第8話 赤信号と白衣の天使

辿り着いた場所は、男たちの隠れ家らしき小屋だった。

昨夜同様、またしても手足を縛られ捕らわれの身だ。


小屋とはいえ森の中にあるのではなく、

洞窟へ潜り30分は歩いた為、

人が偶然で辿り着くような場所ではない。

助けが現れる可能性は絶望的だ。


日の光すら差し込まない空間が、

より一層ユメコの不安を煽った。


オキタくんが助けてくれなかったら、

こういう場所にドナドナされていたのだろう……

やっぱりレイを助けて損したかな、とユメコは少し思った。



「女を2人も見つけるなんて、今日はいい日だなぁ」


「よくよく声を聞いてみりゃあ女だもんな。

 色気がなさ過ぎて、最初気付かなかったぜ」


腹立たしい事この上ない……

今は男装してるだけであって、

制服さえ着ていれば私だって女子高生なんだぞ?


ユメコはJKという立場頼みのマウントをした。

少し…… いや、かなり虚しい。


「まぁでも、売ればそこそこの金額になるんじゃねぇか?

 特にこっちの女、これは金になるぞ」


そう言って指を差されたオキタくんは、震えていた。

表現であるオキタくんに身体的性別があるのかは気になるものの、

最推しをこんな男に卑猥な目で見られるとは……


ユメコは不愉快さで真顔になった。


「身体は貧相でも、顔はきゃわいいよなぁ……

 お、お人形さんみたいだよなぁぁ~〜〜」


そして、なんかキモいやつがいる。

異世界でもキモオタは存在するのか……


ユメコは己もオタクであるが、というかオタクであるがゆえ、

キモオタに対する嫌悪感は人一倍であった。


風呂にも浸かってない様な汚いなりをして、

美少女なオキタくんをそんな穢れた視線で眺め回すなど……

おこがましいにも程がある。

穴があったら埋めてやりたい。


「なぁ…… 売る前に味見し、してもいいよなぁぁ??」


本当に最低最悪だ……

確かにこれならレイの方がまだマシだった。

同じ鬼畜でも、やはり顔が良いというのは正義なんだな……


レイにさらわれたせいで散々な目に遭っているにも関わらず、

ユメコは懲りずに顔で判断した。


「へへへへへ……」


そんなユメコの内心などお構いなしに、男はオキタくんへと手を伸ばす。

人間のものとは思えない、まるで芋虫の様にぶくぶくと太った指だ。


見ているだけで虫唾が走るのに、

迫られているオキタくんはどんな気持ちなのか……

ユメコはもう、我慢の限界だった。


「ちょっと! やめなさいよ!!!」


「うへへ、嫉妬してんのか……??」


なんなんだコイツは。

どういう思考回路をしてるんだ。

今すぐ存在が消えてほしい……


ユメコの不愉快指数は、頂点に達した。

こいつだけは、絶対に許さん……!!


「仕方ねぇなぁ、先に相手してやるよ」


男の手が方向転換をして、ユメコの方に伸びてきた。

まるでタコのような指の動きに、

見ているだけで鳥肌が立つ……


こちらが全力で嫌がっている事などお構いなしで、

男の手がユメコの肩に触れた。


「ちょっと、やだ……!!」


どうしよう、このままでは本当に

女人狩りというタイトルの官能小説になりかねない。


「やめろキモオタ!

