10-1『秘書Sと奴隷オークション』




 今日は少し早めに出勤をした。

 なにか特質した理由があったわけではなく、単にあまり寝付けなかったから、出勤したまでだ。

 オフィスの中、机に頬杖をつきながら、窓から見える町を眺めてみると、まだもう少し朝靄が晴れていなかったように見えた。

 心地が悪いわけではないけれど、晴れ渡った青空をみたいと願う人間にとっては少し不快。

 今の僕の心もそれと同じ。


 本日は歌穂ちゃんとの再会から数日後。

 あの緊急手術の後、主治医の先生曰く『深山女医のお陰でアヤの体調は安定したが、未だに彼女が死の危険に晒されているのは変わりない』とのこと。

 歌穂ちゃんの特異でも、あの状態の本質から状況は変えられないのはわかっていたが、実感するとさらに心が痛くなる。

「コーヒーどうぞ」

 けれど、これでまた全てが振り出しってわけでは無かったりする。

 いままでは姫森先生の処置だけしかできなかったけれど、これからは特異点になった歌穂ちゃんもいる。

「武装警察からの書類訂正要請がありましたので、置いておきます」

 この窓の外で日の光が強まっていくように、まだまだ僕らにも晴れる機会は余っているんだ。

 自分も、まだ絶望するには早すぎるのだ。

「これ、よろしければ。先日、依頼者様から頂いたビワです」

 ただ少し引っ掛かるのは、未だに患者であるアヤが、淡々と完治へと進んで行けるのかだ…。

 まだ光がないわけじゃないと言っても、手を伸ばして掴むことができる人なんて数少ない。

 そもそも、世の中のあらゆるものには確証がないのだから、僕らは未だにもがくしかないんだ。

 まだ靄は晴れない。

 日差しは未だ輝かない。

 雨が降らないのを待つばかり。

「あ、種はこちらのお皿に…」

 それでも、僕は歩くしかない。

 自分の罪と背後霊にしつこくすり寄られてきても、今はただ歩くしかないのだ。

 どうせそれしか残っていない。

 いつかこの代償が高くつくときが来るかもしれない。

 それがなにより怖いけれど、僕は今を進むしか方法がないんだ…。


「こちら、武装警察からです。報告書を書き直してほしいと…」

「……いや、あんた誰だよ!」

「え?」

「え?じゃなくて!」

 さっきから異様にデスクに書類や美味しいもの置いてきたりする人に、ようやくツッコめた。

 坊主にならない程度のベリーショートヘアと、少し強面な仏頂面。

 身体もガッチリとしており、如何にも戦闘員と言う感じではある。

 ただ、こんなに存在感は大きいはずなのに、知らない間にフッと沸いて出てきたのが怖い…。


 ガチャン


「あれ?今日はユウキくん早いね」

 目の前の彼が何者か怖々と眺めていると、郷仲さんが入ってきた。

 今日は社長室の扉ではなく、普通にオフィスの出入り口からのご出社だ。

「お、おはようございます…。サトナカさん、この人は?」

「あぁ、セタくんだよ。うちの秘書をしてくれてる。ちなみに自称ね」

「秘書(自称)…」

 郷仲さんの紹介を聞き、僕は改めて彼を見てみた。

 確かに、服装自由のこの職場であっても、なんかすごくきっちりとしたスーツだし、手にはたくさんの資料や手帳などを持っている。

 先ほどから、口数も少ないし、秘書と言うには、確かにそんな雰囲気がある。

 そう言えば確かに、僕が考え事をしている間にも、秘書らしく淡々と雑務をしていたような…。

 テーブルの上にコーヒーとビワと皿がある上に、なんか出社してる時よりも部屋がきれいになってる気もするし、そもそもこの修正を受けた書類の付箋も、恐らく彼だろう。 

 図体と比べて、秘書としての腕はピカ一のようだが、やはり体つきや背丈も含めると、なんとなく秘書と言うよりもSPやボディガードに近い気もする。

 まぁ、そもそも自称だから、そこは気にしなくても良いか。


「申し遅れました。私、瀬田 夢吾セタ ユウゴと申します。前職ではとある企業に勤めておりました。これからよろしくお願い致します」

 改めて、瀬田夢吾という秘書は、僕に向けて背筋を伸ばして自己紹介をする。

「よ…よろしく…。ユウキ テツヤです」

 彼から無自覚に出る圧のようなものに押され、此方からの挨拶の際、思わず頭を下げてしてしまった。

 なんだか、すごく硬苦しい…。

 ずっとゆるゆるな人々と行動を共にしてきたから新鮮すぎるんだよな…。


「セタくん、今日のシフトはどうなってる?」

「本日、イツジさんは旧中部地方アグルファーAC地区にて集金。ミヤマさんは旧関東地方バラーディアGM地区にて、事件被害者の治療。スミウラさんは恐らくズル休み。後は本社勤務となります。ちなみに、アカギさんは本日から復帰となります」

