小説家志望の底辺女とそれを支える彼女の話

川木

小説家志望の底辺女とそれを支える彼女の話

 私、花島香織は小説家になるのが子供のころからの夢だ。それは28歳になった今も変わらず、変わらないと言うことはつまり、今も夢のままで、小説家には慣れていないと言うことだ。くそったれな現実がつらい。


 週末、みんな大好き日曜日、すぐ近くにある公園から子供たちの騒ぎ声がかすかに響いてくる住宅街。子供たちの声で起きだした私は仕方なくベッドから出た。


「う……ねむ」


 今日はバイトもないので、昨日遅くまで執筆を頑張ったのだ。のだけど、結局駄文だったので全部削除して寝たけど。そのおかげで眠い。

 ダイニングにでて、冷蔵庫から取り出したお茶を飲みながら、テーブルに置きっぱなしの総菜パンをもそもそほおばる。


 ガチャ、と玄関が開いた音がする。目を向けないままテレビをつける。


「あ、起きてたの。ただいま。おはよー」

「おはよ」


 中学からの付き合いでこの部屋の家主である中島美紀が帰ってきた。起床時間は合わないのがいつもとはいえ、今は12時過ぎ。さすがに遅かったようだ。

 香織はエコバックを下して、次々に食材を冷蔵庫に押し込みながら私の手元を見咎める。


「てか今食べてるなら、もうちょい待っててくれたらお昼作るのにぃ」

「ん。ごめん。まだ一つ目だから、作ってくれるなら食べる」

「んー、昨日は執筆頑張ったのよね? じゃあ、今日は休憩でしょ。飲む? 夜のつもりだったけど、いいおつまみがあるんだけど」

「……飲むか。週末だしな」


 真昼間、しかも私は寝起き、と言うめちゃくちゃな状態だが、だからこそそういう状態で飲む酒がうまいことを私は知りすぎていた。

 昨日寝る前は、起きたらちゃんと昨日の没を踏まえていいものを書こうと思っていたのに。でもまだ覚えているし、あとで書けばいいし。


「じゃ、かんぱーい」

「乾杯」


 美紀はいつも楽しそうだ。少なくとも私と目が合うといつもにこっと微笑んでくれる愛想があるので、楽しそうに見える。私はそういうのがめっぽう苦手だ。そんな私が接客業のフリーターで、美紀がプログラマーな正社員と言うのは不思議なものだ。

 まあもっと言えば、私と美紀が付き合っていて同棲していることの方が不思議だが。


「んっ、んまっ。ガーリックシュリンプとか食べたことないけど、これ好きだわ。ワインと合うし」

「ふふ。でしょ。香織ちゃんは絶対好きだと思った。今度お店にも食べに行かない?」

「い、いいよ。美紀の料理が一番おいしいし」

「ふふ。もう」


 美紀が付き合いでと利用するお店は、香織のお財布には重すぎるお店ばかりだ。当然の様におごろうとしてくれるけど、さすがにそれは申し訳なさ過ぎていつも断っている。

 実際に美紀はひいき目なしで料理上手なので満足しているし、新しいものにも挑戦してくれているので飽きもない。


 私の言葉に美紀は嬉しそうに微笑んで、グラスをあけた。合わせて私もあける。


 この、アルコールが体に回っていく感覚、とても好きだ。少ないお給料は生活費と税金を払えば、小説を書くための資料でほとんど消えてしまうので、家にある嗜好品はすべて美紀が買っている。申し訳ない気もするが、それでもお酒の魔力には勝てなくて、ついつい一人でも飲んでしまう。

 それくらい酒好きな私が、美紀と一緒と言う大義名分があるのだ。飲まないはずがない。


 お酒を飲んで酔っ払っている間だけは、小説がかけない苦悩も、いまだ何物でもない焦りも、全て遠くなる。


 それにしても、と目の前の美紀を見ながら、小さなガーリックトーストに三種類ある中からレバーパテを選んでぬる。鼻に抜ける匂いを味わいながら、美紀と目が合う。

 にこりといつものように微笑む美紀。いつ見ても、綺麗だ。美紀もよく一緒にお酒を飲むけれど、べろべろになっているのは見たことがない。


「ふふ。なぁに? じっと見て、私に見惚れてるの?」

「うん」

「……ふふっ。もう、かーわいい」


 この、アラサー、と言っても同級生だが、アラサーで寝起きで面倒で髪もとかしていないし目ヤニも残っていて消えないクマのある女を捕まえて、可愛いと来た。恋は盲目過ぎて助かる。


