呼び声の代償 -collection-

 乱立するビルの迷路を進む。所々狭い路地へと足を踏み入れる度に、室外機がうねり声をあげて、熱風を吐き出していた。

 夏でも冬でも変わらないコンクリートの景色に、心底辟易しながらオフィス街を抜けると、陰鬱な灰色が消え、緑が広がる。

 地図で見た場所はもう少しだ。視界に入った近くの高台に上り、街を見下ろす。見晴らし台に置かれた、年季の入ってささくれた木柵が心許ない。

 目に見える景色の中には、遠くにそびえる山々と、青く揺れる海、そして小さな朱色の鳥居が映え、話の通り大樹が確認できる。あそこが神社だろう。

 振り返って、ふたりにも指をさして確認する。どうやら晴さんには見覚えのある鳥居らしい。見覚えがあるとは言っても、鳥居の色は塗り直され綺麗になってはいるようだが。それでも知っている場所を見つけられた瞬間の、ぱっと浮かんだ安堵の表情だけは確認できた。


 鳥居を目指して歩く。

 記憶が戻り始めた晴さんを先頭に、迷路のように入り組んだ路地を進む。コンクリートの隙間から顔を出す草花や、ブロック塀の上で日に当たる猫、日陰に巣くった蜘蛛。

 溢れかえる瑞々しい命の形。この世は、俺達にはもう手に入らないものだらけ。それでもみんな何かを求めて彷徨っているのだ。命という光の影で。

「着きましたよ」

 晴さんの硬い声が聞こえる。

 顔を上げると、先ほどの丘から見えた鳥居がそびえ、その手前には植栽と真っ白な壁に囲まれた大きな庭付きの邸宅があった。立ち竦む晴さんを追い越し、家へと近づくと家庭菜園の中を歩く一人の女性が目に入る。今の人は……。

「あの人は?」

「僕の……祖母です。良かった、生きてた」

 声を詰まらせ、顔を覆う。

 結雨が隣に付き添い背中に手を回すが、その手は互いに触れることが出来ない。自分の手を眺め、目を見開いた結雨がふらふらと後退る。悲しみを分けてもらうことは、俺達にはもう無理な話なのだ。

 もう一度、晴さんの祖母だという人物の様子を確認すると、背は曲がっているが、ゆっくりとした足取りで実った野菜に水を与えていく姿は、まだまだ元気そう。真っ赤なトマトを眺めては、目元にしわを作って笑う表情が、晴さんと重なる。

 いつのまにか立ち上がっていた晴さんが、俺の脇を通って祖母のもとへと駆け寄っていた。

「おばあちゃん、僕だよ。久しぶり」

 立ち止まることなく、晴さんの体を通り抜ける。

「やっと会いに来れたよ。僕さ、おばあちゃんに会うために頑張ったんだ」

 柔らかな土に残る一人分の足跡。晴さんが話している間にも一歩、また一歩、止まることはない。

「約束したからさ、大人になった姿を見せるって。いつか絶対、大好きなおばあちゃんが、楽に生活できるようにしてあげるって言ったからさ」

 腰をたたきながら空を見上げる。首にかけていたタオルで額を拭って、葉を手に取って眺めている。

「あばあちゃん……僕、何もできなかった。おばあちゃんに、ありがとうも、元気だよも言えなかった。僕……」

 晴さんは顔を覗き込むように何度も声をかけるが、その度に二人のシルエットは、交差する直線のように一瞬だけ重なっては離れる。

 俺と結雨はその姿を、ただ遠くで見守るだけ。声を出すことも、目を逸らすことも無く、ひたすらその光景を目に焼き付けるように。最期の叶わぬ願いを俺たちが見届けるために。

 せめて俺たちが――。

 俯いた晴さんが戻ってくる。流した涙の後だけが傷跡のように痛々しく浮き出ていた。

「ありがとうございます。お二人にはご迷惑おかけしました」

「別に。それで晴さんは満足できたのか?」

「……はい」

 俺は神社へと目を向け、その言葉を反芻させる度に、滲んだ苦みが体の中に広がる。このまま終わることはできない。

 何か。

 何か、忘れていないか。思い出せ。祓いの鍵になるものを。

 空高く鳥が鳴いた。視線を上げると、朱色の鳥居の奥にそびえた大樹から数羽のカラスが飛び立った。黒い影が青空を翔ける。

「タイムカプセルか」

「どうしたの那岐?」

「晴さん、タイムカプセルはまだ埋まってますか? もし埋まっているなら、その中でおばあさんに渡したいものとかって?」

「タイムカプセル……まだ、埋まっているはずです。確か、そのなかに入ってます。その中に、その中に――。」

「思い出せない?」

「はい。思い出そうとすると記憶がブラックアウトするんです」

「思い出せないって、那岐、どうにかできないの? 私にしてくれたみたいに、記憶を取り戻したりとか」

 出来る、そう言って俺は二人から目を逸らした。現世の記憶を取り戻すのは、前世とは少し違う。前世は記憶を覗きに行くのに対して、現世は記憶の交換だ。伝えても理解できないだろうし、これしか方法がないのなら仕方がない。

