花火=人の望みの尽きない夜に=

陸 なるみ

第1話 実物そっくりの花火




「花火もいいけどお月さまが出てないわね」

 夏祭りを言い訳に久し振りに夜間外出を許された妻が呟いた。

 表情は見えない。私はもう長いこと、妻の項ばかり見ている。車椅子は電動ではあるけれど、妻の視界に入る物を同時に見たくて、いつも後ろに立っているから。


「へー、花火ってこんなに進化したのー」

 その言葉を合図に私は車椅子のタイヤの上に尻を半分乗せ、横顔を覗いた。

 大きな音がして妻の青白い顔に明暗が揺れる。

「微妙な色が出せるようになったのね。ほんとのお花みたいよ」


 花好きな妻はひとつひとつ打ち上がる度に、無邪気に植物に擬える。

「菊、ああ、厚物、嵯峨菊、カラフルね。八重咲き小菊。ちらちらちらちら」

 頭を車椅子の背に預けて、無防備な鎖骨が余りに細い。


「これはお初、向日葵。牡丹は昔ながらだけど色のグラデーションが見事ね。あら、パッションフラワー? トケイ草だわ」

 花に疎い私はついていけず、相槌もなしに妻を眺めていた。


「しだれ柳。こっちに流れ落ちてくるみたい。あ、さっきのトケイ草の蔓。ひゅるひゅるひゅる。今度はピンクのポインセチアかしら、うーん、というよりか花びらが細い。コスモスかな……」

 妻は落ちてくる光の粒子を掴まえたそうに、両手を前に伸ばした。


 県内では有名な花火大会だが、今年から中学校の校庭の中に身体障害者専用観覧スペースが設けられた。

「花火の夜だけでも」と頼んでも病院側は屋上を開放しようとしない。それで去年は病室の窓から細々と眺めるのがやっとだった。


 妻の体力では、我先に絶好の場所を取ろうと躍起にな人混みに揉まれるわけにはいかかない。

 心ない人々に煩わされずに、こうやって外の空気を吸い花火を見上げていられるのは、とても幸せなことに思えた。


「ねえ、あそこの光、何かしら?」

 妻の伸ばした両腕の先、病院の方角の結構空の低いところに、黄色い光源が見えた。花火の打ち上げ場所より遠い。

「アークトゥールスかな?」

 私は星の名前を挙げてみたけれど、妻は首を横に振る。

「花火より明るいわけない。それにだんだん大きくなってる」

 そう言われて少し真面目に目を凝らした。


 だが、どどーん、と次の花火が上がり、私たちは真上から傘のように被さってくる大輪の牡丹の花に包まれた。八重咲きどころか八十重ねもありそうな花びらは、散り急いでも後から後からシャワーのように降り注ぐ。


「あ、流れ星」

 妻より先に気が付いて、私は少し得意気に言った。

 牡丹花火の残像の向こう、妻が指摘した黄色い丸い光に向けて、右から、尾を引いて飛んでいる。

「違う……みさ……」


 なぜか妻は自分の膝の上にあったタオルケットを私の頭にかけた。

 だから何を言ったのか聞き逃してしまったのだ。


 大の男の頭に何をするんだと笑いかけようと思ったら、ガキーーーーンと鼓膜を破りそうな音が辺りを引き裂いた。巨大な金属バット同士がぶつかったような音だ。そして直後に空気がごわんと揺れ動いた気がした。


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