7章 ダ・カーラ :ルートα ~大切な人たち~

「俺は、やっぱり選べない」


 猫又は眉根を寄せたような、そんな雰囲気を漂わせて言った。

「たとえば、二人が崖から落ちていくとするにゃ。そんな状況でおみゃあが二人に向かって手を伸ばしたとしたら、体重のせいで真っ逆さまに落ちていくと思ないかにゃ?」

「おいおい、女の子に体重がどうのこうのってのは、マナー違反だぞ?」

 猫又は舌をペロッと出して、ついでに前足を使って顔を洗い始めた。


 俺は二台のスマホをそっと撫でて言った。

「あがくよ、俺は。どっちも救うためにさ。それに」

 振り返って、小租田と要津を見やった。

「一人じゃ無理でも、みんながいるしな」

 小租田たちはこちらへ笑みを向けてきてうなずいた。

「うんうん、暁夜っちは一人じゃないよ」

「わたしも暁夜さんたちにお力添えできるよう、頑張ります」


 猫又は手をペロッと一回舐めて言った。

「時間にゃ」

「えっ?」

 なんのことだと言おうと思った時、校舎の鐘の音が聞こえた。

 6月30日が、終わったのだ。


 俺は猫又に訊いた。

「……二人が蘇生する場所って、ここで間違いないよな?」

「そうにゃ。6月1日に戻るから、蘇生されるとしたらここに来るはずにゃ」

 俺は教室中をゆっくり眺めやり、二人が蘇生されるのを待った。


 ふいに二ヶ所の空間が揺らぎ、色彩が歪んでいく。蛍の光のようなものが立ち上る。

 色彩の歪みは人型のシルエットとなっていく。

 やがてそこに、ずっと会いたかった二人の姿が浮かび上がってきた。


「……雪奈、香夢偉……」

 何度も何度も頭の中で描いていた姿が今、目の前にあった。

 記憶のまんま、何も変わらずに、そこに。

 二人は目を見開き、各々の動作で教室を眺め回した。

「……あれ? 雪奈、どうしてここに……」

「不可解。……リープじゃなくて、ワープ?」

 視界が霞む。

 胸の奥がきゅっと締まって、目頭が熱くなってきた。

「あれ? お兄ちゃん」

「……顔、くしゃくしゃ。花粉症?」

 堪えきれずに、俺は二人をぎゅっと抱きしめた。

「わわっ、どうしたの!?」

「くる、しい……」

 二人が何か言ってるが、耳に入ってこない。

 腕の中の温もりが嘘じゃない、本物だって感じたくて、俺はますます腕に力を入れた。

「よかった……本当に、よかった……」

「えっ? あ、あの……?」

「……きょう、や……?」


 俺は顔を上げて、二人の顔を見やった。

 戸惑っている表情。

 まだ状況を把握しきれていないのだろう、丸く見開かれた目には俺の姿が暗い鏡のように映っている。

 いる。ちゃんといる。

 雪奈たちが、ここにいるんだ。


「お前たちがいるなら、……もう他に、何もいらない」

 心の底から思いを込めて、俺は言った。

「もう、永遠に6月が続いたっていい。未来がなくたって構わない。雪奈たちが生きて、いてくれるなら……、それで十分だ」

 雪奈は表情をほころばせて、香夢偉は目を瞬かせた。

「……お兄ちゃん」

「暁夜……」

 俺は涙を拭って、ありったけの笑みを浮かべて、言った。

「お帰り、雪奈。それに香夢偉」


   ●


 長い、長い時間が経った。

 6月1日、10:00。

 何十、何百回……いやもう、千回になるのかもしれない。

 すでに数えていないからわからないが、もう何度も同じ日を過ごしたように思う。

 だけど別にそれは重要じゃない。

「お兄ちゃん、香夢偉ちゃん来たよ」

 自室に駆け込んできた雪奈が弾んだ声で言う。

 少し遅れて、香夢偉が入ってきた。

「お邪魔……します」

「別にそんな堅苦しくしなくてもいいぞ。ここはもう、お前の家みたいなもんなんだから」

「うん……」

 香夢偉はワンピースのスカートを押さえて、そっと腰を下ろす。

 その所作はかつての恋人とそっくりだった。

 名前は……思い出せない。

 大学にもきっと、ソイツはもういないだろう。


「……とうとういなくなっちゃったね、みんな」

 俺が表示していたSNSの画面をのぞき込んで雪奈が言った。

 まったく動かないタイムライン。

 最終更新時間は昨日の23:59だ。

 フォロー数は1303。10時間近く千近くのアカウントがどれもコメントを投稿していないことになる。

 大半がBOTじゃない生身の人間で、アクティブユーザーもそれなりにいるはずだ。その全員にブロックされたと考えるのは、少し非現実が過ぎるだろう。

 だがそこから導き出される真相は、さらに突飛なものであるのだが。

「全員、輪廻から……外れた」

「だろうな」


 俺は数百回前の6月で見たニュースを思い出した。

『突如消えた人々』

『世界規模の神隠し』

『宇宙人の仕業か、それとも新たな兵器か?』

