3.人間の文脈

「人為的な犯罪だろう」

即席の会議で、リックはわざと鼻を鳴らした。

「言い切ったな。鼻で掴めそうか」

「なさすぎるくらいだが、それが臭い。

この森の中だから、俺たちやアルマムースみたいな生物は目立つ方で、もっと小さなのがいる。ゴミ箱の中身を数えるより種類が多いはずだ。

ところが、この地点ではそんなにおいがカットされちまってる。

何かしら猛獣にやられたなら、とっくにわかってる」

「撹乱剤か…」

「そうだ」

嗅覚が利く彼らカニドにとって、追跡者の立場になる事はかなり優位性がある。

追跡を回避する側は薬剤を撒いて対処することが多かった。通常、やましいことをする連中はカニドの存在を念頭に置いている。

だが、それも追跡の練度が浅ければの話。熟練者が相手では、撒けばおしまいという事にはならない。

「相手は薬の扱いに慣れてねぇ。地形からしても、うまく追い込むチャンスだと思う。司令部に追加行動を申し出よう」

「密猟か」俺は結論を促した。

「たぶんな」

「あたりがつけば、私なら目視でいけるかも」

意見が交わされる中でペネロペが宣言した。

「飛べるのがケイドとペネロペしかいないからね。

せっかく連れてきた子たちは別の場所に誘導しないとだけど…うちらだけか」

スライダーが肩をすくめて言った。

アルマムースの群れは放置できない。自分たちが傷つけられたような所では落ち着かないだろう。

「逃亡を考えると、夜になる前に片を付けたいところだ」俺はそう言ったが、リックの意見は真逆だった。

「…マークしたら夜を待つか。

解体も運送も時間がかかる。

もう、距離は十分詰めている。ここまで来ればこっちのもんだ。

暗くなれば奇襲がかけやすくなるし…それに」

仮定した相手に向けてか、リックは誰もいない方向を顎でしゃくった。

いかにもくだらない犯罪だという意味だ。

「懲りたほうがいいな」


スライダーは部下とともにアルマムースの誘導に向かい、俺とリックは犯行現場の取り押さえに向かった。

岩山の方角を除外して、他も2人ずつ2組が割り出されたポイントを囲むように向かっている。

高台には偵察と万が一の予備戦力として、ペネロペが回り込んでいる。

先を行くリックは、奇妙なほどの静けさで林を突っ切っていた。

どこを通り、どこに体重をかけるべきか、考える必要がないほど感覚に叩き込んでいるような動きだった。

種族特性を考慮しても、相当に経験を積まないとできないことだ。

その上で、何者かがツタを切った跡などがあれば見逃さない。

抜け目なさだけで悪人とは断言できない。ただ、目的のために手段を問わないだろう…そんな想像ができた。

俺は彼の経歴について、兵士だったという以上に詳しくは知らない。

それに加えて何をしていたのだろうか…。

そんなリックと組んで忍び歩きをしているのは、どこか釣り合わない。不思議な感じがあった。


スキャナーを付近の草むらにかざすと、小さな薬剤の飛沫が光った。

相手は確かにあまり手慣れていないようだ。

それでも、人の手が入っていそうな箇所は深入りしない。トラップに引っかかり、反射的に飛び上がれば一発でバレてしまう。

組織化した人間を相手取るのは厄介だった。


俺たちは斜面の縁を進んだ。右手は下り斜面で、傍はどちらも木が密集して生えている。道とは言い難いが、そう見えなくもない。誰にも翼がなければ、ここを通ったかもしれなかった。

この斜面に沿えば、迂回しつつ木がまばらになった斜面の下にたどり着く。

そこからさらに進めば木は開け、森林から出ることができた。ただし、岩山の切れ目を抜けるため、遠回りな道筋になる。

他の方角で足跡が発見され、ペネロペが連中を目撃したため、下にいる事は間違いなかった。

一方で、陸上車両はここに来るまでに別ルートが必要だった。おそらく他の組が調べているだろう。1台か2台か、痕跡が消えるまで、どこかに放置しているのではないだろうか。

下の様子がうかがえるはずだが、もうお互い様の距離になっていた。隙間から見られないよう慎重に身を隠した。


―1人確認した。武装している地球人だ。

―アルマムース幼体の痕跡を発見した。

「まあ、そうだよな」

こういっては何だが、妥当なやり口だった。


アルマムースは現在希少な種だ。

人の手で殺すことは100%違法だった。だが、皮膚と骨、どちらも頑丈で使い道があるし、一部を切り出して磨くことで、美術品として裏で取引される。身体の大きい成体になるほど高額だが、その分輸送も難しくなる。

