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 島の南半分は土壁の民家が立ち並んでいるが、島の北半分には少しはローマやリスボンの匂いのする建物が続く。どう見てもポルトガル人が作った街なのだ。島の先端にはエウローパ(ヨーロッパ)の城壁で囲まれた要塞があり、我われはそのサンセバスティアン要塞に泊まるらしい。その城壁の素材といい形といい、リスボンの王宮のそれと全く変わらなかった。

 そして要塞の向こう、島の北端の岬の先端には、白い箱型の建物があった。ノサ・セニョラ・バルアルテ礼拝堂で、十字架はついているものの教会というより、その名の通り礼拝堂だった。きれいな白くて四角い箱を重ねただけのような建物だが、これでもエウローパ建築ということにはなろう。


 町は活気づいていた。こんな小さな島なのに港があって、貿易港として栄えているらしい。だが、港であくせく働いているのはどう見てもポルトガルの人びとであって、顔の黒い本来のこの島の主たちは島の南半分で、ひっそりとそれでいて着実に地に足のついた生活をしているようだった。彼らが我われを見る目は表面こそ笑顔だが心の底からの笑顔ではなく、何かに脅えているという様子も何かにつけて見て取れるのが気になってはいた。

 そして明日は出発という日の前夜、晩餐が済んでから、私は要塞の城壁の上から夜の海を眺めていた。地に足がついているのも今夜限りで、明日からまた揺れる船の上での生活が始まる。

 海を眺めていたといっても目の前には漆黒の闇があるだけで、何も見えない。ただ、半分だが月があって、まだ沈んでいなかったのだけが頼りだった。風は心地よかった。昼間あんなに暑くても、夜になると急激に温度は下がる。

 ふと、足ものと城壁の下から、歌声が聞こえたような気がした。女の声だ。この島の島民のようで、聞いたことがない言葉での歌だった。城壁の下はすぐに波打ち際にはなっておらず、ほんのわずかだが砂浜があったのだ。そこに誰かが座って歌っている。もちろん、姿は見えない。

 私がその歌を聞くとはなしに聴いていると、歌の旋律はそのままだが、途中で急に歌詞がポルトガル語に変わった。驚いて耳を澄ましてみると、たどたどしいポルトガル語だったがなんとか聞き取れた。

「私の恋しい夫、そして私のお父さん、今どこに? いつ帰る?」

 そんな意味の歌詞の歌だ。


――あの日、珍しいものを見せるから

  特別に船に乗せてあげると、

  顔が白い商人は言った。

  村の人は皆出かけたけれど、

  男だけしか許されなかった。

  いつも眺めているだけの大きな船に、

  一度は乗ってみたいと思っていたみんなは、

  ためらいもなく船の上へと足を運んだ、

  次から次へと。

  だけど突然足かせをはめられ、手を縛られて、

  何人かずつに縄で縛られて、

  そんな男たちをいっぱいに船に詰め込んで、

  船は港を出て行って帰らない――


 意外な歌詞の内容に私が唖然としていると、突然、「こら!」と怒声が響いて、ポルトガル人の衛兵が駆け付けて来ているようだった。歌はピタッとやんで、一目散に逃げていく足音だけが波の音と重なった。

 

 あの歌は何だったのだろうかと、朝、目が覚めてからもずっと気になっていた。ふとした疑惑も感じる。誰が歌っていたのかは暗くて分からなかったが、仮にこの島の村の娘か何かが歌っていたのだとしたら、なぜ途中から急に歌詞がポルトガル語になったのか。ポルトガル語で歌が歌えるような娘が、この島にいるのだろうか。

 そのようなことを考えると、もしかしてあれは夢だったのではないかとさえ思う。しかし、夢にしてはあまりにも現実的で、記憶の中にはっきりと刻まれていた。なにしろその歌詞の内容が衝撃的だった。

