車軸を流す雨

@SO3H

車軸を流す雨

サービスエリアに入ってみたものの、雨が止む気配はない。スマホで天気予報を見ても、明日(もう今日だが)1日は降り続くと書いている。あまりに風雨が強いので、ここに着いてからも建物に向かう気力が湧かず、車から一歩も出ていなかった。にっちもさっちも行かない。段々車内の空気も重いものになってきた。

「雪芽はどうしたいのさ」

「いやどうするもこうするも動けないじゃん今。それにドライバーは真弓だし」



 

真弓の転職や雪芽の資格試験が重なり互いに忙しくて、まともなデートは半年ぶりだった。折角だから遠出がしたいとはしゃぐ雪芽が可愛くて、レンタカーを借りたのは真弓だ。

行きたい場所をピックアップして、宿を決めて、ネットで見た美味しそうなご当地グルメをメッセージで見せ合って、計画している間が1番楽しかったかもしれない。

出発の時は夜中にアパートまで雪芽を迎えに行った。ハザードランプを点灯させて雪芽を待つ間、カーナビの画面だけがやけに明るく感じた。

「待った〜?お菓子いっぱい用意しちゃった〜。よろしくね」

そう言ってヘアバンドで前髪を上げ、ほとんどすっぴんでウキウキと彼女が乗り込んできた瞬間が、今のところこの旅のピークだったかもしれない。雪芽の邪気のない笑顔を久しぶりに見て、嬉しく思ったのがもう何日も前のことのようだ。

最寄りのインターから高速に乗り、雪芽の好きな音楽をかけ、スナックをつまみながらアクセルを踏む。車内は2人だけの世界で、雪芽の指からチョコレートを口に運ばれると、真弓は注意深くハンドルを握りながらも、うっとりしてしまいそうだった。

だが、大きく右カーブしてジャンクションを1つ超えたあたりから、雲行きが怪しくなってきた。これは雪芽と真弓のことではなく、空のことだ。どの道深夜1時を過ぎて真っ暗なのだが、星も月も分厚い雲に覆われて尚更暗かった。

「サービスエリア寄らなくていい?」

「ん、大丈夫」

左手の休憩所入口を見送って直進。程なくして、天がフラッシュを焚いたように光り出した。続けて音も鳴ったかもしれないが、プレーヤーから流れる音楽で聞こえなかった。

「雨になるかもな」

「そうだね〜」

レモン味の組を噛みながらスマホを見つめる雪芽に苛立ち始めたのはこの辺りからだったように思う。

「あ〜今いいところだったのになんで消すの!?」

「天気と交通情報聞いといたほうがいいだろ今は。空こんなだし」

「こっちで見てたのにぃ……」

真弓がカーステレオをラジオに切り替えると、雪芽は頬を膨らませ顔を上げた。スマホで見ていたのは天気予報だったらしい。

「……○○-△△間で目立った渋滞はありません。2時頃からは、激しい雷雨にお気をつけ下さい」

ラジオから淡々と流れる言葉と、雪芽の手の中に表示された情報は一致していた。

「予定より到着遅れるだろうね」

「大丈夫だよ。元々早く着く予定だし」

「そうだな。朝風呂は入れるかわからないけど」

「どっちにしろ雨じゃ露天風呂は嫌かなあ」

そんな会話をしながらどんどん窓の外を流れる木々を見るうちに、雨粒がフロントガラスに打ちつけ始めた。それから1kmも走らないうちに、大粒の雨はガラスを覆い、前の車の形が曖昧になった。ワイパーで押し除けたほんの一瞬だけ、かろうじて前が見えた。

「そういや私、傘持ってないわ」

「だと思ったよ。車に1本は入れてあるけど、この雨じゃどっちにしろ役に立たないかもな」

真弓は後部座席に放り込んだビニール傘を示す。もはや滝のように車体を伝い続ける雨に、ビニール傘で対抗できるかは怪しい。

視界の悪い中で、タイヤを流水に取られないよう前に進むので精一杯だ。音楽も邪魔に感じて、ステレオの音は切ってある。眉間に皺を寄せ、話す余裕もない。嵐の音だけが沈黙を包む。

もうじきサービスエリアがあるとカーナビが知らせた。

「とりあえず様子見兼ねて一旦休憩にしよう」

「そだね」

真弓は方向指示器を点灯させ、左にハンドルをきった。



ということで、真弓と雪芽はサービスエリアの広い駐車場のど真ん中で雨に降り込められているのである。

ここで冒頭の会話に戻る。

「いやどうするもこうするも動けないじゃん今。それにドライバーは真弓だし」

確かに今すぐ出ていくのは得策とは言えない。

雪芽がトイレに行くと言うので、真弓は座席を下げて後部座席から傘を取り、渡した。ドアを開けた途端絶え間なく音が流れ込む。そんな洪水のような中、すぐに雪芽の姿は見えなくなった。

10分は天気予報を見て過ぎた。次の10分は疲れた目を指でほぐし、座席で出来る限り身体を伸ばした。本来は外に出てやりたいが、生憎土砂降りである。

30分を過ぎても雪芽は戻ってこない。流石に心配になった。

「大丈夫?トイレ混んでる?」

メッセージを送るが、既読はつかない。5分経っても雪芽は戻らない。もう傘は残っていない。

何度もスマホと暗闇にぼうっと光る建物を見比べるも、やはりドアは開かない。真弓は決心し外に出た。音が一段と大きくなり、雨が車内に降り込む。

濡れ鼠になりながら駐車場を横切り、女子トイレに飛び込んだ。そこに雪芽はいなかった。無性に寒いのは、雨で濡れる体のせいだけじゃない。お土産でも見ているのかもしれない。真弓は入口で髪と服を絞ってから、建物に入った。