他の件と同じ犯人かは不明だが、今回は安全を期したのか、資源の問題か。子供の個体を狙おう、という事になったのだろう。

見つからなければ、ルールは無意味。そういう手合いは多かった。

「気をつけろ。追手を撒くのはヘタクソだがー」相手の姿を撮影しながらリックが警告した。

「ターゲットの動物以外は無傷だった。何かしら手こずるぜ」

小さく写っているだけでも、写真がサーバーに上がれば残り続けるだろう。彼らの外堀は埋まりつつあった。


「…。地球人か」

「ケイド、今はそういうのは置いとけ」

リックの制止はもっともだ。「忘れてくれ」

「心配症なのか、突撃野郎なのかはっきりしろ」

(俺はちょっといかれた奴で通っているんだな…)

リックを睨み返しそうになった。そうしても問題ないだろうが、別の時にしたい。

「相手は裏ビジネスの自覚ありありなんだから。俺たちなんてただのリスクだよ」

「まあな」

潜めた声で半ば文句を言われている。黙って武器を確認した。

感づかれた報告がないまま、予定時刻が迫っていた。

「一方的に音を聞かれてるのに、全く焦っちゃいないな。

カニドがいないのは間違いなしだな…。交代だ。前は頼むぜ」

毎度最前衛だ。複雑な気分だが、うなずいて事足りた。


「―早くしろ!」

リーダーらしき男が銃身の突き出た輸送車から降りて、一歩前に出た。痩せぎすの身に欠けている威圧感を補うように、塊のような金の腕輪をつけ、タンクトップから晒した上腕にはびっしりと刺青が刻まれている。刈り上げた頭にサングラス。車のバックミラーに、小動物の頭蓋骨が吊りさげられていた。

