Episodio 3 修学の日々(India・Gore)

1

 9月13日の日曜日、我われはゴアに上陸した。

 船が港に近づくにつれ、町の様子が次第に明らかになった。町全体は城壁で囲まれているが、その城壁越しに教会や宮殿と思われる建物の屋根が空にそびえているのが見える。そして船が接岸すると、船員や商人たちが荷物とともにぞろぞろと船を降りるので、かなり時間がかかった。

 早速出迎えの商人で港はごった返したが、そのほとんどが我われと同じ顔、すなわちポルトガル人と思われる人びとだった。異民族の顔もちらほら見えるが、数はそんなに多くはない。異民族といっても顔つきは我われとは違って少し黒がかってはいるが、あのモサンビーキのような真っ黒な人々ではない。

 だがそれとは別に、私は見てしまった。

 船員や商人たちとは別の口からどんどんとまたおびただしい数の人々が降りてくる。

 だが、それは互いに手と足を縛られた形で、鞭で打たれながらしぶしぶと、そして黙々と歩かされている黒い集団。そう、あの十日ほど前に亡くなって海に投げ込まれた遺体のあの顔と同じ、全身真っ黒の人たち。

 紛れもなくモサンビーキの人たちとしか考えられない。彼らが降りてきた船の出口は海面すれすれの所にあり、よほど船底近くの船室に乗っていたようだ。船員があの葬儀の時に言った「下層の人たち」とはこの人たちのことなのだろうか。それにしてもおびただしい数だ。

 そんな人たちを見ていると、私は他の司祭の方たちから、急ぐように促された。


 港のすぐそばの城壁の門を入った。

 なんとそこには、まぎれもないポルトガルの町があった。

 そんな中を、人混みをかき分けて歩くと、港とそのまま続いて町の中心の広場があり、そこで出迎えの司祭数人と落ち合った。

 こちらの司祭の方々と迎えの司祭の方々があいさつを交わしている間、私は街の様子を見てみた。

 ところどころに生える木々がヤシの木であるというほかは、見事なまでにリスボンの町と同じ雰囲気だった。

 あのモサンビーキで受けた衝撃からして、さらにリスボンから離れてきただけに、余計に未開の土地になっていくのではないかと覚悟をしていたのだ。

 それが、どこか途中で航路を間違えてポルトガルに戻ってしまったのかと思ったくらいである。しかも、リスボンよりも建物は皆真新しく、それだけにきれいな街に見える。白い壁とオレンジ色の屋根の家が立ち並ぶ中、目の前にでんと横たわっているのはまるで宮殿だ。

 それもそのはず、あとで聞くとそれがポルトガルのインディア総督の駐在する宮殿なのだそうだ。そして建物の屋根越しに、いくつもの教会の伽藍が見える。それもモサンビーキの礼拝堂のような貧相なものではなく、ローマやリスボンにあるのと何ら変わらない堂々とした大伽藍なのだ。


 私は驚きに口をポカンと開けたまま、案内に従って迎えの方々と共に歩きだした。町はかなり大きく、行きかう人もまたポルトガル人ばかりである。実に整然と建物は並んでいるが道はまっすぐではなく、不規則で複雑に入り組んでいた。

 我われは大司教座の大聖堂カテドラーレとは広場をはさんで建つ修道院に通された。建物はリスボンにあるそれと全く同じバロック建築で、中に入ると自分が今どこにいるのかも分からなくなる。

 「懐かしい。帰ってきた」

 これが私の感想で、それを口にすると、隣を歩いていたマテオも、

 「私もだよ」

 と、言って笑っていた。

 部屋は私とマテオが同室で、ソファもベッドもポルトガルからそのまま取り寄せたもののようだった。

 小一時間くらい休んでから、我われはリスボンから共に来たルッジェーリ師のノックで呼び出された。

「出かけますよ」

 まずは大聖堂カテドラーレで到着の感謝の祈りをささげ、それから早速大司教にあいさつに行くという。その旨を彼はイタリア語で告げた。

 私とマテオ、それからルッジェーリ師やアクアヴィーヴァ師、パシオ師を含む五人は、もうゴアに長いというアルフォンソ・パチェコ師という私と同世代くらいの小柄なスパーニャ(スペイン)人の司祭の案内で大聖堂カテドラーレに向かった。

