第14話


 クモ姫とアーマイゼが一夜をすごしてから、数ヶ月が経った。平穏な日々がつづく。なに一つ不自由はない。実家はあんたいだし、ここでのくらしにもだいぶ慣れてきた。昼間は勉強。窓をながめればあたたかい日差しが自分を包む。


(クモ姫様の腕のなかも、こんな感じなのよね)


 うとうとしてしまいそうなほど、心地良いぬくもり。


(クモ姫様)


 思う。


(どうして、あれから、ふれてくれないのですか?)


 恋人というのは、夫婦というのは、週に何度かそういう行為をするものではないのか。アーマイゼは電子書籍をよんでたしかめてみたが、やはり、想いが通じたあとは、みんなおたがいを求め合い、男女関係なく、好きなものと体を重ねていた。新婚なら、なおさら。


(ああ、……思い出してしまう)


 はじめて体を重ねた日、荒い呼吸がくりかえされるなか、すこしでもこわいと思ったら、クモ姫がそれに気づき、やさしく頭をなでてくれた。それが、とても、とても、気持ちよくて、もっと、と求めることがはずかしかったから、彼女の胸に顔を埋めて、すり寄ることしかできなかった。クモ姫は何度も耳元でささやいていた。


 ――痛くないか?

 ――無理するな。

 ――わたくしを感じなさい。

 ――こわくないか?

 ――これはわたくしの手だからな?

 ――アーマイゼ、怖がらないで。


(……なんて、愛おしいかた)


 思いだしただけで、胸がきゅっとしめつけられてしまう。しかし、現実にもどろう。体を重ねたのはそれっきりだ。


 あれから一度も、アーマイゼとクモ姫は、体を重ねていない。


(……もしかして)


 アーマイゼがはっとした。


(わたし、面倒くさかったんじゃ……!)


 処女は面倒くさいと、電子書籍に書いてあった。気持ちいい行為なのに、痛みをともなうケースが多いから。


(た、たしかに、血が大量に出ていて、大変だったけど……)


 アーマイゼの小さな胸が、ツキン、と痛んだ。


(面倒くさかったんだわ)


 アーマイゼの目がうるんでいく。


(だから、ふれてくださらないんだわ……)


 どんなに夜を共にすごしても、となりでよりそいあって眠っても、あの一夜はクモ姫の満足する行為が出来なかった。それに落胆して、だから、自分の肌にふれてこないのだ。きっとそうだ。そうにちがいない。


(……クモ姫様に……嫌われたんだわ……)


 静かになみだを落とすアーマイゼの横顔を見て、男の使用人たちがつばを飲んだ。前まで土くさかったアーマイゼに、なにやら色気がかかったように感じられた。襟からちらりと見えるうなじを見れば、思わずよだれが出てきてしまいそうになる。アーマイゼがなみだを落とせば、なんて色気のある顔だろうか。使用人たちの鼻の下が伸びはじめたころ、ちかりと糸が光って、気配を感じた使用人たちが正気にもどり、あわてて退散した。


(……あれ、とつぜん、まわりが静かに……?)


「アーマイゼ」


 振り向けば、その先からクモ姫が歩いてくる。


(あっ……)


 クモ姫がはた、と立ち止まった。アーマイゼが泣いている。アーマイゼが顔をそらした。だが、もうすでに手遅れだ。


「クモ姫様、言ってくだされば、わたしが部屋にいきましたのに……」

「……なぜ泣いている」

「なんでも、なんでもないんです」


(だめ。これ以上、嫌われたくない)


 面倒くさいなんて、思われたくない。


「お茶にしましょう。クモ姫様」


 クモ姫がアーマイゼの手首を掴んだ。


(あっ)


 振り向かされる。


(……あっ……)


「……情けない顔をしおって」


 クモ姫がアーマイゼにかがんだ。ぬれた頬に沿うようになみだをなめていく。


「あっ」


 クモ姫の舌がふれてくる。


(だ、だめ、こんなの、だめ)


 胸の鼓動が速くなっていく。


(クモ姫様に、さわられたら……)


 胸の中がドキドキしてくる。


(し、死んでしまう……)


