一番星のステラ

星 太一

前編

 幼い頃、不思議な体験をした。

 よく覚えているとも。あれは夕方、日没直前に犬の散歩をしていた時だ。――小学校三年生位だったか?

 星が静かに息絶えたんだ。すうっと向こうで静かにその身を永遠に隠した。

 目を何度もこすって、瞬きを何度もして、息をハッと飲み込んで、頭が真っ白くなって寒くなった所で痺れを切らした犬のルークに引っ張られてすっ転んだ。


 星がああやって死ぬのならば、星が生まれる瞬間もここから観測できるのだろう。

 少々ファンタジックだけど、人が死んだら星になるなんて瞬間だって、或は……。


 僕の名前は塚田洋介。

 英雄のなりそこないみたいな不思議なあの日々を僕は多分一生忘れない。


* * *


[今夜の天気は快晴、オリオン座がそろそろ見えてくる時期に……]

 ラジオは今日も淡々と天気予報を垂れ流す。

 それを聞きながら炊き立ての白米をすくって、黙々とラップの上に敷いていった。

 確か冷蔵庫に鮭のフレークがあったはずだ。

 今日も毛糸の帽子を深く被り、濃い緑色のマフラーを巻いた。家の中ではダウンジャケットは暑苦しい。手袋は一番最後にしよう。

 笛吹ケトルの甲高い音を合図にココアパウダーを用意する。

 お湯を少し大きめの魔法瓶にたっぷり注いで湯気の柔らかな水の匂いを顔で受け止めた。

 今夜のお供はココアだ。そういえば先輩は甘いココアが好きだった。

 リュックに毛布とか魔法瓶とか諸々を詰め込んで静かにチャックを閉める。

 望遠鏡を肩に担いで玄関の扉を開けると一気に冷気が体を包み込む。

 頭上を見て肺の中の最後の温かい息を白く吐き出した。

 大空に満天の星。

 今日も僕は学校裏の小高い丘にあの星を探しに行く。


 まだ十五だ。車なんて運転できない。こんな重装備で自転車なんか乗ったら最後、自転車か僕の命が潰れてしまうだろう。だからあそこまでは三十分たっぷりかけて徒歩で行く。二十分位経つとキツイ坂道になって足の裏から強い衝撃が骨に染みてくるようになる。

 そこまでくればもうすぐだ。重たい望遠鏡をもう一度担ぎなおす。

 すっかり凝り固まった首を持ち上げると冷たい風が星空から降ってくる。真っ暗な空に宝石をぶちまけたみたいだ。

 ――あれが、命の、数。

 もう一度息を吸い込んで、坂道の終わりの草原を踏んだ。

 ここが僕の、僕だけの場所。

門田町の中で一番星が綺麗に見える場所。背後の大きな病院の電気がもうすぐで全部消える。そうしたらこの星空はもっと綺麗に輝きだす。――ほら、一気に。

 気のせいとかじゃない。この真っ暗の中、降ってきそうな物凄い数の輝きを体で受け止めるようなこの感覚が好きなんだ。

 世界に僕だけ一人残った感覚なんだと思う。

 なんか訳の分からないゾクゾク感が胸をこしょぐる。

 望遠鏡の足を伸ばす。この時の音が何というか、好きだ。

 眉間にしわを寄せてピントの調整をする。これは……何の星だろう。荷物でいっぱいのリュックから重たい図鑑を引き抜いた。

 手袋を脱いでページをめくる。突き刺さる針のような冷気に思わず魔法瓶を掴んだ。

 腹が減った。握ってきたおにぎりに手を伸ばして、ラップを解き、口いっぱいに頬張った。

 画像と図鑑を何度も見比べながらおにぎりを無心で頬張る。

 僕は図鑑に載っていない星を死ぬ前までには見つけたい。

「何してるの?」

「んむぐ!」

 と、突如左肩に手が置かれ、仰天した僕は二つ目のおにぎりをのどに詰まらせた。

「けほっ! けほっ! ヒーヒー!」

「ねえ……大丈夫?」

 ああ、僕の鮭握り……。

「ねえってば。聞いてるの?」

「もう! 何で――」

 余りにしつこいのでそちらを振り向いて僕は思わず息をのんだ。

「――す、か」

 アニメの中でしか見たことのない紺色の豊かな髪を持った同い年ぐらいの少女が魅力的な微笑をこちらに向けている。透明度の高い白い肌はこの冷気にやられて赤くなっていた。

 なんて綺麗な人だろう。星空をバックに理想の美少女がそこに立っている。黒い夜空に溶け込みそうな彼女の髪が時々整ったその顔を隠し、彼女の白いノースリーブワンピースの裾が冷たい風にはためいて――って