 実際、かれこれ10年の付き合いになると言うのに、いまだに不思議だ。

 このしっかりしていて美人で家事も得意でマメで、男女問わず好かれるコミュ力をもってして、何故私のような底辺夢追い人といるのか。週に3、4日のバイトで税金と生活費の折半だけで家賃もろくに出せない私のために、執筆用の部屋まで用意してくれている高給取り。客観的に見てお荷物でしかないだろう。

 体調を崩したり締め切り前で給料が減れば、当然の様になくてもいいよ、なんてことまで言ってくれる。貯金ゼロの夢追い人で料理も得意ではなく、掃除も苦手、おまけに免許もない。不思議すぎる。


 まぁ、愛の力と言うことで納得するしかないんだが。この話はすでに何度かして怒られているし。

 美紀がいなければ、私はとっくに夢を諦めなければならなかったし、生きていくこともできなかっただろう。

 ずっと恋の魔法にかかっていてほしい。


 ……駄目だ。もう酔ってきているのかもしれない。恋の魔法ってなんだ。死ね。陳腐すぎる却下。


「なぁに、急に考え込んじゃって。いいネタでも降ってきたの?」

「いや、大丈夫」


 湧き上がった羞恥心に思わず額を抑えてしまった。おかしいの、と笑う美紀は、職場では出世してそれなりに厳しい先輩だと自称しているが、家ではとてもそうは見えないほんわかさだ。

 はー、可愛い。好き。



 初めてであったのは中学の時で、意識しだしたのは高校時代。そして卒業式の日からずっと、恋人同士。だというのに美紀は変わらぬ美しさをたもっていて、まぶしいくらいだ。


「ん。このパテ、ジャガイモ? 美味しい」

「でしょー? 香織ちゃん好きだと思ったの」

「うん、好きだな」

「ふふ。嬉しい」

「……ねぇ、美紀。キスしていい?」

「ん? いいけど、なに確認なんてしてるの?」


 いつもしないのに、と不思議がられた。テーブルは四人掛けをいつも隣り合って座り、今も肩が触れる距離でちょいちょい手を重ねたりしているので、しようと思えばいつでもできる。

 それに普段は勝手にしたりしているので、おかしかったのだろう。


「だって、ニンニク臭いし」

「ふふっ。私もだから平気よ。ん」

「ん」


 美紀からキスしてくれた。嬉しいので舌で応える。レバーの臭みがして、妙に興奮してしまうけど、さすがに昼間から始めるのはまずい。

 と言うかしてしまったら多分シャワーしてから夜まで寝てしまう。昼過ぎにはちゃんと執筆を開始したい。明日は仕事だし。


 なので理性を働かせて、手は美紀の肩を抱き寄せるだけで終わらせ、十分に口づけてから離した。


「ん。もう終わり?」

「終わり。食事中だしね」


 若干物足りなさそうな美紀のうるんだ瞳から目をそらし、グラスをあおる。空になった。少しだけふらりと視界が揺れる。気持ちいい。

 お代わりを、と手を伸ばすと先にワイン瓶が取り上げられ、美紀のグラスに注がれた。順番待ちをしたグラスを美紀に突き出すが、無視して栓をされた。


「ちょっと美紀? いれ」

「ん」

「う」


 自分だけ飲もうとグラスをあおる美紀に苦情を入れようとすると、途中で顔を両手で挟まれて口移しでお代わりさせられた。


「う。ちょっと、私これあんまり好きじゃないって何回言わせるの」


 美紀とキスするのは好きだし、残った匂いや欠片くらいはむしろ興奮するけど、お酒を飲まされるのは自分のペースじゃないから嫌なのだ。

 そう何度も言っているのに、テンションが上がるとなのか、たまにしてくる。そこだけが玉に瑕だ。


「いいじゃない。私たちの仲なんだから」

「口移したいなら、せめてお茶にしてよ」

「お茶お茶ってねぇ、お茶だって、私がまめに沸かして冷やしているからいつでも飲めるわけで、お店みたいに自動的に補充されないんだからね」

「そ、それはわかってるし、有り難いと思ってるけどさ」

「だーかーら、もう一回ね。ん」

「……ん」


 仕方ないので美紀が満足するまで飲まされた。


 そして、気が付いたら夕方だった。嘘だろ? 寝てた? しかもソファに移動させられているし。


「あ、起きたのね。昨日はよっぽど遅くまで頑張ってたのね」

「う。それはそうだけど……実はあんまり進んでなくて。シャワー浴びてから書くよ」

「そうなの? 頑張るわね。じゃあ、夕食は軽めに手早く食べれるようなのを用意するわね」

「お願い」


 シャワーを浴びると酔いも完全に冷めたので、宣言通り仕事部屋に行って執筆を始めた。









 とんとん、と可能な限り小さな音でノックをする。


「はい」

「はいるわよー」


 中に入ると、香織ちゃんが背中を向けている。猫背だから背が高く普段は大きく格好いい背中が丸まって、可愛らしい。そっと近寄り、夕食に用意したサンドイッチをお盆ごと机の隅におく。

