第5話 自責

「あなたの望みは何ですか、アキラ君?」

「俺の望みは……」


 濁ったような暗闇の中。後ろで手を組むネズミの獣人と俺は、宙に浮かびながら向かい合う。頭に浮かんでくる、怒りと憎しみを感じさせる記憶。学年一背が低くて、力が無かっただけ。それだけで何度仲間外れにされて、いじめられてきたか。逃げ出すだけじゃなかったよ。悔しさと惨めさが爆発して、あいつらに反撃した時もあった。その度に腕力や数でねじ伏せられて、惨めで悔しくて1人学校帰りに泣いてた。

 そんな毎日の中で出会ったのが、ライオンのおじさんだったんだ。強大な力と逞しい身体を持っていて、凶悪な獣人達に立ち向かっていく姿。……かっこよかった。初めて出会ったあの日、クマの獣人を倒した炎で形作られた龍は、力の象徴としてまだ俺の心に残ってる。力が、欲しい。あいつらを見返してやる力が。俺にとっての強さの象徴。それは。


「……強くなりたい。ライオンのおじさんみたいに、俺は強くなりたい!!」


 ネズミの獣人が、口元に笑みを浮かべる。


「その強い恨みが、憎しみが、あなたに力を与える! その願い、私が叶えてあげましょう!!」


 ネズミの獣人はそう言って、指を鳴らした。俺達の周りに漂っていた濁った闇が、俺の身体に注がれていく。全ての闇が俺の身体に注ぎ込まれた時、そこにいたのは俺であって俺じゃなかった。暗く青い霧が立ち込める空間の中で、俺は頬を吊り上げた。


***


「……許せない。光を危険に晒しただけでなく、守り切れなかった? そんなこと、許されるわけない」


 戦士としての俺に対する激しい怒りと動揺を押し殺した不自然なほど静かな声で、光の母さんは怒りの言葉を絞り出す。深夜、アキラの住むアパート部屋の前で、俺は自身の失態を光の母さんに報告していた。

 獣人達にアキラの母さんが狙われる可能性が高まるから、鷲野郎との戦いを偶然目撃した事にしなければならねぇ。理屈は理解できたさ。

 だが、俺は許せなかった。アキラの母さんに面と向かって謝罪して、罵倒されて楽になりてぇと感じている心。俺自身の信念を自ら否定する、罪の意識から逃れたいと感じている心が!!

 俺の心がもっと強ければ、孤独に耐え続ける強固な心があれば、あいつを巻き込む事は無かったはずだ。自身の非力さ、心の弱さが今ほど悔しく、情けねぇと感じた事はねぇ。だが、俺の心がどんなに弱かろうが、今だけは心が折れそうな事実を受け入れるわけにはいかねぇ。


「本当に……申し訳ない。俺が近くにいながら」


 その時言った俺の言葉は、ゴウキとしての言葉じゃなく戦士「ブレイブレオ」としての言葉だった。だが、俺の正体を知らねぇアキラの母さんは当然別の意味で受け取る。


「あなたが謝る必要は、無いですよ。悪いのは、獣人と光を危険に晒したあのライオンの半獣人なんですから」

「……」

「でも、あのライオンの半獣人、なぜ直接話しに来ないのでしょうか? 自分のせいで、光が攫われたのに」

「……それは多分、アキラのようにあなたを危険な目に遭わせないためですよ」

「私があの人の立場なら、たとえ多少の危険があっても面と向かって謝罪します! 人間を食糧と見ている野蛮な異世界人に息子を攫われた親の気持ちが、あの人にわかるわけない」

「……」

「世間ではブレイブレオなんて名前で呼ばれているようですけど、面と向かって謝罪に来ない彼は私にとっては臆病で卑怯者です!!」


 臆病、卑怯者。


 俺は自身の失態が原因とはいえ、罵倒されて湧いた悔しさを拳を握りしめる事でなんとか堪える。アキラを守り切れなかった俺自身への怒り、罵倒された悔しさを押し殺しながら、俺は口を開いた。


「あのライオンの半獣人、言ってましたよ。俺にとって、アキラは存在意義そのものだと。理由は知りませんが、アキラはあのライオンの半獣人にとって本当に大切な存在のようでした。だから、奴は絶対にアキラを助け出そうとする。そんな気がします」

「……あなたに言っても仕方ないですけど、彼は私にとっては迷惑な存在でしかないんです。私の夫は、見ず知らずの人を助けるために交通事故で亡くなりました。私はあの子に、夫のようになってほしくないんです。だから、あの子にはあのライオンの半獣人に関わらないように言っていた。なのに、どうして……」


 ……そうか。以前逃げた方がいいと言っていたのは自分の保身のためじゃなく、アキラを危険に巻き込みたくねぇからか。アキラの母さんにも、俺とは逆かもしれねぇがちゃんと信念があったんだな。


