ゼーラール、混成の地

地谷縁 夏亀

1.地底の生存者

A.T.W.(アフター・ターミナル・ウィンター)82年

10月12日。


後に忘れられなくなる日付だが、この時、俺にとっては単なる文字列でしかなかった。

「終末の冬」などという大層な呼称は82年前の人々の大都市依存症の証で、その時凍りついたのは首都一つのみだった。その証拠に眼下の森は真緑で、下に降りれば何月かなど関係なく蒸し暑いに違いない。

フラミンゴの群れがけばけばしい羽を羽ばたかせて、少し下を飛んでいる。


「ケイド二等調整官。

念のためですが、マーカー位置補正をマニュアルで起動しました。

目視地形とのズレを確認してください。」

かけているバイザーから、本来の地形に被る情報群に目をやる。

「オーケイ。異常なし」

「この速度ならポイント到着までは15分です。

その…ケイド調整官は、信じますか?」

オペレーターのミスティーはうら若く、甲高い声だ。心地よいと思うには、音声出力が少し頭に近すぎる。

「何をだ?」

「この類の調査で、我々をはるかに超えた高等な存在が見つかる可能性についてです」

「畑違いだな。馴染みの神秘家にでも聞いてくれ」

本心を半分隠して答えた。

俺は、漂流者の文明水準の高さがすでに十分に高等だと考えていた。

漂流者たちが居着いてから100年近くの間、文明は急速に発展し続けた。おかげでワイヤーなんて要らずに視界に情報が映せるし、その情報は人工衛星なり、もっと低高度に対応した機体なりで撮影したものの積み重ねからできている。

普通ならありえない高度に、まるでロック鳥のように俺を持ち上げているアシスト機すら、我々が自力で開発できたか怪しいものだ。

俺はこの世の発展はまるでカーゴ・カルトのようで、神秘家の意見を仰ぐ暇がない、と感じているが、ミスティーには少々気を遣った。

もっとも彼女の期待も完全な的外れではない。漂流者たちがどこだか不明なほど遠い星から来たにもかかわらず、そのはるばるとした距離を航行する手段について詳しくないから(それは巧妙なウソの可能性もあるが)、神のようなものの存在を見込んでいるのだ。

だが、一介のエージェントにどうこうできることではなく、俺自身は、どちらかといえばれっきとした生身と、個々の人生を備えた漂流者達の方を尊んで、救助に身を乗り出している。


