訓練開始。

 手の平の中心から溢れ出た水が、太陽光に当たってキラキラと輝きながらダバダバと地に落ちてゆく。その落ちた水は土の吸収限界を超えて小さな水溜りを作っていた。早速始まった治癒士としての訓練。初めは軽い講義から始まり、治療士とはただ傷を癒やすだけの存在ではない事を教えられた。治療士としての経験を重ねていくと、やがて神官への道が開けるのだそうだ。

 私達が使っているのはホーリーウォーターと呼ばれる術。この術は、剣では倒せないゴーストやレイス等のアンデット類に通用する術なんだそうだ。ペティレッカさんの様に手の平の数センチ上で球状になれば合格なのだが、みんな手から水が流れ落ちて誰一人として成功までには至っていない。

「うふん。いいわねぇン。若いコが聖水を垂れ流す姿ってゾクゾクしちゃうわぁン」

 言っている事はあながち間違いじゃない。が、もう少し言い方ってモンがあるだろう。そう思っているのは私だけではないはずだ。


 訓練を始めてからどれくらい時間が過ぎたろう。腕を水平に保っているのも辛くなり、反対側の手で支えながら続ける事しばし、水が落ちる音とは違う粘っこい音が聞こえた。

「……え?」

 その音を立てた主は親友の真希。彼女は濡れて粘土質になった土の上にペタンと座り込んでしまっている。

「ちょ、どうかしたの真希?」

「あれ、なんかちからが入らない……」

 彼女も懸命に立とうとしている様だが、生まれたての子牛の様に手足がブルブルと震えてそれもままならない。そして次々に崩れ落ちてゆくクライスメイト達。最後に残ったのは私と美冬ちゃんだけだった。しかしそれもそう長くも持たずに、みんなと同じ運命を辿る。

「なに……これ」

 運動など何もしていないにもかかわらず、フルマラソンを走りきったかの様に訪れる強烈な脱力感。水が出なくなった途端に操り人形の糸が切れた様に足腰が立たなくなった。下着を通して伝わる泥の感触に顔を顰めるも、身動きが取れないからどうしようもない。

「だいたい一時間って所か……それがマナ切れって呼ばれているものよぉン。その感覚をよおっく覚えておいてねぇン」

 ペティレッカさんは、壇上で私達と同じく動けない美冬ちゃんの背後に回って胸部を鷲掴みにした。

「え、あ。ちょっ。な、何をするんですかっ?!」

「身動きが出来なくなるとぉ、こうやってされ放題だから注意するのよぉン」

 胸部で怪しく蠢くペティレッカさんの手。『ちょ、やめっ』と口では言っているものの、全く抵抗らしい抵抗が出来ない美冬ちゃん。その魔の手から開放されると荒い息を繰り返していた。

「うふふ。ごちそうさま。それにしても、マナ切れにばらつきが見られるわねぇ。あなたとあなたぁン。本当に治療士なのぉン?」

 ペティレッカさんは美冬ちゃんと私に指を差す。

「治療士ですよ。カードにもそう書かれています」

「ふぅん。どれどれぇン」

 美冬ちゃんの胸ポケットに遠慮なく手を突っ込むペティレッカさん。その指先が敏感な所に触れたらしく、美冬ちゃんの身体がビクンと跳ねた。

「確かにそう書いてあるわねぇン。うーん異邦人だから違うのかしらねぇ。ま、いいわぁン。それじゃ」

 ペティレッカさんが建物に向かって手を挙げると、メイドが三人こちらに向かって歩いてくる。その手には木製のケースがあった。

「これを飲んでねぇン」

 壇上に置かれたそのケースには小さな瓶がいくつも入れられていて、中には得体の知れない白濁とした液体が入っている。

「あの、これは……?」

 間近でその液体を見ている美冬ちゃんが、小瓶の中身をペティレッカさんに聞いた。

「これはマナポーションっていうのよぉん。はい、口を開けてぇ。舌も出してねぇ」

 先日、キュアポーションなるものを傷口にかけられたがこれは飲むタイプのものらしい。美冬ちゃんは言う通りに口を開けて舌を出す。四つん這いな事も相まって、その姿は何かをおねだりしている様に見えなくもない。そこに落とされるマナポーション。しかもキュアポーションよりも粘度が高く、その上白濁としているもんだから作った者の悪意が感じられた。

「いいわぁン。女の子の口に白濁としたモノが入っているのってゾクゾクしちゃう。さあ、ごっくんしちゃってン」

「に、苦い……」

 眉をひそめる美冬ちゃん。本当に作った者の悪意が感じられるっ!

