第34話 一日限りの共犯者

「ごめんね、ご飯までご馳走になっちゃって…」




ついさっきまでお世話になっていた刹那さんの自宅の前で、僕は頭を下げていた。


今の時刻は13時を過ぎており、学校なら昼休みが終わっている時間だ。


本当なら学校への連絡が終わった後は家に帰るつもりだったのだけど、刹那さんにせっかくだからと引き止められて、彼女の家で昼ご飯をご馳走になったところだった。




「いえいえ、お気になさらずですよ。こちらこそ粗末なものを出してしまって…」




「いや、美味しかったよ。本当に」




出された料理はスープパスタと、短時間で調理ができるものだったけど、充分に美味しかった。彼女の料理の腕がいいからだろう。


時々料理をする身としては、レシピが少し気になるところだったけど、今はそのことを聞く空気でないことは僕にも分かる。


それに彼女とは連絡先も交換しているのだから、聞こうと思えばいつでも聞くことはできるのだ。




(友達だしね。なら問題はないよ、うん)




刹那さんのことをもっと知りたいという気持ちが、だんだんと強くなっている自分がいることに気付いていたけど、これは彼女の人柄に好感を抱いているからだと僕は思った。




刹那さんに迫られたあの時、僕が選んだのは楓だ。


楓が好きだという気持ちは本心からのもの。例え彼女に引け目を感じていても、


その気持ちが移り変わることなんてない。だからこの気持ちは、決して男女の好意によるものではないはずだ。あくまで新たにできた友人に対する親愛の情にほかならない。




「今日は本当にありがとう。色々とお世話になっちゃったね。そのうち必ずお礼はするから…」




「いいんですよ、そんなことは。見返りを期待したわけではありませんし。振られちゃいましたしね」




だから助けてもらった感謝の気持ちを何かしらの形で返したいと思ったのだが、彼女はやんわりと断ってきた。




「う、それは…でも…」




食い下がろうとも思ったけど、最後の一言があまりにばつが悪すぎる。


試されたとはいえ、彼女の誘いを断ったことは事実だし、内容が内容だ。


下手に触れたら微妙な空気が流れたまま別れることになるし、今の雰囲気を壊したくはないというの本音だった。




「悪いことをしたとは思うけど、それでも僕はあれ以外言えなかったというか…」




なんと言えばいいのか、上手い言葉が見つからない。


あたふたとする僕を見て、刹那さんはクスリと笑う。今日だけでもう何度も見た、彼女が見せるイタズラっぽい笑顔だった。




「フフッ、やっぱり凪くんは真面目ですね。せっかくの据え膳を遠慮しちゃうんですから…でも、そこまで言うならそのうちちょっと頼みごとでもしましょうかね?」




それはきっと、僕に対する彼女の気遣いだったのだろう。


敢えて茶化しながら話すことで、僕の罪悪感を軽くしてくれようとしているのだと思う。




「…うん。その時はなんでも聞くよ」




だから僕も彼女の意思を汲み取って、それ以上はなにも言わずに頷いた。


自分から話すことで、今日のことは水に流そうという、刹那さんからの言外のメッセージだ。




そう考えた僕は、彼女の好意に素直に甘えることにした。


今日は本当に刹那さんに助けられてばかりで、そのことに少し男としての悔しさはあるけど、これ以上余計なことを言ったら今日という日の最後に水を差してしまうことだろう。




「なんでもですか…ふふふ、なんでも…ふふ、ふふふっ」




「あの、できれば僕にできる範囲でね?」




……最後に見た刹那さんの笑顔がひどく邪悪なもので終わるなら、これはこれで嫌だけども。




「分かってますよ…では、そろそろお別れですね」




「うん…刹那さんは、この後どうするの?」




それを聞いたのはなんとなしにだ。もう数分としないうちにここから離れることになるだろうけど、少しだけでいいから会話を引き伸ばしていたいという気持ちが、無意識のうちに働いていたのかもしれない。




「私ですか?私は…少し用があって、外に出ますね。もちろん凪くんが帰った後に、ですけど」




そう告げる彼女は、なにか逡巡するかのように、一瞬だけ視線を下へと向けた。


なんでだろう、その仕草が、少しだけ引っかかる。




「買い物?それなら手伝おうか?」




「いえ、お構いなく。これは私用ですから。それに下手に一緒にいたら、学校の誰かに見つかるかもしれないでしょう?」




それは凪くんにも都合が悪いのでは?と、彼女は言う。


なにかあるのではと思い、心配する気持ちから咄嗟に口にした提案ではあったが、そんなことを言われたら、僕には何も言えなくなる。




元々僕らの繋がりは希薄であり、これまではただのクラスメイトだった。


そんな僕らがふたりで街を歩いている姿を見られたら、なにを言われるかわからない。




まだ授業をしている時間帯ではあるものの、僕らのように学校を休んだ生徒がいないとは言い切れないのだ。


可能性がゼロでない限り、余計なことはしないほうが得策であると、頭のどこかで囁きかける声がある。


その声と刹那さんの瞳に促されるように、僕は自然と頷いていた。




「そうだね。うん、その通りだ」




「分かって頂けてなによりです。私達は、今日一日限りの共犯者ですから」




そう言って、刹那さんはどこか儚い笑みを見せた。


それがなにを意味するのか、僕は知らない。彼女自身ももしかしたら、分かっていないのではないだろうか。




「…………」




「…………」




奇妙な沈黙の時間が訪れる。


聞こえてくるのは自動車の排気音と、遠くで揺れる電車の音。


普段は気にも留めないそれらの音が、妙に大きく聞こえてくる。




無意識のうちに、僕は耳を研ぎ澄ませていたのかもしれない。


目の前にいる女の子の声を、聞き漏らさないように。




「……僕、もう帰るよ」




僕は別れを切り出すことにした。


これ以上は居たたまれなくなったためだ。胸に広がっていく罪悪感が、ここから離れろと警告してくる。




「そうですか…」




何故なのかは、考える必要もない。


自分は学校をサボっているのだから、早く家に帰って大人しくしていなければいけないからだ。


それだけの理由で、充分だ。それ以上の理由を考えてはいけなかった。




「うん…楓も、多分今日は早く帰ってくるだろうしね」




楓には休むことを伝えてはいたけど返答はなかったから、僕のことを心配しているとは思う。


両親はいつも通り帰りは遅いだろうけど、真面目な彼女は僕の様子を見るために飛んで帰ってくるだろうことは、ありありと予想がつく。




また迷惑をかけることになることを考え、僕は心のなかでコッソリとため息をついた。




「でしょうね…では、それまでに上手い言い訳を考えておいてくださいね」




もちろん浮気以外のですよと念押ししてくる刹那さんの言葉に、僕は苦笑する。


それは全く洒落にならない。口の上手さに自信はないけど、しっかり考えることを固く誓った。




「それじゃ…」




「はい、また…」




そうして僕らは別れて行く。


本来交わることもなかった逢瀬を、まるで惜しむかのように。


後ろ髪を引かれる想いはあったけれど、僕は振り返らなかった。








「…………ほら、ちゃんと別れましたよ。問題なんてないでしょう?」








だから僕がいなくなった後、刹那さんが誰と会話を交わしていのかを、僕は知らない。








そして、僕もまたーーー










「凪くん……」








家の前で誰が待っているのかなど、知らないのだ。






僕は、神様なんかじゃないのだから


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る