第二十二話 将也の悩み

「ちょっと相談したいことがあるから付き合ってくれ」

 と、陽一が将也に頼まれたのは、その週の金曜日のことだった。

 陽一としても、気になりつつも有耶無耶にしていたこともあったため、承諾した。放課後、彼は星奈に事の次第をメッセージで報告しつつ、将也とともに駅前のドーナッツ屋へ足を運んだ。

「悪ぃな、わざわざ」

 珍しく殊勝にもそんなことを言い出した将也に、陽一は肩を竦めて、

「気にすんな。奢りなら文句なんか言わねえよ」

「奢るなんて一言も言ってないよな……?」

 戦慄した様子で振り向く将也を余所に、陽一は一足先にトレーとトングを手にしていた。腑に落ちないようではあったが、将也も渋々それに続く。

 流石に本気で奢らせようと思っていたわけでもなく、普通に会計を済ませた陽一は、テーブル席に将也と向かい合って着いた。代わりと言わんばかりに、彼はそわそわと何か言いたげな将也の前に掌をかざし、口を開く。

「ところで、先にこっちも聞いていいか?」

「あ? どした?」

 意外そうに目を瞬く将也。陽一は努めて簡潔に、

「俺に何か話そうとしてただろ。あれ、結局何だったんだ?」

「……ああ、そういや忘れてたな」

 言われて思い出したらしい。数拍遅れて、将也が手を打ってそうぼやいた。

 陽一が鬼頭に告白されたあの日、成り行きで将也と別れて以来、彼は一度もその話題を口にしなかった。あれだけ必死そうだったにも関わらず、である。余程特別な事情でもあるのか、とも疑っていたのだが、拍子抜けだ。

 呆れ顔で睨みつけてくる陽一に、将也は両手を振りながら、

「いや待て待て、忘れてたのは事実だが、まあ聞け。簡単に言えば、言う必要がなくなったから言わなかっただけなんだって」

「どういう……」

 あまりにも下手くそな弁明に、尚更不審がる陽一だったが、ふと気づいたように言葉を切った。閃いたままに、疑惑を問いかけてみる。

「ひょっとして、俺が鬼頭をフッたからか?」

「その通り」

 どういうわけか誇らしげに、将也が胸を張りながら厳かな口調で告げる。半眼で彼を睨み、軽く額に裏拳を叩きこんでから、陽一は無言で続きを促した。

「いくら何でも、鬼頭がお前に声かけてきたいきさつが急だなって思ってさ。だから、何か意図があるんだろうと思って調べてたんだよ。いや実際、骨だったぜ。直接女子に聞くなんてできねぇから、男連中から又聞きで調べるのは」

「自慢することじゃないと思うんだけどな」

「うっせえ……んで、最終的には、鬼頭が他の女子たちと話してたのを、三嶋が教えてくれたんだよ」

 相槌のノリで放ったツッコミを、将也も軽くいなして続ける。コーヒーを啜る陽一が、スッと双眸を細めて虚空を睨んだ。

「何話してたって?」

 再度、促す響き。核心がそこにあることは分かり切っている。身構える陽一に対し、将也も神妙な表情でチョコリングを咀嚼し、少し間を空けた。或いは、彼自身が心の準備をしているようでもあった。

 ややあって、将也が問いに答える。

「まぁ簡単に言えば――お前がシスコンなのかどうか、ぶっちゃけマジで妹とデキてるんじゃないか。それをどうやったら確かめられるか、って」

 陽一の薄氷の眼差しが、将也の方へ横滑りする。

 言葉こそ冗談めいていたが、語る将也の眼差しは真面目だった。そのことを確かめた陽一は、薄く開きかけた唇を引き結ぶ。

「鬼頭が告って、お前がそれに乗っかれば……それこそあの流れなら、「保留」ってした時点で、過度のシスコンでないことは証明完了。んでついでに言うと、一部の連中はそれで賭けしてたっぽいんだな、どうも」

「悪趣味すぎねぇ?」

「俺もそう思う。流石にドン引いたわ」

 嫌悪感も露に吐き捨てる陽一に、将也も同調して頷いた。

 それ以上は言葉にせず、陽一は大きく溜息をついて背中を曲げた。苛立ちが透けて見える彼の横顔をちらりと見て、将也は少しトーンを和らげて再び口を開いた。

「だから鬼頭がお前に気がある素振りを見せてたのも、本気でお前が気になってたわけじゃなくて、その賭けがあってのことだろうと思ってな。「これ以上相手にすんな」って言おうと思ってたんだが……」

