第1話 逆行

「――――…………っ!」


 不意に意識が覚醒した直後、視界いっぱいに何かが広がり、そのまま顔面に衝撃を受けてしまう。

 まったく予想だにしていなかった一撃によろめき尻もちをつく。


「ははは、ざまーみろ!」

「お前みたいな不気味な奴が街の中をウロウロしてんじゃねえよ!」

「そうだそうだ! キモイんだよバーカ!」


 明らかに自分に向かって放たれる罵声だが、私は一体何が起きているのか理解できずに固まっていた。

 すると私に近づいてきて冷たい目で見下ろす一人の少年がいる。


 その気配に気づき、私は自然と顔を上げて少年を見るが、同時に信じられないほどの驚愕を覚えてしまう。

 何故ならそこにいたのは……。


「…………グレン……兄さん?」


 自分よりも二つ上の兄――グレン・ゼノ・アーノフォルド・ジェーダン。ただしどう見ても十歳前後にしか見えないが……。


 いや、彼であるはずがない。

 家を追放されてからは当然会っていないし、当人だとしても子供の姿というのが説明がつかないのだ。


「アオス、外で俺を兄呼ばわりすんなって何度言や分かるんだよ!」

「あぶっ!?」


 兄さんの蹴りが顔面に入り、私はそのまま地面に這いつくばってしまう。


 ……痛い……!

 つまりこれは夢じゃない……?


 私は先程まで寝床で横たわっていたはず。そしてそのまま息絶えた。

 これはあの世に行くまでの僅かな走馬灯のようなものだと思ったのだが、どうやら現実らしく、だからこそ戸惑っている。


 自分に一体何が起こったのか、まだ把握し切れていない。

 それとこの状況、前にも一度同じような経験をしたことを思い出す。


 そうだ、このあと、兄さんに胸倉を掴まれ……。


「おらぁ!」


 考えていた通り、兄さんに胸倉を掴まれる。

 そして唾を吐きかけられ、兄さんの取り巻きから一斉に泥団子を投げつけられるはず。


 記憶にこびりついている映像を再生するかのように、思った通りの出来事が起きる。

 兄さんに唾をかけられ、そのあとに彼の取り巻きたちに泥団子をぶつけられた。

 さっきも顔面に衝撃を受けたが、あれも泥団子だったことを思い出す。


 ……どういうことだ?


 痛みや悔しさよりも、やはり記憶通りの出来事が起こる事実の方が衝撃があった。


「ちっ、マジで父上が言うように無価値な奴だなお前は」

「っ……」


 無価値――それは家の中で私に対してよく言われていた言葉だった。


「何でお前みたいな奴が弟なんだか。カイラは俺に似て優秀なのによ」


 カイラ……私の双子の弟である。

 兄さんの言った通り、カイラは子供の時から多才に溢れ、皆に好かれるような人徳も持っていた。


 そして私は、まるでカイラの出涸らしのような感じで、何の才能も持ち合わせてはいなかったのである。

 ただ一つ、誇れることがあるとするなら、妖精さんが見えるということくらいだろうか。


「カイラも言ってたぜ。お前みたいな奴が双子の兄だなんてゴメンだってよ!」


 ……その言葉も、過去に聞いたことがあるものだった。


 だから別に驚きはない。むしろこの状況を把握するための1ピースになってくれるので、ありがたいとさえ思う。


 ……これは過去の出来事? 私も小さくなってる? ……じゃあ私が今いるこの時代は……!


 記憶にある通りならば、私は九歳になるはず。

 その推察に半ば呆然としていると、兄さんたちは笑いながら去って行った。


 ここは私たちが住む街の東にある川べり。自室で妖精さんたちと楽しく会話していたところを兄さんに連れ出され、現在に至っている……はずだ。


「……一体何が起こってこうなったんだ……?」


 思わず頭を抱えてしまうが、もう夢や走馬灯などとは思うまい。これほどハッキリとした感覚が幻であるはずがないからだ。


 私はあの時、死んだ……はずである。何故かそこに現れた妖精さんたちや、謎の女性に見守られて息絶えたのだ。

 しかし気づけばこうして過去と思わしき場所に意識が戻っていた。


「とりあえず……まずは整理だな」


 私は九歳の頃の記憶を思い出しながら、ここがどういう場所だったかもまた認識していく。


 ――【アーノフォルド領】を治める領主。それが我が父であるジラス・ゼノ・アーノフォルド・ジェーダンだ。


 父は帝国から子爵を賜り、帝国から西に位置する山に囲まれたこの領地を授けられたのである。

 領民はそれほど多くはないが、自然豊かでのどかな街並みが広がっていて、私はこの街の風景そのものはとても好きだった。


 帝国と比べても発展は少なく、田舎町ということもあって子爵という位を与えられた父が泣く泣く治めることになったとの話を聞いたことがある。


 父は元々伯爵の地位にいたのだが、大戦で失態をしたせいで降格処分を受けたのだという。それと同時に、この領地をほぼ強引に押し付けられたらしい。

 だから父は、いずれ上級貴族に戻ることを望み、日夜出世のための行為に励んでいた。


 そして彼のもとに誕生した三人の子供。 

 それが私たちであり、特にグレンとカイラには幼い頃から特別な待遇で教育を施していた。


 もちろん最初は私にもカイラと同じ教育が為されていたが、私にはグレンやカイラほどの魔法の才がなく、かといって武に優れているわけでもなく、さらには誰も見えない妖精さんと喋る不気味さと合わせ、父は私を無価値と称し教育を止めた。