「出来るんですか。僕の記憶、戻るんですか?」

「戻る。本当に思い出すんだな、これが最終手段になるが後悔しないか?」

「大丈夫です。いつの間にか死んで、どうして自分がこんな目に合わなくちゃいけないんだとか考えて、何も伝えられないまま消えるよりは、希望にかけてみたい」

「分かった。じゃあ、憶えている範囲でいいから、タイムカプセルに関連した記憶を思い出してくれ」

 晴さんは神社の方へと振り向きながら、目をつぶる。その隣では結雨が、胸の前で両手を握りながらその様子を黙って見つめていた。

 ――覚悟を決めろ。

「結雨。今の話を後で教えてくれ」

 唐突に投げかけた言葉に、戸惑いながら何度も頷く姿を見て安心する。

 大丈夫、始めよう。

「こんな不公平な世界に神なんていない。でも、もし神がいるというのなら、神が死者の最後の希望まで奪うというのなら、俺が取り戻してやる。消してやる、天の恵みなど、神の誉れなど」

 ゆっくりと息を吐きながら呪く。徐々に体が軽くなり、意識が朦朧とし始めた。

 焦点が合わないまま、晴さんの背中へ右腕を上げ、胸側まで突き刺す。真っ赤な光の粒子が噴き出すように舞い上がり、その一部が俺の腕へ絡みついて弾けた。その衝撃に任せ右腕を引き抜き、数歩だけ後退る。それと同時に、男の人が膝から崩れ落ちて視界から消えた。

 呼吸が乱れ、膝をつく。止まっているはずの心臓が、激しく鼓動を打つかのような感覚に、覚える吐き気と眩暈。誰かの気配だけを近くに感じ顔を向けた。

 目の前には心配そうな少女の顔。

「ここは……」

 混濁する意識の中、必死に情報をかき集める。神社に民家、遠くに連なる山々、どうしてここにいるのか。記憶がない。誰だ、この人たちは誰だ。

「那岐、大丈夫? 私のこと視えてる?」

「大丈夫、視えてる」

 那岐は俺のことか。

「さっきの、『今の話を後で教えて』って、いまが良いのかな?」

「頼む」

 直前の出来事を聞き、自分が誰のために、何のために記憶を取り戻す力を使ったのかを確認する。そして、曖昧になっていた記憶を繋ぎとめるために、時間を遡って今日一日の行動を確認していく。

「もしかして那岐、記憶失ってる?」

「今日の記憶が。でも結雨から話を聞いて、何とか思い出した」

「いつもこうなの?」

「結雨の前世のときは記憶を無くしたかって話なら、それは無い。前世を思い出させるときは意識がはっきりしてるからな、心配しなくていい。現世の記憶を思い出させるときっていうことなら、いつもこうだ」

「そんな……」

「現世の記憶は、俺の記憶と引き換えだからな。今みたいに誰かがいれば、俺の記憶が完全に消える前に思い出せるけど……。要するに本来の力じゃないから、その代償ってわけ」

「ごめんね、私が気軽に記憶を取り戻せないかって言ったせいで」

「気にするな、どうせ俺一人でも同じ選択をした。それよりも、一緒にいてくれて助かったよ。また記憶が無くなるところだった」

 息苦しさがなくなり、意識がはっきりしだす。果たして、晴さんは何を思い出したのだろうか。僅かな希望を掴めたのだろうか。

 差し伸べてくれた結雨の手を握れないもどかしさが嫌になる。手を伸ばしても掴めない雲のように、近いようで遠い距離。


 俺たちは、二人並んで晴さんの意識が戻るのを待つ。

 蝉の声だけが夏の暑さを感じさせてくれる。

「あれ、僕、なにを」

「晴さん、気づきましたか?」

「結雨さん? そっちには探偵さんも」

「どうも」

「僕、どれくらいここで眠っていました?」

「二、三十分ですね」

「すみません、ご迷惑おかけしました」

「大丈夫、俺達には時間があるからな。それよりも記憶、戻ったか?」

「はい。鮮明に思い出しました」

 声を弾ませ、嬉しそうな表情を浮かべた。

 その表情に、すべてがうまくいったことを確信する。大丈夫、これで懸念点は消えた。

「いまから確認しに行っても良いですか?」

「もちろん、行こう」

「晴さんのタイムカプセル気になるな。私も見ても良いですか?」

「ぜひ、結雨さんも一緒に来てください」

「晴さん、もし掘り起こすなら一日だけ時間をくれないか。実体化する必要があるんだが、今日はもう無理そうで」

「大丈夫ですよ」

「ありがとう」

「じゃあさっそく神社へ行ってみようよ。私、あの大きな木とか、鳥居とか気になるの」

「ぜひぜひ。探偵さんも良いですよね」

 頷くと、神社へ向かって結雨と晴さんが歩き出した。二人の姿が光の中へと消えるように小さくなる。

 ちりん。

 遠くで風鈴が揺れた。振り返ると、晴さんのおばあさんが足を止めてこちらを見つめている。ふっと風が吹いた一瞬、目と目が合い微笑まれたような感覚に陥るが、それは真っ白な日差しが見せた夏の幻影。

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