「あ、でも。活力が湧いてくる」

「それがマナポーションの効力よン。これで少しは動ける様になるけどン、無理しちゃダメよン。さ、これを飲ませてあげてン」

 動ける様になった美冬ちゃんは、マナポーションを手に取って次々と飲ませていく。それによって動ける様になった生徒が別な生徒に白濁とした液体をその口に注いでいった。

「お待たせ楓。今ぶっかけてあげるね」

「アンタ、もっと別な言い方出来ないの?」

「じゃあ、口に出してあ・げ・る」

 どっちにしてもダメだろう?!

「はい、あーん」

 真希の言葉に、体力が戻ったら引っ叩いてやると思いながら口を開ける。小瓶の中からとろり。と落ちてくる液体。直後、真希は派手なくしゃみを一発。くしゃみをしたという事は、当然ながら手に持っていた小瓶もブレる訳だ。口に入ったマナポーションはほんの僅かで、残りは宣言通りに全部顔にかけられた。

「あ、ごめん」

 オマエ、ワザとやったろ?

「きゃはは、楓ってばえっろーい」

「やかましいわっ!」

「あらン。いい感じにぶっかけられてるわねン。アナタ中々やるわねン」

 親指を立てて微笑み合う真希とペティレッカさん。こいつ等後で絶対泣かせてやる。と思った瞬間だった。


 ☆ ☆ ☆


 マーライオンの様な彫刻から流れ落ちる水が、石材で出来た湯船の水面に波紋を広げている。その中に身を沈めると泥によって冷えたお尻が温められていった。つい先程まで入っていたクラスのみんなはさっさと泥を落として出ていってしまった。私といえば、真希コイツによってぶっかけられたポーションが思い他落ちなくて難儀し、今に至る。

 このマナポーション。原材料に『魔光樹』と呼ばれる樹木の樹液が使われているそうで、通常時は粘液に近いが乾燥するとベタベタする。指で触れると糸を引くくらいだ。そんなモノを飲まされたのかと思うと気分が悪くなる。

「ねぇねぇ楓。まだ? まだなの?」

 湯船に浸かってホッとしている私を急かす真希。マナが枯渇した場合最低でも半日の休養が必要という話で、白濁としたポーションで若干の回復をしたとはいえ午後は大事を取って休みとしている。その午後に『第三回真由美・美冬ちゃんの異世界講座』を開講しようとの話もあったが、せっかくの異世界。その街並みを見てみたいという提案が可決された。その事を王様に申し出た所、なんと銀貨十枚、円に換算して一万円相当になるお小遣いをくれた。クラスのみんながとっとと出ていってしまったのも、滅多にお目に掛かれない異世界の街をブラつく目的があったからだ。

「ねぇ早くぅ。私もう我慢出来なぃ」

「胸を押し付けながら言わないで。別な意味に聞こえるでしょう?」

 なおも押し付ける胸部のワル

「ねぇねぇン」

「分かった。分かったから離れてよ」

 まったくしょうがない。と呟きつつも内心で異世界の街ってどんなだろ。と楽しみしている私がいた。


「で、問題はコレか……」

 脱衣所に置かれた下着を見てそう呟く。午前中まで着ていた制服や下着は泥によって汚れてしまったが為に、メイドさんにお願いして洗濯をして貰っている。今頃は異世界製の衣服に四苦八苦している事だろう。そして代わりに与えられたのは、ドロワーズと呼ばれる下着だ。主に貴婦人が身に着けているというこの下着は絹を編んで作られているのだが、現代とは製造法が違うらしく非常にゴワゴワする。

「これ、色々当たるよね」

 ドロワーズをグィッと引き上げて、率直な感想を言う。

「色々って?」

「だから、色々よ」

 下着の上にじゃなく直に履くもんだから様々な部分が擦れて気になって仕方がない。だけどノーパンで街に繰り出す訳にもいかないので履くしかない。そしてブラの代わりであるコルセットを着けて渡されたワンピースに腕を通すと、異世界の街娘の完成だ。これなら目立つ事なく街ブラが出来るというものだ。ちょっとだけコルセットがキツいが。


 小さな月がよく見える晴れ渡った空の下、着替えを済ませた私と真希は街へと繰り出した。排気ガスというものが無い所為か、はたまた森の恩恵によるものか、遠くに浮かんでいる島もよく見える。