「風邪ひきますよ!」

 慌ててリュックから毛布を出して彼女の体を包んだ。


「ふう、ふう、ふう」

 小さく三回、ココアに息を吹きかけてからずずっとすする。

「えへ、美味しい」

 毛布にくるまった少女は心から満足したような満面の笑みをこぼす。

 全部可愛い。本当にアニメの中から出てきたみたいだ。

「それで、貴女はここに何しに来たんですか?」

「何って……ずっと待ってたに決まってるじゃないの」

「え……」

「私は貴方に会いに来たの。遥か未来、六十億年後の未来から」

「ん? え、え?」

 頭が自動的に「コレハウソダ、シンジルナ」サインを発令している。

「嘘ですよね……?」

「嘘じゃないってば! 洋介君」

「……! 僕の名前……」

「まあ? 未来から来ましたし?」

「ええ……」

 まじか。(単純)

「どう? 信じてくれた?」

「……いや? 待ってください。どうして六十億年後の未来から来たのに六十億年前の凡人の名前を知ってるんですか」

「そりゃあ、六十億年後では有名人なのよ、貴方」

「ひぃええ」

 まじか。(満更でもない)

「どう? そろそろ信じてくれた?」

 彼女の綺麗な顔が迫ってくる。ここまでされると頷かない訳にはいかなくなる。

「う、ん……」

「よし。ようやくね」

 満足そうに彼女はにこりと笑って姿勢を戻した。全てが絵になる。

「それじゃあ、改めまして」

 急に立ち上がった。星空をバックに彼女の髪の毛がなびく。

「私の名前はステラ。六十億年後の未来から貴方に会いにやってきたの」

「ステラ……」

 僕が呟いたのに呼応して薄い微笑を湛える。

「でも……何で僕なんかに」

「決まってるじゃない? 貴方とお喋りしに来たのよ。六十億年後の有名人さん」

 繰り返しすぎだ……。嫌でも顔が赤くなる。

「それで話の続きだけど、何してたの?」

 僕がぼうっと惚けているのをよそに彼女は同じ質問を繰り返してきた。

「あ、えっと……星を探してたんです」

「星? 何の星?」

「え……それは、その……」

 言って良いものか。

「何? そんなにえっちな星座探してるの?」

「そんな訳ないでしょうが!」

 それ以前になんだよ、その、えっちな星座って。

「じゃあ何なの?」

「どうせ馬鹿にされるから言えません」

「……何で? 何で有名人を馬鹿にしなくちゃいけないの?」

「……」

「私、未来人だから知ってるよ。馬鹿げた事でも何か大切な事に繋がることがあるって」

「……」

「ねえ、教えてよ」

 ねだるような視線、長いまつげ。

 嫌な既視感に少し眩暈がする。

「……それでも駄目だよ」

「え……」

 拍子抜けしたような彼女の瞳が少し自分から遠のく。

「もうちょっと仲良くなってからじゃないと」

「……どうしてそんなに塞ぎ込んでるの?」

「……」

 寂しい微笑を送るしか出来ない。


* * *


 次の昼。あくびが止まらない。

夜遅くまで星空と睨めっこしている事も相まって僕に眠気をどんどんと注入してくる先生の低い声。

 学校はやっぱり退屈だ。勉強もそうだけどそれより何より人間関係が面倒臭い。

 勝手に決められた順序立て。ゲーム程では無いものの、矢張りどこかには存在している数値化された好感度。ゴールインした暁には「リア充」という誰もが羨む勲章が与えられるんだそうだ。