「そっか、ありがとう」

 しかもすっごくしっかりしている…。

 社長からの問いも、即座に返答する上に、全員の行動もしっかり把握している。

 なんでここまで詳しく報告できるのかはわからないが、彼はきっと、どこかの企業で秘書の勤務経験のある相当なやり手なのだろう。

 身体差で言えば僕より年上っぽいし…。

「それじゃ、教えてくれたお礼にこれ」

 すると、郷仲さんが突然、彼に茶封筒を渡した。

 首をかしげる瀬田さんは、今時珍しい紐で閉じられている封筒を迅速かつ丁寧に開き、中に入っていた資料をパラリと見た。

「なるほど…」

 彼が書類内容を理解するまで10秒もかからなかった。

 瀬田さんは、それをまた丁寧に封筒のなかにしまうと、郷仲さんではなく、此方に目を向けた。

「悠樹さん」

「は、はい?」

「今日の夜、武装警察からの依頼で出動だそうです。大丈夫ですか?」

 夜に出勤…?

「え?ど…どう言うことですか?」

 ここに夜勤があったなんて聞いていない気がするのだが…。

 突然の夜勤指示に驚き、混乱していると、今度は社長が割って入ってきた。

「実はね。最近、武装警察はとあるミラーマフィアの一角を追っているんだ。それが下級テッラマフィア最大の組織、或マスさ…」

「或マス…」

 聞き馴染みのない名詞を、思わず鸚鵡返おうむがえししてしまった。

 そもそも、下級テッラという言葉でさえも、この前初めて知ったのに、また新しい単語が出てきて、参ってしまう。

 それに、武装警察が追っている場所と言っても、此方には関係ないのでは…?

「スプリミナルは…武装警察の手が届かないアングラな場所への操作も、勤務の内だからね。どれだけ疑問に思っても、それが私たちのやるべき事だよ」

「そ…そうなんですね…」

 まさに今、僕が疑問に思っていたことへの返答が来てビックリした。

 郷仲さんはたまにテレパシーでもあるんじゃないかと少し怖くなる…。

「俺たちは、ミラーマフィアのような至上主義の駆逐もしなければならないんス…。そのためには、昼夜問わず、調査をしていかなければならないんですよ…」

 そんな中、瀬田さんは或マスとスプリミナルについての思いを、先程よりも少し低い声で語った。

 確かに、世界の均衡を保つのが僕らスプリミナルなら、均衡を崩そうとする奴らを対処するのも、僕らの役目だった。

 最近、ヴィーガレンツやら妹の事やらで、少し忘れてたな…。

「なるほど……でも、なんで今回は夜に…?」

「今回調査するのが、風俗営業店だからだよ」

 社長が質問に答えると、瀬田さんが封筒から一枚の書類を取り出し、僕に渡した。

「そこに書かれている場所を見て欲しい。そこは一般市民が主に利用するための低級カジノなんだが…実は最近、そこに政治家等の上級国民や大富豪と言った、低級とは似つかわしくない人間多く出入りしていると言う情報が舞い込んできてね。店を利用するのが自由と言っても、少しきな臭い雰囲気がしてね…。私たちと武装警察は、そこを観察していたわけさ」

