第14話 無遠慮な品評会
しまったと、そう思った時にはもう遅かった。
「え…なぎ、くん…?」
目の前にいる僕の彼女は、その大きな瞳をことさら大きく見開き、ただ呆然とこちらを見ている。
なにが起きたのか分からない、そんな顔だ。
「あっ…ち、ちが…」
違うんだ、楓。さっきのは、間違いで。
思わず声が出てしまったけど、言いたいことは違うんだよ。
「ん、なにかあったの?」「なんかでっかい声したよね、朝から痴話喧嘩?」
そう言いたかったのに、周りの目がそうさせてくれなかった。
さっき僕があげた声に反応した多くの生徒が、こちらに視線を寄せてくる。
元々楓を見る生徒は多かったが、余計に注目を集めてしまったようだ。
「あ…あ…」
完全に僕のミスだった。それを見てしまい、僕の体は固まってしまう。声も出せなくなってしまう。口の中は、既にカラカラになっていた。
「あ!あれって二年の白瀬先輩じゃない?」「あ、ほんとだ。綺麗…」「横にいる男子になにかされたん?」「いや、声は男のだったから違うだろ」
好奇心。興味。邪推。好意。
様々な感情を孕んだ、無遠慮な視線。赤の他人からの視線に、僕らは無抵抗のまま晒されていく。
(見るなよ、こっちを見るな…!)
僕は人から注目されることに慣れてなんていなかった。望んでもいないスポットライトになんか当たりたくない。脇役でいいんだ、僕は誰にも気付かれないような凡人のままでいいんだよ。
だって、怖いんだ。無遠慮に見てくるたくさんの目が。
僕じゃない弱い僕を見透かしているようで、怖いんだよ。
「ハァ…ハァ…」
バクン、バクンと心臓が跳ね上がる。息も勝手に上がっていく。
逃げ出したくてたまらなくなる。恥も外聞もかなぐり捨てて、叫んで走り出したくてたまらなかった。
でも、それはできなかった。
「凪君…?」
今も不安げに揺れる瞳で僕だけを捉えている楓のことを、放って自分だけ逃げるなんてできなかったのだ。僕は男で、楓の彼氏なんだというプライドが、僕の足を縫いとめている。それはまるで雁字搦めの鎖のようで、心は悲鳴をあげていた。
(だっていうのに、なんで楓は…)
僕はこんなだというのに、楓は周囲の視線などまるで気にした様子がない。
モデルの経験からか、あるいは今の彼女は人を集めることに慣れてしまっていたのか。それは分からない。
(なにがこんなに僕と違うんだよ。ずっと一緒に育ってきた、幼馴染のはずだろ…)
だけど、その姿が僕をますます惨めにさせた。
動じた姿を見せない今の楓に、僕が知っている内気で僕と常に一緒にいた彼女の姿が、どうしても重ならなかったのだ。
僕はこんなに足が震えて、泣き出したくなっているのに、楓はただ僕だけを見ている。不安げであっても、震えているわけじゃなかった。泣きそうでもない。ただ僕の言葉を待っているだけ。
楓は周りなんて、どうでもいいんだ。多くの視線を浴びるなんて今の楓にとっては当たり前のことで。気に留めることなんてなにもないんだ。
これが楓のいる世界。ここにいるだけで、僕は身が凍りそうになる。
僕と同じ場所に立っているはずなのに、なんでこんなにも違うんだよ。
(違う、のか。もう、僕とは…)
そこにいるのは学園のアイドルとなった白瀬楓であると、僕はまざまざと見せつけられてしまっていた。
「え、なに?楓ちゃん朝から告白でもされてんの?」「はー、さっすがー。美人は違うなぁ」
ショックで打ちひしがられている僕の耳に、外野の声が素通りしてくる。
周りを気にしない無頓着な声から、ヒソヒソと友人と会話をしながら通り過ぎてく声まで、全部が全部聞こえてしまう。
「で、その相手って誰?確かあの子彼氏いんだろ」「マジ?ショックだわ。彼氏持ちに告白するとか、あいつ勇気あんなー」「いやいや、馬鹿なだけだろ」
拾いたくない声まで、僕の耳は本人の意志を無視してまるでセンサーのように的確にかき集めて続けていた。まるで品評会のようだなと、他人事のようにそう思った。
―――全部聞こえてんだよ。勝手なこというな、僕が楓の彼氏だぞ
―――他人のことでそんなにくっちゃべってて楽しいのか。さっさと学校行けよ、どうでもいいだろ
―――いい加減黙れよ。五月蝿いんだよ
これを口にできたら、どんなにいいことだろう。きっと主人公なら言えるはずだ。あるいはひと睨みするだけでもいい。目つきの悪さで怯えてその場を離れてくれるなんて、素晴らしいチート能力じゃないか。
周りの野次馬は気まずい顔をして散り散りになり、その後ため息をつきながら愚痴を言う。これがお決まり。テンプレだ。人気者は大変だななんて、ラブコメ主人公のような台詞を吐けたらどんなにいいことだろう。
でも、できない。僕にできるはずがない。
だって、僕は凡人だから。なんの取り柄も意気地もない、勇気すらないままただ周りに流されて生きてきただけの人間なのだから。
「つーかさ、なぁ」「ああうん、なんかさ」
だから―――
「普通のやつだよな。告白してるの」「だな、知らねぇ顔だし。何年のやつよ?新入生か」
僕のことを知らないのも、無理はない。これを言っているのは上級生だろうか。
彼らが知りたいのは楓だけであり、楓と付き合っている僕の顔なんて、覚えるはずもないのだ。
「身の程知らずだねぇ、勇気だけは褒めてやるけど」「寝取り趣味でもあるんじゃね?まぁどのみち―――」
「あのふたりじゃ、釣り合ってなんかいねーけどな」
だからこんなことを言われるのも、きっと当然のことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます