【第終話】祓屋


 麗らかな午後、今日は祝日。

 普段から静かな店内に客が来たことを知らせるベルが鳴った。

「こんにちは~八花君いますか?」

 友達の家を訪ねた気軽さでお店へと入ってきたのは私服姿の十夜だった。

 店内をきょろきょろと見渡していると代わり映えのしないと思っていた店内に一つだけ変化があった。奥の部屋へと続く廊下の入り口には白狐の面が店内を見下ろすように鎮座していた。

「おや十夜さん、いらっしゃいませ」

 廊下の奥から緋天がひょいと顔を出した。

「こんにちわ、今いいですか?」

「勿論大丈夫です」

 何か作業していた手を止めて緋天が店内に入ってきた。

「あの八花君は……」

「ここにいるよ」

 籠ったような声。ソファを見ると布団がもぞもぞと動き、中から見覚えのある頭が見えた。

「いるなら最初から言ってよ」

 少しだけこのお店に慣れた十夜は、忘れない内に肩掛けのバックから封筒を差し出した。

「それは?」

 目の前に差し出される封筒を一瞥した。

「それは私が依頼した分のお金。それに真莉と亮平がお世話になった分も入ってるよ」

 勿論中身は現金だ。

 屋上での一件のあと意識のない真莉と亮平、掌の怪我が悪化した十夜の三人はそのまま病院へと連れられた。

 この辺では一番大きな病院【兎隠とがくれ病院】だった。

 そこは八花と似た職種の関係者が勤務している病院だそうで、緋天も月に何度か世話になっているらしい。二人はしばらく入院することになり、一応十夜も検査を受けたが何も異常はなく怪我の治療だけでそのまま帰宅を指示されたのだった。

「二人も無事に退院できたみたい。亮平なんてすぐに学校来てたし、真莉だけは少しの間自宅療養だって。おばさんが物凄く優しくて逆に落ち着かないって連絡あったよ」

「そうか」

「よかったですね」

 あれだけの大事だったのにニュースや学校の噂にもなっていない、教師も生徒も誰一人として見ていないという。

 皆、普通に生活していた。

 おかしなことに屋上のフェンスは翌日には元通りに修復され、屋上への扉は再び頑丈に施錠されていたのだ。

 真莉と亮平の二人はその日の出来事を覚えていないらしい。

 何故亮平があの時屋上にいたのか問い詰めたら

「誰かに呼び出されたような気がする。手紙もあったんだけどいつの間にか無くなってた」

 おかしいよな、と首を傾げていた。

 もしかしたら亮平の貰った手紙というのは本当にあって、実はそれを送ったのが真莉だったんじゃないかと思っている。

 直接は聞いていない。親友としての長年の勘だ。

(そうなると二人は両想いだったってことなんだよ)

 何の因果か亮平の想い人は真莉だった。あの時、誰もいない教室で本人に直接聞いたから間違いない。

 もし真莉が亮平を想っていたら、そのまま告白していれば。

(でも待てよ、確か偽神が)


『それだけには飽き足らずこの子は長年秘めていた想いも抱えていてな。最近自分のものにならないと悟り、再び妾に願い乞うたのだ』


(真莉は想い人が、亮平が自分のものにならないって思ってた)

 実際はそんなことはなかったのだが、何がそこまで真莉を追い詰めてしまった原因なのか。実は心当たりがあった。

 もしやとは思ったが亮平と二人でいたあの時、どこかで真莉は見ていたのだろうか。

 勘違いさせていた?

