34 オルブライト邸


 その日の夜。

 ラケルが屋敷の自分の部屋で横になっていると、普段はめったにこちらに話しかけてこない姉のレアが訊ねてきた。


「……ラケル、少し時間いいかしら?」

「はい、大丈夫ですよ」


 返事をすると、扉を開けてレアが部屋に入ってくる。


 ラケルは、姉の声を聞くのは随分と久しぶりだと思った。

 あの日――アークの追放以来、ラケルは姉とは疎遠になっていて、特に学園に入ってからは最低限の会話しかしていなかったのだが……どんな風の吹き回しだろうか。

 

 ここはアルメリア学園からほど近い位置にあるオルブライト家の別邸の一つ。

 学園都市に二つオルブライト家の所有する別邸の片方。

 こちらではラケルとレアの女姉妹が生活しており、もう片方はジュリアンやルイなど男兄弟が使用している。


「何か用ですか、姉さん?」


 ベッドから起き上がり、レアの方を見る。

 彼女の表情は険しい。どうやら怒っているようだ。


「ラケル……なんで言ってくれなかったのかしら? ジュリアンから虐げられているってこと」


 ラケルは目を瞬かせた。

 レアからそのことに触れられるとは思っていなかったからだ。

 ジュリアンはレアに気付かれたら止めてくるのが分かっていたため、小賢しくも、彼女に対してはラケルを虐げていることを隠していた。


「……姉さん、どうして気付いたんですか?」

「ある……知り合いに聞いたのよ」


 レアの言葉を選ぶ様子から、それをレアに伝えた者が誰かを理解する。

 過保護だなあ、と思うと同時に、嬉しくも思う。


 それと同時に、レアはノアの正体には気付かないと思っていたため、ラケルは驚いた。


「姉さんも兄さんの正体に気付いたんですね、正直、意外でした」

「話を逸らさないで」

「別に、虐げられてるなんて言い方は……大げさですよ。確かに今日はいきなり殴られましたけど、普段は罵倒されるだけですし」


 レアは苛立ったように眉を顰める。

 これはラケルに対する怒りというよりも、今までそのことに気付いていなかった、自分自身に対する怒りだった。


「それでも言いなさいよ、これでも私はあなたの姉なのよ? 言ってくれたら助けたわ」

「兄さんのことは助けてくれなかったのに?」

「……っ」

「いえ……ごめんなさい、意地の悪い言い方でしたね」

「……そうね。あの時、私はアークが追放されるのを止めるべきだったわ」


 それはどうだろう、とラケルは思った。

 どの道、レアが反対していたところで、当主であるカーティスの決定こそがあの家における絶対であり、覆ることはなかっただろう。


「むしろ、私としては――兄さんは自分からあの家を出るべきだったんだと思います」

「それは……ラケル、あなたの言いたいことは分かるけど、当時十歳だったあの子には無理でしょう」

「いいえ、兄さんならばそうすることもできたはずです」


 アークのことは他でもない双子の妹である自分が一番良く理解している。

 そう自負している彼女は、レアに対して自信を持って断言した。


 ジュリアンはともかく、レアに関しては、ラケルは特に恨みを抱いていない。

 アークのオルブライト家追放を決定したのはカーティスで、進言したのはジュリアンだ。レアの意志はそこに介在していない。


「それに、兄さんがオルブライト家から追放されれば、当然、アイリス様との婚約は破棄されるでしょう? 加えて、私と兄さんは公的には兄妹ではなくなるから――勿論双子の兄妹の絆は絶対かつ永遠ですけれど――、そうなれば、私と兄さんで結婚することもできますし。最大の障害になりそうなアイリス様はあの男と婚約している以上動かないでしょうし。まあ、それについては同情はしますが、それはそれ、これはこれ。となれば、私と兄さんが結婚する日もそう遠くないでしょう。ふふ――実は私、幼い頃から結婚式は聖国にある大聖堂で行うのが夢だったんです。勿論、そうなった暁には姉さんも招待しますから、そのときは盛大に祝ってくださいね?」


 真顔でまくし立てるラケルに対して――レアはドン引きした。


「……そ、そう……ね?」


 そんなレアの様子に気付かず、ラケルはかつて、アークがオルブライト家を追放されたときにレアが言った言葉を思い返す。

 ――あの子はオルブライト家から出て行った方が良い、と。


 当時のラケルは兄が死んだと思っていたため、そんなレアの言葉に感情的に反発してしまい、それによってかつて仲が良かった二人の姉妹の仲はぎくしゃくとしたものになったのだが。

 それはともかく、実際のところ……レアのその言葉は正しいとラケルは思う。


 アークには家を出ても一人で生きていけるような知性があった。

 アークには、『牢獄世界コキュートス』という魔境から生還するだけの力があった。

 アークが何かに備えるように貯金をしていたことを――ラケルは知っていた。


 それならば、ジュリアンのような、自分を殺そうとする兄弟がいるオルブライト家に居続けるよりも……さっさと自分からオルブライト家を出て行った方が、きっと幸せになれただろう。

 そうすれば、ジュリアンなんかに『牢獄世界コキュートス』に落とされることもなかったのに。


「それでも兄さんがあの家に残っていたのは、きっと……私や、アイリス様がいたからでしょうね」

「それは逆に、あなたたちがいたから、あの弟はきっとオルブライト家でやっていけたんでしょう」

「けど、それが結果的に兄さんを『牢獄世界コキュートス』に落とす結果に導いてしまった」

「それはあくまでも結果論でしょ。悪いのは……ジュリアンの奴よ」


 レアにとっても、まさかジュリアンがそこまでするとは思っていなかった。

 アークが追放されるのを止めなかったのは、彼女としては本心から、アークはオルブライト家に留まり続けるべきではないと考えていたからだ。勝手な理屈であることは否定はしないが。


 ふと、会話が止まる。

 話を変えるようにして、レアが本題に入る。ラケルの部屋を訪れたのはこのことについて話しておくためだったのだ。


「そうだ、ジュリアンで思い出したのだけれど。あの男とは話をつけてきたわ。今後、ラケルがアイツに虐げられることはないと思うけれど……何かあったら言って頂戴?」

「分かりました、ありがとう……姉さん」


 ラケルは微笑んだ。

 妹の自然な笑みを、レアは随分と久々に見た気がした。


「まあ……どのみちアイツはラケルに構ってる暇もなくなるでしょうけど」

「……それは、どういう?」

「大丈夫、あなたは気にしなくてもいいわ」


 ラケルが首を傾げる。レアは内心で嘆息した。


 レアのことを次期当主の座に据えるための最も簡単な方法。

 それは――対抗馬であるジュリアンを消してしまうこと。


 それが、レアが協力を要請したノアの結論だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る