第7話 冷酷のレイ

女の子は騎馬に乗り、戦場で佇んでいた。

その手にはもう、あの本がない。

全て読み終えてしまったのだろうか……?


その代わり両手には、

か細い腕に相応しくない血塗られた双刀が握られている。

女の子の目には悲しみでなく、諦めの色が漂っていた。


その空虚な瞳には、

女性の亡骸を抱いて泣き叫ぶ男の姿がゆらめき映っている。


男は流す涙も枯れ果てると、天を仰いで女の子を睨みつけた。

その視線は敵意というにはあまりにも熱を帯びていて、

いっそ激しい恋の様だ。


女の子はそれを氷の眼差しで一蹴すると、

馬の踵を返し駆け出していく。

決して後戻りは出来ないのだろう。

もう二度と、女の子が本を読む事はないのだろうか……


ユメコは女の子の為に、

何か本を読んであげたいなと思った。


全て読み終えてしまったなら、私が書いてあげても良い。

異世界ものなんてどうだろうか、

この世界でも流行っているみたいだし。


その為にも、今の状況は良い刺激になるだろう……


ユメコは非現実的な世界へと、ネタ探しに戻っていった。










「一体なんなんだ、この状況は……」


男は縛られていた。昨夜とは完全に立場が逆だ。

ユメコは高笑いしたいのを必死で抑えつつ、

馬上で暴れるのは良くない為、内心でガッツポーズをする。


男は荷物の様に馬へと乗せられ、ユメコの背後にいた。

いくら身動きが取れないとはいえ

この男を連れて大丈夫なのかと思うだろうが、

馬の手綱をオキタくんが引いてくれているので、そこは心配なかった。


そう、オキタくんはいくら経っても消えなかったのである。

さすがは最推しだ、一度読んだだけの勇者さまとは格が違う。


「どうして生かしておくんですか?

 捨ててっちゃえば良いのに。重いし邪魔ですよ」


昨夜は表現したばかりで余計に不安定だったのか、

朝起きた時にはオキタくんの様子は大分落ち着いていた。

今のオキタくんの瞳は、穏やかな緑色だ。

ずっとこのままでいて欲しいと、ユメコは願っていた。


「いくら重くて邪魔でも、一応道案内がいないと困るからね。

 なんとしても予言者の元に辿り着かないといけないし」


「まさか予言者絡みだったとはね。

 表現を使われるなんて予想外だ。

 左眼に違和感があったのはそのせいか……」


「だからそれは、私が異世界から来たのも関係してると思うんだけど」


「まだ言ってるよ。異世界って何それ? 意味が分からない」


「この世界でも異世界転移ものって流行ってるんでしょ?」


「あいにく僕は本なんて読まない主義なんだ。時間の無駄」


やっぱりこいつは敵だ……

ユメコは確信した。


縛り上げられて尚も崩さないポーカーフェイスを、

めちゃくちゃにしてやりたい。


ユメコは人並みの良心はあるものの、

悪意に対する嫌がらせには心を痛めないタイプなので、

男の手荷物から筆記用具を取り出し、文字を連ねていった。


そこには「私に惚れる」と日本語で書かれている。

きわめて陰湿だ。反省がない。


「ねぇ、馬の上で一体何を書いてる訳?」


「ふふふ、これを見なさい!

 とはいえ、読める訳がないけどね!」


「え、これって文字……??

 ミミズみたいだね、汚な」


それは日本語だからだ! と言いたいところだが、

実際にユメコの字は綺麗な方ではない為、ちょっと傷付く。

しかしまぁ、汚くとも書ければこっちのもんである。


表現の力が確かなら、ツカサの時と同じように効力を発するはずだ。


「どう?! 私に惚れた?!」


「は……?」


何言ってんだこいつ、

という信じられないものを見る目が向けられた。

様子を伺っていたオキタくんからも、

若干冷ややかな視線が飛んでくる。心がつらい……


「なんで?! どうして惚れないの?!」


「本当に頭、大丈夫……?」


「ユメ様、僕がいます。どうか気を確かに」


オキタくんの優しさが心に染みた。

しかもユメ様っていう呼び方、姫様みたいで気分が良い……

ユメコはなんとか正気を留めた。


どういう事やら、この男には表現が効かないらしい。

何か理由はあるのかもしれないが、ユメコには分からなかった。

やはり、まずは予言者に会ってみるしかないのか……

この男に関しては、いつか絶対に日本語で泣かす。


「ユメ様?

