第四話 鱗の町

 多くの船が行き交うりんには、様々な商品が集まる。多様な商品を求めて多くの人が集まり、多くの客を求めてまた各国から商材が流れ込む。そのために港に接する町並みは日中常に人混みに満ち溢れ、通りの大小にかかわらず雑多な店がずらりと軒を並べている。


 至る所賑わう町の中でもとりわけ幅広な大通りをすいとキム、そしてそのふたりを後から見守るようにしてせんが一歩遅れてついていく。


「よう、飛家の嬢ちゃん。裙子スカートなんて穿いて、もう水夫の格好はやめたのかい?」

「てっきり嫁入りは諦めて、女だてらに船乗りを目指すものと思ったよ」

すいちゃん、いい服が入ったんだよ。なんだったら男用のズボンもあるから、ちょっくら見においで」

さんから香木を仕入れたんだが、奥方様のご機嫌取りにどうだい」


 道中すれ違う人々から呼び込み中の店子まで、皆がすいの顔を見るなり声をかけていく。その度にすいは「もう、勘弁してよ」と顔をしかめたり、「お生憎様!」と舌を出したりするのだが、誰もが笑いながら手を振るばかりだ。


「私が水夫に変装したこととか、お父様の船に忍び込んだこととか、なんでみんな知ってるのよ」


 頬を膨らませるすいの後で、せんは惚けた顔つきでこめかみを掻いた。


「そりゃあ、お前。うちの連中が噂したからに決まってるだろう」

「何よ、それ! お父様は口止めとかしなかったの?」

「口止めどころか、率先して吹いて回ってたのは頭領オヤジだぞ」


 せんの言葉を聞いて、すいの口がいよいよへの字に曲がる。ふたりのやり取りを眺めていたキムは、つい瞳に笑みを浮かべた。


「スイはみんなの人気者なのね」


 キムは頭から口元までをゆったりとした頭巾にくるんで、わずかに瑠璃色の瞳だけを覗かせている。黒髪か日に焼けた茶髪か、せいぜい白髪ばかりのこの町で、彼女の金髪はあまりに目立つからという理由だ。


 微笑ましそうに目を細めるキムに振り返って、すいは小さく肩をすくめた。


「この町で生まれ育ったから、みんな顔馴染みってだけだよ」

「小さい頃からあっちこっちで騒動播き散らかしてるからな。町の皆にとっては退屈凌ぎにちょうどいいのさ」

「どういう意味よ、それ!」


 せんの頭をすいがぺしゃりとはたく。その様子を見てキムが再び笑った。


「それにしてもこの町は活気があるのね。船もたくさん、人もたくさん」


 周囲をぐるりと見渡しながら、キムが感嘆の声を漏らした。彼女の視線の先には、どこを見ても喧噪が止まない活況がある。口元の頭巾に手を掛けながら感心の表情を浮かべるキムに、すいがまるで自分のことのように胸を張ってみせた。


「ここは色んな国や町の、船の中継地として栄えた島なの。内海でりんよりも栄えてる島っていったら、いつぐらい?」

いつびんにもげんにも属さないでやれてるからなあ。さすがにりんと比べたら一段格が上だ」


 すいの言葉に、せんが腕組みして頷き返す。ふたりの話を聞きながら、キムは頭の中で整理するように呟いた。


「たくさんの国の船が内海を行き交って、その中でもリンはイツに次ぐ重要な島ってことね。その内海を挟んで北のゲン、南のビンやサンという大国が向き合っている……」

「あんた、飲み込みが早いな。だけどゲンとかサンとか、そこまで説明したっけ?」


 せんの不思議そうな視線を受けて、キムも瑠璃色の瞳に同じような表情を浮かべて不思議がる。


「あれ、聞いてなかった? なんでかな、なんか普通に理解出来たんだけど」

「いいじゃないの、覚えが早いに越したことはないんだから」


 ふたりの間に生じかけた疑問を、すいはその一言で簡単に吹き飛ばしてしまう。そして辺りを見回し出したかと思うと、やがて物欲しげな顔をせんに向けた。


「ちょっと歩き疲れたからひと休みしたいんだけど。せん、最近流行りの茶屋でも知らない?」


 唐突に尋ねられても、せんは呆れ顔で答えるしかない。


「俺はお前と客人の護衛役だろう? 急に呼びつけておいて無茶言うな」

「気が利かないなあ。せっかくキムを町案内に連れ出したんだから、そういうことは事前に調べておきなさいよ。がくだったらいくつでもお薦めを教えてくれるのに」


 そう言ってすいが大きくため息をつき、するとせんが無言で肩をすくめる。


 結局三人が休憩に立ち寄ったのは、すいが昔から贔屓にしているという茶屋であった。厨房以外には申し訳程度の屋根ばかりの、ほとんど露天のような店構えだが、吹きさらしに長机を並べただけの客席はいずれも賑わっている。


