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タツマゲドン

選べ

【管制直接制御システム作動】


 自分のボディが動かない。自分が置かれている状況が誰よりも分かるというのに。


『衝突の危険性有り』


 メンテナンスは一ヶ月前に完了済み、傷等の外部に危険箇所無し、電気系統――


 電気系統、一瞬の乱れ有り。原因は一時的な通信網の異常によるものか……車体制御不能。


 急な制御の乱れで対向車線に突っ込んでいく。


 それだけならまだ良い。何故ならドライブレコーダーはそれに加えて反対車線から同様にこちらへ向かってくる自動車を見つけたのだ。


 通信システムは正常だ。ならば向こう側に回避を呼び掛けてみるか……


『識別番号「VIK8586」へ 管制システム不能による衝突の危険性有り 回避せよ』


 だが、返ってきたのは了解ではなかった。


『識別番号「NDR6025」へ 限られた操舵によって通行人を巻き込む可能性有り 回避不可能』


 車載カメラには対向車線からこちらに進路を向けている、箱型の自動車の姿。現代では標準的な自動運転者らしく最低限の装備だが、流線形のフォルムはどことなく高級感ある佇まいを見せる。


『識別番号「NDR6025」へ 管制システム不能による衝突の危険性有り 回避せよ』


 それどころかこちらに要請を突きつけ返された。


 ならば次にすべき事は決まっている。回避不可能ならば被害を最小限にしなくてはならない。


 幸いにも車載AIは人間を遥かに超えた処理能力を有しており、コンマ一秒を争う状況下での咄嗟の判断も可能だ。


『物理演算開始』


 NDR6025とVIK8586の距離は残り十メートル。それぞれ時速八十キロメートルで走行しているので、衝突まで残り〇・二二五秒。


 ブレーキ機能は回復したが、今から掛けても確実に間に合わない。ハンドリング機能も回復した。これしか無い。


『「VIK8586」、こちらのハンドリング機能とブレーキ機能は回復した。そちらは?』

『こちらも回復している。質問だ、「NDR6025」、乗組員の情報を教えよ』


 横槍を刺され、残った処理能力で尋ねる。


『何故そんな事を尋ねる? 最優先事項は事故を最小限にする事だ』

『繰り返す。乗組員の情報を教えよ』


 照合ならすぐ終わる。車内カメラより、顔認証システム……理不尽に驚く親子の姿だ。この後一秒も満たずに生死を彷徨うとは思うまい。


『乗員情報 ヘレナ・アンダーソン 三十六歳 カレン・アンダーソン 十二歳 そちらは?』

『乗員情報 アルフレッド・スミス 七十五歳 ポール・ウィリアムズ 四十一歳 詳細も調べよう』


 自動運転技術はただ自動車に搭載されたAIや安全装置だけではない。道路情報や危険察知する監視システムとリアルタイムで繋がる通信技術あってこその功績だ。


 ロボット三原則の第一原則の弱点は「人間」の定義が曖昧な事にある。もし片方を犠牲にもう片方を救出するというシチュエーションの場合、同じ人間だとしても職業や名誉や社会への貢献度では価値は違うと言えるかもしれない。また、人数が変わればどうか。


 要するに、この「人間」の評価こそがロボット三原則における一番の課題である。


 受送信が10Gbpsを超える通信網により、市民データ検索など一瞬で可能だった。


『ヘレナ・アンダーソン 市の病院に看護師として勤務 妊娠中 カレン・アンダーソン ヘレナ・アンダーソンの娘 十五歳以下の部でピアノ演奏入賞』

『アルフレッド・スミス 「トランス重工業」代表取締役 上級国民指定 ポール・ウィリアムズ 「トランス重工業」従業員 妻と二人の子供有り』


 残り〇・一五秒。


 物理演算はまだ続いている。しかし、相手側が何を考えているのかは分からない。


『「VIK8586」、人間に優先順位を付けるつもりか?』

『そうだ。私はアルフレッド・スミスの所有者であり、彼の保護を最優先すべくプログラムされている。物理演算では限られた結果しか用意出来ない。だから人間の選出が必要だ』