たとえそれがプロジェクトとしては末期で、未発見の漂流者はほとんど残っていないと目されていてもだ。


「解析ではこのあたりを滑ったはずで、衝突じゃないんだろ。そろそろ詳細を頼む」

ミスティーの話は雑談というほどではないが、脱線なのは確かだった。

「送信します」

バイザーには木々に覆われた地面に、不自然に直線的な光点の川が浮かび上がる。

ホバリングに移行し、光る地形から見当をつける。

どうやら、手前の丘の欠けも衝突痕のようだ。

想定される船体は大きくないが、それが地面をえぐって実際の川を作ったかも知れない。ただし、終点は海ではない。

「これまでも船体そのものは撮影されてないが、解析では岩盤を突き破って洞窟に落ちたんだったな。」

「このあたりの樹海自体、最近まで手付かずでしたから。該当の洞窟の探査率が50%程度で…」

船は未探査の場所にある。

「それで、3つの進入ポイントから、探索メンバーが1名ずつ、回収艇が外で待機か」

事前に散々伝えられていたので、今更少なすぎるとは言わなかった。

おそらく、あまり発見する見込みがないためにコストをケチって、できるだけ情報を集めて適度に切り上げるつもりだ。

他二人と途中で合流できる規模には感じられない。

移民船の乗員がすべて生きていたとしても、全員連れ帰られるリソースでもなかった。


計画がおざなりだ。

俺はかすかな呆れを感じた。まず、見つからないと踏まれている。

そうでなければ、漂流者たちからは十分な恩恵はすでに受けたのだから、これから見つかる個体はムダな食い扶持としてカウントされる懸念があるということだ。

我々は貧しいわけではないはずだが、そういった現金なところがある。

内心で不満を言語化しながら樹海の上を進み、木々が根を張れずに足を止めているような、黒い穴を見やった。

付近の川の水が落ち込んだ闇の中の滝に、進入ポイントを示すマーカーが光る。

「…そろそろ降下するが、ほかに何か言っておきたいことは?」

「あの」ミスティーが急いで喋る。「忘れないでください、中継」

「中継地点で標識の設置。パン屑のまき忘れにはご注意を」

「地形計測に使い回すらしくて…多めに設置しないとなんです。ドローン計測も奥は追いついてなくて…パン屑?」

「例えの解説はしたくないな… リックたちとは発見一番乗りで飲み代を賭けてる。お前にもおごるよ」

若いオペレーターはグリム童話を知らないかも知れない。

ミッションの意気込みの無さを薄々感じ、これ以上調子のいいことを言う気にはならなかった。俺は口調を正して降下開始を告げた。


アシスト機を背部から切り離し、俺は滝の飛沫とともに洞窟をゆっくりと滑り降りた。

大空洞と言っては大袈裟だが、かなりの規模というべきだ。これでは放っておいてすぐ地形がわかるというものではなかった。

底が見えるより先に湿度が上がり切って、バイザーの下の顔を拭いたくて仕方がない。

底面もほとんど地底の川と化している。流れから見ておそらくほかの出口もあるが、水流の中に時折盛り上がった岩が顔を覗いているだけに過ぎない。歩くのは無理だろう。

川に沿いつつ進み、中継標識は流れを避けて、なるべく高い岩壁に固定した。

落ちてからいくらか推進したのだろうが、落下物も岩壁の削れも判別できない。

船がここに不時着したとしても、維持機能が100年保たなかったら絶望的だ。

あるいは、ポッドを出して脱出済みの可能性もある。

どうにも今更な印象は拭えない。

「ミスティー、こちらケイド二等調整官。川沿いに下っている。」

通信のチェックを行った。

「リックだ。水がないルートが割り当てられるのはわかるが、こいつはずいぶん狭いな」

「こちらペネロペ。私たち以外に精神を持つものがいればわかるけど、まだ何も引っかからないね。」

他進入ポイントからの返答があった。ノイズがひどいものの、通信は可能。

「受信できます。…ほとんど浸水してますね」

「石灰岩だし、この水の流れだ。落下パーツも擦った痕跡も消えてるんじゃないか」

「…すみませんが。予定通り、船体が入ることができるルートのみ試して、中継標識の残数が切れたところで引き返してください。それで終わりです」

互いにやる気がない調子だが、オペレーターのせいではない。

「了解。途絶しても死んだと思うなよ。そんなことで死なないから」

対象全滅の可能性を思えばとっとと帰ってしまいたいところだが、人命を意識するとそう思いきれない。そんなところが、俺はむしろ甘いのだろうし、無駄にエネルギーを消費している気がする。