 全くもってくだらない。

 自由な恋愛よりも強制的な恋愛の方が上手くいっている癖に。人々はやれ恋占いだの、運命の相手だのとかいうものを探したがる。


 ……最後は傷付いてしまうだけだというのに。


 僕は人間関係は兎に角平凡、平凡でありたい。色々と面倒なことはどこかに置いてその入り口でただにこにこと笑っていたい。

 人間関係に踏み込めば――。

 その時はきっと、きっと……。

「塚田、授業に集中しろ」

 真っ青な青空に何だか妙に映えている白いカーテン。それを揺らめかす風に目をやった時、頭を出席簿がぽかりと叩いた。


 ……、……。


 放課後。

 熱狂的な運動部の掛け声、下手とも上手とも言えないような楽器の音色。派手な爆発音と火災警報器の響く校舎――また科学部がニトロを勝手に用いたに違いない。

 このけたたましい騒音は退屈を引きずり続ける体にとっては毒でしかない。

 この感情が唯一共有できるのは僕の所属している天文部顧問の杉田だけだった。

「つれない野郎だ」

「いけ好かない奴だ」

「先生に対してそれは無いんじゃないか?」

「お言葉ですが先生。先程の言葉も生徒に対して言う言葉ではないのでは」

「ううむ。何とも言えない」

「……」

 この人はひたすら軽い。軽すぎるのだ。

 軽すぎる上に口まで悪い。

 だがこれ位自由で、人間関係に踏み込んでこない所がとても具合が良い。

 僕がこの人の元に通い続ける理由でもある。

「奴ら変わらないな……今年の部長もどうかしてる」

「科学部ですか」

「中学生がニトロ使うか? 普通」

「危ないと思います」

「だろ? ……初代部長の神風の影響だ。今年の部長もどうやら変人らしいな」

「初代部長を知っているんですか」

「当たり前だ。俺、元顧問だから」

「へえ。じゃあ今の顧問は?」

「……神風先生。ひろとの方」

「ああ……」

 それって部長というより顧問の問題なんじゃなかろうか。

「それで? 今夜もまた裏のあの丘に登るのか」

「ええ、そのつもりです」

「ふうん、カワイコチャン登場か。お前も色恋に目覚めることあるんだな」

「ぐ」

 この人は何というかやけに察しが良い。

 人間関係は平凡でいたくても人間生来の本能や欲求に逆らうことは出来ない。

 入り口で微笑むだけだ。その顔にみとれる位の罪悪は許されるだろう。

「どんな子だ?」

「紺色のロングヘアーに白いノースリーブワンピースの子です」

「だから今日はやたらとカーテンを見てるのか」

「ぐ」

「へへ、野郎の顔を見ろよ。――当たりだ」

「……」

 この人に隠し事はしちゃ駄目だ。

「しかしだな……あんまり夜遅くまで出歩くなよな。その無類の星好きは誰に似たんだか」

「……」

 ズボンの裾をぐっと握りしめる。あの白とこの黒は対照的だ。白く輝く無垢なる星に混沌を湛えた夜闇。喉の奥が、何かがつっかえたみたいで息がしづらい。

「まだ気にしてるのか」

 杉田の声が頭上から響いてきた。

「……」

「言ったろ。彼女はお前のことを憎んじゃいないし恨んでもいない。彼女は……その……」

「その、何ですか」

「……」

「またそこでだんまりですか」

「……、……弱ったな」

 上目遣いでその顔を見やるとそこには困ったような顔をして頭をかく典型的な教師がいた。

「それ、子どもを守ってるつもりなんでしょうけど、全くもって守れていませんよ」

 鞄を引っ掴んで理科準備室を飛び出した。


* * *


「やあ、有名人さん」

「……こんばんは」

「あら。いつにもまして塞ぎ込んでるのね」

「色々あったんですよ。それよりもほら。……風邪ひきますよ」

 今日もノースリーブワンピースという常識外れみたいな服を着てくるステラ。

 僕は通例行事みたいに自分のダウンジャケットを脱いで着せた。

「ふふ、あったかい。洋介君の匂いだ」

 こんな些細な事でもこうやって嬉しそうな顔をするから困る。

 本当に可愛い人だ。きっと未来では人気者のはずだ。

「今日はね、親睦会を開こうと思って。見て見て! ホラ、お菓子」

 ワンピースのポケットから親睦会にしては極々少量のお菓子を自慢するように見せつけてくる。しかも現代のお菓子だ。

「……そこは未来のお菓子にして欲しい」

「仕方ないじゃない。親睦会が必要な程塞ぎ込んでる人とは思わなかったのよ」

「なら親睦会の名にふさわしい量で臨んで欲しかった」

「注文の多い人ね」

「君が現代の常識に馴染んでないんだよ。そんなに未来はパワフルな人でいっぱいなのか?」

「勿論よ。皆スーパーコンピュータで意識が繋がってるのよ! えっと、こんな感じの、この透明なケーブルで意識を仮想空間に飛ばして、空想の世界で遊ぶの」

「へえ」

「食事とかもそこで取れば良いし運動もそこで出来るから皆面白がってアクセスするわ。私はね友達が一万人位いるのよ! それでね、えっとね、えっとね」

「分かった。お菓子食べよう」

「ええ、食べましょ!」

 うきうきしながらチョコチップクッキーの包装を破る。両手で小動物みたいにクッキーを持って一口齧る。零れ落ちたクッキーの粉を慌てて受け止めようとして上半身と手が忙しなく動いた。――結局ミッションは失敗したみたいだが。