そんな細部が見えるまで距離を詰められていたのに、誰一人気づくそぶりがない。

「終わらせろ!わかってるんだろうな!」

「なんで電鋸がないんだよ!」

無理な相談だった。電鋸は一見楽だが、作業者は色々なものに塗れてしまう。

1人の若者が、刃物を突き立てた動物の死骸から立ち上がって声を上げた。もう1人も屈んで解体を続け、運び出しに2人。

獲物のアルマムースは小さな個体だが、それでも重労働のようだった。誰もが汗だくで、疲れている。

撹乱剤の影響か、死骸にたかるハエは少ない。

押し並べて地球人の男で、武器は下げているものの、リーダー以外は身なりが貧しかった。

「今更抜かすな!」

「くそっ!」

若者がヤケ気味に刃を突き立てた、その瞬間に俺たちは躍り出た。

ライトの照射で全員の姿が浮かび上がった。

「動くな!」

「この野…」

一人が悪態をつきかけた。しかし、解体係が肉から刃を抜く、運搬係が荷物を放る隙だけあれば十分だった。

相手が武器を手に取る前に、ポジションを保ちながら一歩出る。

「アルマムースの殺害は規制対象だ。前科がなければ罰金刑…」

車には加工したアルマムースの皮が飾り付けられていた。刑の程度はお察しという所だ。

「投獄は免れない。投降しろ」

血まみれの両手が上がった。

「警察か!?」

「なわけあるか!…ケッ、IRGの役人か」

茶番だ。

IRGの隊員はかなり服装に自由が利く。それに、こういうところに出張るのはたいてい自分たちしかいない。

リックが鼻で笑った。

「どの道引き渡すんだ。区別なんていらねえよ。」

銃で威嚇しつつ、各々を確保しにかかった。

たしかに警察まがいである。

「お前らなんて、正義ぶってるけどなあ」

車に手をつかされたリーダーが毒づいている。

「人間様の役には何も立ってねえ―」

大ぶりのナイフが、鞘から引き抜かれて地面に落ちた。

他の武器は回収できたか、残りがいないか、慎重に目を配る。

「―甘い汁を吸ってる…動物の世話しかしない連中に、俺たちの何がわかるってんだ」

「ハッ。…オレも動物かい?ええ?」

リックは少し頭に血が上っているのか。つかんだリーダーの手首に爪を食い込ませた。

『人間』とは使う文脈を選ぶ言葉だ。見た目が犬科に似ているカニドは、動物に誤認されることには神経質なのだ。

ーいや、誤認ではないかもしれない。もし彼らに確信があったら…

「…時間稼ぎかもしれません」

小さな声でミスティーの通信が聞こえた。

リーダーは手錠をされている割に余裕そうだ。可能性は十分。各メンバーに目線で警戒を促した。

「同業者や売り先の事を、黙っていられると思うな」

仕掛けなければ膠着する。俺は気づかないフリで警告を続けなければならなかった。

「いいご身分だなァ。それでお前らは人を殺さないでイイモン面して。俺たちはコレやんないと飢えて死ぬんだよ、なぁ」

リーダーはここぞとばかりにボロボロの手下を見やる。

都合が良すぎる。自然とこちらも冷たくなった。

「そう思うなら、金の腕輪のコストを部下に分配したらどうだ」

「うっせえな」

リックのアイコンタクトがあった。

意味は一つ。何か来る。

身構えるのとほぼ同時に、爆ぜる音がした。

「ぐあっ!?」

衝撃で倒れ、何人かの叫び声がした。


何をされたかはすぐにわかった。

細かな錘がついたネットをぶつけられたのだ。

一体捕まえれば十分なせいか、範囲が広いタイプではなかった。しかし複数発あったらしく、敵味方が捕らえられている。

その一つは、ポジション上俺が間近で受けざるを得なかった。重さがあり、身を起こせないのは勿論、かなり痛む…。

無理に離陸しても、絡んでどうにもならないだろう。外すのに味方の手が必要だ。

爆発物よりはマシだが、俺が食らってこれでは、他が近距離で食らうと非常にまずい。

「ふざけんな…」

リックが罠を避けていた。

発射装置の位置を見抜いて回避したのか。

リーダーは安全地帯を知っている。それを見つつ、発射される瞬間なら、回り込めば避けられる…

理屈はそうだが、簡単にできるものではない。

しかし、避けるためにはリーダーから手を離す必要があった。


リーダーは巻き添えになった味方を放置して、車を出そうとしていた。隙で鍵を奪ったのか。もう手錠を外されてしまっていた。

「いけますか!?」

「分かってるよ!」リックはミスティーの余計な確認を背後に駆け出していた。

足が凄まじく速かった。エンジンはかかっていたが、スピードが上がる前に荷台に取り付いた。

機銃に手下がついていたが、もう殴り倒していた。

運転席への扉は閉まりっぱなしだ。すべて見捨てる気なのだろう。

「逃げられると思うな!!」

リックの声には怒りがこもっている。

かなり頑丈な車両だ。一人だけで完全に止められるものではなかった。

増援があれば厄介だ。何としてでも追いつかなければ。

拘束から免れていた味方の一人に、ネットを取り除いてもらった。

こらえて立ち上がると、初めて怪我の程度に気づく。

腹のひび割れから血が滲み、翅が歪んでいた。

「大丈夫!?」

「あ、ああ。」深傷ではなさそうだ。しかし、破片が食い込んでいるのか。動くたびに長々と痛みが響いた。

痛む上に歪んだ翅ではコントロールが怪しいが、行くしかない。

「先に行く。味方を手当してくれ!」   


途中軌道がぐらつきながらも、なんとか木に激突せずに車に追いつくことができた。

相手は全速力だが、悪路に苦戦しているらしい。

「部下を捨てやがって!」

リックが怒りながら銃座にしがみついていた。

「貧乏人だからか!?」

土埃にまみれながら叫んでいる。部下へのぞんざいさが、リックの逆鱗に触れたようだった。

声をかけて初めてこちらに気付いた。

「おせえよ!平気か!?」

「ああ。ペネロペが合流する。一気にいこう!」

「おう!」

車が森林地帯を抜けつつあった。

地面が平坦になり、スピードが増した。

振り落とされて空中で受け身をしたところで、これでは追いつけないだろう。

リックも下っ端も、放り出されればただでは済まなくなる。

「…ごめんね!遅くなって」

ペネロペの声が聞こえた。「私だけじゃ重くって」

回り込んだポイントに、アルマムースに使った音響機器を置き直したのだ。

効けば確実だ。効果範囲から出るまでがチャンスだった。

「言い訳は後だ!」

「うっかり聞かないでよ!?」

敵の下っ端は耳栓をつけていない。リックがとっさに押さえ込んだ。


「……!」

金切り声が響き渡った。

アルマムースの時とは、更に異なる高音。聴覚を塞いでいるのに、かすかに頭痛がする。

(大丈夫なのか、これ)