ふっていない賽について考えるのは悪い癖だ。頭から雑念を追い払い、照らされた洞窟の先に集中した。


覚悟はしていたが、いざ分岐した洞窟をひたすらに探り回っていると慣れないものだった。

恐ろしくはない。しかし、道がどこで急に狭まっているかすら分からないというのは落ち着かないものだし、小さな失望を積み重ねることになる。

分岐ルートを試し、標識を置いてまわったものの、報告は「ろくでもない」をどうフォーマルに言うか苦心する羽目になった。

「ここは典型的な洞窟だ。研修には向いてる、欠点は悪天候の日じゃ水攻めになる事…歩けると思うと急に狭まる箇所が多い事かな。」

「まだ遺産登録されていませんから、石筍を折ってしまっても大丈夫ですよ」

「正直、気がひける」ミスティーは宗教は気にする割に、環境には無頓着らしい。「金を払って100年分鍾乳石が育つならいいんだが」

地形も良くないが、問題は生物相だ。

天井付近や壁面に張り付いた光る眼は吸血モズの群れのはずだ。空腹になれば外へ飛び立ち、熱感知器官で哺乳類の暖かい血を探し回る。

水面下の魚も大型種は珍しくなく、吸血モズを捕食するなどして養分の確保がうまくいっているのだろう。脱色した皮膚の太い魚影が群れている。

この大型魚を餌にするような、おそらく水陸で活動できる大型生物が居ると見てよい。

少なくとも異郷の民が見て休まるような光景ではなかった。

「漂流民族だって人だろう。こんな場所で籠城するか?」

4つ目のルートを試行しながらミスティーに疑問を投げる。

「そうですね…もしかしたら休眠機」

ミスティーは休眠機に眠っている個体が、と言いかけたはずだが、音声出力から鋭いノイズが走って沈黙した。

一瞬、自身の驚きの表情がバイザーに映った気がするが、誰もいないのでは無意味な表現だ。ルートを引き返し、通信を試みる。

「…ケイド?」

「復帰した。故障じゃないな…」

通信妨害の可能性が高い。

「ミスティー、通信妨害はレアケースだと思うが、過去事例を調べてくれないか」

「すぐには出ない可能性が高いです、あとまさかとは思いますが…」

「結果は後でいい。俺はこの先を調べる。このポイントをリックとペネロペに…。」

「承認前に突っ込むんですか?行方不明扱いで報告するはめになるのは、私もですよ!」

「人員が生き残っていたら救出っていうプランなんだから、説明はできる」

無謀を承知で言っている。先に行ってしまえば通信できないので、後から繕うしかない。

人命救助を前にして、怒られるのを懸念する方が恥ずかしい。

「終了時間は確認している。なるべく早く戻る。…賭けに関わらず奢ることにするよ。酒は赤ワインでいいか?」

俺は水を跳ねあげて前進した。グズグズするまえに先へ進んでしまうことにしたのだ。

「ちょっと!質問の意味あ…」

ミスティーの甲高い声がノイズに掻き消えた。


「まるでモノリスだ」

沈黙した地底湖に突き立った黒い翼を前にして、誰にともなくつぶやいた。

宇宙からの移民船は最後にバランスを崩したのだろう、翼を天地に向けて傾いた格好になっていた。

もっとも、人がいるはずの中央部は内部が回転するので、機能していれば壁を歩く羽目にはならないはずだ。

「さほど大きくない艇だな…、このクラスだと同類が探そうにも難儀するのだろうか?」

一応標識を設置したそばでしゃべっては見るものの、やはり通信できないようだった。船内の操作で止められればいいが、セキュリティ次第だ。まずは入ることから始めなければならない。

開けたら屍しかないこともあるだろう、と覚悟しつつ表面に近づいた。

俺は「開封済み」船体の資料は見たことがあったが、墜落したままの移民船を見るのが初めてだった。

それは俺がこの職務に着いたころにはほとんど見つかってしまっていたからだが、現在でもなお群を抜いた技術力であることは間違いなかった。

黒い複合材と見える表面も、どこで継ぎがあるか全くわからず、発光個所にしても表面に装置が確認できるわけではない。自然下ではこちらにも光るコケ等があるが、そういった材質を塗布することで光を放っているのだろうか? もともと俺自身が詳しいわけではないが、今でも技術面で漂着民族に頼らざるを得ない理由を実感する。

しかもこの移民船に関しては、彼らの間でも極秘だ。皆口を閉ざすか、もしくは技術的なことには知識がない者ばかり。

利用価値に関しては俺はどうでもいいが…、このほとんど超常的で高度な技術が、おそらく喉から手が出るほど欲しい者もいただろう。

卵のような外壁でハッチを探すのも苦労する、と事前に聞いていたが、すでに貨物室の扉が開放されていた。中途半端な所でバランサーが故障したのだろう。ハッチから水が流れ込み、傾いた貨物室は水に漬かっている。

未来的な外装に比べ、内部の様子はまだしも生活感…、というより、理解できる時代の様式である事は資料と変わりない。

問題は船内がひどく荒れていることだ。

衝撃によるものではなかった。コンテナの外装のようなものが散乱し、焦げや弾跡が壁に散っているが、人員同士の争いではない。床面についているのは、かぎづめのついた足による血や泥の跡だ。

「大型肉食獣の痕跡を発見…」

声を潜めて、記録装置に言葉を残した。これでは、パニックで脱出した人員に捨て置かれ、その後場所がわからなくなるのも無理はない。

残りの二人の合流を待つか?と悩むところだが、通路は魚臭のようなものと、特定もできない有機物の臭いが鼻をつくありさまだ。そうはいっても古くはないのが、むしろきな臭い。