深夜にも関わらず煌々と照らされた店内は、本来ドライバーの安息地だ。腹を満たすおにぎりやパン、ペットボトルの飲み物。ご当地キャラのパッケージのクッキーに何故かどこにでも売っている白いラングドシャ。ATMもあり、急なトラブルにも対応できる。今は閉まっているが、食堂もあった。この雨だ。座って休憩所にしているドライバーも見えた。

店内を見回していると、男2人が、彼らより背の低い者を囲んで話しかけているのが目に入った。隙間から見えたそれが雪芽だと真弓にはわかった。ビニール傘を震えそうな手で握っている。ナンパか?それとも絡まれてる……!?

「人の連れに何してんだよ」

水滴を床に残しながら駆け、真弓は雪芽と男達の間に割り込んだ。一瞬怯んだ男達は、直ぐに持ち直すとニヤニヤと続けた。

「友達もボーイッシュだけど可愛いじゃん」

「君もちょっとお話ししようよ。ていうかびしょ濡れだけど大丈夫?」

「悪いけど、友達じゃないから。僕ら」

「は?」

「この子は僕の彼女で僕はこの子の彼女。わかったらどいて」

天敵を威嚇する狼のように、真弓は男を睨みつけた。

「あ、ああ!そういうことね」

「けどさ……その子、俺らと喋るのも、まんざらじゃないみたいよ」

男の1人が雪芽を指す。真弓は狼の形相のまま雪芽を振り返った。

「いや、違うの、その……」

雪芽は桜色に染まった顔を隠すように、やっぱり握ったままの傘を目の高さまで上げた。本当にまんざらでもないのかもしれない。雷がどこかに落ちる音が聞こえた。

転職で環境も変わり、確かになかなか雪芽に構っていられなかった。お互いの気持ちは変わらないつもりでいたけれど、寂しい思いをさせていたのだろう。

元々告白したのだって真弓からだ。大学で出会ってから、ずっと好きだった。綺麗で、溌剌として、飾らない彼女が。けれど雪芽には彼氏がいたし、友達でいられるだけで良いと思っていた。それも別れたと泣きついてきた顔を見たら、全部決壊してしまったけど。雪芽なら、ほかの男だって黙ってなかっただろうに、雪芽は女友達だったはずの真弓を受け入れてくれた。だから絶対に大事にすると誓ったし、そうしてきたつもりだった。

それなのに、忙しいなんて言い訳して会いにも行かず、あんなに楽しみにしていた旅行でさえ台無しになった。嫌気が差しても文句は言えない。

「雪芽」

「へ?」

「雪芽がやっぱり男の方が良いって言うなら、その気持ちは僕にどうしようもできない」

「あの……」

「寂しい思いもさせたし、満足させられないこともあったと思う。いろんな意味で」

「もしもーし」

「だから雪芽の気持ちが聞きたいよ。まあ、流石にナンパはちょっと危ないと思うけど」

「真弓!」

「それでもやっぱり僕は、雪芽と一緒にいたいよ!」

「だから違うんだって!!」

雪芽は普段聞いたことないくらいの大声を上げた。数少ない客と店員の視線が集まる。

「雨降り出してから、真弓ってばずっとイライラしてるし、どうしたらいいかなって思って!何か食べるものでもと思ったらこの人達に声掛けられて……あの、真弓のこと相談してただけなの!もう!」

言い終えると、雪芽はその場にへたり込んでしまった。

「旅行したいって言ったの私なのに、免許持ってないし、真弓に任せきりだし。何もできないって思われるの嫌じゃん……」

つまり、雪芽は愛想を尽かしたどころか、真弓の負荷を心配して息抜きの方法を探しに来たということらしい。男達に相談に乗ってもらううち、1人で余計に不安が募り、震えんばかりの必死さで真弓のことを説明していたとか。

真弓は力が抜けるのを感じた。雪芽はこんなに自分を想ってくれていたのか。濡れた身体の奥から温かいものが湧き上がった。不必要に焦って先走った自分が恥ずかしい。

「ごめん、雪芽。1人でイライラして、心配かけて。雪芽は悪くないんだ。全部、雨のせいで……」

「ううん。こっちこそ、ごめんね。大丈夫だよ。雨が流してくれるから」

ちゃんと、話せばよかった。雨の中走る苛立ちも、格好つかない嫉妬も。雪芽は助手席に座るパートナーなんだから。




「お姉さんとりあえず身体拭いた方がいいよ。風邪引きそう」

「あと、トイレで着替えた方がいいかもね」

結局男たちは、不安そうな雪芽を放っておけなかっためちゃくちゃいい人だった。真弓を煽るようなことを言ったのも、本音が聞きたかったからだという。ついでにオススメのお土産と、朝7時から開店する食堂の角煮が美味しいことを教えてくれた。

彼らに頭を下げ、雪芽の差してきたビニール傘に2人で身を寄せ合い、車に戻った。




「やっぱせめて朝になるまではここで待とうか」

「そだね。視界悪いし」

「うん。それに……」

雨はまだ止みそうにない。

雨を口実に、車内で2人きり、明るくなるまで過ごそう。朝まではまだ時間がある。

真弓は愛しい恋人の頬にそっと触れた。























「……レンタカーでそういうのいけないと思います」

「え?……いや、そういうつもりじゃないって!だから……いっぱいお喋りしよ。な?」

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