 心当たりはありませんけど」


「お前は知らなくていいんだ」

 また、エリルは詳しいことをなにも教えてくれない。


「よくわかりませんけど、それなら借りの相殺ってことはできますかね」


「そうだな……じゃあ、残りはドラゴン百九十八頭分にしておいてやろう」


「ぜんぜん釣り合ってないじゃないですか」


「私のお前への借りなんてそんなもんだ。お前自身に心当たりが無いくらいなんだからな」


「それはそうですけど……」

 釈然としないものはあるが、エリルの言うことはもっともなので、反論はできない。


「それより、これからどうするつもりだ。勇者の狙いがお前だとすれば、お前が生きている限り危険が及ぶぞ」


「まずはギルド協会へ行こうと思います。あそこであればクラルクも簡単には俺に手出しをできないはずですし、あいつの悪行をぶちまけて、裁いてもらいたい」


 力尽くでクラルクの目的を聞き出したかったが、なにしろ相手は勇者で、街一番の実力者だ。まずは味方を増やすために動くことと、また危害を加えられないようできるだけ人目のあるところへ行くことが重要だった。


「正直、相手が悪いな。私が口添えをしたところで、事態がどう転ぶか全く読めん。まあ、他に良い手も思い付かんし、あそこなら安全というのには同意だ」


 これからの行動を決定して、二人はゆっくりと街へ向かって歩き出した。

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