 だから自分のものにならない亮平を殺そうとしたのだろうか。

 何故。

 事の始まりは十夜の怪我を願った。でも離れることもせず、逆に世話をするほどの真莉を一概に「悪い」と非難出来ない。するつもりは毛頭ないが。

「ん~?」

 考えても考えても真相は十夜に分かるはずがなかった。

(アタシだけが考えても仕方ないか、真莉が元気に学校に来れるようになったら全部聞いてみよう)

 本音をぶつけ合おう。

 真莉がどう思っていたのか、何を考えていたのかを。

 同じように十夜も聞くつもりだ。

 なんなら頬の一つでも叩き叩かれたりするのかもしれない。

(それはそれでいいかもしれない)

 あの真莉が頬を叩く姿を想像して何だか面白くなって笑ってしまった。


 ⁂


 考えこんでいたらいつの間にか十夜の手から封筒が取り上げられていた。

「緋天納めといて」

 封筒を中身を見ないまま緋天に渡すと「拝見します」と緋天が封を開いた。

「あ、本当はお値段とか聞いてないんで今あるアタシの全財産です」

「・・・・・・・・」

 緋天の掌に転がった。

 500円玉。

 封筒には辛うじて1000円札が引っかかていたが、これにはさすがの緋天も笑顔のまま固まった。

「ふはッ! 私のお店で、ハハッ、依頼をたったそれっぽっちで。ブッ、君面白すぎるよ」

 ゲラゲラ笑っている八花と反対に緋天は悲愴な顔付きだった。

「・・・・・・・笑い事じゃありませんよ八花さん」

 十夜に向き直って「冗談ですよね?」と初めて見る引き攣ったような笑みをみせた。

「すいません本当に今はこれだけしか手元になくて……」

 笑みを張り付けたまま、つかつかと大股で十夜に迫った。今までにない未知なオーラに十夜は自然と玄関まで後退していた。

「ひ、緋天さん??」

 前髪で表情は見えなかった。

「……メてんじゃねぇぞ」

 「え?」

 どう見ても近くには緋天だけ。

(今のは)

 周囲にはいない口調の穏やかな店員からドスの効いた声が聞こえた気がした。

「おい聞いてんのか」

 十夜の頭のすぐ上にドン、と拳が叩き付けられた。

 壁ドンならぬ扉ドンされた。

「もしかしなくても・・・緋天さんなのでしょうか?」

 恐る恐る聞いてみた。

「ああ? そりゃは一人しかいねぇだろ目開いてっか?」

 喧嘩ごしの崩れた口調。

(俺?)

 見上げる緋天は心底人を馬鹿にしたような目で返した。

 信じられない光景だった。今まで見てきた緋天は一体。穏やかな口調の緋天のイメージが音を立てて崩れていく。

「緋天、止めなさい」

 仲裁しながらソファからその重い腰を上げた。

「……ですが八花さん。さすがにこれっぽっちじゃ今月も大赤字じゃないですか!」

「しょうがないだろ、元々そんなに仕事が舞い込んでくるわけじゃないんだから」

「それに今日の依頼は結構方方に力借りてる訳じゃないですか、きっとあとで皺寄せが来ますって」

「それは私が何とかするから君は気にしなくていい」

 その言葉にグッと眉間に皺が寄った。その表情は怒っているというよりも酷く悲しそうに見えた。動けない十夜にしか見えない表情だった。

「……それにしてもさすがにこれだけじゃあ割に合いません」

「分かってる。だから足りない分は働いて返してもらう」

 完全に話に置いて行かれている。

 それに。

(足りない分は働いてって、それってつまり)