 大聖堂カテドラーレは白亜のトスカーナ風で、ジェズ教会と同じくらいの大きさはある。案内の司祭の説明によると、この地での教会の壁は皆、鉄分を含んだ赤い土で造られているので硬くて丈夫だが、外観がよくないので石膏で塗り固められているという。だから白亜なのだ。正面向かって左右に四角い鐘塔カンパニーレが二基あって、黄金の鐘が陽光に光っていた。

 この聖堂は着工から十六年以上たっているがまだ建築中で、完成はしていないとのことだったが、中に入るとかなり広い空間で、正面の祭壇の向こうの壁は黄金のレリーフの囲いの中に十字架像やマリア像、諸聖人像が彫刻されている。どれも見事な装飾だった。

 我われの驚く姿を見て、パチェコ師は笑っていた。

「すべてローマやリスボンから呼び寄せた大工や職人の手によってますからね。本物ですよ」

 たしかに本場仕込みなのだ。

 そこで我われは祈りを捧げ、聖堂につながって奥に延びる大司教座へと赴いた。

 エンリケ・デ・タボラ大司教は老齢だが、気さくな人だった。

 ポルトガルの国王陛下と同じ名だが、ポルトガルではエンリケというのは実にありふれた名前なので、同名だからといってどうということはない。

 司祭方がソファで大司教と会見し、我われ神学生はその後ろに立っていたが、ひとしきり話が終わった後、大司教はさっと我われに目を向けた。

「コニージョ神学生、それからリッチ神学生は、どなたですかな?」

 いきなり自分の名前を呼ばれて、しかも姓で呼ばれたので私は一瞬戸惑った。同行の司祭たちも私を呼ぶ時は、ノーメ・ディ・バッテジモ(ファースト・ネーム)でジョバンニとしか呼ばないからだ。同時に姓を呼ばれたマテオも同じ表情だった。

「はい」

 私たち二人はおずおずと大司教の前に出て畏まると、大司教は相好を崩した。

「あなたがたがコニージョとリッチですか。お噂は聞いておりますよ。聞いてますが、どっちがどっちかな?」

「私がジョバンニ・バプテスタ・コニージョです」

 と、私が先に名乗った。

 こんな天涯の地にいる、しかも大司教ともあろうお方が我われの名前を知っている…なぜなのか、噂とは誰から聞いたどんな噂なのか…私の頭の中でそれらのことがぐるぐる渦巻いたが、なにしろ相手は大司教。聞くに聞けずにただたじろいでいると、またひとしきり大司教は笑みを浮かべた。

「あなたがた二人は来年の春、ここで助祭への叙階を受けるのです」

「え?」

 私は全身が硬直した。司祭方の方を見てもみんな寝耳に水のようで、驚いて顔を見合わせている。マテオも同じようだった。

「福音の述べ伝えるのに、神学生のままでは箔がつかんでしょ。特にこれからさらに遠い果ての国に宣教に行くコニージョ君は」

「はあ」

 司祭方も微笑んでうなずいていた。もし叙階の話があるなら、やはり大司教様がおられるリスボンでという方が自然なのに、なぜわざわざこんな遠くへ来てから、しかもいきなりなのか。私はまだ、状況が呑みこめずにいた。

 大司教座を出てから広場を歩きながら、私はアクアヴィーヴァ師とルッジェーリ師、そしてパシオ師の三人の司祭にあえてイタリア語で早速疑問をぶつけた。だが、三人とも事情を知らないようだった。

「まあ、大司教様も思いつきで言われたのではないみたいだし、ここは素直にみ摂理に従うべきだね」

「実際の叙階は七カ月あとくらいになるから、その間にしっかりと霊的な準備をするといい」

 六ヶ月で出航と聞いていたのにと私が思っていると、すぐにその私の疑問を察してか、アクアヴィーヴァ師が笑みを浮かべた。

「半年後というのは約半年後ということだよ。あなたがたの叙階が終わったら、すぐに出航するかもしれない」

 それだけを言うと、司祭方は総督府の方にあいさつに行くというので、私とマテオの二人の神学生は修道院へ帰ることになった。

 大聖堂に隣接するような形でもう一つ別の修道院があり、その聖堂もかなりの規模になりそうだが、まだ本当に足場の取れない建築中だ。そちらは、フランチェスコ会の修道院だということだった。今のゴアにはフランチェスコ会のほかに、ドミニコ会、アウグスティヌス会も修道院を設置しているということだった。

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