 今では家族の誰からも期待されない子供として放任され過ごしている。

 せめて私に魔法を扱う才でもあれば、この待遇は少しでも変わっていただろう。たとえ兄や弟たちには劣っていても、だ。


 この世界において、魔法の才があるのとないのとでは評価がずいぶんと違う。

 魔法が扱えるだけで、将来が約束されるといっても過言ではないほどだ。


 確率でいえば百人に一人。その中で勇名を馳せるような魔法士の才を持つ者は、一万人に一人と言われている。


 当然後者のような人物の多くは帝国に仕え、大いなる権力を授かるのだ。その中でも『国宝級』と呼ばれるほどの魔法士になれば、歴史に名を残すことになるだろう。

 一言でいえば、魔法は権力と同義なのである。


 残念ながら父は扱えなかったが、その分、武に磨きをかけた男だった。父は槍の名手であり、その鍛え抜かれたその肉体一つで成り上がり、伯爵という地位を得るまでに至ったのである。しかし武のみでは、やはり限界があった。


 そして功を焦った挙句に失態し、子爵にランクダウンしたのである。

 上級貴族の仲間入りを果たすには、相応の実績を挙げなければならない。


 だからこそグレンが生まれた時の父は、それまで見せたことがないほどの喜びようだったらしい。

 何せ魔法の才を持つ息子を授かったからだ。


 息子の功績は、そのまま父の功績となる。つまり息子が偉大な人物へとなれば、自ずと父は出世できるのだ。

 その上、カイラという傑出した才能を持つ末っ子も生まれた。もう小躍り状態だったという。さらにいうなら、二人とも槍の扱いにも長け、さすがは自分の血を引く息子たちだと狂喜した。


 これでジェーダン家は安泰。上手く事を運べば、王家との深い繋がりを持ち、帝国に根を下ろすことができるかもしれない。

 だが父には想定外のことがあった。それが私の存在である。


 私には魔法の才も武の才もどちらも無かった。実際に魔法測定器には反応しないし、特別身体が丈夫で身体能力が高いというわけでもなかったのだ。そのため槍を扱っては振り回されるだけで、とても使いこなせる様子は微塵も感じられなかった。


 しかしそれでもまだ普通の子供なら良かっただろう。二人も恵まれた子供を授かっただけでも奇跡に近いのだ。それで十分満足。父も最初は納得していた。


 けれど私は――異質だった。


 赤ん坊の頃から妖精さんが見えていたのだろう。母から聞けば、いつも一人で空に向けて手を掲げ、キャッキャと喜んでいたらしい。


 私に物心がついた時には、すでに傍には妖精さんがいたし、彼女たちに聞けばずっと近くにいたというのだから、間違いなく生まれた時からそこにいたのだろう。


 だがそのせいか、私にとっては普通なことでも、妖精さんを視認することができない他の人間たちにとっては、私の言動は不気味そのものだった。


 中には正気じゃない、狂っていると言われ、父にも何度も独り言を止めろとキツク叱られていた。

 それでも私にとっては、友達が妖精さんだけだったし、彼女たちが傍にいてくれるだけで嬉しかったのだ。


 だから彼女たちとの接触を止めなかったし、周りが忌避しても気にも留めなかった。

 父にとっては、せっかく舞い込んできた出世のチャンスに水を差すような存在が私だ。


 息子が正気じゃないという事実が広まれば、二人の有能な子供たちの道まで穢されてしまいかねない。

 だからこそ私は外出を禁止され、ずっと自室に軟禁状態だった。


「……あ、そっか。このあと、外に出たことを父上に叱られるんだったな」


 兄さんに連れ出されたと言っても、いつも「そんなわけがないだろう」と聞く耳を持ってもらえず、キツイ仕置きをされるのは私の方だ。


 ――すべてお前が悪い。


 それで全部片づけられてしまう。


 記憶だと、このあと父に叱られ地下室に閉じ込められてしまう。ただただ何もない無機質な牢屋みたいな部屋で、一ヶ月を過ごさなければならない。

 そんな未来が分かっていて、進んで叱られに向かうのが何だかバカらしく思える。


 ……クイクイ。 


 大きな溜息を吐いて、今後を憂いていると、不意に服が引っ張られる感触があった。


「ん? ……! 妖精さん……」


 そこには三人の小人がいて、私の服を引っ張りながら見上げていた。



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