「未来にもお菓子はあるの?」

「勿論! 全部虹色」

「不味そう」

「美味しいわよ!」

「じゃあファッションは虹色の服とか虹色のサングラスとか虹色の髪の毛とかにしないの?」

「そんなの千年前のファッションね」

 結構とげのある言い方で思わず吹いてしまう。

「な、何笑ってるのよ」

「んん、いや、なんというかお菓子だけ時代遅れなんだ。他は先端技術とか使ってるくせに。ふふふ……」

「わ、悪かったわね! あ、あとココア頂戴」

「はいはい」

 滑らかなチョコレートが彼女の口腔の奥に消えていく。

 唇の上に付いたチョコレートが白い肌とあどけなさの残る行動一つ一つにとても良く映えた。

 彼女は他の人々にとって愛しい存在であり続けるだろう。

 僕は白い息を吐きだして満足そうに笑む彼女を見ながら彼女が食べたものと同じクッキーを一口齧った。

 今日は、星は良いや。

「はー! 大満足!」

 少量のお菓子と大量のココアに舌鼓を打ちながら腹をなでる。

 全てが絵になった。

「親睦会は大成功だね」

「大……?」

「良いの! 大成功なんです!」

「はいはい分かった分かった」

「分かればよろしい!」

 目の前の少女にはどこか抗えない何かがある気がする。

「よし。それじゃあ親睦会のお土産がてら次回までの宿題でも出しますかね!」

「ええ……面倒臭い。何でいきなり」

「文句を言わない! さて、問題です」

「良いったら」

 そんな僕におかまいなしといった感じで立ち上がった彼女のワンピースの裾が揺らめいた。

 紺色の髪が夜闇に溶ける。


「見られる時間が限られるお星様がね? この無数の星の中にはあるの。それは何という名前の星でしょーか! 別名も答えてください!」


* * *


「今日は一段と真剣だなぁ、洋介」

「煩い無精髭」

「……それ言われたの十年ぶり位だわ」

 何がなんでもこいつの授業だけは聞き逃してはならない。

 杉田の専門は地学だ。天文部の顧問をやっているだけのことはある。

 そして今は宇宙の授業。惑星がどうのこうの言っている。それを目をかっ開いて全てメモに取る。

 あの問題の答えに辿り着くためにはこうするしかなかった。


『ただし! その図鑑は見てはいけません。没収です!』

『あ、ちょっと!』

『人に聞くのは許します。授業とか先生とか……私とかね』

 言いながらウインクする。

 いつもなら可愛いって言うところなんだろうけど、今限定で滅茶苦茶ムカつく。

『あ、言っておくけどスマホとかネットとかに頼るのは駄目だからね!』

『分かってるよ』

『……見てるから』

『怖い怖い』

『それじゃあ答えが分かったらまたここに来て。……分からなくてどうしようもできないって時もここに来て』

『……』

『待ってるから』


「へえん、そういう事か」

「何がだよ!」

「じゃあ、敢えてそこをカットしようかね」

「だから何がだよ!」

「あ、え、て。洋介君の数少ない色恋の応援だよ」

「うるせえ無精髭! 授業進めろ!」

 もう嫌な予感しかしない。


 予感は見事見事、見事に的中した。

 数日間の宇宙の単元が終わったのに「見る時間が限られている星」とやらの話題は一切出てこなかった。

 僕がそのプライドから杉田に泣きつくのだけは絶対にしないというのはもう奴に知れている。

 そうすると最終的に残る人材は……。

 頭を抱えた。

 そんなの! そんなの出来る訳がない。天文部員ではあるが今では幽霊だ。星探しも全くの独学で基礎の基礎がちゃんと出来上がっているかも怪しい。

 僕に課せられたミッションは杉田に如何に自然にその星についての情報を吐き出させるかにかかっていたがそれも潰えてしまった。

 あいつ超能力でも持ってんじゃねえのか。

 八方塞がり。詰んだ。非常にマズイ。

 そうして今に至る。

 教室でうんうん唸りながら頭をガシガシかきむしるしか出来ないから非常にマズイ。