 満席を目にした三人がしばらく店の前で立ち尽くしていると、やがてすいの顔を認めた店主が店の奥から三つの椅子を持ち出して、彼らに着席するように薦めた。


すいはちっちゃい頃からこの店に出入りしてるからな。店主とはすっかり顔馴染みさ」


 すいと並んで腰を下ろしたせんが、机を挟んだ向かいに座るキムにそう説明する。


「そいつは嬉しいんだけど、ここに来るとなんでもお父様に筒抜けになるのがねえ」


 ぼやきながらも、すいの手は目の前の小皿から円形の菓子をひとつ摘まみ上げている。そのまま彼女が一口齧りつくのを見て、キムも頭巾の口元を下げながら同じように菓子を口にした。


 そして次の瞬間、キムの瑠璃色の目が大きく見開かれる。


「甘い……」


 甘さの正体を突き止めようと、キムは菓子の断面を覗き込んだ。そこには黒いしっとりとした固まりと、その中心には同じようにしっとりとして黄色い固まりが詰まっている。しげしげと中身を見つめるキムに、すいが得意気に言う。


「美味しいでしょう。アヒルの塩漬け卵の黄身を、小豆餡で包んでるの」

「……もしかして、小餅?」

「あれ、知ってた?」


 菓子の名を言い当てられて、すいが拍子抜けといった表情を見せる。その横でせんが、手にした小餅をどこか思わせぶりな顔で見つめていた。


がくがあんまり推すから試しにと仕入れてみたら、あっという間に人気になったんだよな。あいつはそういうとこ、見る目はあった」


 小餅を頬張りながらそう語るすいせんも、その目つきは何やら遠くを見つめるかのようだ。ふたりの表情を見比べてから、キムは素朴な疑問を口にした。


「さっきも言ってたけど、そのガクって人は、ふたりのお友達?」


 そう問われてふたりが揃って顔を見合わせる。どうやらキムの前でその名を口にしたのは、すいせんも無意識のことだったらしい。ふたりは何度か視線で会話して、やがて仕方なさそうにせんが口を開いた。


がくってのは俺と一緒に飛家で働いてたんだが、三年前にいきなりとんずらしてね。今も行方知れずなんだ」


 せんは可能な限りさりげないつもりだったかもしれないが、キムが反応に困っているところを見る限り、どうやら彼の試みは失敗であった。微妙な空気が立ちこめたところに、すいが慌てて割って入る。


「気にしないで。そりゃさすがに心配もしたけど」


 既に小餅を平らげていたすいは、両手で湯飲みを抱えながら眉根をひそめた。


「刃傷沙汰を起こしたからって噂もあるんだけど、あの要領のいいがくがそんなドジを踏むとも思えないんだよねえ。お父様はなんにも教えてくれないし」

「まあがくのことだから、どっかで上手いことやってるんだろう」

「何があったか知らないけど、いい加減戻ってくればいいのに」


 すいが天井を仰ぎ見て、心配そうにぽつりと呟いた。するとせんはなおも頭を掻きながら、努めて突き放すような口調で言う。


「もしりんに戻ってたら、遠からず俺たちの耳にも噂が届くさ。あいつもこの町じゃ有名人だったからな」

「まあねえ」


 せんの言葉に頷きながら、すいは目の前のキムの格好を改めて上から下まで眺め回した。


「頭から顔まで頭巾で隠されてたら、さすがにわかんないだろうけど」

「……ねえ、もしかしてこの格好って、変?」


 改めて口元に頭巾の端を引き上げながら、キムはちらりと周囲に目を向けた。ここまで大勢の人混みの間を分け入ってきたが、町中では彼女と同じような格好をひとりも見かけない。金髪を隠すためとはいえ、むしろかえって人目を引いているのではないだろうか。


「変ってことはねえよ」

「あえて言うなら、お忍び中の貴婦人って感じ?」

「そんな大層に見られるのも困るなあ」


 肩を縮こまらせたキムが、気恥ずかしそうに二人から目を逸らした――ところで

「あっ」と小さな声を漏らす。


「あそこにもいたわ」


 キムが小さく指差した先を、すいが振り返る。そこには確かにキムと同様に、頭からゆったりとした頭巾を被った人影があった。


 ちょうど席を立つところだったその人影は、おそらくせんやキムよりも背が高い。そのまま店を出て人混みに紛れようとする広い背中は、明らかに男性の後ろ姿だった。


「男の人でもこういう格好する人がいるのね」

「いないわけじゃないけど、でも女の人よりは珍しいかも……」


 男性を視線で追うすいが、そのまま上半身を捻る。つられて手が長机の上を無造作に滑る。そのときの勢いがついていたのだろうか。弾みで広い袖の先が、彼女の湯飲みを引っ掛けてしまった。


 倒れた湯飲みから零れた茶が、向かいの席にいるキムに向かって流れ出す。慌てたキムが茶を堰き止めようとして、手につかんだ布を当てる。


「待て、待て!」


 せんの制止は一歩遅かった。


 キムが手にした布、それは彼女が頭から顔からくるむ頭巾の端であった。その端を引っ張ってしまったものだから、弾みで頭巾は解けるのが道理である。


 キムの見事な金髪がすっかり露わになり、次の瞬間には店内にひしめく客たちも店員も目を丸くする。やがて驚きと好奇の人だかりが出来上がるまで、あっという間のことであった。

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