 建物自体は中世時代というよりも北欧風の建物が多い。木で出来た枠に加工した石材を埋め、急な角度が付いた屋根などはモロそれだ。

 人は王都だけあって多く、私達が『エルフ』と呼んでいる種族以外にも、普通に私達と同じ容姿をしている人や子供かと思える人も居る。

 市場は時折テレビで見るヨーロッパあたりのマーケットと似た風で、露店の棚には色とりどりの果実や野菜や香辛料等が並んでいる。その中で問題なのは肉の存在だ。『エルフ』といえば菜食主義。という固定概念がある為か、その肉を買い。または調理された肉を頬張る姿に、ただただ驚くばかりだ。

「よぅ、そこの別嬪なお嬢さん達。一本どうだい?」

 露店で串焼きを売っている男が私達に向かって微笑んでいる。『別嬪なお嬢さん達』というワードを使った事から中々に商売上手だ。私達以外の女性が店員に視線を向けていた。

「一本銅貨五枚だが、特別に三枚で良いぜ」

「有り難うお兄ちゃん。じゃあそれ、二つ下さいな」

 得体が知れない肉だというのに、真希は臆する事なく注文する。真希はポケットから銀貨を一枚取り出して店員さんに渡そうとしたが、店員さんは私達に手の平を向けた。

「ああ、すまねぇなお嬢さん。支払いは銅貨でお願いしたいんだが?」

「え、これじゃダメなの?」

「ダメって訳じゃねーが、釣りが無いもんでな」

 貨幣のレートは銅貨百枚で銀貨一枚。銀貨百枚で金貨が一枚だと聞いた。串焼き二本で銅貨は六枚。銅貨九十四枚のお釣りだ。各人毎にそれだけの銅貨を使っていては、あっという間に釣り銭がなくなるのだろう。

「あ、じゃあ。両替出来る場所って何処ですか?」

「両替ならホラ、そこのギルドでやって貰えるぜ」

「そしたら両替してまた来ます」

「ちょっと待ちな」

 踵を返し、両替してくれるお店に向かおうとした私達を店員さんが引き止める。そして目の前に差し出された串焼きに面食らった。

「ホレ、持ってけ」

「え? 私達銅貨の持ち合わせが無いですけど……」

「いいさ、そいつはサービスだ。その代わりと言っちゃぁなんだが、また来てくれよ」

「有り難う、お兄ちゃん」

 満面の笑みで串焼きを受け取る真希。渡された串焼きを一口食べる。肉の弾力が僅かな抵抗をみせて歯を押し返し裂けていく。適度に乗せられた香辛料と溢れ出る肉汁が良い感じに混ざり合い、口の中に広がっていった。

「これ美味しいっ」

「そうだろう、そうだろう。ウチ自慢の一品だ」

 真希の絶賛に店員さんも上機嫌だ。ただ、私には気になっている事があった。

「……これ、何のお肉なんですか?」

「ん? ここに書いてある通り、『キリングトード』の肉さ」

 その素材名を聞いて私は咀嚼を止めた。

「あれ? もう食べないの?」

「う、うん……」

「じゃあ、貰いっ」

 私の手から串を略奪する真希。幸せそうに串焼きの肉を頬張る真希の耳に、『これは何らかのカエルの肉だ』と教えてあげたい衝動に駆られたが黙っておく事にした。決して今まで迷惑を被った腹いせでは無い。世の中知らない方が幸せな時もあるのだ。

「ところで嬢ちゃん達。あんたら何処から来たんだい?」

 店員のその一言にゾワッと背筋が凍り付く。何の変哲もない店員なのに、街娘コスを着こなしている私達がこの街の人間じゃない事を見抜いたからだ。

「どうしてそう思うんです?」

「どうしてって言われても物珍しげにキョロキョロしてたし、持ち合わせが銀貨だけってのもな。あれか、どこぞの貴族の娘さんか?」

 言われてみれば確かにそうだ。初めて見る異世界の建物や人並みに浮かれ、銅貨がメインの通貨であろう所に銀貨を支払う。その上、両替所の場所まで聞いてしまっている。そりゃあバレるわ。

「まあそんな所です」

 この世界を救う為に異世界から来ました。なんて言う訳にはいかないので適当に誤魔化して、これ以上要らぬ詮索を受ける前にその場を後にした。


 ☆ ☆ ☆


 その建物は多くの人が出入りしていた。内部は三階までの吹き抜けの構造になっていて体育館の天井並みに高く、その一階部分は受付用のカウンターと飲食用のカウンターとで別れていて、受付嬢と会話をしている人やテーブル席に座り木製のコップの中身を口へ運びながら雑談をしている人も居る。そして特筆すべきは掲示板の存在だ。そこには真新しいものから、どれくらいの間貼り出されているのか分からない古めかしいものまで貼られていた。