 バランスの悪い支柱の上で何とか平穏に保ってきた人間関係が瓦解するのももう時間の問題だ。

「どうする……どうする……」

 その時肩に静かに手が置かれた。

「少年。何かお困りかな」

 ゆっくりと顔を持ち上げるとそこには直毛の長毛を有したある意味有名な眼鏡の教師が立っていた。


「我々科学部は困っている仔羊さんの味方です」


 その闇をはらんだいやらしい笑みに僕は目を見開いた。


「おいよせやめろ洋介。それをゆっくり机の上に置け」

「今から質問に答えて頂きます」

「分かった! 分かった。分かったから洋介止めろ! 洋介!!」

「それでは誓約書にサインと拇印をお願いいたします」

「そこまでやるか! 普通!」

「おっと水が垂れる」

「テメェの仕業だろ神風エエエエ!」


 後には理科教師の疲れた顔と神風大登教諭の「私の犠牲者リスト」に載せるための顔写真を撮る悪趣味理科教師がいた。

「先生、これで私の一勝です」

「覚えとけ、大登」


 ……、……。


「そりゃ金星だな」

「金星?」

「そ、金星。英語名はVenus。日本語で女神だ」

「女神……」

「神様は沢山いるけどな、その中でも特に美しい美の女神様っつうこった。それ程綺麗な星なんだ」

「神様なんていない」

「馬鹿言うなよ? お前何て名前の町に住んでやがる?」

「……門田町」

「自分の町の宿命から抗おうとするなよ」

 門田町は世界で一番オカルト現象が多い町とか言われているけれど信じる気になれない。

 この科学の時代に魔法妖怪神様云々を信じる旧人類が何人残っている?

「そりゃあ言い過ぎだ。何で新旧区別して、見えざる者達をそう言うのかは俺には分からないけど、そういうのは確実にいるし、お前はやがてそういうものに嫌でも関わる事になる」

「……根拠は」

「知ってるんだよ。何せ俺の専門分野だからな」

「星占い? ……孔明かよ」

「生まれ変わりかもなー」

「そんな軽い孔明聞いた事ない」

「お前は相変わらず口が悪いや」

「あんたもな」

 困ったような笑みを返し、肩で笑った。

 神風先生がこの学校に就職した理由も何となく分かる気がする。

「さてと。そろそろその誓約書破って帰っても良いか?」

「駄目に決まってんだろ。また神風先生呼ぶぞ」

「何でだよおおお! さっきの流れ、どう見たって終わりの流れだったじゃんかよぉ!」

「まだ別名を聞いてない」

「んああ? 別名? ――ああ、そういやそんな約束もあったなぁ」

「あ、水が垂れる」

「止めろ! 止めろ止めろ! シャレになんないからその冗談!」

「……」

「こいつ……大登の悪い方の影響を受けまくってやがる……」

「さあ、教えてください先生」

「……こんな時ばかり先生なんて呼称使いやがって」

「さあ早く」

「……」

 ぶすっとした顔をしてだらしなく座る杉田に迫る。

 背後では夕日が山の向こうに顔を沈めようとしている真っ最中だ。

 薬品の匂いがこびりついた白衣が観念したように動いた。


* * *


 息も絶え絶え走って丘を駆け上がる。

 重たい装備が厄介だ。

 早く、早く。

「はあ、はあ」

 寂しくもかもかと光る白銀の月光が丘を明るく照らす。

 今日は月が綺麗だ。

 シャク。

 いつもの坂道の終わりの草を踏む音に月光のような彼女はばっとこちらを振り向いた。

 そのまま羽織っていたダウンジャケットを放ってこちらに飛び込んできた。

 余りの勢いに体が反動で後方にぐらりと揺れたがプライドみたいなものだけで何とかその場に踏みとどまる。

「……嫌われたかと思った」

「ごめん……」

 久しぶりに女性の体を抱きしめた。

 壊れそうな程薄く、そして美しいガラス細工のようで月光によく、よく映えていた。

 今日は月が綺麗だ。

 君はその体に地球の全ての神秘を飼っている。


「答えは分かった?」

「分かったよ」

 その返答に物凄く驚いたような顔をする。

 おい、何気失礼だぞ。それ。(しかし当たっているので何も言えない)