 そして、さらに、ここに来てからずっと気にかかっていたこともあった。そこで出発の朝、私は要塞にいたこの島の常駐の司祭に、雑談のついでにその気にかかっていたことを尋ねてみた。つまり、この港は貿易港だとしても、何を取引しているのかということである。

「それは…」

 その司祭は言葉を濁していた。

「いや、世の中には知らない方がいいこともあるのだよ」

 司祭はそれだけを言っていた。

 

 そのほんの数日の滞在を終えて船は再び帆を張り、今度は太洋を北東へと航行する。また大海原を眺めながら過ごす日々が始まった。

 次の寄港地までは、わずか一カ月であった。一カ月といえばそれだけで十分長い船旅だが、その前の四カ月に比べたらずっと短く、あっという間という表現もできるほどだった。

 正確には寄港地というよりも、このリスボンからの定期船の終着港となるゴアである。そこで、さらに先に行く我われは船を乗り換えないといけない。次の船は商船に便乗という形になっており、すでに手筈は整っているということだった。だがその出航までには半年以上あるということで、我われはゴアでその半年を暮らすことになる。

 その航海の間も、私はモサンビーキで聞いたあの女の声でのポルトガル語での歌の歌詞が時折耳に甦ったりした。

 あの歌はいったい何だったのか……そんなことが気になる毎日だったが、マテオにもあえてあの歌のことは言っていなかった。


 そんなある日、船員の一人が我われのいる船室にやってきた。

神父さんパードレよ、申しわけないが下の層の何人かが病気で伏せっていたけれど、ついに三人ばかり天に召されましてな。お祈りをお願いできませんかね」

 はっきりいって、私は何の事だかわからなかった。マテオも分からないようで、二人は顔を見合わせていた。下の層の人とは何のことなのか……見当もつかない。

 ただ、ルッジェーリ師は訳知り顔でうなずくと、ゆっくりと立ち上がった。そして司祭の方たちを先頭に聖職者全員で甲板へと出た。甲板には船員や商人たちが整列していた。この船に乗っている全員ではないようだ。

 そしてその間に転がっている白い布のかたまり……それは人であった。おそらく亡くなった方の遺体だろう。三体の遺体は布でぐるぐる巻きにまかれていた。

 顔だけが出ていたが、それを見て私は息をのんだ。あのモサンビーキにいた全身が真っ黒の人たちだったのである。

 ルッジェーリ師がその遺体の前に立った。

「この方たちは異教徒ですが、少しでも後の世で救いが得られるよう祈りましょう」

 そう言ってルッジェーリ師は彼らの遺体に聖水をかけ、一同で簡単な祈りを唱えた。だが、やはり遺体は異教徒とあってごく短い祈りの後に、その三体は船員たちによって次々に海に投げ込まれた。それも、丁重にという感じではなく、ほとんど廃棄物を海中に投棄するといった感じだった。

 私は人の死に立ちあったのも、葬儀も初めてである。だがそれ以上に、なぜこの船にあの顔の黒い人たちが乗っていたのか、その方が不思議だった。リスボンを出航する時は決していなかった。そうなると、状況的にも、そしてあの遺体の黒い顔からもモサンビーキから乗ったとしか考えられない。

 後でよほど私はルッジェーリ師に聞こうかとも思った。

 だが、私は怖くてどうしても聞けなかった。ルッジェーリ師が怖かったわけではなく、この船に何か恐ろしいことが隠されているような気がして、それを聞くのが怖くて聞けなかったのである。その怖さには、あのモサンビーキで聞いた歌の内容が重なっていた。


 それから約十日ほどたって、ようやく陸地が近付いてきた。

 ついにゴアに着いたようだ。

 大地はモサンビーキの時のように遠く地平線までまっ平らではなく、遠くの方は小高い丘陵が横たわっているのが見えた。港は内陸の川沿いにあるということで、船はまずは大きな入江に静かに入って行き、大きく河口を開いた川へとさかのぼっていく。川は水量豊かで、流域の広さはかなりのものだった。やがて右岸に見えだした町に、私はモサンビーキの時とは正反対の驚きを感じた。

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