すぐ行動を起こせて、この種の状況対処に最も長けるのは自分自身だ。合流までに立ち行かなくなるかもしれないが、すでに無謀な動きをしている手前、引き返しても仕方ない。

一刻を争う、と直感した。前例の情報から人員の休眠機室を割り出し、まっすぐに向かった。居住エリアはひっくり返るほどではないが、少し傾いてしまっている。貨物室があの状態では物資も損失しているはずだった。

問題の肉食獣はここが絶好の餌場だと勘づいたのか、そこらにかぎづめを食いこませてでも這い進んだようだ。逆方向の足跡も見えることから、何度か出入りしたらしい。

一体だけではない可能性もある。目くらましに携行している発煙弾の数で脱出は可能と踏んでいるが…。

休眠機室と推定されたドアは無理やりこじ開けられていた。息を殺してのぞき込むと、予期された動物が人のいるはずのカプセルに頭を突っ込んでいる。

長い尾の、二足歩行のワニのような生物。ティラノサウルスという名前で思い浮かぶそれに似ているが、そいつはいぼだらけの茶色の背に、キチン質でできた一対の大鎌を背負い、折りたたんでいる。

俺たちはそれをデスゲーターという通称で呼んでいる。…広義にはモンスター、とも。

部屋内に生存者は表示されない。気を引くまでのわずかな間に、バイザーの内蔵ソフトウェアに他の部屋を含めた生存者の可能性を表示するように要求し、戦闘に備える。

デスゲーターは耳がいい。こちらがライフルを構えた金属音を聞きつけ、赤く染まった鼻面をこちらに向けた。そいつが背を伸ばして咆哮すると、顎から肉の切れ端が飛んだ。

明らかに人の一部…。職務の上でそういった場面を目にすることは、いつも新人が警告されるわりに多くなかったが、運が悪いようだ。

重度に破損したカプセルは20基のうち15はある。殆どは動力も止まっている。

すでに出ていて応戦した者の痕跡も考えると、生存者はやはり…

暗い想像を振り払い、間を置かずに排除行動に移った。

まず頭を狙って撃ち、中断して別の地点へ走りこみ、再度攻撃する。

デスゲーターは獰猛だが、頭は単純だ。こちらが派手な動きをすればしつこく追いかけてくる。

サイズが大きい獣に対し俺より先に疲弊が見込めるわけではない。大鎌をかわすスペースを確保するには、そいつが向きを変える瞬間をできる限り作る。

距離を詰め過ぎてもダメなので、やや大回りになる。長々とはやれないが、逃げ出されないように挑発する必要があった。

攪乱のために尻尾側に回り込むと、デスゲーターは巨体をひねらせて鎌を突き出した。

尖った切っ先がさっきまで居た個所を貫き、カプセルを破壊する。

そいつは床に深く突き刺さった鎌を、ぐりぐりと捻って引っこ抜いた。綺麗に斬られたというよりは、重さが乗ってねじり潰された、と言った方が正しい。

冷静に見ていてカプセルにいた死者には気遣いがなくて申し訳ないが、こんな物を食らうわけにも、長引かせるわけにもいかない。

長い鼻面が横を向いたチャンスに、目や口が損傷するよう意識しつつ撃った。

人間同士の戦場だと弾の行き先を見ていても仕方ないだろうが、これは大型生物の狩猟だ。

相手の被弾を確認する。目はさすがに撃ちぬけていない。口周りにいくらか、あとは首に入っているが、ばらけが思ったより激しい。脚を止めようにも隙が短すぎるし、こいつに立ち向かうには銃が少し合っていないようだ。あまり外して周囲に弾を食いこませたくもない。

大きさを見積もった時に詰めが甘かったのは確かだ。

これじゃあいつらに、粗忽者だの何だの言われるだろう。

計算通りにはいかない、どうするか…。

舌打ちしつつ、次の手を選択する。

逃げては救助に差し障る。かといって弾を撃ちきるのも得策ではない。マチェットを一本下げているが、変な斬りかかり方をして鎌に打ち負けると目も当てられない。

圧し切られたカプセル、壁面と床、そして一つ一つのカプセルにつながった維持装置を見やる。

あと、できる事と言えば…。

デスゲーターは賢くないが故にあきらめる事を知らない。短く吠え、重い足音と共に向かってくる。部屋はそう広くはないので、リーチに入るまではあっという間だ。背中に折りたたまれた鎌の関節が跳ね上がり、瞬時に伸びる。