「……本当にネット見てないんだよね?」

「誓って見てない。君との約束だし」

「……それで答えは?」

「金星。英語名はヴィーナス。別名は『宵の明星』また『明けの明星』。――そして一番星」

 ほんの少しの沈黙が僕らの間を通り抜ける。

 彼女の顔は至って真剣だ。

 緊張で息が詰まる。

 果たして。


 ――、――。


「……正解」

 穏やかな笑みに僕は息を吹き返したような感覚を得た。


「凄い……本当に当てちゃった」

「伊達に星探しはしてないよ」

「ふうん」

 疑うような顔でこちらを見てくる。

 か、顔に出ているだろうか。

「誰に教わったの? 彼女さんとか?」

「ち、違うよ! 先生だよ……」

「本当に?」

「本当だよ。何で嘘つかなきゃいけないんだよ」

 そこまで言うと彼女はころりと明るい表情に戻り

「なら良いんだ!」

と落ちていたダウンジャケットを羽織り直した。

 ……勘違いするぞ。

「それで? どうしてこんな問題なんかを?」

「こんなじゃないわよ! お姉ちゃんの大好きな星なんだから」

「え?」

「い、いや、何でもない」

 照れるように慌てて顔を隠した彼女に少し悪戯心が芽生えた。

「おや? 何か隠し事ですか?」

「ち、違うわよ!」

「そう言えばどうして六十億年後から来たのかとかの理由も聞いてなかったし?」

「ぎく」

「お姉ちゃんというワードも気になります」

「ぎくぎく」

「全て聞かせてもらっても?」

「そ、そんなの駄目だよ! 私のプライベートだもの!」

 慌てて逃げようとする彼女の手を引っ掴む。

「……!」

 振り返った彼女の頬は真っ赤で、余計にいじめたくなる。

 思い切り引っ張ってやった。

 たどたどしくこちらに引き戻された小さな月光はいとも簡単に自分の腕の中に収まった。

 一等星のように明るい光に見えたその光は実は五等星のような微かでそして温かいものだった。

 余りにも恋というものを知らなすぎる。

「骨折れちゃうよ」

「話すまで帰さない」

「……」

 腕の中で震えている割にはとても温かい。

 生きている感触だ。

「駄目駄目。駄目だよ」

「僕にばっかり問題出したり親睦会とか勝手に開いたりしてたろ。今度はこっちの番だ」

「……」

「……僕は君となら仲良くなれる」

「……」

「お願い。その後僕も話すから」

 恋する人の息遣いが暫くその静寂を支配した。

 耳元で鳴りやまない鼓動が彼女の小さな声とか鼓動とか微かな息遣いとかをかき消してしまいそうでとても邪魔。

「……、……」

 何かにずっと迷い続けて胸に顔を埋める彼女はひどく混乱しているようにも見えた。

 そりゃそうだ。今までの冷めたような奴がいきなりこんな大胆な行動を取るのだ。混乱して当然だ。しない方がおかしい。

 でも月光のようにその身を隠してしまうかもしれないのなら。

 ほうき星のように一瞬間しか自分の目の前に現れない存在であるのなら。

 僕はその光をこの腕に永遠に閉じ込めてしまいたい。

「君が好きだ」

「……っ!」

 やっと上を向いた彼女の瞳から同時に雫が垂れた。そしてすぐに顔をくしゃくしゃにしてまた僕の胸に顔を埋めた。

「ずるい。ずるい……こんなの……」

 髪を撫でると良い香り。

 本当に。本当に君は可愛い人。

 少しその体を自分から離して涙で顔にくっついた髪をどけるように柔らかな丸い頬を撫でた。

 まだ呼吸の荒い彼女の双眸が自然とこちらを向く。

 その神秘を、君が持っているその神秘を全て呑み込みたい。

 僕だけのものにしたい。

 綺麗なあごをそっと持ち上げ、その顔を正面から見つめた。

 自然とその身をかがめる。

 君が好きだ。


 ――、――。


 ――しかし、僕の期待していたシーンは訪れなかった。

 彼女のか細く、しかし芯のあるような腕が僕の胸につっかえ棒のように突き立っている。

 震える手を握ろうとしたけど彼女はそれさえも拒んだ。

「こんな関係になってはいけないの。本来は……」

「どういう事」

「私、もうすぐこの歴史から居なくなるの」

「え?」

「私のいる未来はもうすぐ地球ごと消滅する」

「……」


「私、もうすぐ死ぬの」


(つづく)

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