 君の名前、ユメちゃんっていうんだ」


「正確にはユメコだけどね。

 そういえば、名前すら聞いてなかった」


「僕の名前はレイ。

 こうなってしまったら仕方ないな。

 仲良くやろうじゃないか、ユメちゃん」


そういいながらレイは胡散臭い顔で笑う。

絶対に「冷酷」の「レイ」だ、とユメコは確信した。

こいつは信用したらいけない。


「そんな疑わしげな目で見ないでよ、嫌だな。

 ちゃんと案内してあげるから」


ツカサから名前しか聞いていない場所に

人さらいの案内で向かうのは不安だが、

残念ながら今はこれに賭けるしかない。


そんなに遠い場所ではないそうだし、

数日中に答えが出るだろう。


もっとも、それまで何事も起こらなければの話だが……


ガサガサガサッ


しまった。

何事も起こらなければ、という言葉はフラグを立てるようなものだ。

そんなの迷信かもしれないが、

実際そうなってしまうのだから仕方がない。


レイも気配に気付いたのか、嘘臭い笑顔を引っ込め、

神経を張り巡らせている。

オキタくんも馬を止め、黙って俯いていた。


「誰?! 誰かいるの……?!」


恐怖からくる焦りで、ユメコが静寂を破ってしまった。

その声を皮切りとばかりに、

剣を持った男たちが馬を囲う様にして茂みから飛び出してくる。


包囲されるまでは一瞬だったが、

円を狭めてくるのは隙のない丁寧な動きだ。

馬の機動力とはいえ、このまま突っ切るのは厳しそうか。


いや、レイを捨ててオキタくんと2人乗りでなら

跳び越えていけるのでは……?

ユメコがそう考えたのを、レイは敏感に察する。


「あ、見捨てようとしてるでしょ」


「そりゃあだって、そもそも私を売ろうとしてた人間だし……」


「まぁ否定はしないけどね。

 あ~ぁ、人でなし。ろくでなし」


「それは私の台詞よ!」


ツッコミを入れた勢いで突き落としてしまおうかと、

レイの方に振り返る。


レイの目は、こんな時でも変わらずに冷たい光を宿していた。

初めてその瞳を見た時と同じ、諦めの色……


どんな状況でも変わらないその表情が、

生を手放しているかの様に思えて、ユメコはイラっとした。

私が突き落としたらこの男は、

「やっぱりね」と変わらぬ瞳のままで笑うのだろう。


それはなんだか期待通りに動いてやるみたいで、

妙に腹立たしかった。


「捕まえろ!!!」


ほんの数秒の判断で、ユメコはまた命の危機へと向かう事になる。


頼りの綱はもうオキタくんしかいない。

オキタくんならば、

この程度の人数は倒せるかもしれないと思えた。


そう考えた時、男の1人がオキタくんへと手を伸ばす。


「大人しくこっちへ来い!!」


バカめ、オキタくんにボコボコにされてしまえ……

ユメコは悪い笑みを浮かべた。


レイの事を見捨てられなかったとはいえ、

やはりユメコは敵意に対して優しくないらしい。

命を奪うのだけはやめよう、という程度の良心である。


「キャッ……!!」


突然、可愛い悲鳴が聞こえてきた。

可愛い悲鳴なので、当然ユメコではない。

だからと言って、レイでもないだろう。

ならば一体、誰の悲鳴だろうか……?


ユメコの視線が、残りの一人へと注がれる。


そう。その声は腕を掴まれたオキタくん?のものであった。


再度疑問符をつける事になってしまう。

手を掴まれたオキタくん?は、

潤んだ上目遣いで男を見つめていた。

心なしか男の方もドギマギしている様である。

これはユメコには決して出来ない芸当だ。


「や、やめて下さい……!!」


どう聞いても、可憐な少女の悲鳴である。

涙をいっぱいにため込んだその瞳は、

あの夜に見たうちの一色、黄色へと移ろっていた。


もしかして、瞳の色で性格が変わるのだろうか?

しかし突然変わってしまうとは。

やはりキメラという事か……

 

けれど恨むならばオキタくんでなく、

女体化ものにまで手を出した自分自身だろうとユメコはうなだれた。


ごめんなさい、遠い時代を生きたご本人様……

しかしこれは、新選組供給過多時代に生まれた悲しき産物だ。

恨むなら時代を恨んで欲しい。


「男は捨ておいて構わん、女は連れていけ!」


見事に少女だと思われたオキタくんが真っ先に捕まり、

ユメコは二番煎じとして捕らえられた。

同じ捕まるにしても、

女の身としては妙に不服である。


レイは手足を縛られたまま捨て置かれた為、

地面に転がっている姿で徐々に遠のいていった。

ユメコは男たちに連れ去られながらも、

顔だけでレイの方を振り返ってみる。


その表情には、揺らぎがあった。

あのレイが、驚いている……


なんだかおかしくて、ユメコはこんな状況にも関わらず

レイに向かってドヤ顔で笑ってしまった。

それを見たレイの目は、更に大きな弧を描く。

いい気味だ。


「さっさと歩け!」


男から小突かれて、ユメコは仕方なく前を向いて歩き始めた。

隣でオキタくんが震えている……


表現だからなのか、男たちが何度引き抜こうとしても

日本刀を奪う事は出来なかったのだが、

黄色いオキタくんにはそれを使うほど強い心はないらしい。

この間は私が守って貰ったから、

今度は私が守ってあげたいとユメコは思った。


自分の妄想の産物に対して

守ってあげたいというのもヘンな話ではあるが、

好きなものの為なら全力で頑張れるのがユメコの長所であった。


1人じゃないというだけで、強くなれるものなんだな……


ユメコはしっかりとした足取りで歩いていった。

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