 またほろりとなみだを落とすと、クモ姫がまゆを下げた。


「アーマイゼ」


 アーマイゼがゆっくりとまぶたを上げた。クモ姫が、目をそらさず、アーマイゼだけを見つめていた。


「なにが、かなしい?」

「……」

「言え。命令だ」

「……あの……」


 アーマイゼがうつむく。


「胸が」

「胸?」

「ドキドキして……」

「ん? どこか、具合がわるいのか?」

「ひ、姫様に、ふれられてるから……」


 クモ姫がきょとんとした。


「うれしくて、緊張、してしまって、なみだが、止まらなくて……」


 胸がドキドキする。


「こ、鼓動が、とても、速くて、くるしいんです……」


 アーマイゼが胸をおさえた。


「た、たすけて、ください……!」


 アーマイゼの泣き顔によって、クモ姫の胸に愛の弓矢が放たれた。クモ姫のハートが爆走をはじめたようだ。


「……アーマイゼ」

「……ぁっ……」


 やさしくだきしめれば、アーマイゼがクモ姫の胸に埋まり、ぴったりくっついてしまう。


「く、クモ姫様っ……」

「仕方のないやつめ。うれしくて緊張するなら、そのよろこびに慣れろ。でないと、いつまで経っても、わたくしに、そのまぬけた泣き顔をさらすことになるぞ?」


 ――いや、


「わたくしだけには、見せなさい」

「……ひめ、さま……」

「アーマイゼ……」


 静かな、しかし、とてもあついキスをする。唇を重ねれば、胸が高鳴り、暴走する。手をにぎれば指がからまり、口を開ければ、舌がからまる。


(クモ姫様の、したが、長くて、あつい……)


 アーマイゼはいっしょうけんめいからみにいくが、自分の舌は小さくて、ついていくのがやっとだ。はふはふ呼吸をしながら舌をからませ、クモ姫の迷惑にならないように気をつける。


(面倒くさいなんて、思われたくない……)


 まゆが下がる。


(嫌われたくない……)


 あ、


(つば、多くて、飲み込めない……)


 だらしなく、あふれてしまった。クモ姫が唇を離す。


「はぁ……」


 アーマイゼが荒い呼吸をくりかえす。


「ご、ごめんなさい……」

「……」


 クモ姫がアーマイゼのこうこつとした顔をじっと見つめる。視線を外すことはまるでない。


(そ、そんなに、見ないで……)


 今、つばが垂れて、とてもだらしない顔をしているの。


(だから、見ないで……)


 見られたら、胸がきゅんきゅんしてしまう。けれど、視線がそれることはない。呼吸が落ちつけば、クモ姫が言った。


「……お茶にしよう」

「……はい……」

「おいで」


 クモ姫がやさしくアーマイゼの手を取って、腰を支える。まるで王子様。だけど、見上げればうつくしいお姫様。


 こんなうつくしい人と結婚をしてしまっていたなんて。


(顔が、見れない……)


 うつむく。


(はずかしい……)


 アーマイゼのその横顔すら、クモ姫は見つめる。はずかしそうな赤い頬も、うるむ目も、赤い唇も、つばを垂らす顎も、すべてが、魅力的に感じて、目をそらすことができない。


(さわりたい)


 まだだめだ。


(こわがらせてしまう)


 クモ姫はたえる。


(我慢)


 本当は、今すぐにでもアーマイゼをベッドに運んで犯してしまいたい。着ている衣服を無理矢理ぬがせて、裸にさせて、その肌にやさしくふれて、アーマイゼを気持ちよくさせて、我慢できずにあえぐ声をききたい。キスしたい。くっつきたい。なめたい。食べたい。アーマイゼにがっつきたい。


(嫌われたくない)


 だから、やさしくリードする。


「アーマイゼ、紅茶はなにがいい?」

「……いつもの、おいしいのが……」

「ああ。では、そうしよう」


 見せつけてくれちゃって! きぃいいいい! 見ているだけで大体の事情を察した使用人たちが顔をひきつらせた。こりゃ、なんだかまた波乱の予感がするべさ!


 使用人たちは八つ当たりされる覚悟を決めて、今日も城の掃除をはじめた。


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