第17話 ちっぽけな器
「本当ですか?顔真っ白ですし、休んだほうがいいんじゃ…」
安心させるつもりで向けた笑顔だったはずだけど、一之瀬さんにはあまり効果がないようだった。むしろますます心配させてしまったようで、僕の方へと近づいて顔色を覗いでくる。
なんとなく居た堪れなくなり、軽く事情を説明することにした。
「だから大丈夫だよ。さっきまでは確かに調子悪かったんだけど、もう平気なんだ。一応念のために保健室にはいくつもりだけど…」
「そのほうがいいです、絶対」
一之瀬さんはさらに距離を詰めて僕を真正面から見据えてくる。
その目は確かに真剣で、僕を心配してくれていることが見て取れた。
「う…」
楓というフィルターを通さず、僕自身を見つめる藍色の瞳。
楓以外の女の子にこんなまっすぐな目を向けられたことは記憶にない。その勢いに、僕は思わず気圧されて、二の句を告げなくなっていた。
「あ、なんなら私、着いていきますよ。先生の報告もしなきゃいけないでしょうし、ひとりでは大変でしょう?」
「え、と…」
戸惑っている間に、一之瀬さんがグイグイ話を進めていく。この子、こういう人だったっけ?
教室で見る彼女の姿はもっと大人しいものであったと記憶にあるのに、今の一之瀬さんは積極的な姿勢をまるで崩すことがない。
(僕相手に優しくしたところで、なんの得もないだろうに)
あるいは彼女も楓と同類の、所謂いい子ちゃんな性格なのだろうか。そんな話は聞いたことがないんだけど。
「い、いや、報告は大丈夫。楓が先生にしてくれることになってるんだ」
「…白瀬さんが?」
内心に浮かんだ失礼な考えを誤魔化すように弁明する僕の言葉に、一之瀬さんはピクリと反応する。訝しむように、片眉を少し釣り上げた。
なんでそんな顔をするんだろう。宮間の名前は出さなかったけど、それは別になんの問題もないだろうし…
「そうなんだよ。ほら、僕と楓って付き合ってるから…」
「置いていったんですか。今の藤堂くんを、あの白瀬さんが?」
「……っ!」
しまった。やってしまった。まだ僕は頭が回りきっていなかったのかもしれない。
注意するべき点は宮間じゃない。楓の性格だったというのに。
今のは明らかに、言葉選びを間違えた。
「その感じ、連絡を取り合ったってわけでもないのでしょう?そんな余裕のある姿ではなかったですし」
なにか言わないといけなかったというに、まるで追い打ちをかけるかのように、彼女は的確に逃げ道を潰していく。
「い、いや、それは…」
「おかしいですよね。こんな具合が悪そうな藤堂くんを置いてひとりで学校に行ったということになる…彼氏彼女という以前に、それは人としてどうなんでしょう」
一之瀬さんはどこか探るような目を僕に向ける。いつの間にか、質問は尋問へと変化していた。宮間のことを言わなかったのが、ここにきて裏目にでるなんて。
彼女の瞳は、まるでここにいない楓のことを責めているように僕には見えた。
―――まずい、まずいまずいまずい
途端、焦燥感が僕の胸を掻きむしる。
このままでは僕の事情に、楓まで巻き込んでしまう。
それだけは避けたかった。今さらかもしれないけど、これ以上楓の心象を悪くするなど、今の僕には耐えられない。
「いや、違うんだ!僕が先に行くように頼んだんだよ。その、楓に迷惑をかけたくなかったから…」
これは間違いなく事実であり、僕の本心だった。嘘偽りなんてない。悪いのは僕であって、楓じゃないんだ。
だというのに、一之瀬さんは何故か不思議そうにこちらを見ながら首を傾げた。
「迷惑、ですか」
「そうなんだ!だから…」
愛らしい仕草ではあったけど、それになにか思う余裕なんて僕にはない。納得してもらえるまで、何度でも説明するつもりだった。
だって、僕が悪いんだ。僕が弱いから、それが全部…
「…えっと、ごめんなさい。なにが迷惑なんですか?」
「…………え」
今度は僕がなにを言われたのか、分からなくなる番だった。
「体調が悪い人を気遣うなんて、当たり前のことじゃないですか。電車に乗ったら年配の方には席を譲るでしょう?それと同じですよ。少なくとも私は不快になんてなりませんし、きっと白瀬さんもそうだと思っていたので、疑問に思ったことを口に出しただけなのですが…」
どこか気まずそうに話す一之瀬さんの言葉を受けて、僕は呆然としてしまう。
「当たり前…?」
「はい、だってそれが思いやりじゃないですか。自分が辛い時に誰かに優しくされたら、嬉しくなりません?その気持ちを誰かにも分けてあげたいって、思うのが普通じゃないかと、私は思うんです…藤堂くんも、そうですよね?」
何故だろう。本当に当たり前のように話す一之瀬さんの何気ない言葉に、頭を殴られたような気持ちになってしまうのは。ガツンという大きな衝撃が、僕の体を駆け巡る。
「だから恋人なら尚更かなって。白瀬さん、いつも藤堂くんのことを気にしてますし、おかしいなってそう思ったから…」
どこか寂しそうな顔をする一之瀬さんがそこにいたけど、僕はもう彼女のことが目に入っていなかった。
思いやり。相手の気持ちを考えること。楓の、気持ち。
僕は楓の気持ちを考えたことが、ここ最近あっただろうか。
昔は当たり前にできていたはずのことだったのに。
僕はいつの間にか、自分のことしか考えられなくなっていた。
「は、ははは…」
思わずその場にへたりこんでしまう。乾いた笑いしかでてこない。
やっぱりダメだ。僕は、僕たちはもうダメなんだ。
楓の気持ちが、今の僕にはもう見えない。楓を気遣う余裕が今の僕には残されていない。
僕というちっぽけな器じゃ、もう限界なんだよ。楓という学園のアイドルを、僕じゃ受け止めきれないんだ。
同級生のクラスメイトの何気ない一言で、僕は改めて気付かされた。
藤堂凪はどこまでも自分のことしか考えていない、どうしようもない人間であることを。
こんなの、変わる以前の問題だ。人として当たり前のことすら出来なくなっているとか、本当に僕はなにをしてきたんだろう。
まだ下があったとか、もう笑うしかないじゃないか。
突き付けれた現実は残酷で、どこにも救いなんてないのだから。
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