21 学園にて


 事が起こったのは――敵が仕掛けてきたのは、最初の授業が始まるそのタイミングだった。



 □



「全員動くな」


 アリシアは教室に入ってくるなり、紫電を奔らせた。

 教室の入り口に一番近い席に着席していた女子生徒に向かって雷の魔術を放ち、気絶させると、その生徒を抱えて教壇の前に移動する。

 

 アリシアは気絶した生徒を教壇の上に置くと、笑みを浮かべた。

 その瞳はどす黒く濁っていて、光が見えない。


 リリーを含む生徒たちの間に動揺が広がる。

 それは、いつも穏やかな雰囲気を纏っているアリシアとは思えない剣幕のためでもあり、教師のアリシアがいきなり生徒に攻撃魔術を放つという暴挙を働いたためでもあった。


「……失礼ですが、一体どういったおつもりで――」

「黙りなさい」


 いち早く声を上げたレオンハルトだったが、しかしアリシアが指に魔力を込めて教壇の上の気絶したクラスメイトを指差したため、口を閉じた。

 

 冷や汗が流れる。

 尋常じゃない剣幕から、アリシアが本気であることを感じ取ったからだ。


「私、不必要な殺しはしない主義だけれど――必要な殺しなら躊躇うつもりはないわよ?」


 アリシアが歪に笑う。


「抵抗したら殺すわ――aqua,水よ liqu、溶esce.けよ――『夢魔の囁き』」


 『夢魔の囁き』は第三階梯の水属性魔術。

 精神に働きかけて対象を眠らせる魔術だ。


 青色の波動が教室を満たすと、波動に触れた生徒は次々と机に突っ伏していく。

 階梯が低いだけあって、多少魔術の心得がある者なら簡単に抵抗レジストできる程度の力しかないが、しかし抵抗したら殺すと脅されていたために、この場にいた生徒たちの大半は無抵抗で深い眠りに落ちていく。


 しかし――リリーは眠ることなく、その双眸に強い意志を宿してアリシアを睨んだ。


「アリシア教諭、あなたの狙いは私でしょう? なら他の生徒に手を出すのはやめなさい」


 アリシアの狙いは自分だろうと判断してリリーは声をあげた。

 王立の学園であるこの場所でここまでの暴挙を成せるような存在など、『深層アンテノラ』の他にはリリーには思い当たらなかった。


「ふふ、気の強い子は好きよ」

「私はあなたみたいな卑怯者は嫌いよ」

「あら、残念」


 さほど残念そうな様子でなく、アリシアは言った。


「抵抗しないで頂戴ね。もし抵抗したら、あなた以外の生徒が死ぬわよ?」

「くっ……」


 アリシアはおもむろにリリーに近付いていく。

 リリーは反撃の機会を窺ったものの、下手に抵抗してはクラスメイトが殺されるとあっては動くに動けない。

 逃げるのも無駄だろう。クラスメイトを殺す、と脅されてしまったら逃げることはできなくなる。


 ――結局、こうして捕まることになるのね。


 リリーは内心で嘆息した。

 先日に啖呵を切っておいて、重要なこの場面で遅刻している自身の護衛に対して内心で滅茶苦茶に罵った。あの馬鹿! さっさと来なさいよ!


「ふふ、捕まえた――」


 アリシアの手がリリーへ伸びる。

 しかし、アリシアがリリーに触れようとしたその瞬間に、風の刃がアリシアの手を掠った。鮮血が宙を舞う。アリシアの動きが一瞬止まり、その機会を逃さず、レオンハルトがアリシアの胴を蹴り飛ばした。


「お逃げくださいリリー様!」


 次いで、風の槍が連射され、アリシアは後退を余儀なくされる。

 レオンハルトが戦っていた。リリーの目から見たら他のクラスメイト同様に眠ったように見えていたが、実際には『夢魔の囁き』を抵抗レジストし、眠る振りをしていただけのようだ。


「ちっ……意識が残ってる子がいたのね、面倒なっ!」

「ここは僕にお任せをっ」

「――逃げたら他の生徒を殺すわよ! いいのかしら!?」

「黙れ――lancea aurae!――『刺突風スピア』ァ!」


 風の槍が瞬く間に形成され、アリシアに向かって射出される。

 早い、とリリーは内心で驚嘆した。風の槍の発生から射出までの間隔がほとんどなく、そこからはレオンハルトの『刺突風スピア』の技量や熟練度の高さが窺えた。


 その技量は優れている――が、それはあくまでも学生としてのレベル。

 かつて宮廷魔術師として活躍していたアリシアには遠く及ばない。


「邪魔よ――『炸雷撃メガボルト』」


 アリシアは風槍を身体を傾ける最小限の動きで回避すると、指先をレオンハルトに翳し、雷撃を放つ。詠唱を短縮して即座に放たれた雷撃は、レオンハルトに回避の隙を与えない。

 反撃の雷が直撃し、レオンハルトの身体は崩れ落ちた。


 その様子を見て、リリーは立ち上がる。

 レオンハルトには逃げろと言われたが、しかし彼女には逃げるつもりなんて最初からなかった。


「悪いわね、ダールブラック。誰かに守られるだなんて私の性に合ってないのよ」

「あらあら……では捕まってくれるので?」

「ええ」


 こうなればもう捕まるしかない。周囲のクラスメイトが人質となっている以上、抵抗するのは危険だ。

 アリシア相手に、眠るクラスメイトを守りながら戦って勝利できると思えるほど、リリーは自惚れてはいなかった。


「だけど、他のクラスメイトに手を出してみなさい――そのときは、舌を噛んで死んでやるわ」


 リリーはアリシアを強く睨んだ。

 その瞳に篭る意志に気圧されたのか、アリシアの動きが僅かに硬直する。

 

 別にクラスメイトと特に親しいわけではない。

 一々話しかけてくるレオンハルトは嫌いだし、自分とノアに関して下世話な噂話をしていたニーナもあまり好きではない。


 けれど、これでもリリーは王家の一員なのだ。

 王家の人間には国の民を守る義務がある――リリーはそう思っているし、それを実現してきたつもりだ。

 ましてや今回のように、自分を狙ってきた刺客に巻き込んで他者に被害を出すわけには絶対にいかない。


「……?」


 アリシアは一度動きを止めた後、再び動き出し、リリーに近付いてくる。


 動きがおかしい、とリリーはいぶかしんだ。

 先程レオンハルトの『風刃』エア・カッターの魔術を食らったときもそうだが、ところどころでアリシアの動きは不自然に止まっているように見える。


 その様子から、リリーは確信した。


 ――アリシアは何者かに操られている、と。

 精神支配か何かは分からないが、アリシアは魔術によって操られ、こうして生徒たちに非道を働いているのだ。


「許せない」


 リリーは思った。

 だが、リリーにできることはない。

 精神支配を解除するには、使用された精神支配の魔術よりも高度な精神干渉の魔術が必要になるが、リリーが適性を持つ属性は火と風で、精神操作を含む属性である水属性は不得手だ。


「……私が待っててあげるんだから、早く来なさいよ」


 リリーはぽつりと呟いた。

 無抵抗でリリーはアリシアに囚われる。


 この場においてリリーを助けられる者はいない。


 クラスメイトは眠りに落ち、レオンハルトは敗北し、アリシアは洗脳された。

 

 だから、リリーを助けることができるのは――。

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