 消え失せろーーーーー!!!」


……しかし所詮はユメコなので、可愛い悲鳴をあげる才能はなく。

どうあがいても官能小説にはなりそうになかった。

色気はともかく、語彙力が情けない。


ユメコが自分の喚き声に若干の反省をした、その時。


「え……?!」


消え失せろと罵ってやった男が、ユメコの視界から本当に消えた。

男はもの凄い勢いで、左へと吹っ飛んでいったのである。


小屋の壁が軋み、材木の折れる音がした。

これと似た光景を、ユメコは昨夜にも見た覚えがある。


ユメコはおそるおそる、男を突き飛ばした力の源に振り向く。


そこには一緒に縛られていたはずのオキタくんが、

何故か仁王立ちをしていた。


「ちょっと。私のユメ様に、何してるの……??」


黄色い目が、座っている。


昨夜にレイをふき飛ばした強烈な蹴りが、脳内にフラッシュバックした。

あれはこのオキタくんだったのか……

オキタくんの足元には、無残に引きちぎられた縄が落ちている。

縄がほぼ原型を留めていない程の、もの凄い力だ。


そうか。

このオキタくんは、日本刀を抜かないのではない……


刀を必要としない、まさかの肉弾戦パワータイプなのである。


新選組とは何か。

自分の解釈を改める必要があるな、とユメコは思った。



「てめぇ、何しやがる!!」


「コロコロコロ……」


可憐な少女の人格かと思いきや、キレるとヤバいタイプらしい。

絶対に怒らせるのはよそう、とユメコは肝に銘じた。


「私以外がユメ様に触るなんて、絶対に許さないんだから!」


暴れているオキタくんを若干引き気味に眺めていたユメコだが、

不意に背後から凄い力で腕を掴まれて、

抵抗する間もなく羽交い絞めにされてしまった。


「わっ!!」


そして次の瞬間には、喉元に凍り付くような違和感を覚える。


「……っ?!」


ユメコの首筋には、男の手によって鋭いナイフが当てられていた。


「この女がどうなってもいいのか! おとなしくしろ!!」


「……汚い手で、ユメ様に抱きつくなんて。

 その腕、いらないって事だよね??」


問題はそこではない。抱きつかれている訳ではない……

ヤンデレみたいな事を言うオキタくんに、

こんな状況でも思わず脳内ツッコミを入れてしまった。


「クソ! 動くなってのが分からねぇのか!!」


オキタくんの態度を見た男は、

苛立ちながら更に力を込めてナイフを構え直す。

勢い余ってか、ユメコの首筋に刃が微かに食い込んだ。


「痛……っ!!!」


喉元が熱い。

少しだが、血が出ているのをユメコは感じた。


「大人しくしろ、コラ!!」


大丈夫、大した傷じゃない……

分かっていても、やはりこの状態では生きた心地がしなかった。

血が一筋、首を伝って鎖骨まで流れていくのを感じる。


オキタくんはその様子を、食い入るようにジーっと見つめていた。


「お、オキタくん……??」


そのあまりにも狂気じみた表情に、

男の手が一瞬怯むのを感じる。

ユメコは逃げ出すチャンスだったが身動きひとつ取れず、

ただ息を飲んでオキタくんの様子を見守っていた。

この男よりも、今はオキタくんの方が危険に思えたのだ。


ユメコの血が映り込んでいくかのように、

だんだんとオキタくんの瞳孔が、

黄色から赤へと滲み染まっていく……


望月の様に美しかった黄色い瞳が、

月蝕の如く紅に覆われた、その瞬間。


「ふっ…… ははっ!」


オキタくんの唇が、まるで日本刀の様にしなった。


オキタくんが、笑っている。


「その腕、いらねぇなら斬ってもいいよなぁ?」


その言葉と共に、ユメコは男から解放された。

しかしそれは、腕が離された訳では決してない。


「え……?」


男の腕が、消えてしまったのだ。


ボトリ…… と、湿っぽさを孕んだ重い音がする。

辺りには突如、むせかえるような血の匂いが立ち篭めた。


血の匂い…… なのであろう。これが、そうなのか。


異世界に飛ばされたとはいえ、

ユメコはまだ夢見心地だったのかもしれない。


死を感じたことは確かにあった。

けれど、あの時の漠然とした恐怖とは違う。


血が生暖かい。それは人間の温度だ。

つまりこれは、3次元。紛れもない現実だった。


「……っ!!」


気付いた瞬間、

ユメコは腹の底から込み上げてくるものを抑えることが出来なかった。

けれど足元には人間の腕があり、

それを失くした本人が悶え転がっている……

そんな場所に吐く事など到底出来ず、

ユメコは必死に口元を抑える事しか出来なかった。


