第25話:死闘

「戦闘をできる限り避けながら、出口を目指さないとな。三十層から地上まで。厳しいが、それしかないか」


「上へ続く階段を見つけて、のぼっていくしかありません」


「その階段がどこにあるのか、教えてもらえるか?」

 そう頼むが、シャインは申し訳なさそうに首を横に振った。どうやらナビゲーターとしての領分を超えるらしい。


 横穴の一本を選び、そちらへと足を踏み出す。しばらく進むが、道はだんだんと細くなり、やがて行き止まりとなった。


「迷路みたいだな。こんな調子で本当に地上までたどりつけるのか……」


 踵を返そうとしたその時、背後でかすかに足音がするのを聞いた。続いて、小さくうなり声のようなものが響いている。


 おそるおそる振り返る。薄暗い道の先から、狼がゆっくりと姿をあらわした。その狼には、頭が二つあった。目は血走り、両方の口から粘り気のあるよだれを垂らしている。ただの動物ではありえない。魔物だ。


 逃げ場がない。短剣を抜いて構えた。


 当然、これまで、生き物を斬ったことはない。それでも自分の命がかかるこの状況で、戦うことにためらいは無かった。ためらいは無いが、覚悟もない。自分の足が情けなく震え得るのを感じた。


 双頭の狼が吠え、飛びかかってくる。僕は、利き手の右手で、短剣を逆手に持ち、相手に切りつけた。短剣が狼の右脚を捉え、切り裂く。


 狼は小さく悲鳴をあげ、距離をとった。しかし致命傷には程遠く、唸りながら再び飛びかかってきた。


 今度は短剣が片方の頭を捉える。ギャンッ、と狼は悲鳴をあげるが、もう片方の頭が僕の左腕に噛み付いた。牙が深く食い込む。


「あああっ!」

 痛みに短剣を取り落とし、悲鳴をあげながら、その場に倒れた。


 狼が離れ、今度は首筋めがけて襲いかかってくる。とっさに、地面に落ちた短剣を右手で拾い上げ、狼の残る頭の首筋に向けて突き出した。


 飛びかかってきた狼が、自身の勢いそのままに、短剣に向かって突っ込む。短剣は狼の肉に深く刺さり、狼は断末魔の叫びをあげて僕に覆いかぶさるように倒れ伏した。


 狼の死体がにじみ、光る粒子の塊となって、拡散して消えた。あとには、鋭い牙だけが僕の服の上に転がっていた。


「い、痛っ……」

 我に返って右腕をかばう。この世界に来てキノコに襲われたときとは、段違いの痛みだ。


 噛まれたところを確かめる。噛まれた瞬間は血が吹き出したが、不思議なことにいまは出血が止まっていた。しかし、噛み跡が、赤く光っている。狼の力というよりは、僕の肌そのものが光っているようだった。


「こ、これは?」


「ダメージエフェクトです」


「そんな……」

 この世界が、僕の常識ではかれないところだというのを、改めて思い知らされた。


 僕の肉体はどうなっているのか。血も通わないデータの塊なのだろうか。


「僕が転生者だから、こんなことになっているのか?」


「いえ、この世界の生命体の、構成組織は同じものですよ」


「しかし、痛みはあるぞ……」


「傷ついているのですから当然です」

 シャインが頷く。


 体はなんらかのデータで構成されていて、それが欠損しているということか。自身の一部に欠損があれば、それは痛覚を通す形で、ユーザ自身に危機を知らせる。


 出血による衰弱がないのは助かるが、自身が人間ではないなにかになってしまったようで、いい心地はしなかった。


 ダンジョンの壁にもたれかかり、深く息をはく。


 以前、キノコ相手に殺されかけたことを思うと、上出来だ。状況を理解してできた戦う心構えと、この短剣のおかげだ。しかし、強敵にも見えなかった魔物相手に、この有り様だ。この調子では到底生き抜くことはできない。


「この怪我は、時間が経てば癒えるのか?」


「いいえ、魔法かアイテムを使って治療しないと、回復することはありません」


「そうか、隠れて怪我を癒しながら進むこともできないか……」

 そう考えると、一体目の魔物相手に傷を負ったのは痛手だ。


 いや、はじめて魔物を討伐できただけでも、一歩前進と考えるべきか。ただでさえ今にも心が折れそうなのだ。あまり悲観的に考えすぎないほうがいい。


「移動しよう。いつまでも袋小路にいるべきじゃない。せめて逃げ道の見つけやすい場所にとどまるようにしないと」


 左腕をかばいながら立ち上がる。噛まれた瞬間には激しい痛みがあったし、いまもしびれが残っている。しかし深く噛まれたわりには、思考を妨げるほどの激痛が続いている、ということもない。


 左腕は使い物にならないが、どうやら普通に行動できそうだった。


 狼の肉を切り裂いた感触が、右手に残っている。魔物も死後に消えることを考えると、なんらかのデータなのかもしれないが、あの感触はリアルだった。データであると同時に、やはりこの世界の生命体なのだ。


 狼の断末魔も耳に残る。はじめて動物を殺したことに、罪悪感を覚えながらも、覚悟を決めて歩き出した。

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