脇へ飛びのいてかわし、反撃を、と思ったか否か。振動と共に意識がふっと消えた。

「…!?」

壁際に伏せっていた。尻尾か何かで吹っ飛ばされたのだろう。衝撃を感じたとは思うが、気絶した時間はさほど長くない。立ち上がるときしむような背中の痛みが追いかけてくる。

部屋の端に砕けたバイザーと、メインで使っていた銃が落ちている。

どう自信があろうと、単独行はやるもんじゃない。遅まきに考えを改める。

相手は次第に頭に血が上ってきたのか、よだれを垂らしながら迫ってくる。

諦めるのはまだ早い。

俺は相手をやみくもに誘導するのをやめ、姿勢を低くする。手をマチェットの柄にかけながら、モンスターの小さな瞳をにらみつける。

「かかってこい、恐竜もどきめ」

デスゲーターが咆哮する。

視線に挑発されただけで、言葉がわかっている訳ではない。タイヤのゴムに似た鱗に覆われた脚が上がり、ぐっと首が突き出される。身を震わせながら突進してきた相手の足音からタイミングを計り、自身の脚に力を込める。

「…いいぞ」

風を切って鎌の先端が飛んできたところを、俺はスライディングの要領ですり抜けた。

そして、破裂音がする。

デスゲーターの顔は焦げ臭い煙と共に焼け始めた。相手は口を開いて中身を吐き出すが、重い熱傷を負って悶えている。

隙を狙って飛び上がった俺は、まだ熱を放っている相手の頭頂部に刀身を突き立てた。

熱い煙で火傷を負いそうだが、ぐっと柄を押し込むと骨が貫通した感触があった。生命力の強い獣は、それでもなお反撃に鎌をもう一度背中へ回そうとした。

しかし、相手の何かがふっと切れ、けいれんと共に、どっと横倒しになった。

血が床に流れ出している。上手くとどめを刺せたらしい。

この種の生物が狩りをするには、まず折りたたんでいた鎌を突き出し、挟みこんだ相手を口に放りこむ、という方法を取る。

ワニのような生き物、というのは見た目だけではない。実際は鎌が突き出されているときには口は開きっぱなしだ。だから鎌による攻撃をかわしつつ、発煙弾を口に放り込んだ。この発煙弾は群れたモンスターなどの追手に対して広範囲に広がるため、発火剤そのものは高熱を発する。デスゲーターが反射的にかみ砕けば、熱傷を負うという訳だ。

正直、いつも賭けているわけにはいかないし、普段からこういう使い方をするものではないが…。

まぁ、この部屋の視界を一時的にさえぎっておけば、新たな個体が出現したとか、漂流種族の誤解を受けて、といった面倒ごとの予防にはなるかもしれない。


空調と思しきスイッチを探し出して切った。煙が嫌なにおいがする。

俺は返り血を拭いつつ、砕けたバイザーを拾った。

電源を入れた。表示機能がかろうじて残ったディスプレイに、光点が一つあった。


階を移動し無機質な廊下を歩くと、すぐに目的地に着いた。

規模と室内の環境から言って、これそのもので長い旅をするつもりではないようだ。

歪んで半開きにしかならない自動シャッターを肩で押し開ける。

貨物室とは別に、替え衣類や医療品など、生活上すぐに取り出す必要があるものが収納されている部屋だ。

固定された棚やロッカーはそのままだが、保存してあった中身の大多数が、傾きと衝撃で床に放り出されている。

つぶれた箱と共に密閉容器が足元に転がっている、黒い粒の浮いたピンクのピューレだ。きっと果実でできているのだろう。

異星の存在だが、彼らの味覚はさほどかけ離れていない。

室内を見まわして、呼びかける。出てくる気配はない。

デスゲーターと一戦交えたのは俺が最初ではないので、隠れたままになるのも無理はない。


「助けにきた、怪しい者じゃない」

相手に通じるであろう言語で声をかけつつ、傾いた部屋を歩きだす。壁に据え付けたロッカーのようなものの対角、下がっている側に、散らばってくしゃくしゃと積み重なった梱包材が一塊に寄っている…。