 パンはご飯よりすぐ栄養になるらしいし、お腹にたまらないので眠気を誘発しないだろうし、途中途中で食べやすいから執筆中にはだいたいこれを作っている。

 もちろん飽きないよう中身には気を使っている。今日は黒コショウを聞かせたポテトサラダサンドだ。


「ありがとう。後で食べるね」

「うん。頑張ってね」

「うん」


 一度私を見て、かすかにと言うほど小さく微笑んでから、すぐにパソコン画面を見て軽快なタイピング音をたてる香織ちゃん。

 その真剣な表情は、何度見ても、ずっと見ていたくなるくらい格好良くて、綺麗だ。

 いつもだらしなくてすぐ凹んだり、弱くて情けなくてそういうところがたまらなく可愛らしいのに、執筆中は綺麗でうっとりしてしまう。


 じっと見つめていても、集中した香織ちゃんはこちらを見ることはない。


 初めて会った時からそうだった。集中すると、目の前しか見えなくなる。ノートに小説を書いている時から、ずっと香織ちゃんを見ていた。

 彼女が大好きで、支えたくて、私なしではいられないようにした。


 彼女の文脈がおかしくて、伏線がへたくそで、発想は目新しくて面白いのに10ページもすれば目が滑って読む気が亡くなってしまう小説を、全肯定してきた。最初からそうだったから、彼女はそれを疑わない。

 小説家になんて、ならなくていい。有名になんてならなくていい。稼ぎなんてなくていい。


 ずっとこうして、私だけが知っていればいい。彼女が小説を書く姿が素敵だって、私だけが知っていればいい。

 私がいなければ生活ができなくて、私がいなければ何もできなくて、私だけを求めていればいい。そうすればずっと一緒にいられるから。


「んっ、な、なに? まだいたの?」


 サンドイッチに手を伸ばした香織ちゃんが私に気が付き、二度見しながら驚いてのけぞってそう言った。

 そのそっけない感じが、たまらない。それだけ夢中になっていたのだ。そしてそんな一途な香織ちゃんを、私は独り占めにしているのだ。なんて贅沢なんだろう。


「うん。香織ちゃんに見とれてたの」

「まぁ、いいけど。面白いものじゃないでしょ」


 私はいつも香織ちゃんが大好きで、それを隠したことはない。なので私の言葉に、香織ちゃんは慣れた態度でそう答える。そんなクールなところも好きだ。


「そんなことないわ。ずっと見てたいわ。書きあがったら、一番に読みたいしね」

「……そんなこと言うのは、美紀くらいだよ」

「そんなことないわ。まだ世間が香織ちゃんのすごさに気が付いていないだけよ」


 そう、永遠に気が付かなくていい。

 だけど私の慰めに、香織ちゃんは自嘲するように視線を落とした。キーボードの上の手を膝におろして、ぎゅっとその拳を握る。すべすべの綺麗なその手。物語をつくる手だ。


「ねぇ、私の小説、春に応募したの駄目だったんだ……才能がないのはわかってたけどさ。もう、無理なのかな。今書いているの、来年に間に合えば結果が出るのはもう30間近だよ。これが最後のチャンスだって、したほうがいいよね?」

「何馬鹿な事言ってるのよ。今までずっと諦めずに来たんじゃない。あと少しなんだから」

「香織はそう言ってくれるけど、でも、一次だって通ったり通らなかったりなんだよ? 一生このまま、小説家志望ってわけにはいかないよね」

「いかないとか、誰がそんなこと決めたの? 香織ちゃんはすぐにそのすごさにみんな気が付くし、もし時間がかかったとして、私は一生香織ちゃんの傍にいるし、どうなったとして、ずっと支えるわ」


