【第二章】奈落より蘇りし者

28 任務遂行


 薄暗い夜の森を歩く。


 学園都市からほど近い位置に存在する森の中。俺は一人の男を追っていた。

 男の名前は知らない。興味もない。

 

 『暗躍星座ゾディアック』として……殺すだけだ。


 視線はまっすぐと前方で逃走を続ける男の方向に向け、警戒を維持する。

 地面を這う木の根や、石の礫に足を取られることはない。こういった悪路を目を瞑ったまま駆ける技術は体得していた。


 男は森の中を走り逃げる。

 追いかける俺を足止めするように、どこから沸いてきたのか、異形の怪物が次々と姿を現し、こちらへと襲い掛かってくる。


 その姿はナイアの召喚する怪物に勝るとも劣らないほどおぞましい。

 魔獣セリオン――魔力を持つ獣の総称――の体内魔力を弄り、複数の魔獣セリオンを生きたまま魔術的に合成することによって生み出された、異形の合成獣キマイラ


 王国の法を盛大に踏み外している外道の魔術研究。

 当然――『暗躍星座ゾディアック』にとっては排除する敵だ。


termine 世界のmundi, a狭間よperire.、開け――」


 しかし、この程度で俺を足止めできると考えたのなら……舐められたものだ。


「――『空隙スペース』」


 膨大な衝撃波が森を震わせる。

 瞬く間に道を塞いでいた合成獣キマイラの群れが一体残らず吹き飛び、粉々になり――道を開けた。

 轟音に振り返った男がひぃ、と情けない悲鳴を上げる。


「逃げるのはおしまいか? 諦めるなら早くしてくれ。俺は……眠いんだ」

「……ッ!」


 男の額に青筋が浮かぶ。男は再び駆け出した。

 ……それでいい。奴には、合成獣キマイラ研究の本拠地へ案内してもらわないとならないからだ。


 ラヴィニア曰く、「本拠地ごと跡形もなく――塵すら残らないように殲滅なさい」とのご命令である。


 齎された命令――徹底的な殲滅という命令を考慮すると、最悪の場合はこの森ごと消し飛ばす必要もある。

 だからこそ、護衛という別の仕事をしている最中の俺にわざわざ任務が届いたのだろう。


 大規模な破壊を可能とするような魔術師は、実を言うと『暗躍星座ゾディアック』の中でもそれほど多くない。


 『暗躍星座ゾディアック』は元々は暗殺などの任務が多い少数精鋭の組織であるために、そういった大火力を必要とされる場面がそれほど多くないという理由が一つ。

 むしろ、大火力が重宝されるのは『暗躍星座ゾディアック』よりも、戦争で活躍する宮廷魔術師の方である。


 加えて、組織の長であるラヴィニアの方針として、所属する面子に求められているのが万能性よりも高い専門性であるという理由が大きい。


 たとえば、卓越した近接戦闘能力さえあれば、極論を言えば魔術が使えなくとも加入を許される――もっともこれは極論で、魔術による強化なしで魔術が使えないという欠点を補えるほどの近接戦闘能力を得られることは希であるが。