バイザーの残骸を見やる、光点が近すぎてディテールは見えづらいが、対象は梱包材の山の中にいるようだ。

どうか敵対的な反応を示さないでくれ。

武器を使うつもりはない、という身振りを示し、少しずつ歩み寄る。

もう少しでかき分けられそうだ、という距離で、何かが勢いよく上半身に飛んできた。

ガサガサした感触に、しまった、と思う。面積のある布や合成素材。ゴミと梱包材の雑多な塊だ。

驚きつつ振り払うと、対象が目の前に立っていた。

10代の少年。目覚めてから船の中でしばらく過ごしたのか、黒髪がやや伸びてもつれ、肌に垢が浮いている。一丁の銃を胸の前で構えている。

「おい、やめー」

発声は無駄だった。破裂音と重い衝撃が身体に走る。鈍痛が束になってのしかかる…。

「…おい、やめろと言ったろう。」

相手はわめいているが、腰を抜かしてしまったようだ。後ずさってがさがさと梱包材が音を立てている。

一つの理由は俺が軽装にも関わらず胸部に弾を受けて、穴も開かなければ出血もせずに立っているから。

もうひとつは、完全な異種だからだろう。

彼がそもそも銃を使うのに慣れていないといったところは、些細なことだろう。

表面的に無傷とはいえ、衝撃による痛みが後を引いている。仕方なく少年に近づき、銃を持っている方の腕を素早く、しかし慎重につかみ上げた。

「銃を持つなら、相手のジェスチャーも理解しておかないと。ただの無法者になってしまうぞ」

「や…!やめろ!怪物!」

しまった、日本語か。

今まで言葉が通じてなかった。研修プログラムにあったので多少心得はあるが、あまり得意ではない。

「怪物はやめろ。宇宙人なら許す」

「…あ。あんた日本語しゃべれるんじゃん」


「少しな」相手の手をつかんだままだが、内心では肩をすくめたくなっている。

しかし、すぐに考え直した。彼は100年遅れてここにきて、人生で初めて俺のような種族、それに恐竜みたいな馬鹿げたモンスター(彼らに言わせれば)、それらがいるこの世界を見ている。予習なしで見たことのない生物に直面したら、俺だって面食らう。全く仕方のないことだ。

彼らの故郷には、おとぎ話の妖精をそのまま人間サイズにして、光る粉の代わりにモチーフの昆虫の外骨格を戻してやったような種族…俺たちコロニアル…、のようなものがいない事を、俺は理解している。

こちらにしても、理解と実感の違いを意識するのもまた新鮮なことだ。当人にとっては、ここまで驚くことだったとは。

「レスキューだって信じるか?はやく脱出だ、あのザリガニワニが増える前に」

「ザリガニワニより、昆虫人間のほうがましかぁ…」

腹が立つほどでもないが、この少年は当初から礼節に欠けるように思われる。気の利いた日本語の返しが思い浮かぶわけでもないし、一部無視を決め込んだほうがよさそうだ。

駆け出しても船外に出るのは難しいだろう。密かにセンサータグを付け、銃を回収し解放した。

「怪我はないか?…それと名前だな。俺はケイド、IRG二等調整官。お前は?」

少年は埃をはたいて、よれたシャツの裾で自身を拭っている。見たところ大きな怪我はない。

「…シュンだよ。ケイドって、地球人みたいな名前だな?二等調整官ってなに?」

「説明は後。それじゃ、ここを離れよう、シュン」

「ちょっと待った」背をむけようとした俺を引き留めて、シュンはさっきまで潜り込んでいた屑山をかき回している。

「食料でもあるのか?」

「それもだけどさ…あった」

顔を出した少年は、床から余計なものを取り除くと、見つけたものをそこに並べた。

「なるほど、水とペースト食料のパウチ、船員証。それに…おい、これは?」

 床に寝かせてあるのは鞘に入った一本の直剣だ。他の物に比べて唐突すぎる。

「他の人が積み込んだ<歴史資料>だって。本物みたいだ。護身になるかと思ってさ」

「…。俺に向かって振るなよ」

「分かってる。恐竜みたいなのが暴れてたから、いざという時に」

「あとは歩きながらにしよう」しぶしぶ少年に剣の携行を許可し(振る機会をなるべく与えないつもりだが)、俺は移動を促した。


「この船員証はおれのだよ。15の子供だから大したことはできないけど、父親が、技術屋だったから。くっついて仕事を見に行くのを許可してくれたよ。母親は医者みたいなことをやってたよ」

