望月カンナは二度殺す

デッドコピーたこはち

望月カンナは二度殺す

「久し振りだねえ。望月もちづきぃ」

 聞き覚えのある声に振り向くと、殺したはずの女がずぶ濡れで立っていた。

「……ああ、久し振り。椛田はなだ

 街灯がスポットライトのように椛田の姿を照らしているのがビニール傘越しに見えた。彼女は土砂降りの雨も気にしていない様子だった。彼女の長い黒髪が白い顔にべったりと張り付いていた。人気のない真夜中の路地で佇むその姿は、真っ赤なロングコートとも相まって現実味が薄いように思えた。まるで本物の幽霊のようだ。

「もうカンナ姉さんとは呼んでくれないんだね」

「……ここだけの話、同じ組織で歳も近くてさ、ホントに姉みたいに思ってたのに。酷いことするよね」

 椛田は前髪をかき上げた。彼女の額には大きな切り傷の痕がミミズ腫れのように残っていた。

「でも良いよ。すぐに私とお揃いにしてあげるから!」

 椛田は袖の中から片刃のナイフを出し、こちらに突進してきた。

 ビニール傘で迎え撃つか?いや、傘は開いてしまっている。かえって邪魔になるだけだ。私はビニール傘を放り投げた。


 私は拳を固く握り、両手を顔の前で構えた。椛田が突進しつつ、ナイフを突いてくる。横にステップを踏み、躱す。私の紺のジャケットが切り裂かれる。次いで、ナイフが横なぎに振るわれた。私は思いきり仰け反った。刃が雨粒を切り裂いて眼の前を通り過ぎていく。

 椛田がナイフを逆手に持ち替え、突いてきた。手の甲でナイフの背を叩いて軌道を変える。予想外の動きだったのか、椛田が僅かにバランスを崩した。

 私は椛田の顔に目がけて素拳での突きを繰り出した。だが、僅かに遠い。射程の外だ。常に椛田はナイフを持つ自分に有利な間合いを取っていた。素手の攻撃は当たらない。

 だが、そこが隙だった。

 私は繰り出した拳が伸びきる瞬間、勢いよく手を開いた。私の拳を濡らしていた雨水が、僅かに飛沫となって椛田の眼を襲った。思わぬ目つぶしに、椛田は一瞬目をつむった。私はその瞬間を見逃さず、椛田の腹に膝蹴りを入れた。

「ぐっ」

 椛田の息が詰まり、握っていたナイフを取り落とす。ナイフが道路に落ちた。私はすかさず落ちたナイフを蹴った。ナイフはアスファルトとぶつかりながら高い音を立てて転がり、側溝に落ちた。

「クソっ」

 椛田が体をくの字に曲げて、腹を抑えながら呻いた。私は下がった椛田の頭に前蹴りを飛ばした。椛田は私の足裏が顔面に命中するすんでのところで横っ飛びで身を躱した。

 椛田が地面を転がりながら距離を取り、立ち上がろうとする。私はそこにサッカーボール・キックで追撃した。椛田は膝立ちのまま私の脛を腕を十字に組んで受け止めた。

 椛田は勢いよく立ち上がりながら肘で私の顎を狙ってきた。それをバックステップを踏んで避ける。一歩分下がった所に下段の回し蹴りが飛んでくる。膝を上げて脛で受ける。椛田は不意に回転した。真っ赤なコートが翻る。後ろ回し蹴りを打つつもりだ。私の意識とガードが下がった所で上段を狙ってくるつもりなのだ。手に取る様にわかった。それが、私が教えた技だったからだ。

 私は瞬時に前へ踏み出し、椛田へ身を寄せる様に接近した。

「なっ」

 椛田が声を上げた。勢いに乗る前に椛田の右足の根元が私の胴に当たり、後ろ回し蹴りは不発に終わった。私は膝を沈め、椛田の腰を掴んで自分の腰に乗せる様にして投げた。

「……!」

 椛田の身体がアスファルトに打ち付けられる。路面に貯まった雨水が飛沫を上げる。彼女は声も出ないようだった。彼女はのたうち回っていた。

 私は椛田の背後から、彼女の首へ右腕を回して自分の左手の肘裏を掴み、左の手のひらで彼女の後頭部を抑えた。いわゆるチョーク・スリーパー・ホールド、裸絞はだかじめというやつだ。

 私は左右の頸動脈を同時に圧迫することを意識しながら椛田の首を締め上げ、左の手のひらで後頭部を押し出した。さらに、彼女の脇の下に脚を入れ、鼠蹊部辺りに両踵に置いた。

 椛田は大きく身を反らして脚のフックを外そうとした。私は身を丸めて、自分の膝と彼女の首を絞めている腕で、もがく彼女の肩を挟み込むようにする。これで脚のフックは完全なものになり、彼女の肩もロックできた。もう彼女は腕も上手く動かすことはできない。

 椛田は何とか身を捩り、私の裸絞はだかじめから逃れようとするが、もう遅い。型が完成している。逃れるのは不可能だ。

 椛田は私の顔に手を掛けた。恐らく目を潰そうとしているのだろう。だが、肩のロックによって目まで指を持っていくことができない。次いで、髪を掴もうとしてくるが、できない。こういう時の為に私の髪は短く刈ってある。

「リラックスして……リラックス……」

 そして、数秒経つと、椛田の抵抗が急に弱々しくなった。恐らく頚動脈洞反射による失神だ。だが、私は油断しない。演技ということもある。昔それで痛い目を見たのだ。私は椛田が確実に窒息死するまで首を絞め続けた。


 私は立ち上がり、放り投げたビニール傘を拾った。私はすっかりずぶ濡れだった。振り返って椛田の方を見ると、彼女は冷えた路地に仰向けに横たわり、土砂降りの雨に打たれるがままになっていた。ピクリとも動かなかった。真っ赤なコートが血だまりのように見えた。

 私は冷たい雨に混ざって頬に温かいものが流れるのを感じた。

「二度も殺されなくても良かったのにさ。ハナちゃん……」

 私は一度、椛田を殺した。そういう事になっていた。

 組織は一種の偏執病パラノイアによって、彼女を敵対グループのスパイだと断じ、私に彼女の抹殺を命じた。私は命令に従うフリをして、彼女が死んだように巧妙に見せかけた。組織は私が命令に従ったと信じた……

 だが、結局、こうなってしまった。二度も組織の眼を誤魔化すのは不可能だ。

「ごめんね」

 こんなことならば、彼女と一緒に組織を抜ければ良かったと、一瞬、そう思った。だが、それができないのはわかっていた。

 組織は裏切り者を絶対に許さない。いや、それだけじゃない。私は臆病だった。結局のところ、私は彼女の命より、自分の命が大事だったのだ。

 私はビニール傘を椛田の頭の上に置いた。もう、彼女がこれ以上濡れない様に。彼女の横顔を見るとただ寝ている様に見えた。だが、彼女は二度と目覚めることはない。

 こんな行為に何の意味もない。こんなことをするくらいなら、最初から殺さなければ良い。最初から組織の命令を無視すれば良かったのだ。最初から彼女と逃げていれば――

 私は雨の冷たさによってぶるりと震えた。

 椛田の死は組織によってひき逃げか何かとして処理されるだろう。幾ばくの人たちがニュースによって彼女の死を知り、しばらくすれば、誰からも忘れ去られる。


 私は椛田より臆病な分、少しだけ長生きすることになった。それがどれくらいの長さなのか、それが――どれくらいの価値があるのかは、わからないが。


 私はビニール傘と椛田を置き去りにしたまま、路地を歩き始めた。

 

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