第二話

「まじかよ……」


 公園の入口で注意書きの看板を前にした汐野は低く、そう呟いた。ペットにはリードを付けなさいとか、ゴミは持ち帰りなさいとか、そういう在り来りな項目に混ざって「花火禁止」の文字がはっきりと書かれている。道中で袋を開け、うきうきで手持ち花火の一つを振り回していた汐野は、何度も看板の注意書きを指さし確認してから、もう一度「まじかよ」と呟いた。


「家に帰って、妹とやれば良い」


「あー、家、アパートだからさ。禁止なんだよ、花火」


「……そうか」


 汐野は見るからに気落ちした様子で、振り回していた花火を袋にしまう。落ち込んでいる汐野を見るのは、初めてで。花火ができないなんて、くだらない理由で落ち込むこいつがやはり、よく分からなくて。俺は、指先で言葉を探した。


「今年はついてねえなあ。花見も出来なかったし、花火もできねえし」


 汐野は不貞腐れたような、寂しそうな顔で、看板を見つめる。何を言うのが正解なのか。分からないまま、俺は口を開いた。


「花火がしたいなら、家の庭を貸してやる。花見がしたければ、来年は忘れずに誘え」


 心の中の曖昧なものは、曖昧なまま言葉にすると形が変わってしまう。だから、いつもは曖昧なものがはっきりと形を成すまで、言葉にしない。でも、今は、言葉にしたいと、そう思う。多少分かりづらくても、とても頭のいいお前なら、分かってくれるだろうから。手を伸ばしても届かないほど距離があっても、言葉なら届ける手段があるのだから。俺の言葉が、なるべく優しい響きで汐野に届けばいい。


「早朝だろうが、真夜中だろうが、何かあったら電話をかけてくればいい。俺は、汐野ほど頭が良くない。お前ほど、人のいろんなことがわかる訳でもない。だから、きっと、お前が抱えているものを理解することも、共感することもできない。でも、花火や花見くらいなら付き合ってやれる」


 汐野は、目を見開いて、瞬きすら上手く出来なくなったような顔で、俺を見ていた。


「全部話せとは言わない。でも頼れ。理由も理屈も説明しなくていい。ただ、困っているから助けてほしいと言え。それだけで俺が動くには充分だ」


 汐野は、瞬きをして、深く呼吸をして、目を細めて、下を向いた。言葉を探すように、汐野の指先が何度か動く。結局、汐野は何も言わないままずるずるとその場にしゃがみ込んだ。両腕を前に投げ出して、膝の間に顔を埋めるその仕草は、迷子の幼子のように見える。汐野は、しばらくそうして、しゃがんでいた。


「俺、慎と友達やっててよかった」


「そうか」


「うん」


「花火さ、妹も連れてっていい?」


「当たり前だろう」


 汐野の声は小さく震えていたが、俺は何も言わずに汐野の隣にしゃがみ込んだ。

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手より言葉を、 甲池 幸 @k__n_ike

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