「バイトってこと?」

「どちらかと言うと借金返しながら働くから君の手元にお金は入らないし、奉公とか奉仕とかそっちの方が合ってるよ」

 しれっとそんなことを言った。

「へぇ~…」

 またトーンの下がった。しかもこれは八花に聞こえないように微妙に調整している。

「や、でもアタシ、部活もあるし。あ、アタシの学校バイト申請ないとダメだっ……!」

 どうにかしてその奉仕とやらを断れないものか。そのまま話が進んでしまいそうな雰囲気に反論しようとしたが緋天の方が流石に早かった。

 グッと顎を持ち上げられ

「そんなこと言わずに、?」

 アッシュグレーの瞳の奥がキラリと光る。

 獲物を定めた獣だ。これではどこに逃げても仕留める(うん、と頷く)まで追いかけられそうだった。

 逃げられない。

「や、やらせてもらひやす!」

 とんだ二重人格だった。

「よく言えました」

 人の良さそうな笑みを見せたあと顎から手の感触が消えた。

「だそうですよ八花、さ……ん」

 機嫌よく振り返った緋天が不自然に尻すぼみになっていく。

「そうかよかった。これで君にも後輩が出来るわけだな、困ったら何でも緋天に聞いていくといい」

 仁王立ちしている八花は以前見たことがあるような大きめなシャツを羽織ってるだけで気にせずこちらへと歩いてくる。

 ペタペタと裸足で歩くたびにシャツは肩からズレ、鎖骨が剥き出し、十夜の前に来る頃には胸元が見えてしまいそうなほどずり落ちていた。

「なら契約成立の握手だ。手を出して」

「あ、は、はい」

 連れるように八花の前に手を差し出した。

 その手を握って「うん」とただ頷くだけだった。

「え? これだけ??」

「そうだよ。他に何か?」

「えっと、なんか書類に書くとか、ないの?」

「ないよ。そんな面倒なこと」

 面倒で済ませていいのだろうか。

「面倒って、そんなんでアタシが逃げるとか考えないの?」

 キョトンと見つめ返された。

 その発想はなかった、と。

「……本気で逃げられると思ってるの?」

 フッと鼻で笑われた。

 八花には珍しく、狐を思わせるようなあくどい笑い方だった。

(まあ無理だね)

 学校も、自宅すらもバレている。それに吸血鬼の緋天がいる。例え十夜が地球の裏側に隠れてもこのお店の人ならきっと見つけてしまうだろう。

「さすがに逃げることはしないけど。でも部活もあるしあんまり来れないかもよ?」

 折角戻れた部活に、奉公で行けないとなったら戻った意味もない。

「まあ君に頼むことなんてそんなにないから深く考えずに。分からないことがあれば緋天か朧にでも――?」

 緋天を見るとプルプルと肩を震わせていた。

「緋天、が出来て威張れる気持ちは分かるけどこの子に」

「違いますよ、そんなことよりも服着てください!」

 顔を真っ赤にした緋天が叫んだ。

「何を今さら。そんなに慌てなくてももう何度も見てるだろ?」

 意味が分からないと腰に手を当て、首を傾げたらその拍子にシャツが片方脱げた。

「!」

 緋天が神業のようにずり落ちたシャツから何まですべて直した。瞬きの合間に最後のボタンを留めたところだった。

(い、いま、胸が、胸が……)

 シャツの隙間から見えた。八花の胸に小さな膨らみがあったような。

「おお、ありがとう。伊達に毎日私の体の世話をしているだけはあるね」

「誤解を招く言い方しないでください! もおおおおおおおなんですからそんな恰好で人前に出ないでくださいよ!!」

「は?」

 今なんて?

(八花君が……女?)

「おや、どうかされました?」

 いつのまにか隣で朧が得意げに微笑んでいた。

 驚きはあったがそれ以上の驚きで十夜は声が出せなかった。「あ、う、な」と鯉のように口をパクパクさせることしか出来ない十夜に合点がいったのか「ああ」と納得して二人を見た。

「我が主、猫屋敷八花は妙齢の女性ですよ。年の頃は20を過ぎて半ばでしょうか。よく間違えられるのですが、それに緋天も今年になる。いやはや人の成長は速いものです」

 どこかお爺さんを思わせる朧から今期最大の衝撃な事実を聞かされた十夜の叫びは、天高く轟いた。



 ~ 祓いの真実眼トゥルーアイズ 二代目店主と願いを叶える廃神社 完 ~

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祓いの真実眼〈トゥルーアイズ〉 卯ノ花 月 @makeup-m

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