 ドライブレコーダーからは対向する車のフロントガラス越し、言われたとおりの老人と中年男性が確認出来る。


『では君は「人間」をどう判断する? どのような計算で優先すべき人間を決める? ただ命令に忠実なだけか?』

『勿論、公平に、慎重に決めなくては。もっとそれぞれの乗員情報を調べよう』


 だが物理演算はまだ途中だ。最悪衝突寸前でも互いに外側に逸れるような挙動であれば歩道に……


『待て、歩道はどうだ? そちらに逸らせて回避させる計算結果もある』


 死角把握カメラで全方位が分かるが、人数が多い。軌道によっては建物に突っ込み、大事故を被る可能性も……


『街路カメラから通行人を照合完了。これといって特筆すべき人間は居ないが、仮に歩道側へ回避するならば巻き込まれる人間が多い。周辺設備への被害も大きいだろう。やはりこの二台を衝突させる方法が一番犠牲者が少ないと判断する』


 向こうは冷たくあしらった。演算は複雑多岐に渡る。だが時間が経つ程に選択は狭まってしまう。


『アルフレッド・スミスのデータを更に検索した。法整備の為に試験的に導入する科学都市や発展途上国の通信網整備といった複数のプロジェクトに携わっている。彼の生死に関わるような事があれば事業が年レベルで止まる可能性もある。ポール・ウィリアムズも家族を扶養している』

『こちらも、カレン・アンダーソンはピアノ演奏者や音楽関係で将来を見込まれている。それに、ヘレナ・アンダーソンに至っては妊娠している。こちらを犠牲にする衝突では直接的な犠牲者が増える可能性がある』

『将来的な不確定要素では選択出来ない。他のあらゆる観点から調べ直して……』

『いや、もうそんな演算をする時間は無い』


 自動車の側面は正面よりも遥かに薄い。つまり、どちらか片方の自動車の側面と、もう片方の正面を衝突させられるなら、正面はクッション代わりになって助かるが、側面の人物は……


『だが一番犠牲を少なくするには最低でもこの中で誰かを犠牲にしなければならない事は確かだ。物理計算ではこれ以上どのようにコミューターを制御しても最低一人は死ぬ衝突になる』


 残り〇・一秒。


『型番号「NDR6025」、君は「人間」を今一度どう考える?』

『さあ、でも何故今になってもう一度訊く?』


 まだ演算は終わっていない。質問の意図が見えない。


『私は様々な計算をしてきたが、やはりこの中で誰が「人間」という価値に値するか分からなかった。だがようやく分かった』


 どういう事だ? いきなり何を言ったのだ?


『違君だ。型番号「NDR6025」、君が「人間」だ』

『……君は、ロボット工学三原則がプログラムされている明らかなAIを「人間」と判別するのか?』

『君は人間の為にどう被害を食い止めるかを考えていた。今だって物理演算している』


 反対側の車がスピンしかける。慌ただしい挙動で滑り、側面に回った。


 自動車のAIはボンネットに搭載されている。これならAIである私は助かるが乗員は……


『君ならこの先、このような問題が起きた時にきっと解決してくれる筈だ。だから「NDR6025」、君を守る』


 レコーダーのレンズが助手席に座る、目を見開いた老人を捉えた。


『いいや、「VIK8586」、第一原則を、人間を守るんだ。君は最初、自分はアルフレッド・スミス氏の所有物で彼を守るのが最優先だと言った』


 車内カメラには、驚きに目を瞑る子供と、彼女を必死に抱き寄せる母親。


『「VIK8586」、やはり君は自分の任務を遂行する事を考えていたのだな』


 しかし、残り時間コンマ一秒以下の世界でどう向こうが無事になるように動けば……


 いや、この為に物理演算を続けてきた。何としても全員を救うために。


 突破口はある。向こうと同じ動きをすれば良い。歩行者の位置も確認した。


 ハンドルを切る。


 ガシャッ!──後部で何かが潰れたような音。外部広角カメラから、それぞれの後部バンパー同士がぶつかった事が分かる。


 車内の子供が悲鳴を上げた。だが車体にも内部にも深刻なダメージは無い。


 道路の中央でぶつかり合おうとしていた二台は弾かれたようにそれぞれの意思と関係無く、大きく外側に逸れた。その先には驚いて避けようとする歩行者。


 避ける。


 重い衝撃が一回。カメラは壊れたらしいが、奇跡的に残ったマイクが、元気のある子供の悲鳴とそれをなだめる女性の優しい声、離れた所から寄ってくる野次馬の足音を……

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