嘔吐の代わりに涙がボロボロと零れていくが、

そんなもので到底流しきれる訳がない。


「はははっ……」


ユメコが固まって震えている間も、世界は確実に動いていた。

小屋にいる男たちを、

オキタくんは迷いも躊躇いも見境もなく、次々と斬り倒していく。


紅が開いて。紅が咲き。紅が散る。

それはまるで、花火の様に……

ただただ部屋を赤く染めていった。


「あ、ははっ……はっ!!」


掛け声なのか、笑っているのか。

オキタくんの足取りは、まるで踊っているかのようだった。

そう、楽しそうなのである……


そういうオキタくんが出てくる作品も、ユメコは知っていた。

そして、大好きだった。


けれどこれは目の前で起きている現実で、

本当に命を奪っていいのかと問われたら、

簡単に答えを出すことがユメコには出来なかった。


「オキタくん、もうやめて!!!」


ユメコはやっとのことで身体を動かし、

全体重をかけてオキタくんの背中にしがみ付いた。

そして絶対に離すまいと、追い縋るかの様に力を込める。


「もういいの、もういいから……!!」


これは私の表現なんだから、オキタくんは何も悪くない。

だから私が、責任を持って止めないといけないんだ……


ユメコは震える手で、

それでも精一杯オキタくんを繋ぎ止めた。


「あんた、なぁに言ってんだ……」


オキタくんの笑顔が消えて、

ゆっくりとユメコの方を振り返る。

まるでカラクリ人形のように、冷たい目をしていた。


「こんなゴミの為に、身体ぁ張って止めんのか?

 お人好し過ぎるだろ……」


オキタくんの言うことはもっともだ。

一人なら、ユメコは今頃ひどい目に遭っていたのだろう。


けれど、そうはならなかった。それが事実だ。

だったらそんな想定は無意味だし、

今は目の前の命を優先すべきだと思えたのだ。


「お願い、もうやめて」


「俺に指図するの、やめた方がいいんじゃねえかなぁ……

 どうなっても、知らねぇよ?」


そう言うとオキタくんは脅す様にして、

ユメコを乱暴に壁へと押し付けた。


現実世界ならば、

「最推しから壁ドンされちゃった! キャー!!」

となるはずだが、今はそんな状況ではない。


大好きな推し君に、嫌な事はして欲しくない……


絶対に止めなければと、ユメコは必死だった。


「何も命まで奪うことはないよ。

 お願い、やめて……!!!」


「あんたがいないと、俺は存在できねぇ。

 だからあんたを殺しはしねぇ、絶対に守ってやる。


 けどよ、五体満足じゃなくたって俺ぁ構わないんだぜ?

 足がなくなれば、あんたはどこにも行けねぇよなぁ……??」


そういうとオキタくんは、ユメコの太ももへと手を伸ばした。

その感触は死に撫でられているようで、

ユメコの内ももを冷や汗が伝う。


言葉選びを間違えれば、

このオキタくんは本気で足くらいは斬るのだろう。

けれど飲み込まれたらダメだ。これは私の表現なんだから。


ユメコはきつくオキタくんを睨みつけた。


「絶対にダメだよ。私は、そんなオキタくんを見たくない」


「……見たくない……?」


その言葉は、オキタくんにとってショックな様だった。


表現から生まれた彼にとって、

見たくないというのは存在を覆される嫌な言葉なのだろう。

効果があったと分かり、ユメコは更にまくしたてる。


「守ってくれるのは嬉しいけど。

 私は、他の人が死ぬ事なんて望んでないよ」


どんな人だって、きっと命を取られるほどではないと思う。

せいぜい、日本語で泣かす程度で良いと思う。


綺麗事だろうとも、私は自分の為にそうしたいのだ。

善悪とかは分からないけれど。私は寝覚めが良くありたい……


お願いだから、この場にいる人達がみんな助かって欲しい。

全員の傷が、癒えてほしい……


ユメコは希望を想い描く。


「絶対に誰も、死なせないで……!!!」


どうか、癒しを……


ユメコの願いに携帯が応え、まばゆい光を放つ。


だんだんと見慣れてきたその光は、

徐々に人の形を成していき、

ユメコの前にまだ見ぬ背中を生み出していった。


その姿は、今までとは少し様子が違う。


すらっとした細い足に、引き締まったウエスト。

綿アメみたいにフワフワで、

ボリュームのあるピンク色をしたツインテール。

腰には大きなリボンがはためいている。


どうやら今回は、少女のようだ……


オキタくんはユメコから手を放すと、

刀に指を添えたままの姿勢で様子を伺っている。


「はじめまして!