間髪入れず車が急加速するが、次の瞬間には、奇妙に減速し始めた。

「効いてるんじゃねぇか!?」

「たぶんな…」まだ、警戒を解くわけにはいかなかった。

物理的な作用ではなかった。運転していたリーダーに、車を止めるよう仕向けたのだ。

「毎回やべぇ声だな、お前」

「そ、それどころじゃないでしょ」

減速していた車は一声軋み、止まった。

「……。」

プランがわかってはいるものの、皆黙ってしまう。

相手が混乱して、最終的な目的を投げ捨てた。それを見ると、やはり落ち着かないのだ。

リックも、仕掛けたペネロペさえも。

妙に静かにドアが開いて、息を荒くしたリーダーが転び出てきた。

「ふざけるなあああ!!!クソがあああ!」

異様な怒声に、ついひるんでしまった。

その隙に、相手は喚きながら殴りかかった。

「お前が!お前のせいだ!!」

俺にではなかった。

制止をすり抜け、手加減なしで殴ったのは、彼の手下だ。

そいつは普段から腰が低いのか、反撃せずにただ怯えていた。

鼻血が車の荷台に飛んだ。

何か、汚いところを目の当たりにしている気がする。

プロだというのに一瞬動揺してしまった。とにかく、目の前のことだ。すぐに組み付き確保した。

「こんな…クズどものせいだ!!!」

「どっちがだよ…」リックが呆れている。

両腕にロックがかかったので、こいつはもう動けない。

しかし、これ以上の事は出来なかった。人に不必要な傷をつければ、俺は後処理書類の山に直面することになる。

「無駄だ。いい加減にしろ!」

残りの味方も合流し、死角が埋まった。

幸い、飛ぶことができる増援はいなかったようだ。

今回はこれが決め手だった。


リーダーはなおも悪あがきを続けた。

とにかく暴れ、俺のすねに蹴りを入れてきた。

体格差も種族の差もあり、何をしようがどうにもならない。金切り声の影響が残っているのか。

しばらく不平不満を喚き立てていた。上の連中がいる事。商売敵。部下の無能…そしてズブズブに利害が絡んだ人間のこと。最終結論。全てはうまくいかない。


したことは許せないが、密着して聞いていると虚しくなる。

彼の全ては上手くいかず、やがておとなしくなった。



「…あの音まともに聞くと、俺でもこうなるのかぁ?」

牢獄行きの密猟者たちを見ながら、リックが苦い顔をしていた。

「俺だってごめんだ」

「平気だと思うよ…たぶん」

フォローするペネロペも少し困っているようだ。

「操ってるわけじゃないから。…アイツはめちゃくちゃ焦っただけ。それと、元から味方を信頼してなかったからだよ」

「…信頼ねぇ」

「そ。正気失ってるわけじゃないから」

「あれで正気か…」

思わず引いてしまった。ふんわりした原因であの結果では、逆に不安なのだが。リックも同意見ではないだろうか…。

モヤモヤしていると、何故か傷も余計に痛んできた。

「あれはレパートリーの一つだから…」

そこも安心する要素ではない。

…ツッコミは入れないことにした。

仕事はかなり長引き、もう深夜になっていた。


「ケイド、お前さ」

帰路の車内は狭い。俺を避けたがると思っていたので、リックが話しかけてくるのは意外だった。

「あれ見てまだ地球人の肩を持つか?」

眉間が寄るのは、怪我のせいではなかった。

批判のために言っていなさそうで、戸惑う。

「そんな話か。地球人が全部チンピラだとでも」

「…逆だよ。あんなに連んでおいて、一皮剥げたら部下を殴る。どんな種族でもろくでもねーだろ」

「フム…」

「地球人だから、じゃねーんだよ」

リックは少し真顔だった。

「ケイドは、何もヤツらの事分かってねぇ」

「そうかもしれない。お前はわかるのか」

素直に答えた。到底わかると言えたものではない。

「全部は無理だ。でも密猟に手を出す理由は…他を試すチャンスがなかったからかもな」

「…」

言わんとしている事が少しわかった。

いくら催眠にかかっていたとはいえ、密猟者のまくし立てた不平にはインパクトがあった。

そして、リックにも多少心あたりがあったのだ。

「ま、お前は見たところ都会モンだから、わかんないかもな」

「都会者か」突飛で笑いそうになった。チームを組んでまだ浅く、出身地について話したことがない。「…結論は?」

「冷てえな」リックは何故か口角をあげた。

「姿を見ただけで同情するのはよせ。それがフェアネスだ」

…暗に、助けた少年について言っているような気がした。

「ああ…」

「シュンには会ってやれよ。後腐れができてみろ。キツくなるのはお前だ」

「言われなくてもだな」

修羅場で救助に当たっていれば、嫌でも哀れみが湧いた。そういう仲間意識だろうか。

「俺も怪我人だし、しばらくは暇がある。

しかし…今後がどうなるかはわからんな」

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