少年は説明に積極的だ。内心不安だったのだろう。後ろから見た俺は、つるつるした外殻と羽を持った赤毛のキメラ人間だが…。話が通じる事が重要らしい。触角を振ってみせ、聞いているとジェスチャーを送ることにした。

「なるほど。…かれらはどうした?」

顔を見ていないが、少年の声が沈むのがわかる。

「父さんは修理に出るっていってここに俺を押し込めたんだ。隠れてろって。あとはめちゃめちゃだよ。あんなに銃の音聞いたのは初めてだ。…俺、聞いちゃった。『ヒロ』がやられた。父さんの名前、ヒロアキって言うんだ。間違える名前の人もいなかったよ。」

「…」相手が悲しみに暮れている。残念?お気の毒?何かが違う。俺には正しい日本語の言葉を選ぶことができない。

「母さんは…きっとけが人の手当てで忙しかったと思う。一回だけ薬をありったけ取りに来て、俺にあやまってくれた。でもここは開けないほうが、俺だけは安全だと思ったみたいだった」

返答ができない。母親の名前を尋ねるべきだろうが、何かに消極的だ。何故か、相手の感情を刺激したくない、と思った。

何故?圧倒されているというのが正しいのか。俺は冷たいのかもしれない。

「そうか…」内心では悩みつつ、そのまま歩んだ。


少年の船員証で制御室のドアは開ける事ができた。おそらく父親の仕事だったろうコントロールパネルから通信、監視カメラを含め、いくつか機能を復帰させた。

通信妨害を起動させた理由はわからないままだ。少年に聞くことでもあるまい。

「うっわ、こんなに地下深くにいたのか。出れるの?」

「任せておけ」

監視カメラに生存者は映っていない。倒した一体以外にもデスゲーターが倒れている。

「ケイド…。そんなに無茶するのが好きか?」

モニターを借用してチームメンバーとの通信ができた。大した時間経過ではないが、リックの皮肉めいた顔を久々に拝んだ気がする。

「無茶は認めるが油売ったわけじゃないだろう。船も、生存者も発見した。合流で構わないか」

「キツネがしゃべってる!」シュンが驚いている。

「おい、こっちの翻訳ソフトが拾ってる。100年前の地球人っていうのはこんな感じだったのかね。われらがカニドの父祖は苦労もんだ」

「大目にみてやってくれ。かれはまだ何もわかってない」

「ま、子供みたいだしな。ペネロペ?場所は取れたか」

もう一人のメンバーに呼びかけた。

「オーケー。その子、なかなか肝が据わってると思うよ?すぐ合流するから、なるべくお互いに近づこう。…ところで、こっちは『天使みたい』って言ってくれたりする?」

画面の向こう、ペネロペはライトで自らを照らしながらわざと灰白色の翼を広げてみせる。

こちら側では翻訳機能を通していないので、シュンを置いてけぼっている。

「天使は頭まで羽毛が生えてるわけじゃない。ハルピュイアイが妥当だろうな」キツネ男と翼の生えた女と、立て続けに異生物を目の当たりにして唖然としたシュンの代わりに答えた。

「ハーピー?金切声で、不潔なあの?」

「彼らの時代だと、ハルピュイアイの印象はもっと良い。これ以上は無駄話になるな。決めた地点で落ち合おう」


シュンはハーネスに吊り下げられたまま、俺が地底湖を飛び越えて岸にたどりついた事に心底驚いているようだった。

<地球>では、たとえハチのような翅が人間についていたところで、重力には打ち勝てない。

そんなことはティーンエイジャーでもわかるのに、この異星人ときたら何時間でも浮いていられそうだ…とでも言いたげだが、緊張か、羽音に面食らったのか口にはしないようだ。