「おお、アレが噂のクエスト掲示板か」

 隣に立つ真希が光を遮る様にオデコに手の平を当てて、この手の話には必ずと言っていい程登場する掲示板を見ていた。

「用があるのはソコじゃないでしょ?」

「そうだけど、でもさ。感動しちゃうよねぇ。あの掲示板を生で見る日が来ようとは。人生分かんないもんだねぇ……」

「どうでもいいから、とっとと両替して観光しようよ。時間もあまりないんだしさ」

 与えられた休息は日暮れまでだ。お城で夕食を済ませた後は『真由美・美冬ちゃんの異世界講座』が開かれる事になっている。午前中は訓練をしていて終わったのがお昼近く。それからお風呂に入ってから街へ出たから日暮れまではそんなに時間はない。 

「もっと近くで見てみようよ」

「行ったって文字なんか読めないでしょ?」

 真希は人差し指を立ててチッチッチ。と動かす。

「別に文字が読めなくても、こういうのは雰囲気を味わうのよ」

 言って私の手首を掴む真希。掲示板の間近まで来ると腕を組んでうんうんと頷いた。

「うん。分かんない」

「そりゃそうでしょう」

 絵が描いてあるものはその絵柄でどんな依頼なのか何となく分かる。だけど詳細は一切分からない。イチから文字を勉強する必要があるだろう。

「お嬢さん達。冒険者には見えないが、依頼を出しにでも来たのかい?」

 先に掲示板を眺めていた金色で短髪の男の人が、青い瞳で私達を見つめていた。

「依頼というか珍しくてつい」

「珍しいって、こんなのは何処の街に行っても在るぜ」

「へぇ、そうなんだぁ」

「そうなんだぁって、知らなかったのか? ああ、他の村から来たばかりなのか。それなら納得だ」

 田舎者扱いか。

「で、お兄さんは何をしていたの?」

「オレか? オレは手頃な依頼がないか見ていた所さ」

「ふーん。じゃあそれならコレなんかどう?」

 貼り紙の一枚を適当に指差す真希。その紙にはいかにもヤバそうな絵が描かれていた。

「いやいやいや、冗談キツいぜ。ベノムサーペントなんてよ」

「ベノムサーペント?」

「ああ、西の沼地に棲む毒蛇だよ。鋭い毒牙は易々と鎧を貫き、剣も通さない固い鱗で全身が覆われた全長二十ロングーのバケモノさ」

 耳慣れない単語が出てきたが、全長と言うからには長さの単位だろう。ロングーとやらがメートルだとすれば、二十は確かにロングーだ。

「お兄さんでも無理なの?」

「オレ一人じゃあな。最低でもあと魔術士と治療士の二人が必要だな」

「なら丁度良かった。実は私達──」

 私は慌てて真希の口を塞ぐ。

「ん? 何が丁度良いんだ?」

「あ、あははは……何でもありません。良いクエストが見つかる事を祈ってます」

「おう、ありがとうな」

 笑顔を痙攣らせ真希の口を塞いだまま引き摺ってその場から離れた。

「このバカっ。私達が治療士だってバラしてどうすんのよ」

「別に良いじゃない」

「良くないわよ。王国側が私達の事を内緒にしている理由を考えなさいよ」

「んー、役立たずだから」

「……ハッキリ言うわね」

 キチンとした編成なら王国側も鼻高々に流布するだろうが、全員が治療士では肩身が狭い事だろう。それに。

「そもそも私達は肩書きだけで、魔法なんて何一つ使えないじゃない」

「…………あ」

 暫しの沈黙の後に手の平をポンと合わせる真希。今気付いたのか。

「同行した所で役立たずどころか足手纏いなだけよ」

 訓練は始まったばかりで今出来るのは手の平から水を出す事だけ。治療士のちの字も知らないのだ。


 両替を済ませ、異世界観光を再開する。キリングシープの乳を凍らせて作ったというアイスを池のほとりで堪能していると、一人の老女が声を掛けてきた。

「ひっひっひ。お嬢さん方、ルアップの実はいかが?」

「ルアップの実?」

 育毛剤の様な名前だが、手に乗せているソレは完全にリンゴ。それよりもリンゴ売りの老女の方が問題だった。その姿をひと目見て、この人白雪姫にも食わせてないか? と思える程、同じ容姿をしていた。