「そして先日、丁度その店のある地域が、或マスのシマであると調査報告が出たんです」

 国家でのカジノ運用は"利用者の使用金額上限を守る"という条件の下、現在黙認となっている。

 二人の説明を聞く限り、確かに庶民用の大きなお金を賭けることができない場に富豪が居るのは少し気になるところではある。

 これがあくまでも富豪達が軽い遊びのためだけに出入りしてるなら良いのだが、もしも違うのなら…。

「なんとなくわかりました。とにかく、今夜はそのカジノと或マスって言うマフィアの関係性を調べないといけないわけですね…」

 瀬田さんは首を縦に振った。 

 入社して約一ヶ月に差し掛かるこの日、ついに敵対組織に突っ込む仕事を任されることになったわけか…。

 自分が少しずつ認められていることへの嬉しさは2割程あるが、後の恐怖やチキンな心が8割もあるのが悩みだな。

「今回はあくまでも調査だ。だから、人数を君とセタくんの二人で最小限にしておいた。緊急事態がない限り、戦いには出なくても良い」

 社長から話される今回の作戦に、了解しましたと瀬田さんは頷いた。

 あくまでも捜査だけ…と言われると、少しはホッとはするが、敵は変わらずにマフィアだとなると、やはり怖い物ではあるな…。

 こんな元詐欺師のド素人が生きて帰れるのかがマジで不安だ…。

「まぁ、あまり気にしすぎないことが任務完了への一手だよ。それに、ユウキくんはヴィーガレンツに出会ったばかりだろう…?だからこそ、いっそう危機感を待ち合わせていることもできている筈だ。だから、君に任せることができるのさ」

 すると、郷仲さんは僕の肩にポンと手を置いて、ニヒルな笑顔を見せる。

「期待してるよ。ありし日のサグラダ・ファミリア位にはね」

「…はいっ!」

 相変わらずの独特な芸術比喩表現だが、なんとなく、彼からは期待されるような人間になれている。

 そんな気持ちになれて、僕は少し嬉しかった。

「ちなみに、セタくんはスプリミナルで1番しっかりしてるから、わからないことがあったら彼に聞くといい」

 目線を向けると、瀬田さんは凛とした様相で、僕に向けてお辞儀をした。

 確かに、自分から秘書を請け負うような人間らしいし、この部屋のピカピカ具合を見れば、彼がどれほど真面目なのか、手に取るように分かる。

 今回はもしかしたら赤城さんの時よりも頼もしく思えるかもしれないな…。

「んじゃ、それまでは通常勤務でよろしく。私は今日は警視庁に用事があるんで失礼するよ」

 社長はそう言うと、デスクから多数の茶封筒とタブレット端末を手にとって僕の横を通りすぎた。

 僕らが勤務をしている間、彼もきっと彼なりの戦いややるべき事をしているのだろうな…。


「……社長、手に持ってる異様に芯の長い鉛筆はなんですか?」


 …………。


 ダッ!ガチャッ!バンッ!


「あっ、逃げた」

 まさに脱兎のごとく走っていった。

 さっき、ちょっとかっこいいと思ってしまった気持ちを返して欲しい…。

「サトナカさんって、本当に仕事してるんですか…?」

「一応、ちゃんとはしていますよ。ただ、内容は俺にも知らせてくれないんです」

「ミステリアスにも程がありますね…」

 郷仲凍利という人間がめちゃくちゃ強いのはわかっているけれど…サボり疑惑と秘密主義が強すぎるが故に、彼についていって本当によかったのか不安になるな…。


「こちらはこちらで、勤務に励みましょう。本日の勤務内容も聞いております、ミズハラさんとユウキさんとは書類整理が主で、手が空いたらカフェ勤務をお願いします。後、夜勤の為、ユウキさんは仮眠をお願いしますね」

 お互いにデスクに座るタイミング、瀬田くんは僕に勤務について教えてくれた。 

「セタさん…やっぱりなんかすごくしっかりしてますよね…」

 このゆるゆるした職場で、すぐに予定がわかるのは大きいな…。

「これが仕事ですから…」

 瀬田さんの言葉だけ見れば、冷たい返事に見えるが、型についたような仏頂面を見れば、耳を赤らめて恥ずかしそうに目を反らしているのに気づいた。

 彼は、素で飾らない人間なのだろうな。

 誰かをサポートするのを当たり前だと思っているように感じる。

 言ってしまえば、誰も好き勝手しているゆるゆるなこの職場が、仕事面だけでもきゅっと引き締まりそうな位…なんて言ったら、他の人に怒られそうだから、口に出すのはやめとこう。

「さて…」

 まだ始業時間ではないが、僕もチボチ仕事をやり始めた。

 僕らがやる書類整理作業は、大体、報告書を中心としており、事件に基づく情報を書類にまとめたり、依頼書の記録等をすることが多い。

 勿論、勤務としてはそれだけではなく、武装警察へのスプリミナルとしての今後の対応だとか、戦闘で破壊してしまった物の報告と弁償費用について、自信の特異の結果報告など、もっともっと多くの書類を有さ無ければならないため、少々面倒なのだ。