 ニュースは煽りに煽り、ネットの世界は騒然となっていた。

 無論、現実もさぞ大混乱だったのだろうが、見に行く気も起きなかった。

 何かの暴動に巻き込まれて死にでもしたら、笑い話にもならない。

 物見遊山は永遠の6月では命取りだ。


 俺と雪奈、香夢偉が共に家にこもっている内に、世界中の人たちはパニックの果てに色々とやらかし、勝手に自滅していった。

 その詳細はあまり気持ちのいいものではないので、思い出さないようにしている。

「……輪廻から外れた人って、どうなってんのかな」

 唐突に疑問が芽生え、俺はぽつりと漏らした。

「存在が……抹消。猫又が言ってた」

 香夢偉が宙を眺めるようにして言った。

「だよな。でも、なんかこうしっくり来ないんだよ。物質世界にあるものって、どれも完全に消滅はしないだろ? 水は蒸発しても空気に残ってるし、死体だって地面に放置してるといつの間にかなくなるけど、ただ分解されただけだし。だからさ、意識とか魂ってのも、輪廻から外れても残ってるんじゃないかってさ」

「もしかしたら、輪廻から外れた先にも違う世界があるのかもしれないね。でも、そんなことは考える必要ないよ」

 雪奈はそっと俺の手に重ねて、こちらを見やってきて言った。

「雪奈たちは、ずっとこの世界で生きるんだから」


 そう。俺たちはこの永遠の6月で生き続けることを選んだ。

 もう二度と、ツユバライには行かない。

 命を粗末にするようなことはしない。


 この現実世界で、終わることのない日常を繰り返すのだ。

 肩に重みを感じた。

 香夢偉が頭を預けてきたのだ。

「……あったかい」

「俺はカイロじゃないぞ」

 笑いながら窓の外を見やる。

 水滴が窓中に貼りつき、いくつものよれた線を下方へと伸ばしていた。


 触れればきっと、ひんやりとした湿っぽさを感じることだろう。

「なんか最近、ずっと雨ばっかりだよな」

「……そうえいば晴れなかった……、前回の6月」

「もしかしたら、人がいなくなったせいかもしれないね」

「ん? どういことだ」

 雪奈は俺と同じように降りしきる雨を見やって言った。

「詩的な表現が好きなら、一度は本で見たり、あるいは思ったりしてるはずだよ。空が鳴いているって」

「ありがちな比喩表現だな」

「そうだね。もしもそれが本当なら、きっと雲はその姿を人に見せたくないって思うはずだよ。だって泣くっていうのは、人間社会のタブー的な行為だからね」

「……ブー?」

「それはお兄ちゃんでしょ」

「もう卒業したぞ。飽きるぐらいにハマり倒したからな」

「同じコンテンツしかないのに539回目の6月までブーブーできたのはさすがだと思うよ」

「……暁夜、豚?」

「いやまあ、蔑称だから。気にするな。……で、えっと。なんの話してたっけ?」


 雪奈は「いつまで経ってもお兄ちゃんは変わらないよね」と苦笑して言った。

「タブーだよ。禁忌っていう意味のね」

「あー、思い出した。泣くのがタブーとか言ってたな」

「うん。泣くっていうのは、自分が無力ですっていう意志の伝達手段……あるいは防衛反応なんだけどね。だけどそれが効力を強めていったせいで、疎ましがられるようになっちゃったんだ。雪奈とお兄ちゃんの間ではなかったけど、どこかで一度ぐらい聞いたことがあるんじゃないかな。『○○ちゃん、○○くんが泣いてるでしょ。謝りなさい』っていうの」

「あー、幼稚園で見たな。よくいじめっ子が先生に言われてた」

「文明の未発達な自然界なら、相手が泣きだしたら絶好のチャンスなんだ。相手を弱らせることができて、そろそろ止めをさせるってことだからね。でも人間社会だと、泣かせると逆に不利になる。いじめっ子が持つ強さが名誉にかかわる毒になっちゃうんだ」

 始まった論絶を香夢偉が目を点にして聞いている。何万回と繰り返された、もうおなじみの光景だ。


 弁舌を振るっていた雪奈が、ふと窓の外を見やり「あっ!」と声を上げ、指差した。

「雨、止んだよ!」

 見てみると、空から光が差していた。

「おっ、本当だ。しかもあれ、天使のちゃんならってやつじゃないか?」

「天使の梯子。レンブラント光線だね。雲に光を通さない厚みがあって、しかも切れ間が生じた時にしか見られない現象だよ」

「……きれい」

 香夢偉の言葉に、俺と雪奈は顔を見合わせて笑った。

 そう。難しいことを知るのも楽しいが、やっぱり直感的に感じた思いが、全ての根底にある要であり。

 人はそれだけで、幸福になることができるのだろう。

 雪奈は俺と香夢偉の手を取り、顔を交互に見やって言った。

「ずっと、みんなで一緒にいようね」

 俺と香夢偉は微笑みを浮かべ、そろってうなずいた。

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