第八話 連休前夜の電話

「はぁ、帰って来れない?」

 ゴールデンウィークの連休前夜。父からかかってきた電話を受けた陽一は、思わず上ずった声を返してしまっていた。電話口の向こうからは、申し訳なさそうな声が聞こえてくる。

『そうなんだよ、すまん。母さんが急に熱出してな』

「あー……まぁそりゃしょうがねぇな」

 困惑から醒め、陽一も気まずそうに漏らした。

「大丈夫か? むしろ俺たちがそっち行こうか?」

『いやいいよ。こっち来ても泊まるスペースなんてうちに無いし』

「それもそうか……んじゃまぁ、お袋のことは親父に任せるしかないけど、とりあえず「お大事に」って伝えといて」

 提案してはみたものの、父の言葉に再び納得の声を漏らして、陽一は一人肩を竦める。彼の声色に何か感じたか、父のトーンが一段と下がった。

『ホント悪いな、少ないチャンスに帰ってやれなくて』

「気にすんなよ、相手する手間が省けた」

『何だとこの野郎』

 雰囲気が沈むのを嫌って陽一が軽口を叩く。すぐに父の凄むような、それでいてあまり本気には感じない声が帰ってくる。意識せずとも小さく笑いが零れた。

 そのとき、リビングの外で浴室の扉が開く音がした。耳聡くそれを聞きつけ、陽一は頃合いを見計らって言った。

「冗談冗談。まぁ、またトラブル起きなきゃお盆には帰ってくるだろ?」

『ああ、そのつもりだ』

「そのときの土産に期待しとくよ……ところで、そろそろ星奈も戻ってくると思うけど」

『お、そうか』

 告げると、父も短く相槌を打つ。

 陽一はそのまま星奈がやってくるのを待つだけのつもりだったが、そんな彼に、父が躊躇いがちに声をかけてくる。

『あー、ところで陽一。ちょぉっと聞きたいんだけど』

 何故か内緒話のように潜めた声だ。訝りながらも、陽一は返す。

「何だよ?」

『星奈の奴、知らん間に彼氏ができてたりとかしないか?』

「はぁ?」

 あまりに突拍子もない台詞に、何かの冗談かとも思ったが、少し経っても父は何も言い返してこない。仕方なく、彼は嘆息一つ落とし、呆れたようにぼやいた。

「んなもん知るかよ。本人に聞け本人に」

『馬っ鹿お前、そういうの親には内緒にしておきたい年頃だろうが。ホントに何も心当たりないのか? それっぽいのを見たでも、話聞いたでもいいからさぁ』

「何もねぇ。学校以外じゃ大体いつも俺と一緒だし、いないんじゃねぇか?」

 投げやりに吐き捨ててから、陽一はひょっこりと顔を出したパジャマ姿の星奈を見つけ、手招きした。直前の彼の言葉で、何の話をしていたか予想がついたのか、星奈は微妙な苦笑を見せて近寄ってくる。

「んじゃ、代わるぞ」

『んん? ちょっと待て、ひょっとして今の――』

 まだ何か言おうとする父を無視して受話器を離すと、陽一はそれを星奈に差し出した。

「んじゃ、風呂行ってくる」

「行ってらっしゃい」

 小声でやり取りを交わし、その場を離れる。背中を向けた陽一の元には、背後から星奈が話す声が聞こえてきた。

「もしもしお父さん? さっき何の話してたの?」

 咎めるような彼女の声音に、つい狼狽える父の顔を想像してしまい、思わず吹き出しそうになった。どうにか堪えつつ、陽一は着替えを取りに部屋へと向かう。

「星奈に、彼氏かぁ……」

 ついぼやきつつ、陽一は首を捻る。

 いつだったか、将也にそんなことを言われたこともあった。あのときはただ単に、想像できないという以上には何も考えなかった。だから適当にはぐらかして答えた。しかし今は、別の考えが意識を引っ張る。悶々と、形の定まらない不快感が脳内で踊っていた。

(いた方がいいのか……もしいたら、多分俺じゃなくてそいつと一緒に過ごすようになるだろうな)

 それぐらいのことは、色恋に疎い自覚のある陽一にだって分かる。それが悪いことだとは思わない――思うべきではない、とは分かっているのだが。

(想像すると、なんか、ちょっと寂しいな)

 と、そんなことを思ってしまったことを自覚したと同時に、げんなりと肩を落とす。

「ったく、自分の都合で他人の……他人じゃねーけど妹の事情に口挟もうとか、香坂を笑えねぇな俺……しょーもねぇ」

 自戒を込めて呻きつつ、自分の額を掌で押す。苦い心中のまま、彼は足を引きずるようにして部屋を出た。

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