 ナタリアなどはこちらの例に近い。あの女はルーン魔術以外の魔術を不得手としているが、対人戦における戦闘能力は傑出している。


 ともあれ、現在十五人ほどいる構成員の中で、超規模の破壊を行使できるのは、俺、ラヴィニア、テオドールと……後は二、三人ほどだろう。


 そんなことを考えている間にも、彼我の距離はだんだんと近付いてくる。

 俺は歩いているだけなのだが、男が勝手に木々の根や石に足を取られているためだ。


 ――不意に、男は此方に向けて掌を翳した。前方で魔力の昂り。


 掌を翳すのは遠距離魔術を使用する際に、その照準を定めるために用いられる、学園などでもまず最初に教えられる典型的な技法だ。

 同時に、照準を定めることこそできるが、一方で敵に攻撃の照準を悟られてしまうため、実践慣れした魔術師であるならばまず使わない構えでもある。


「……雷鳴…………轟き……」


 男の口がぶつぶつと動く。

 魔術発動のための詠唱。細かくは聞き取れないが、断片的に届く声から文言は推測可能だ。おそらくは雷系統の魔術。


 俺は歩みを止めないまま、わずかに視線を横に傾け、同時に軽く体を横に動かし、相手が此方の進行ルートを見誤るよう促す。


「――『雷霆槍ハルバード』」


 予想通りと言うべきか、案の定放たれたのは青白い雷の槍。

 闇を切り裂くその光は、しかし俺の脇を素通りしていく。


 俺の視線の移動、そして横に逸れようとするような動きに誘導された結果、男が照準を誤ったのだ。


 ――確かに雷の魔術は強力だ。

 雷速を視認してから避けるのはかなり難しい。


 ただし……弱点もある。

 たとえば今の『雷霆槍ハルバード』と呼ばれる魔術ならば複雑な術式の改変を施しでもしない限り、基本的に直線での攻撃でしかない。


 見てから避けるのではなく、発動する前に攻撃の道筋を予測し、そこから体を退けるだけでいい。

 それだけで回避は容易だ。


 そして今回の場合、相手が戦闘に関しては素人であるとあたりをつけ、更に踏み込んだ。

 視線の動きと体の動きを利用し、相手の攻撃箇所を誘導し、いっさい速度を緩めることなく相手の攻撃を避ける。


 そうして俺は足を止めることなく男に接近する。

 男の顔が苦々しげに歪む。

 既に俺と男の間にあった距離は更に縮まっており、もう一度詠唱をして魔術を発動する余裕はない。


 反転して、男は再び逃げ出した。

 俺は走らずにそれを追う。


 そうして暫く男の後を着かず離れずで追っていると――前方に、巨大な施設が見えてきた。

 あれが研究所か。随分と森の奥に作ったものだ。


 男がこちらを振り返る。


「クッ、クク……王家の狗め、残念だったな――貴様はここで終わりだッ!」


 男が施設の壁に施された魔法陣に触れると、淡く発光する。

 何が起こるのか――魔法陣は召喚魔術サモンの効果を示しているが、何が出てくるかまではわからない。


「来たれ――腐海の王ドラゴンゾンビよ!」


 瞬間、吐き気を催す臭気とおぞましい気配が森一帯に蔓延した。

 現れたのは爛れ腐ったドラゴンの成れの果て。


 その怪物が顕現した瞬間、怪物の周囲が腐り落ちる。


 木々が溶け、大地が沼へと変化していく。

 頭上を飛んでいた梟の翼が腐食し墜落する。

 ――ただ存在するだけで、周囲を腐食し汚染する怪物。


「つくづく最近はドラゴンとの縁が多いな」


 魔獣セリオン退治は俺よりもテオドールの仕事だというのに。

 まあいい……さっさと終わらせよう。


gladius fa松明の剣cis noctemは闇を切 secat.り裂く――『断空クリアランス』」


 一撃だった。

 先日のドラゴンと比べると魔力量が少ない腐海の王ドラゴンゾンビは、『断空クリアランス』一発で両断されて動かなくなる。


「なっ……! ば、化け物め……ッ!」

「化け物に狙われるなんて、運がなかったな」


 男が驚愕の声を上げるのと同時に、腐海の王ドラゴンゾンビの身体が崩れ落ちた。

 ぐしゃり、と言う音を立て、落下の衝撃で腐海の王ドラゴンゾンビの首が取れる。


 腐汁が噴水のように飛び散った。

 こちらにまでは届いてはいないが、腐海の王ドラゴンゾンビの制御のため魔法陣の位置に留まっていた男は避けられなかったようだ。

 腐った血液に触れた瞬間、男は身体を丸めて激痛に呻いた。


「ぐ……ぅ、がぁ」


 雨のように腐海の王ドラゴンゾンビの血液を浴びてしまった男は、全身を腐らせて死亡した。


「……まあ、いいか」


 どちらにせよ、ラヴィニアの命令は徹底的な殲滅だ。この男もどちらにせよ殺す必要があった。


 それに、本拠地にまではすでに辿り着いている。

 後は、この施設を跡形もなく破壊すれば任務は完了だ。


 俺は施設の破壊のため、おもむろに詠唱を開始する。

 そして――長ったらしい詠唱を終え、魔術を発動した。


「――『空絶デリート』」


 前方に聳え立つ研究施設、その周囲の空間だけがごっそりと消滅する。


 第十階梯の空属性魔術、『空絶デリート』――空間一帯を問答無用で消去する、空間操作系統の最高峰。


 回避不可、防御不可、魔術耐性すら無視して問答無用であらゆる空間を消去する、最強の攻撃力を誇る魔術だ。

 弱点は詠唱が長すぎて戦闘では扱いにくいことくらい。

 『銀の鍵』ヴォイド・ゲートの時間停止と併用すればその点は問題ないのだが、あいにく時間操作は封印中だった。


 跡形もなく消失した、先程まで研究施設があった場所を眺める。

 これで任務は終了だ。


「さて……帰るか」


 リリーの護衛任務は継続中だ。明日もあの面倒な王女様の護衛をしなければならない。


 俺は空間転移で森を後にした。

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