 尻すぼみに弱まり、彼の言葉がそこで止まった。言いにくそうに口の端を曲げる彼を見やってから、陽一は鼻を鳴らして彼の言葉を継いだ。

「伝える前に鬼頭は俺に告白してて、それを俺が断った、と」

「ん、あぁいや、それもあるんだが……」

 と、陽一の予想に反し、将也は別のことを考えていたらしい。鼻白んで黙った陽一に、将也はまた若干の間を空けてから、なおも躊躇いがちに語りだした。

「あんとき、お前はああ言ったけどさ……なんつーか、案外鬼頭本人は結構本気だったのかもなぁ、とか思っちまって。お前にフラれたときの態度とか、そんな風に感じてさ」

 落ち着かなそうな語り口は、鬼頭の思いを図り切れないことへの不安によるものか、彼女の気持ちそのものにケチをつけたことへの後ろめたさからか。いずれにせよ物憂げな将也だったが、対する陽一の反応は簡潔だった。

「どっちにしたって返事は変わってなかったよ」

 将也の態度とは対照的な、落ち着き払った声音だ。思わず将也が彼の方を振り返る。驚きの視線を受けて、それでも陽一は素知らぬ顔で肩を竦め、それ以上は何も言わなかった。

 やがて、将也が呆れた笑いを零す。

「お前、やっぱ妹ちゃんのこと好き過ぎるだろ」

「言ってろ」

「言い忘れてたけど、鬼頭の一件以来、晴れてお前はグレートシスコンとして裏でいろいろと噂されてるみたいだぜ。よかったな、これで今度こそ鬼頭みたいにちょっかいかけてくる奴もいなくなるだろうよ」

「そーかよ。ライバルが減って、お前には嬉しい話だろうな」

 見え透いた厭味を適当にあしらい、陽一は黒糖ドーナッツを平らげた。それから、仕切り直すように口調を変えて、

「ま、余計な話振って悪かったな。で、改めてだけど、お前の方の用件は何なんだ?」

 努めて軽い調子で水を向けた。

 が、またしても意外なことに、「改めて」と陽一は言ったものの、どうやら話題はあまり大きく動かなかったらしい。将也は、陽一が何の気なしに放った軽口をまともに食らって硬直していた。訝り、陽一が眉根を寄せる。

 将也は錆びた機械にようにぎこちない動作で陽一の方に首を回し、恐る恐るといった体で声を絞り出した。

「……あのな陽一、頼むから、信じてほしいんだが」

「どんな前置きだよ。いいから話してみろ」

「実は昨日、告白されて」

「親から昔犯した罪でも告白されたか?」

「そーじゃねーよ馬鹿っ! 告白されたの、女子に! 小森こもりに!」

 ノータイムで冗談を返した陽一に、将也は烈火の勢いで反発してきた。陽一は細い目で彼を睨み返し、鼻を鳴らすと手を軽く振った。目を逸らし、コーヒーに手を伸ばすその表情は、果てしなく関心が薄かった。

 小森という名前に心当たりがないではない。クラスメイトの小森未海みみのことを言っているのだろう。しかし彼女は極めて大人しい、地味なタイプの女子だ。よりにもよって将也に惚れる理由などあるようには思えない。

 流石に将也の方も、陽一が信じようとしない理由は弁えていたらしい。促されるより早く説明を続けた。

「鬼頭がお前に告ったとき、その後ろで俺がサイン送ってたのは気づいてただろ?」

 また妙なところに話題が飛んだ。困惑しつつも、陽一は頷く。

「ああ、あの訳が分からん動きか。あれがどうかしたか?」

「無学なお前は知らんだろうが、あれ、手話だったんだよ」

「……手話? お前が?」

 毒づいた将也の台詞に、陽一が一転して大きく目を見開いた。あまりに想像から外れた展開に反応が遅れた彼を、将也は仏頂面で見やりながら浅く首を縦に振る。

 言葉が見つからず、しばし無意味に口を開閉していた陽一は、ややあってどうにか声を捻り出した。

「お前……モテるためのアピールの方向性おかしいだろ。いつ使う気だよ」

「うっせーな、知ってるよ! 放っとけよッ!」

 机をバンバンッ、と叩き喚く将也の手を適当に叩き潰し、陽一は内心嘆息していた。

 当たり前だが、女子にモテたいがために将也が手話を勉強していた、などとは陽一も思っていない。本当の理由など知りもしないが、幾ら彼が色々と拗らせているにしても、ここまで迂遠なアピールを選びはすまい。