 読みにくくて、わかりにくくて、だけど情熱的で美しい物語をつくる香織ちゃん。私だけがそれを読んで、私だけが愛している世界をつくってくれる香織ちゃん。

 世界で一番可愛くて、世界で一番綺麗で、世界で一番素敵な女の子。彼女の全てを、その良さを、私だけが知っていればいい。


「……本当に? こんな私でも、小説家になれないままでも、ずっと傍にいてくれる?」

「もちろん。香織ちゃんがどうなっても、大好きだもの」


 今、この香織ちゃんが、一番好き。ずっと大好きだったけど、毎日毎日、香織ちゃんは私の好きな香織ちゃんになっていく。

 昨日よりずっと愛してる。明日はきっと今日よりも。


 不安そうになっていた香織ちゃんは、私が慰めを口にしてそっと膝の上の綺麗な手を握ると、ほっとしたように微笑んだ。

 その微笑みは、まるで無邪気な子供みたいで、純粋無垢な可憐さにあふれていて、ますます私を虜にした。


「一生、香織ちゃんの面倒を見させてね」








 美紀の言葉に、私は胸の中の不安が晴れていくのを実感する。美紀の握ってくれる手の暖かさに、その包み込むような微笑みに、私は全てを許されたような気になる。

 そして同時に、喜びで満ちる。


 大好きな美紀。可愛くて美人で頼りになって、なんでもしてくれて、甘えさせてくれて、私の小説を応援してくれて、支えてくれる。

 今の生活が、とても幸せだ。


 だからずっと、このままでいたいとそんな風に思ってしまうことがある。

 だって、無理じゃない? ここまで来て、もう何年挑戦しているのか。ずっと、箸にも棒にもかかってこなかったのだ。


 いくら美紀が褒めてくれて、自分ではいけてるのではないかと思っても、世間的には駄作でどうしようもなくて、才能も芽もない絶望的な夢なのだとわかっている。

 それでもあきらめる事だけはできなくて、ただ書き続けている。諦めたくはない。だけど、無理なのはわかっている。


 二律背反。矛盾している。だけどもう、ここまで来て今更諦めることはできない。

 でももちろん、美紀なしにこんな生活はできるはずもない。そもそも美紀がいなければ生活だっていい加減になるだろうし、家賃が払えないから働かざるをえないし、とっくに諦めることになっていただろう。


 こうして私が諦めないでいられるのは、美紀が私を好きでいてくれる間だけだ。

 私が美紀が大好きなように、美紀も私を大好きなのはわかっている。それでも、美紀は私がいなくたって生きてはいけるのだ。だからすがるしかない。美紀が私を捨てられないように。

 傍にいてと、口約束をして、美紀が私を好きじゃなくなっても罪悪感で離れられなくなるようにするしかない。


 姑息で卑怯で、ただ恋情で言ってくれている美紀に対してこんな風に利用するようなことを思うのはとても悪いことだとわかっている。

 それでも、美紀なしで生きられないのは物理だけじゃない。美紀がいなければ、美紀が認めてくれなければ、褒めてくれなければもう、小説を書くこともできなくなってしまう。精神的にも依存している。

 そしてそれらすべて無視して、とても単純に、私は彼女がとても好きなのだ。


 もし、美紀が本気でやめて。働こう。そうじゃなきゃ別れると言うなら、多分そうするだろうと言うくらいに。

 だけどお願いだからそう言わないで。美紀のことを百パーセント純粋に愛し求めていて、美紀に言われなけらば小説家になれたのになんて逆恨みの感情の全くない、美紀に認められ求められている幸せなこの夢の中にいさせてほしい。


 美紀が許してくれるなら、死ぬまでこうしていたいのだ。ほんの少し、本当に小説家になりたいと言う希望だって、無くなってはいないけど、それ以上に、無理だから、せめてずっとこのままでいたいのだ。


「ありがとう、美紀。私、美紀のために書き続けるから。だからずっと、応援してね?」

「うん。もちろん。ずっと、応援してるよ」


 美紀はそう優しく言ってくれる。これでまた一つ、言質をとった。そう思うと同時に、嬉しい。もっとたくさん書いて、喜んでもらいたい。小説家になって喜んでもらいたい。そうも思うのだ。

 多分きっと、と枕詞にせめてつけるけど、ほんとのところ絶対無理なのに。それでもそう思ってしまう、結局あきらめの悪い私。

 それでも美紀がいてくれるなら、ずっと諦めの悪いままでいられるから。ずっと幸せでいられるから。


「美紀、愛してるよ」


 今度は確認せずにキスをする。美紀はそれを受け入れてくれて、結局この日もあまり進まず、私は美紀と一緒にお風呂に入って一緒のベッドで寝ることになってしまった。

 だけど美紀がずっと一緒にいてくれると、約束してくれたから。だからこれでいいのだ。ずっと美紀に面倒を見てもらって、それが幸せなのだ。



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