「流石に毒リンゴは要らないよぉ」

 真希も同じ事を思っていた様だが、言葉に出すのはどうかとも思っていた。

「ひっひっひ。毒なんか入っとりゃせんよ。これでパイを作れば絶品さ」

 そのセリフ、白雪姫でもあったな。

「パイかぁ、メイドさんに渡せば作って貰えるのかな?」

「買うつもりなの?」

「パイはともかく美味しそうじゃない?」

 真希の言う通り、お婆ちゃんが持っている実は真っ赤に熟していて、見るからに食べ頃だ。

「ところでお婆さん。この実ってどこで採れるの?」

 カエル肉の一件から食べ物に敏感になっている私。その産地が気になって仕方がない。

「ひっひっひ。それはな、キリングツリーの実じゃよ」

「そ、そうなんだ……」

 カエルだの羊だの木だの。さっきからファーストネームが血生臭い。

「へぇ、そんな木があるんだねぇ。じゃあ、一つ頂戴」

「ひっひっひ。銅貨二枚じゃよ」

「じゃあ、はい」

 麻で出来た小さな袋から銅貨を二枚取り出して渡す真希。手渡されたルアップの実に早速かぶりつく。

「あまっ! うまっ!」

「パイはどうしたのよ」

「このままでも十分美味しいよ。むしろこのままのがイイ」

「ひっひっひ。お気に召してくれてなによりさ。それじゃ、有難うよ」

「うん。こっちこそご馳走様」

 立ち去るお婆ちゃんに手を振る真希。そして再びルアップにかぶりつく。実に美味しそうに頬張るその姿に、口の中に溢れ出る唾液を飲み込んだ。

「それ、ホントに美味しいの?」

「うん。甘くて瑞々しくてイイ感じ。そうだなぁ、例えるならメロンを食べてるみたい」

「どんな木の実なのよそれは」

 外はリンゴで中身はメロン。真希が持っている血生臭い木の実は不思議が一杯詰まっている様だった。


 ☆ ☆ ☆


 ──翌日。定刻通りに集合した私達は、赤や白や黄色。色とりどりのバラの花が咲く庭園をペティレッカさんの後に続いて歩いていた。これがただの城内散策なら良かったのだがそうじゃない。目的は王城から少し離れた建物だ。

「さあ、着いたわン。ようこそ、ヴンリィーネ教会へ」

 ヴンリィーネ教会。慈愛と豊穣とを司る、女神ヴンリィーネを信仰する教派と教えられた。信徒の数は約二百五十万人で、大陸全土に散らばっているそうである。アールディエンテ王国はその総本山。巡礼者や信奉者がひっきりなしに出入りをし、正月の初詣までとはいかないがそれなりに人が多い。それを監視しているのか、真っ白な甲冑を着込んだ兵士が開け放たれたままの大扉の横に佇んでいた。この人達が恐らく、神殿騎士と呼ばれる人達なのだろう。

 その騎士さんの横を通り過ぎて教会内へと足を踏み入れる。建物内に入ると同時に思った事は、空気が違う。だった。何がどう違うのかと聞かれると困るのだが、強いて言うなら『澄んでいる』だろうか。煙突から煙を吐き出していようとも、周囲の森によって浄化されているこの街の空気も澄んでいるのだが、それに輪をかけたような澄み具合だ。

「素敵……」

「こんな場所で結婚式挙げたいよね」

 生徒達からそんな呟きが聞こえてくる。昨日訪れたギルドの建物よりも高い天井。様々な色のガラスを嵌め込んだステンドグラスからは陽の光が柔らかく差し込んでいた。中央に敷かれた真っ赤な絨毯。その脇に木製で出来た椅子が並ぶさまは、元の世界の教会と何ら変わらない。正面には女神像が祀られていてその足元に教皇さんが立っていた。ちなみに、祀られている女神さんは何故か爆乳である。

「連れて参りましたン教皇様ン」

「ご苦労だったなペティレッカ。異邦人の皆様方、ヴンリィーネ教会へようこそおいで下さいました」

「あ、それさっき私が言っておきましたン」

「…………」

 ギロリと睨み付けるような視線をサラリと交わすペティレッカさん。

「……コホン。皆様は今日からここで教えを学んで頂きます。神道へ至るには決して楽ではありません。時には不必要と思える事も御座いましょう。しかしながら、ここで学ぶ事総てが皆様の糧となり今後役に立つ事でしょう。皆様とこの世界が生き残る為にもしっかりと学んで下さい」

「はいっ!」

 三十九人。みんなの声が教会内に木霊する。その元気の良い返事に教皇さんは満足げに頷いた。

「では後を頼んだぞペティレッカ」

「はぁいン。それじゃぁ、みんなこっちの部屋に来て頂戴ン。着替えを用意しているからその瑞々しいカラダを全部曝け出して着替えてねン」

 普通に着替えろと言えばいいのに、どうして余計な一言を挟むのかが分からない。ペティレッカさんに案内された部屋で着替えを済ませた私達は、本格的に治療士としての習練を開始したのだった。

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