 鬼頭について調べ陽一に警告しようとしてくれたことといい、どうやら将也は意外とお人好しなところがあるらしい。短くない付き合いだとは思っていたが、初めて思い知った。

 まぁ異性に見境がないことも事実ではあるが。

「あ~……まぁ何となく分かった。要はあの件で、お前が手話を使えるってことを不審に思った小森が声をかけてきて、それを告白されたと思いこんでいる、と」

「オイ微妙に間違ってんぞ。勘違いじゃないの、告白されたの、ガチで。手話覚えた経緯とかそういうの、ビビるぐらいグイグイ聞いてきて、そのあとではっきり「好きです付き合ってください」って!」

「分かった分かった。もういいよそれで。んで、一体何を相談したいんだよ?」

 心底面倒くさそうに相槌を打ってから、再度問いを投げる。その瞬間、怒り心頭だった将也が急に大人しくなった。

 また返答は遅くなりそうだ、とばかりに、陽一はコーヒーに手を伸ばす。もうほとんど残っていない。僅かに眉を揺らした直後、将也がゆっくりと話し始めた。

「その、な。お前は見境なしって言うけど、実際俺にだって好みがないわけじゃなくてな」

「初耳だな」

「小森って、背低いじゃん。活動的でもないし、髪型も顔も地味だし」

 指折り挙げる彼の言葉に、陽一は顔を顰めながら言葉を返す。

「タイプじゃないから嫌だってんなら断れよ。どう伝えるか悩んでるってことなら俺に聞くな」

「いやそうじゃねぇって、もうちょっと聞いてくれ」

 陽一が突き放すように言うと、将也は慌ててそう言ってきた。彼は短く咳払いをして、その表情を改める。

 未だ迷いが濃く見られはしたが、それでもその表情は、今までのどの瞬間よりも真剣味を帯びていた。

「……だからな。今までの俺の好みと対極的なのは確かなんだが、それでも小森のこと、いいなって思ってる自分もいるんだよ。けどさ、告白されたから好みを曲げて付き合うってのも、なんか、それこそ不誠実なのかなとか考えちまって……陽一、お前ならそのあたり、どう思う?」

 言葉に落ち着きはなく、それでも矢継ぎ早に繰り出される将也の台詞には、彼なりに誠実であろうという意志が表れていた。陽一の知る将也の面影は、そのときそこにはなかった。

 思わず感心する。同時に、それを態度に出さないよう、陽一は一度目を閉じ軽く顔を伏せた。短い吐息をひとつ。薄く開いた両の眼で将也をジロリと睨めつける。

「前から言ってるよな。お前の見境なしなところは信用できねぇって」

「う、そりゃまぁ、言われてたけど……」

 視線の圧力か、それとも叩きつけられた台詞にか、将也が怖じたように口ごもる。それでも陽一のペースは変わらない。彼はほぼ空のカップを回して氷を鳴らしつつ、言い聞かせる口調で語り続けた。

「今さら誠実さを気にしたところで手遅れな気もするが……結局のところあれだろ、小森と付き合いたいとお前自身は思ってるんだろ?」

「……ああ、そうだよ」

 苦々しく重たい何かを飲み下した顔で、将也が首肯。

「じゃあ付き合えばいい」

「だからっ、そんな簡単に納得できりゃ悩んでねぇっての」

 将也の双眸が苛立たしげに震える。が、陽一はあくまで冷淡なままだ。将也の目を捉えたまま微塵も動じず、

「お前の悩みなんざ知らん。けど、お前のちゃらんぽらんさを小森が知らないとは思えねぇ。なら、俺には分からないけど、それを帳消しにできるだけの価値を、小森はお前に感じてるってことだろ? 今のままのお前に。ならそれでいいじゃねぇか」

 早口ではなくとも、口を挟むことを許さない、途切れることのない指摘の羅列。初めは落ち着かなそうに聞いていた将也が、きょとんと瞬きして閉口した。

 彼の反応を見て、ようやく陽一は口の端を軽く持ち上げる。最後に少し残ったコーヒーを飲み干すと、彼は大儀そうに息を吐きながら立ち上がった。そして将也を見下ろし、ニヤリと細い、皮肉めいた笑みを浮かべて言う。

「それにある意味、お前の口から「不誠実」なんて言葉が出てきたこと自体、一種の免罪符になると思うぜ。日頃の行いの賜物だな」

「んなっ……」

 陽一の台詞に、将也の顔色が目まぐるしく変化した。怒りに眦を吊り上げる一方、口元は嬉しそうに綻んでいる。綯い交ぜになった幾多の感情を制御し切れず、言葉を発することすらままならない彼を捨て置いて、陽一は席を離れた。

 トレーを返却口に置いて、店を立ち去る。自動ドアが閉まる直前、背後でよく知った声で何か喚いているのが聞こえたが、陽一は振り返ろうともしなかった。

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