 それでも、やらなければならないから、今日も勤務に励むだけだが。

「……」

「……」

 職場にカタカタとキーボードを叩く音が響く。

 基本、休憩自由な職場だから自分のペースでやれるけど、貯まったら大変なことになるので気を付けないといけない。

 現に、水原くんや住浦さんなんてどんだけ貯まってるか……。


「…あ、間違えた……」

 カタカタカタカタ…カタッ…カタカタ…

「……」

 カタカタカタッカタッ…カタカタカタカタ…

「……ここはこれでいいか…」

 カタカタッカタッ…カタカタカタ…カタッ…

「……」

 カタカタカタカタカタカタ……

 

 にしても、すっごい静かだな。

 各々の独り言はたまに聞こえるが、それ以外は正直、キーボードの音くらいしか響いてこない…。

 それ程、集中してるって言われると分からなくもないけど、それにしては会話が無さすぎる。

 別に支障という支障はないけど、なんか寂しいというかなんというか……。

「あの……」

 静寂の中、ついに瀬田さんが口を開いた。

「はい…?」

「ユウキさん…好きな食べ物とか…あります?」

「あ…自分はカツ丼…かな」

「そうですか…」

「…………」

 カタカタカタカタカタ………。

 何故にいきなりご飯の話…?

「あ、」

 また口が開いた…。

「趣味とかは…?」

「趣味ですか…やっぱり、写真撮影ですね。色々撮るのが好きなんで…」

「へぇ…そうなんすね……」

「…………」

 カタカタカタカタカタカタ…

「え…えと……俺は…A型っす」

「な…なにが?」

「あの…血液型……」

「へ…へぇ……僕はB型だけど…」

「そうなんすね…」

「……」

 カタッ!カタカタカタカタ…


 ……いや、どういう会話よこれ。

 さっきから、ずっと素朴な質問しかしてこないし、かといって話が広がる訳じゃないし…。

 なんか、お互いに初めてのお見合いって感じの状態っていうか…。


「……あのセタさん…もしかして、無理してます?」

 違ったら悪いとは思ったが、恐る恐る彼に聞いてみた。

「すみません……俺…プライベート的なコミュニケーションとか……苦手なんス……でも、せっかく…スプリミナル来てくれたんで……ユウキさんのこと…色々聞きたいなって……」

