33 レア・オルブライト
「久しぶりね、アーク」
「今の名前はノアだ」
学園の五階にある生徒会室。
広々とした一室の奥で椅子に腰掛け、此方を睥睨する美女。
母親譲りの漆黒の長髪。人を食ったような笑みを浮かべ、久々にあった俺の姉――レア・オルブライトは俺のかつての名前を呼んだ。
……またか。どんどん正体がバレていく。
まさかリリーが吹聴してるなんてことはないだろうが、こうも立て続けだと、流石に溜息を吐きたくなる。
「驚かないのね、私があなたの正体を理解していることを……私の方は、あなたが生きてると知ってすごく驚いたのに」
「お前が『
学園長から聞いた、レアが『
どうやら彼女は独自のルートを用いて『
「ジュリアンの奴にあなたが『
「そうか、お前は俺が死んだわけではないことを知ってたわけか」
「『
それで、ラヴィニアは彼女にリリー護衛の手伝いをさせるつもりだとか。
とはいえ、俺やナタリアのようにリリーの傍に控えるのではなく、先日のナイアのように学園に刺客が襲撃してきた場合に、他の生徒を避難させる役割らしいが。
「お前だなんて、他人行儀な呼び方ね。前みたいにお姉様と呼んでくれてもいいのよ?」
「そんな呼び方をしていた記憶はないな……」
「あら、そうだったかしら」
そう言って、レアは口に手を当てて微笑んだ。
一見して和やかな姉弟の対面。
しかし、その裏では当然お互いがお互いを警戒している。
俺の現在の実力――『
それ故の虚勢。
元々傲慢な性質の強い彼女からしてみれば、無能として見下していた俺が今こうして自分と対等に会話しているという事実ですら、内心で腸が煮えくり返っているのは想像に難くない。
……尤も、俺は今更復讐だなんて面倒なことを考えてはいないのだが、しかしそれは姉にとっては知る由もないことだ。
更に言えば、そのことを明かすつもりもない。
相手が勝手に警戒してくれるのなら……それは俺にとって好都合だからな。
「ともあれ、積もる話もあるけれど本題に入りましょうか」
「さっさと頼むぞ、お姉様?」
「…………」
軽く煽ってやると、レアの笑みに僅かに亀裂が走る。
常に仮面を被って人と接するスタイルは俺の上司であるラヴィニアと同系統だが、比較すればまだまだ未熟だ。
年の功かな……と思ったがもしそんなことを口走ったのがラヴィニアに伝わったら殺されかねないので内心で考えるに留める。
「……はあ、まあいいわ。仕事は仕事よ。私にだって目的があるんだし」
「そういうことだ。お前にだって『
それもラヴィニアから受け取った情報の中に会った。
レアは確か……。
「次期当主争いだったか。お前とジュリアンの奴の一騎打ちらしいな」
「随分と詳しいのね」
「この仕事を始める前に一応調べたんだ。こうしてオルブライト家の奴らと再会する可能性はあったからな」
オルブライト家の子息は死んだとされている俺を除いてもまだ四人存在する。
兄のジュリアン、弟のルイ、妹のラケルに……目の前のこいつ、姉のレアだ。
オルブライト家の家風は、魔術が使えないと思われていた俺が追放されたことから分かるように、極端なまでに実力主義へと傾倒している。
その家風からすると次期当主の座は、学園での成績やそれ以外の実績などを考慮した上で、現状ではレアかジュリアンのどちらかが選ばれる可能性が高いという話だ。
残る兄弟、ラケルやルイに関しては既にレースを外れている。
ラケルの場合は現状のところ魔術が使えないため、実力が他よりも劣っているとみなされているため。
もう一人、末弟のルイは他のレアやジュリアンと同等かそれ以上に優秀であるが、既に当主争いに参加する意志がないことを表明しているのだという。
「はぁ……そこまで把握しているなら隠すつもりはないけれど、あなたの通りよ。私の目標は『
「だろうな」
「単純な魔術の実力だけならジュリアンに負けるつもりはないけれど、総合的に見て、私がジュリアンを上回ってると断言はできないわ」
俺の覚えている限りでは、レアよりもジュリアンの方が一段上の実力だった気がするが、既に五年だ。当時の実力など大してあてにはならない。
「父にとっての指標となる実力は魔術の腕だけじゃなくて……総合的な実力よ。少しでも次期当主になる可能性を増やすために、私は『
「そうか。俺にはオルブライト家当主の椅子にどれほどの価値があるのか理解できないが、まあ頑張ればいいんじゃないか?」
正直どうでもいい。
恐らく当主争いが俺に関係することはないだろうし。
……いや、そうでもないのか?
