8-3『Aの炎、殺戮の信教』




「コウサカ…サラ…」

 彼女の姿を間近で見た瞬間、頭の先から爪先まで悪寒が巡った。

 郷仲さんから聞いていた、ヴィーガレンツ組員の一人。

 もしも出会ったら逃げろと言われた程の実力者だ…。

「コウサカ様…っ!」

 冴羽が彼女の前に駆け寄り、跪いた。

「もうしわけございません…。私が不甲斐ないばかりに…。ですが!貴女様やマカツ様達の言うとおり、扇動には成功いたしました!どうか!どうかお許しを!」

 こうべを垂れてつくばい、ひたすらに謝罪するそのリージェレンスに、高坂は笑いも怒りもせずにただ口を開いた。

「そう…よくやったわね…」

 彼女のその言葉を聞くなり、冴羽の顔がパッと明るくなる。

「はい!私はあなた様のことを…」


 ザシュっ!


 しかし次の瞬間、高坂に心酔していたはずの彼女の頭は、血液を吹き出しながら地面に落ちた…。

「汚い…」

 赤くない血のついた黒いナイフを片手に、彼女は顔についた返り血を手で拭いながら、冴羽の体を蹴飛ばした。

 その光景に、悪寒を感じていた僕と佑香ちゃんの全身に、さらに大量の羽虫が這うような恐怖と疎ましさが走る…。

「そもそも、あんたみたいなリージェンクズもどき…私たちが相手してると思ったの…?自惚れんなゴミクズ…」

 彼女は死んだ冴羽を罵倒し、地面に転がっている頭を、思い切り踏みつけた。

 熟れ尽くした果実が瞑れるかのような音と共に、頭の中からは何らかの鍵が転がり落ちた…。

「うぶっ…!」

 佑香ちゃんは口で手を塞ぎながら消化物を吐き出し、僕は彼女の肩を持った。

 一般人がこれを見るには、あまりにも酷すぎる光景。

 そんな中、グシャグシャになった骸頭を踏みにじる高坂は、思い切り笑顔を浮かべていた…。

「馬鹿馬鹿しいと思わない…?異種族を廃絶しようとする人間のために異種族が身を削るなんて……。おこがましいにも程がある」

 彼女は足を止めると、赤城さんに目を向けた。

「コウサカ……ぐっ!」

 高坂は彼女を睨む赤城さんの背中を踏みつけ、彼の持っていたプリズンシールを拾い上げた。

「返してもらうわよ…。橋谷田、亀田、桐崎、木藤、秋迫…」

「この…っ!」

 確保した犯罪者達を取り戻すために、赤城さんは全身から炎を出そうとすると、彼女は即座にポケットから鍵を取り出し、赤城さんの身体にその鍵を突き刺した。

「LOCK」

 その瞬間、ガチャンと音がすると共に、急に赤城さんの身体が地面に締め付けられるように、全身の力と炎が消えた。

「あ……っあぁ…」

 彼は地面から全く動けず、声すらも出ない。

 いや、そうではなく…声すらも"出なくなった"と言うのが正しいのかもしれない…。

 もしや…彼女は異能力者なのか…!?

「あんたの身体の機能、いくつかを封印させてもらった…でも、心配しないで?すぐに楽にさせてやるから…」

 彼女はニヒルに微笑みながら、そっと赤城さんの身体に膝を乗せる。

「地獄でね…」

 ハイドニウムナイフの矛先を彼に向けた瞬間、僕らは焦りで満たされた。

「お兄ちゃん!」

「やめろっ!」

 赤城さんを守るためと言い聞かせながら、僕は彼女に向け、がむしゃらに弾丸を一発放つ。


 バァン!


