お題:えぶくる【餌脹る】 餌を食べて腹一杯になる。

 ここ数年パソコン向けの悪質なウィルスソフトが蔓延している。メールに添付されたファイルを開くと画面がブルースクリーンになり、一切操作を受け付けなくなる。オフィスで仕事に利用している機器だと致命的である。

 さらにオマケがあり、画面には『解除して欲しければこちらの口座にドルでいくら振り込んでください』と表示される。


 保証期間内だからとパソコンの専門店に持って行っても元に戻すことは難しく、全てデータをリセットして初期状態にするしかないという。馬鹿正直に口座にお金を振り込んでももちろん治ることはない。オレオレ詐欺のようなもので、莫大な被害が出ているという。


 犯罪グループはさらに劣悪なウィルスを開発し、ネットワークに接続するだけでPCを破壊してしまうという強力で防ぎようのないモノが爆発的に蔓延した。

 スマホや携帯電話にも同様に感染するウィルスで、わずか一週間でほぼ全人類の通信が遮断された。電話もテレビも機能しなくなりかろうじてラジオだけ聞こえるという静かな世界になった。


 飛行機も安全面から国際線は全て欠航された。離着陸の時間管理が不可能だからだ。都会の電車もかなり本数が減って運行されている。


 文明的にはおよそ100年ほど時代が遡ってしまったに過ぎないが、これまで当たり前として利用できていたものが使えないとなると不便なものだ。農村で自給自足のような生活をしている分にはあまり生活に影響はない。が、誰かと連絡を取るというのがひどく難しい状態である。ハガキや手紙という文化はまだ根強く残ってはいるが届くのが2~3日と時間がかかる。


 そこで急速に発展したのが自転車によるメッセンジャーサービスである。

 距離にも寄るが、都内で数行のメッセージ程度なら往復1時間ほどでやりとりできるという利点がある。また相手の匂いのするものを持っているなら、犬が走って届けてくれるサービスも増えている。無事届いた場合は、指定のドッグフードだけ食べさせてやれば良いというコストの安さも魅力である。


 自転車の場合は、相手先の住所に本人がいなかった場合、単にメッセージを置いてくるということしかできないが、犬の場合は、本人がどこかに移動していてもそこまで匂いをたどって追いかけて返事をもらってきてくれるという長所もある。


 簡単に復旧すると楽観視されていた通信インフラだったが、1年たっても全く元に戻る目処はつかなかった。すると人口の2割以上がメッセンジャーとして働く世の中になり、日夜路上で自転車と犬が走り回るのを見かけるのが当たり前の世の中になった。


 ボクと彼女は少し離れたところに住んでいる。お互いに犬を飼っていてメッセージをやりとりしている。最初は自転車のメッセンジャーにお願いしていたのだけどもっと話したくなってメッセンジャー犬を飼うことにしたのだ。ポチはとても優秀でしつけがよくワガママを言わずメッセージを届けてくれる。


 それでも返事がかえってくるのがもどかしくて、彼女もパチという犬を飼うことになった。お互いの犬がメッセージを往復してやりとりすることで2倍の速度で言葉のやりとりができるようになる。2人でLINEをしているようなものだ。あまりにも頻繁にやりとりしてそのたびに犬にご褒美をあげているので、だんだん犬たちは餌脹えぶくって走るのがつらそうだ。


 こんな世の中になってから1年間、彼女とは月イチでデートしメッセージは毎日のようにやりとりした。そしてついにプロポーズすることにした。メッセージと指輪をポチの首にくくりつけて彼女に届けてもらうことにした。「結婚しよう」という言葉をしたためて。


 5分後、トントンと犬が鼻でドアを叩く音がした。メッセージが帰ってくるには早過ぎる。他の誰か友達からのメッセージかと思って扉を開けると、そこに彼女がいた。目に涙を浮かべている。


「ちょうど、直接聞いて欲しい話があったの。そしたらそこでちょうどポチに会って…」

 彼女は手に指輪をはめていた。ボクと同じ気持だったようだ。これからは犬2匹とボクたち2人の賑やかな家族になりそうだ。

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