レアとジュリアンの評価は現状拮抗している。レアがこうしてジュリアンを上回ろうと策謀を巡らせているように、同じく当主の椅子を狙うジュリアンも同様である可能性は高い。
俺は先日遭遇したラケルとジュリアンのことを思い出した。
「そう……ねぇ、よかったら」
「――言っておくが、俺があんたを手伝うつもりはないぞ」
「ぐっ……最後まで言わせて欲しいわね」
「わざわざオルブライト家なんかに関わりたくないんだ」
「あーはいはい、そう。じゃあもう出てっていいわよ」
レアが椅子の背もたれに深く寄りかかり、掌を振って俺を追い出しにかかる。
俺は呆れた。
「断られた途端に対応が雑になったな……まあいい」
「話があるときはまた呼び出すわ」
「そうか、分かった」
俺は踵を返し、生徒会室の出口へと足を運ぶ。
そのときようやく、レアの緊張、こちらへの警戒が緩んだのを感覚で理解する。
――俺は即座に反転し、レアに接近する。
空間転移は使わない。
レア程度の相手にわざわざ手の内を見せる必要はない。
一瞬で彼我の距離を詰め、執務机の上に飛び乗り、椅子に腰掛けたまま呆然と此方を眺めるレアの綺麗な黒髪を掴む。
そこでようやく事態を認識したレアは動き始めるが――あまりにも遅すぎる。
魔術の才能以前に、圧倒的に実践経験が足りていないのが見て取れる。
慌てて術式を編んでいるが、しかし……俺がこの細い首をへし折る方がずっと早い。
だが俺の目的は彼女を殺すことではない。
俺は彼女の身体を椅子から引き倒し、頭から地面に叩き付ける。
気絶させるわけにはいかないので勿論手加減はしたが、ゴツン、という痛々しい音が響いた。
「――ッ、何するのよッ!」
「仮面が剥がれたな」
「――――」
殺気を込めて睨みつけると、レアは怯えた表情を見せた。
『
俺と相対する者が見せる恐怖に歪んだその顔。
「俺があんたらに恨みを抱いてないとでも思ったか? 俺が簡単に許すと? だとしたら甘すぎるな。あんな場所に俺を追いやっておいて、恨まないはずがないだろ」
これは真実でもあるし、嘘でもある。
確かに『
しかし、今となっては正直なところオルブライト家などどうでもいい。
だが……レアには利用価値がある。
俺の正体を知っており、かつ『
「ラケルのことは把握しているな?」
「……なんのことかしら?」
此方を睨みつけてくるレア。
「『
「――ッ」
無詠唱で簡易的な空間切断を発動し、レアの制服の胸元を切り裂く。
黒の下着と真っ白な肌が露わになる。空間切断が僅かに掠り、レアの白い肌に切り傷が走り、赤い血が滴る。
勿論、本気でそんなことをするつもりはない。
あまりにも露骨な脅しだったが、どうやらレアには効果的だったようだ。表情がすっと青褪めた。
「もう一度聞く。ラケルのことは把握しているな?」
「……それは彼女が魔術を使えなくなっていること?」
知らないのか?
顔は真っ青で、肩はがくがくと震えている。
明らかに怯えているが、しかしその青い瞳は鋭く俺を睨みつけている。
「ラケルがジュリアンに虐げられていることは気付いているか?」
「……!? 知ら、ないわ……」
その表情には驚きがあった。どうやら嘘ではなさそうだ。
「お前はそれを止めろ。お前が庇護すれば、ジュリアンの奴もラケルには早々手が出せないだろう?」
当主の椅子を求める彼女とジュリアンの争いは拮抗している。
つまり、オルブライト家内部の立場において、レアはジュリアンと同格ということだ。
「それはそうだけど……どうして」
「理由を説明する必要はない。黙って従え」
レアは此方を睨みつけたが、やがて目を伏せて嘆息した。
「……わかったわ」
「よし」
レアが頷いたので、俺は彼女を解放した。
彼女は慌てて起き上がり、胸元を手で隠しながら俺から距離を取った。
「じゃあ、よろしく頼むな」
「待ちなさい」
生徒会室を出ようとした俺を、レアが呼び止める。
「なんだ? さっきはああ言ったが、俺はお前になんて興味ないから安心しろ」
「その話じゃないわよ! ……約束は約束よ、確かにラケルのことは了解したけれど、私が一方的に働くのは公平じゃないわ。私を動かしたいなら、脅しじゃなくて対等な交渉をしなさい」
「漏らしてたくせに」
「なんでそれを!?」
「あー……冗談だったんだが……その、悪いな」
「死になさい!」
レアが顔を真っ赤にして雷の魔術を放ってきたので、咄嗟に『
避けてもよかったのだが、生徒会室の扉が壊れて騒動になっても面倒だ。
レアが目を見開いた。
「あなた……本当に魔術が使えるようになったのね」
「お前らのおかげでな」
「……それについては、謝るわ」
「いいさ。実際のところ、お前には大して恨みはない」
それは『
オルブライト家を追放されたことは、俺にとっては大したことではなかった。実際、そうなる可能性も予想していたのだ。
だが――俺を殺そうとしてきたジュリアンだけは、許すことができなかったが。
仄暗い感情が浮かび上がる。
俺はすぐにそれに蓋をした。その感情は不要だ。
――魔術師は感情に振り回されてはならない。
いついかなるときも冷静に。そうでなければ魔術師とは名乗れない。
魔女ユーフォリアから最初に教わったことだ。
「はぁ、はぁ……それで、話を戻すけれど」
「ああ、漏らしたって――」
「じゃないわよ」
ギロリ、と睨まれたので肩を竦めた。
だいぶ余裕がなくなっている様子だ。
「ラケルの件で私が動く代わりに、あなたも私に協力しなさい」
「面倒だが……まあいい。勿論内容によるがな」
それでレアがラケルの件で真面目に動くのなら、内容によっては協力してもいいだろう。
レアは言った。
「――あなたには、私がオルブライト家当主になるための手助けをしてもらうわ」
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