「LOCK」

 その刹那、彼女が一度ひとたび鍵を振ると、飛行している弾丸がピタリと停止した。

「っ!銃弾が止まった…!?」

 高坂は顔スレスレで停止している弾丸を軽くつまみ、僕に見せつけるようにしてそれを捨てた。

「私の異能は…鍵越しにあらゆる能力を一定時間封印する。所謂…無効化って奴?知らされてなかった?」

 彼女の異能力を聞き、明らかに血の気が引いた感覚が心臓を駆けた。

 自分と同じ能力の人間が、こんな最悪な場所で見つかるだなんて思っても見なかった。

 郷仲さんが逃げろと示唆したのは"攻撃を全て封印させられる可能性があるから"だったんだ…。


「あんた…よく見たら初めての顔ね…」

 ハイライトの少ない彼女の眼球に僕は思わず尻込む…。

「トランススーツの丸の形が違う…。覚醒すらしてないってことは…新人か…」

 高坂の言葉に動揺し、思わず僕は肩のライン形状に目を向けた。

 スプリミナルのアイテム事情まで知っているのは、きっと彼女のボスに関係があるからだろう……。

「き…君の目的はなんだ…」

 自分の身の程が割れて混乱してる中、恐る恐る彼女に聞く。

「簡単。あんたらを消すこと…」

 間髪いれずに返された答えに、情けなど一つもない。

「私たちは健全な人間社会を望んでいる。そのためには…リージェン達を庇おうとするあんたらが邪魔なのよ。"極めて"ね…」

 ナイフ片手に、赤城さんの体を踏みつけながら、高坂はニヒルに微笑む。

「しってる…?A国やL国がT国と日本のように50:50にしようと頑張ってるなか、C国やK国ではリージェンを追放、虐殺してる場所があるの…」

 ナイフで僕を指しながら伝う彼女の言葉に、返せるだけの言葉がでなかった。

 世界のリージェン生息確率にはバラつきがある…と言うのだけは、義務教育の段階で知ってはいた。

 そのリージェン確率0.n%の国を例として高々にあげる彼女に、呆気に取られて言葉がでなかったのだ…。

「私たちもそうでないとならない。得体もしれない人外移民どもに…私たちの世界を乗っ取られてたまるか…」

 片手に持ったアサルトナイフと、ハンティングアクションゲームに出てくる太剣のような狂気的言語…。

 耳を疑うような妄言だが、彼女は至って真剣で、それがさらに恐怖を掻き立てている…。

「だからって……殺すなんて間違ってる……」

 しかし、身体に潜んでいた微かな正義感のせいで、不意に口から漏れだした言葉に僕は焦った。

 彼女がそれを聞いていない筈がなく、顔を見ると眉間にシワを寄せていた…。

「ウザ…。とっとと消すか…」

 彼女はナイフをしまって銃を取りだし、僕らに向ける。

 どうしよう…。

 自分が新人であることがバレている事も含めて、結構不利な状況だ…。

 体力もそこまでないし、特異も無効化するだけ、持ってる武器だって、赤城さんみたいな覚醒した物じゃない。

 もしも僕が郷仲さんや水原くんのように強かったり、特異が応用できるんだったら、彼女に対抗できるかもしれないけれど…僕の特異は、きっとハイドニウムさえ撃たれれば全てが終わる…。

 ここは…赤城さんを一度諦めて、彼女を連れて逃げるか…?



「ユウキさん……」

 ふと涙声が聞こえ、振り返る。

 背後にいる佑香ちゃんの顔を見てみると、胃液を頬につけながらも、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 家族を助けてくれと言わんばかりに…。


 バカか、僕は…。


 いくら赤城さんより僕が弱いからって、赤城さんの方が現場になれているからって、きっと彼なら抜け出せると思ってしまったからって、彼を放って逃げるような事をするな!

 守りきれって言われただろ!

 自分に憑いている背後霊に嗤われない人間になれって、決めたじゃないか!

「足をどけてください…」

 立ち上がれ…守りきれ!

「アカギさんを……返せ…っ!」

 後ろにいる女の子を、泣かしちゃダメだ!