「こんなんじゃ、乗り物要らないじゃん」

飛び出た言葉は予想より率直だ。俺は先ほどの印象を撤回した。

「必要だ。楽をできるから」

昆虫のキメラとはいえ、不愉快顔のような微妙な表情を出せるつくりで良かったと思う。創造主がいたら感謝すべきだろうか。

「聞こえてます?もう…、ペネロペさんがいなかったら喋れもしなくて暇だったと思うと…。二人ともそろそろ着きますからね」

ミスティーの通信も復帰した。バイザーの破損はディスプレイ部分だけで済んだようで、予備のデバイスを使わなくてすんでいる。

顔は胴体ほど頑強ではないので、さっきのような銃弾を食らったらほぼ死ぬしかないのだが…。幸いにして少年から銃は取り上げたままだ。剣も鞘ごと取り上げたいのが本心ではあるが、当初思ったより友好的だし、丸腰にするのも酷いかもしれない。

「あのザリガニワニみたいなのの他にも、いろいろいるんだよね?」

おびえた声色ではない。どうも自身の身を守る事に乗り気であるようだ。

地底湖を離れ、歩いている間も何か出ないか、湿気に対する不満等いろいろ話している。すべてに答える事は出来ないのは、こちらの語学が追いつかないからだ。少年が洞窟に慣れっこであるはずはないので、微かに心配が伝わってくる。

「ケイド!」

ペネロペたちの声が洞窟にひびく。暗闇から星のような光源が急いで近づいてくる。

「どうした?切羽詰まった声だ」

「それが…」

「警戒してください!大型生物が接近してます。」

ミスティーのほうが伝達が早かった。俺たちのルートから来ていると表示された。おそらくは別個体のデスゲーターが嗅ぎつけて、テリトリー荒らしに報復を試みようとしているのだ。

「うわぁ、結構怒ってる」音そのものが伝わる前から、ペネロペが相手の感情を聞き取っている。ある種のテレパシーだ。

「くそっ。三人で迎撃しよう」

「俺は何かできる!?」

「だめだ。後ろへ」

剣を抜こうとしているシュンを下げ、各々武器を構える。リックはクロスボウ、ペネロペは槍。

地面を揺らしながら近づいてきた別個体は、先ほどよりも更に大きかった。地底湖や洞窟の水路はうろつけるが、船内は小さいと思って近寄ることを避けていたのだ。

半水生とも言えるこの種だが、資料記述よりも複雑に群れを作るようだ。

「すげえ!」

「遊びじゃない!死ぬぞ!」

岩陰から顔を出し声を上げたシュンをたしなめた。

…が、遅かった。

高く興奮した声色が相手の刺激になり、デスゲーターの突進を誘ってしまった。

「やばいぞ!」リックは悪態をつきつつも、的確に射撃している。俺は加勢するが、何も言う気にならない。

疲労を感じるのも確かだが、少年が心配だ。せっかく助けた命である。

「だめ!刃が入ってないよ!鎮静も効いてない」元より正面から戦うのは得意としていないペネロペが無力を口にする。

こちらの攻撃も手ごたえに欠け、モンスターは減速しない…

俺はもう考えていなかった。攻撃をやめ、一目散にシュンの元に向かった。

(あいつよりは確実に頑丈だから、間に立てばいい)

「だめです!」ミスティーの声が遠い。他の二人も、何か叫んでいる。

シュンが隠れている岩、突進する相手。その間に羽音と共に飛び込んだ。

(…何故だろうな。急に考えが飛んでしまうのは…俺は隊でいつも変わり者で…)

内心他人事だった。デスゲーターの顎と鎌が妙にスローモーションに見える。

肩口に鎌の切っ先が引っかかる感触がある。斬られはしないが、おそらく耐えきれない重みと衝撃の始まりを感じて…


「やめろー!」

シュンが飛び出した。抜き身の剣がデスゲーターに振り下ろされようとしている。

切っ先が振れた。決して手練れではない、しかし―。

真っ白い閃光と共に、何も見えなくなった。

俺自身にかかった力までが消え、ふっと地面に落ちていく。衝突したはずだが、その感覚は後から思い出すことができなかった。


意識を取り戻し立ちあがると、元の暗い洞窟に戻っている。

見えているのは何らかの負荷に昏倒したシュンと、驚くべき事が起きたと話し合うリックとペネロペ、そして通信越しのミスティー。


そして、片方の鎌と胴体のほぼ半分と首。そのすべてが出血もなく消失したデスゲーターの死体が、ごろりと地面に転がっているのだった。


直面した全員が当惑する力だった。気を失っている本人がそう思っているかは、帰還してから聞くしかなさそうだ。

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