「仲良くしたかった…ってこと?」

 すると、瀬田さんは表情を変えずに顔を赤らめ、目線を反らした。

「は…はい……。俺…こんな図体ですし…不器用ですので……」

 あぁ、なるほどそう言うことか…。

「セタさんって、案外フレンドリーなんですね」

 僕の言葉に、瀬田くんは目を丸くした。

「そう……なんですかね…?でも、近所の人からは……よく話しかけられます……。しっかりした返事ができてるか…わかんないっすけど……」

 照れ、まごつき、返答する瀬田さんが、何となく微笑ましく思える。

 この人は、別に気むずかし屋やしっかり者ってわけじゃないみたいだ。

 真面目で几帳面だけど、対人はちょっと不器用で恥ずかしがり屋な心の優しい青年…。

 だから、別にこちらが無理に気張らなくて良いのだと思うと、なんだか急に親近感が沸いてきた。

「今日は、夜に任務なんですよね?」

「あ、はい。さっきお伝えした通り、潜入捜査です。集合は夜の10時で、できれば正装で来るようにとのことです」

 先程まで恥ずかしがっていた人間とは思えないほどの情報量と対応だ。

「僕、まだまだ勝手がわからないんで、今日はご指導、よろしくお願いしますね」

 にこりと笑って指導を志願すると、彼はまた顔を赤くした。

「……はい。がんばります」

 それは人見知り的な恥ずかしさではなく、頼られていると言うことへの謙遜を含んだはにかみ。

 確実に威張れるくらいの能力を持っていても、決して偉そうにしない。

 まるで宮沢賢治の一説を表したような人間で、なんだか少し憧れすらも持ってしまうくらいだ。

 こんな大人に自分もなれたら良いんだけどな…。


「あと…それと……」

 なんて思っていた途端、瀬田さんが口を開く。

「俺…まだ成人してないんで…あまりかしこまらないで良いですよ…」

「……うぇっ!?」

「今年でようやく20ですけど……」

 さすがにこのカミングアウトには驚きを隠せるわけがない。

 若い…若すぎる……。

 プロのラグビーに出たら数日でレギュラー入りできそうな大きさなのにまだ19とは…。

 てっきりそろそろ30行く位の年齢かと思ってしまっていた。

 と言うことは、僕より年下…。

 それで、こんなにしっかりしてるなんてショック…。

「ご、ごめんね…変な気使わせちゃったかな…」

「まぁ、よく間違えられるんで、もう慣れてます。こちらこそすみません…」

「い、いや…間違えた僕の方が悪いんだし……」

「いえ…俺が紛らわしい背格好してるので……」

 これ以上やったら赤城さんの時と同じことになりそうだからやめよう…。

 ただ、彼が赤城さんと違うのは、自分の卑下が強いことかもしれない。

 腰が低いとは言っても、自分のことを出すのも誰かと触れあうのも不器用だけど、真面目な人。

「まぁ…そう言う訳なんで、そんなに気張りしなくて大丈夫っす…。俺は、どう呼ばれても特に傷ついたりとかはしないですし…」

 パッと聞くと自己犠牲のように見えるが、無理してそう言ってるようには見えない。

 単純に自分自身に興味が沸かないのだろうか、それとも単にポーカーフェイスなのか…。

「わかったよ、セタくん」

 とりあえず、故意に傷つけないよう、いつも年下につける敬称で呼んでみよう。

「セタくん…ですか……。赤城さんや水原くんと同じですね…」

 表情はあまり変わらないけど、さっきと比べると、なんかうれしそうだ。

 いつも仏頂面で静かな性格だが、誉められると少し喜ぶし、よっぽどでない限り怒る事はない。

 本当、雨ニモマケズって感じ…。

 だからこそ、彼からは悪い人間という心が感じられなかった。

 この組織には、罪があるとは信じられないような人間が何人かいるが、きっと彼もそのうちの一人だろう…。

 それでも、彼の生真面目さから、彼自信に悪い心が感じられない。

 それだけで、なんとなく親しみやすさも沸いてきた…。

「今日の仕事、頑張ろうね」

「…はい」

 相変わらずの変化のない顔だが、それでも彼の嬉しさはぐんと伝わってくる。

 何気ないことでありがたみを感じてくれると、なんかこちらも嬉しくなるな。


 ガチャ


「おう、てめぇら早ぇな」

 と…こんな時に来たのは、確実に悪い人という…。

「スミウラさん。おはようございます」

 一応、対等な立場なのに、今日も偉そうにしている住浦さんにも、瀬田さんは律儀に頭を下げた。

「おう。お前は相変わらずだな」

 欠伸あくび混じりに瀬田くんの肩を叩きながら、彼は自分のデスクに転がっていたゲーム機を手に取った。

「スミウラさん…今日はズル休みじゃないんですか」

「そうしたかったけど…ゲームの充電器を職場に忘れてきたから、取りに来ようとして、その途中で郷仲に出会っちまってなぁ…」

 ゲームの電源を付けながら彼は後ろを向くと、彼の背中が亀の甲らのように凍らされていのに気づいた。

 また無謀に戦いを挑んだんだろうな…。

「よく来れましたねそんなので…」

「まぁ…ここ来てもどうせ寝るかゲームするかだけどな…」

 背中の冷たさなんか気にせずに、ジト目で耳を掻く住浦さん。

 その後ろで、瀬田くんがドライヤーとヒーターで彼の背中の氷を溶かしていた。

 さすが自称秘書、行動が隠密な上に早い…。

「……つか、悠樹てめぇ。なんで俺がズル休みってわかんだよ。お前まだ新人だから、んなこと知らねぇだろ?」

