第十九話 森での穏やかな生活について

 それから唐揚げの材料が集まるまでの間、俺はマコトの家で薬草師の見習いとして過ごした。

 マコトの家で暮らし始めてどのくらい経ったか把握してない。とにかく毎日やること覚えることがたくさんあって、それをこなすのに精一杯で、一年くらいこうしているような気もするし、ここまでがあっという間すぎて、まだ数日しか経ってないようにも思える。

 実際のところは、一ヶ月か二ヶ月か、大体その間くらいじゃないかと思う。

 瑞々しい緑色だった森の木々は、その色を深くしていた。この森にも、季節があるみたいだった。


 日本から着てきた俺の服と、財布とスマホはタンスの引き出しの一つに入れさせてもらっている。最初の頃はスマホを取り出して眺めたりもしたけど、最近はしまいこんだままだ。


 朝は日が昇り始めたら起き出す。

 夜は灯りに使う油が貴重なので、あまり遅くならないうちに寝てしまう。なので、早起きはあまり苦にならなくなった。

 毎日疲れるので夜は大体ぐっすり眠れている。ただ、たまに、隣のベッドで寝ているマコトが気になって眠れなくなる時はある。

 マコトはなんでこの状況が平気なのか。マコトは以前にマコトの師匠と一緒に暮らしていたと言っていたので、慣れているのだろうか。

 そして普段はそんなにあっけらかんとしていると言うのに、一度俺の着替えに遭遇した時は、顔を真っ赤にして黙って出ていった。マコトの基準がわからない。

 その日から、家の中に布の仕切りが増えた。


 朝食は、前日に作っておいたスープを温め直して食べる。パンが固いので大体はスープを作ってそれで柔らかくして食べるのだそうだ。

 具は、セマルという鳥か、マーグンの燻製肉。日によって肉がない時もある。肉がない時は、マーグンの脂身からとった油を少し使って風味をつける。

 あとは、豆か何か根菜っぽい野菜がいくつか。食感や味が人参や蓮根に近い感じのものをよく見かける。芋っぽい野菜もあった。

 そんな感じで日常的には圧倒的にスープだ。

 とはいえ、煮込み以外の調理方法がない訳ではないらしい。焼いたりとか炒めたりとか。

 揚げ物は、マコトとオーエンさんの話によると、森を出て街に行けばあるらしいということだった。森の民は森からほとんど出ないで暮らすので、森の外のことにはあまり詳しくない。


 朝食を食べたら、その日の天気と土の状態によって、畑に水をやる。井戸から水を汲み上げて、畑の様子を見ながら柄杓で水撒きをする。


「ここに植えてるのは蔓が伸びるから、もうちょっと育ったら支柱を立てる予定。水遣りの時に様子を見ておいてね。ここの辺りは、地面を這うように伸びてく。もうちょっと広がったら小さな花が咲いて、小さな実を付ける。実を収穫するけど、普通に食べると舌が痺れるから気を付けてね」


 マコトの説明は丁寧で根気強い。

 全部覚えられる気がしなくてノートでもとりたい気分だったけど、紙は貴重品らしい。

 なかなか覚えられない俺に、マコトは毎日同じ話をしてくれた。


「あのね、一回で覚えられるなんて無理だから。そのために師匠と一緒に暮らすの。できるようになるまで、覚えられるまで、覚えても、毎日繰り返し繰り返し続ける。そうやって伝えるのが師匠の役目なんだよ。シンイチも、そのうちできるようになるから大丈夫」


 そして、その繰り返しの中で俺が覚えていたことがあると、些細なことでもすごいと褒めてくれる。

 こんなに甘やかされて良いのだろうかと不安になるが、それでも確かに、少しずつでも薬草が見分けられるようになってきたし、名前も覚えてきた。気付けば、一人で世話できる範囲も広がっていた。

 でもやっぱり、こんな些細なことで褒められるのはくすぐったいし、どうして良いかわからなくなる。


 畑で育てているのとは別に、森の中に採取にも行った。

 俺が履けるサイズの木靴はオーエンさんに用意してもらった。オーエンさんの靴では大きすぎたので、集落の人に頼んで新しく作ったらしい。木靴を作ってくれた人に渡すために、マコトはセマルを一羽といくつかの香草を用意した。