 あたし、フローレン・ナイチん……げー……ル?

 なんだっけ、まぁいいや!

 あたし、フローラ! よろしくね☆」


フローラちゃんはヒメコの方を振り向くと、

飛び切りキュートなウインクをした。


「こ、これって……」


ナースとメイドを足したようなフリフリのお洋服を纏い、

猫の様なポーズを取ってニャンニャンしている。


どこからどう見ても、完全なる萌えキャラだ。


魔法少女が変身するかのような登場で、

ユメコは嫌な予感がしていたのだけれど。


あまり認めたくないが、これはおそらく……


癒し違いだ。

物理的な癒しでなく、精神的な癒しを表現してしまった。

どういう脳ミソをしてるんだ、ユメコ。


「あたしを表現した、あなたのお名前なーに?」


「わ、私の名前は、はてしな ゆめこ……」


「はて……な……ゆめ……??

 なんだっけ、まぁいいや!

 よろしくね、ハテナちゃん♪」


しかも、どこまでも雑だ。

医療従事者としては致命的である。

更に言えば、自己紹介なんてしてる場合ではない。


フローラちゃんが登場した時のハートフルな光が消えてしまえば、

そこは現実。辺りは血の海だ。


ユメコは気を取り戻し、

現状をどうにかせねばと慌てて周囲を見渡した。


「どうしよう、なにか良い方法は……!!」


とはいえ、そんな簡単にどうにか出来る惨状ではない。

ユメコは焦ってキョロキョロと視線を動かしていたが、

そこにフローラちゃんが持っている謎の袋が飛び込んできて、

思わず二度見した。


「ん??」


表現した時は持っていなかった筈なのに、

一体どこから取り出したのだろうか?


「あの、フローラちゃん。その袋はなに……?」


「これは開けてからの、お・た・の・し・み☆

 知りたかったら、あたしを呼んで??」


「えぇ?! えぇっと……

 ふ、フローラちゃー……ん??」


ここはアイドルのライブ会場ではない。血の海だ。


意図が分からな過ぎてつい素直に従ってしまったが、

まったくもってそんな状況ではなかった。オキタくんの視線だって冷たい。

しかも言い出した張本人のフローラちゃんまで不服そうで、

ユメコは本当に消えたくなった。


「こういう時に叫ぶ言葉、違うでしょ?

 もうちょっと良く考えて??」


ぷくっと頬袋を膨らませた表情で諭されてしまった。

その可愛さに、間違いなく心の傷なら癒される……

ユメコは改めて、何が正解かを必死に考えた。


こういう時に叫ぶ言葉。

携帯に入っている小説・漫画・映画・ゲーム……

しかも私の表現だ。自分自身との心理戦である。


全ての記憶を総動員して、ユメコは一つの言葉を導き出した。

正直言って、少し恥ずかしいのだが。

こういう状況下で、私が人生で一度は叫んでみたい言葉といえば……


「メディーーーーーック!!!

 えーせーへーーー!!!

 衛生兵ーーー!!!!!」



「せいかーーーーい♪」


その瞬間、フローラは持っていた袋を宙へと投げた。

オキタくんはそれを見て、反射的に刀で斬りつける。


すると袋から、白い粉がキラキラと部屋全体に舞い落ちていった。

衛生兵が傷口にふりかける、サルファ剤のつもりなのだろうか……

萌えキャラのくせに、変なところだけFPS志向だ。


しかし全ての発端は、己の脳ミソにある。

ユメコは現実世界に戻ったら、しばらく対人ゲームを控えようと思った。


リアルなサルファ剤ならば意味がないのではと不安だったが、

その効果は、魔法みたいに不思議な力だった。


転がっていた男たちが、ピクピクと動き出すのを感じる。

斬り捨てられた傷痕が、ゆっくりと塞がっていくのが見えた。


どうやらただの萌え系癒しキャラでなく、

ちゃんとヒーラーとして能力を持っていたようである。

本当に良かった……


足元に落ちていた腕が動き出し、

持ち主の元へと帰っていくのを見届けた後。


ユメコの気力は限界を迎え、意識は闇へと落ちていった。

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