「えっと……」

 僕は目線を背後の彼に向けると、住浦さんがそれにすぐに気づく。

「あっ!セタてめぇっ!こいつがいる前で郷仲に言いつけやがったなこのやろう!」

 まだ氷が残っている状態で、住浦さんは猿の如く瀬田くんにしがみつくが、彼はびくともしないどころか無表情だ。

「ったく、昔っからてめぇはノーリアクションだなクソ…ッ」

「ども…」

「誉めてねぇよ!」

 鈍感な瀬田くんを貶す住浦さんが、彼に負け台詞を吐き捨てるように見えた。

 なるほど…彼の仏頂面はこう言うめんどくさい相手にも使えるわけか…。


「……あれ?昔からって…お二人は何かしら関係が?」

 僕は首をかしげた。

 そこまで人と馴れ合わない住浦が、瀬田くんにしがみつく位に話せてるのが、なんとなく引っ掛かったのだ…。

「あ、知らねぇのか。んじゃ、特別に俺がちょっと解説してやろう」

 住浦さんは背中の氷を鉄の拳で叩きわって外しながら、僕の問いに応えてくれた。


「そもそも、俺が以前ゲーム会社の長をしていたってのは知っているよな?」

「水原くんから聞きましたね」

 そこで汚職したとかなんとか、とも聞いているが…。

「スプリミナルにはそのゲーム会社の社員が他にも二人いる。その内の一人が、瀬田こいつだ」

 住浦さんはいい加減な態度で瀬田くんを親指で指した。

「以前も同様に秘書をしていました。まぁ…スミウラさんが会社に来るよりも前から……ですけどね」

 彼が放った二言目が、住浦さんの目付きを変える。

「まだ引きずってんのかよ…アイツのこと」

「別に」

 瀬田くんは、先程まで見たことのない程に、冷たい仏頂面を浮かべている。

 なんか、たった一言だけでこんなに険悪なムードになるなんて…。

 "アイツ"という言葉も気になるし、そもそも二人は仲が良いとかでは無く、なにかしらの因縁があるのかもしれない。

「ハァ…んで、もう一人、イツジってオッサンがいて、俺たち三人で"TRYangle"ってグループに分けられている。ちなみに、その懸案のTRYangleは現在リージェンに乗っ取られて、俺らは用済みになったって訳だ…」

 億劫に自分達の経歴を話し終わった住浦さんを、瀬田くんが冷たい目で睨んでいた。

「まぁ、スミウラさんの経営が悪かったから倒産したんですけどね」

「あ?」

「と、イツジさんがいつも言ってるのを聞きます」

「イツジィィイッ!!」

「今日は会計の仕事で出張ッスよ」

 そう言って宥める瀬田くんが、元社長に呆れているように見えた。

 なるほど、だからこんなに仲が悪いのか…。

 水原くんから聞いてはいたが、本当に前職ではやらかしてたんだなこの人スミウラ

「ったく…まぁ、追い出された後に、郷仲と会ったりだとか、何だかんだで色々あってここに来たわけだよ…」

 大きくため息をつきながら、彼はガサツに自分の椅子に座る。

 なんか偉そうに言ってるけど、逆にこの人が一気に哀れに見えてきたな…。

「結局、簡単に言ったら、三人は同じ会社だったけど、乗っ取られて追い出された果てに、サトナカさんが皆さんを拾った…的な感じですかね?」

 なんとなく自分の中で彼らの経緯を纏めると、住浦さんは眉間にシワを寄せた。

「大体あってんのが腹たつんだよな……まぁ、セタとイツジは俺より後だがな…」

 入社時期の早さを負け惜しみのように語る彼は、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべつつ、デスクに頬杖をついた。

 過去の事にはあまり触れられたくなかったのだろう。

 まぁ…自分の経営に自惚れて乗っ取られちゃあな…。

「ただ、前職の退社時期はスミウラさんの方が早いですけどね」

「んだと?」

「って、イツジさんがメールで」

「イツジィィィィイッ!!」

「だから、出張ですって」

 言葉にいちいち怒る住浦さんと、それを宥める瀬田くん。

「てか、よくタイミングわかりましたね……イツジさんって人」

 これも長い間付き合ってきた彼らの団体芸なのだろうな。


「まぁ、そう言うわけだ。セタもイツジも俺より弱いが、二人ともお前よりかは強いだろう。これからよろしく頼むな」

 住浦さんは椅子から改めて立ち上がり、瀬田くんの背中をバンと叩いた。

 相変わらず、彼の性格には難があるが、同じ会社で働いていた二人を、ないがしろにしているわけではないようだ。

「は、はい…」

 まぁ、瀬田くんは住浦さんよりかは仲良くしやすいし、心配は全く感じないんだけどね…。

「気にしすぎなくても良いですよ。俺は俺なんで「それに、サトナカにも勝てないのに強がってるバカの助言なんて、尻拭く紙にもならないからね」

「んだとテメェ!」

 瀬田くん、もしくは井辻さん、彼が嫌いなのは分かるけどさすがにこれには住浦さんも大激怒なんじゃ…。

「今のはミズハラくんが電話で」

 あっ…(察し)

 

「ミズハラァァァァァァァァァァァァァアッ!!!」

「今日まだ来てませんよ~!」


 怒りのまま突っ走る住浦さんに、ため息混じりに注意する瀬田くん。

 結局、新しい人と出会っても、ここは相変わらずか…。

 まぁ、楽しい職場ではあるんだけどね。

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