 物々交換のように見えたけど、どうも現代日本的な意味での料金や値段ではなさそうだった。

 狩りの獲物を集落で分け合うこともそうだけど、特に何もしなくても集落内ではある程度生活できるようになっている。マコトみたいな薬草師や、木靴を作ってくれた人のように、専門的なことをやっている人もいるが、それらも基本的には対価を必要としていないように見える。

 例えば、マコトが集落の人相手に薬をあげたり体調を見たりする時は、何か食べ物や日用品をもらう時もあるけど何ももらわない時もある。何かをもらうことが必ずしも必要という訳ではないみたいだった。

 代わりに、特に何もなくても集落を歩いているだけで食べ物をもらったりすることもある。


 現代日本の資本主義や貨幣経済に慣れきっていた身としては、なかなかわからない感覚だった。

 そもそも、ここに来てからお金というものを見ていない。集落内ではお金が必要ないのだろう。

 対価という考え方を捨て去る必要があるのかもしれない。


 そうやって手に入れた木靴を履いて、マコトと一緒に森の中を歩く。

 森を歩くための支度もだいぶ手馴れたと思う。足に布を巻くのは自分でできるようになった。


 森の中でも、マコトの説明は続いた。

 薬草として使える。毒がある。素手で触ってはいけない。料理に使える。甘くて美味しい。

 マコトが茂みの中を掻き分けて、手袋を脱ぐと、黒くツヤツヤした小指の爪ほどの大きさの実をいくつか採った。俺に差し出してくるので、俺も手袋を外してそれを受け取る。


「これはジグナ。集落に近いところにもたくさんあるし、集落から出られるようになったばかりの子が、よく食べるんだよ。あとは、疲れた時に食べると少し元気になる」


 先に食べて見せたマコトの唇と舌先が、鮮やかな赤に染まる。

 俺も真似して口に含む。最初にくっきりとした酸味が感じられて、涎が口に溢れる。そのあとに、ほんのりと苦味が感じられた。

 森を歩き回って疲れた体に酸味が気持ち良くて、俺はもらった分を夢中で食べた。

 マコトが子供みたいと言ってくすくすと笑う。そして不意に俺の顔を覗き込んできて、マコトは自分の唇に指先を当てた。


「これ食べると、赤くなっちゃうんだよね。シンイチも、赤い」


 マコトの唇が、まだらに赤く染まってる。指先にも、その赤い色が移っている。多分俺の唇も、同じようになっているんだろう。

 なんだか急に恥ずかしくなって、俺は横を向いて手の甲で口元を拭った。






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 この草は根っこの部分を使って薬を作る。葉っぱの形が特徴的だから、それを目印に探す。

 花がつき始める前に採取する必要がある。だから、今の時期に採りに来るんだ。

 見つけたら、まずは周囲を見る。近くにも同じ草があるはずだ。そうだな、このくらいの広さから一つか二つ。それ以上は採らない。ここだったら大体……四つか五つくらいだな。端からまとめて採るんじゃないぞ。きちんと、一つ採ったら次はそこから少し離れたところから。根っこを千切らないように丁寧に。


 木の陰にはあまり生えてこない。木の陰にこんな感じに生えているのは、別の草だ。葉っぱを裏返して赤い斑点がある方は腹を下す。使い道が違う。混ぜないように気を付けるんだ。


 そんなに泣きそうな顔をしなくても大丈夫だ。これからずっとこんなことばっかりやるんだ。そのうち嫌でも覚える。俺もそうだった。

 そうだな、今の見分け方は覚えたか? なら大丈夫だ。お前はもう、この草を見分けて仕分ける仕事ができるようになった。一つできることが増えただろう。


 さ、今日はそろそろ帰るぞ。

 帰ったらまだやることがあるんだ。それでできる仕事がもっと増える。

 お前は仕事が丁寧だからな、きっと良い薬草師になれる。


 ——とある薬草師の話より

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