 俺は握っていた拳を解いた。


「すいません、アキラの母さん。俺、そろそろ」

「ごめんなさい。本当に怒りをぶつけたいのは、あのライオンの半獣人なのに。あなたに言っても仕方ないのに」

「……いいですよ。じゃあ、また」


 アキラの母さんと別れた俺は、同じアパートの自室に戻る。靴を脱いで部屋に入ろうとしたが、玄関から2、3歩進んだ所でうつ伏せに倒れ込んだ。アキラの母さんまで、危険に巻き込むわけにはいかねぇ。その一心で平然を装っていたが、熱を帯びた身体は激痛で上手く動かねぇ。


「畜生ぉ、この程度の傷で……」


 鷲野郎の猛攻に対し、ダメージを無視して戦い続けた俺の身体はボロボロになっていた。本当なら、鷲野郎を倒した直後すぐにでもアキラの救出に向かいたかった。だが、炎の異能を使いすぎて体力を大きく消耗した上、鷲野郎の攻撃でダメージを受けすぎた身体では、獣人達に戦いを挑んでも勝ち目が無い事は目に見えている。

 身体の傷を少しでも癒やすためにアキラ救出を翌日に決行すると決め、ボロボロに傷つき疲労した肉体を引きずりなんとかこのアパートまで戻ってきた。

 アキラを失うかもしれねぇ恐怖と焦燥を、俺は必死に戦士としての冷静で抑え込んでいた。


「しっかり……しやがれ! まだ何も……終わってねぇぞ!!」


 拳を床に打ちつけ、俺はなんとか立ち上がると部屋の中に入る。そして、身体の傷を隠すために厚着していた上半身の衣類を脱いだ。鷲野郎のクリスタルで切り裂かれ、高熱の光線で焼かれた傷だらけの身体が露わになる。その後、自分の身体に刻まれた傷の手当てを始めた。


「……」


 全て俺のせいじゃねぇか……。廃工場の件も、アキラが獣人に狙われたのも全て。心の弱ぇ俺があいつを必要としたばかりに。いや、俺と関わりさせしなけりゃあいつは危険な目に遭う事もなかったかもしれねぇ……。半端者の俺が、誰かと関わる事自体が間違いだったんだ……。……何が、人間を守る、だ。

 思わず手当ての手を止めて俯き、頭を両手で抱えた。


「結局、アキラの母さんの言った通りだったな。俺は獣人と人間、どちらも不幸にする疫病神だ……」


 俯いていた俺は顔を上げて、負の連鎖に支配されている心を無理矢理奮い立たせる。


「だが、あいつだけは絶対助け出してみせる! 俺の命を懸けてでも!!」


 獣人と戦闘員を倒した後、その場に残る空間転移の鍵を拾い集めて貯めていた小袋。その小袋から取り出した1本の鍵を見つめながら、俺は決意を固めた。獣人達の本拠地にのりこむ事が何を意味しているのか。当然、理解してるさ。だが、あいつは俺が強さを認めた初めての人間。そして、俺を受け入れてくれたのも、あいつが初めてだった。だから。

 …………ああ、あいつが俺にとって一体何なのか、今わかった。俺があいつをこんなに助けたいのは、あいつが俺の……。


***


 翌日、決意を固めた俺はアパートの部屋を出る。

 鷲野郎から受けた傷はまだ完治してはいねぇが、大丈夫だ!! 戦える!!


「アキラ、待ってろよ! 今助けに行くからな!!」


 俺が駆け出そうとしたその時、街の中心部で大きな爆発音が響き渡り黒々とした黒煙が上がる。俺は足を止め、街の方へ顔を向ける。だが、それを無視するように顔を正面に向け直した。


「俺にとって一番大切なのは、あいつ、アキラだ! アキラの救出を後回しにしてまで、他の人間を、俺を化け物扱いする連中を助ける義理はねぇ!」


 俺は再び駆け出そうとしたが、立て続けに響く爆発音を前に拳を握りしめる。

 何迷ってやがる! 俺にとって一番大切なのはアキラだ! そうだろ! こうしてる間にも、あいつに何が起こっているかわからねぇんだぞ! アキラ以外の人間が、強き心を見せた事があったか? 俺を受け入れてくれたか? そんな人間はいなかったじゃねぇか! だったら、今他の人間を見捨てて、あいつの救出に向かっても誰にも文句を言われる筋合いはねぇじゃねぇか!!


 凄まじい力で自身の拳を握りしめていた俺だったが、やがて走り出しアパートを飛び出した。そして、俺は走り出した。街の中心部へ。

 アキラが一番大切なのは変わらねぇ。だが、あの場所には俺にしか助けられねぇ人間がいるかもしれねぇ。それを、見捨てていい訳ねぇだろ!!


「アキラ、すまねぇ! もう少しだけ、待っててくれ!!」

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