「メンド…」

 嫌悪を顔にする彼女に苛立ちを浮かべながら、僕はアーツ片手に走り出した。

 彼女はまた鍵を僕に向ける。

「LOCK…」

 心臓から身体の隅まで、カチンと錠が閉まった感触がする。

「…っ!?」

 だが、走り出した身体が止まることはない。

「ふっ!」

「LOCK!」

 また感覚が走る。

 しかし、止まらない僕は拳銃をトンファーのように逆手に持ち、焦る彼女に振るった。

「ック!」

 高坂は攻撃を片腕で受け流す。

「バカな…なぜ封印しない……!」

 彼女は僕に無効化が効かないことに混乱していた。

 そうか、郷仲さんが逃げろではなく守れと言った理由ワケは、僕の特異が彼女の特異を通さないからだったのか…。

 これなら…目的の達成位まではいけるはず!

「ふ…っ!」

 もう一度、僕はまたアーツでなぐりかかるが、彼女は持っていた銃を、僕と同じく逆手持ちにして防ぐ。

「そうか……スプリミナルは、ついに手に入れたのか…私と同じ能力を…」

 彼女の驚きと苛立ちを噛み合わせたような眼が、僕の癪に触った。

「お前と…一緒にするな!」


 バキュンッ!


 その瞬間、彼女がトンファーのように持っていた拳銃から弾丸が放たれ、僕の肩が射抜かれた。

「くっ…!」

 しまった、銃口の位置まで認識していなかった…。

「ハイドニウムは効くのね…特異点という事に代わりはないか……」

 血が流れ出すまま後退し、彼女の様子を見る…。

 銃弾で肉を撃ち抜かれたときの尋常じゃない痛みにはまだ慣れないし、高坂は高坂で余裕の表情のまま、また赤城さんの身体に汚い足を乗せていた…。

 どうする…ハイドニウムが弱点であることも割れたし、このまま戦っても負けは確定している…。

「それでも……」

 このまま下がるわけにはいかない。

 やらなきゃいけないんだろ…?

 僕が…!


「とにかく、足をどかさないと…」

 僕は拳銃を持ち直して、銃口を彼女に向けた。

 そこで、ふと思い出す。

 アーツと言う武器は、特異を制御するためにあるもの。

 しかし、この輝かしい武器の能力はそれだけではなく、他にもハイドニウムの特性を弾いたり、"特異を上乗せする"という特徴も持っている。

 確か、水原くんや住浦さんも特異をアーツに武装して戦っていた。

 だったら、弾丸に"無効化"を乗せられることも可能なはずだ…。


 バァン!バァン!バァン!


 素人の腕での精度で、僕は三発の弾丸を放つ。

「っ!」

 彼女は身体を捻り、二発の弾丸を避ける。

 しかし、一発だけは避けきれず、その冷たい晶弾ルストロニウムが彼女の肩を掠めた。

 やっぱり、アーツの特徴も知ってるから、避けるタイミングも早い…。

 でも、肩に一発当てられただけでもまだ良い!

「くっ!」

 僕と同じように肩から血を流す高坂。

 しかし、彼女は鍵で患部に触れると、血が固まり、傷口が即座に塞がった。

 あの異能力はそんなことも出来るのか…。

「ッチ…ウザいっ!」

 こちらにギロリと目を向け、苛立った顔を浮かべながら、彼女は鍵を投げると、それがトラバーチン模様の天井に突き刺さる。

「OPEN!」

 その言葉と共に、天井がガチャンと解錠音を立てながら、少しずつバラバラと崩れ始めた。

 もしや、彼女の封印するということは"その性質事態を封印する"ということでもあるのか…!?

「まずい…っ!」

 少しずつ落ちてくる天井を避けつつ、僕は佑香ちゃんの身体を抱き抱え、彼女の異能が及んでいない玄関に移動させた。

「ジッとしてて…」

 彼女にそれだけ告げて、僕はまた戦場に戻る。

 だが、がらがらと落ちてくる天井のせいで、動きが制限される…。

「っ!」

 モタモタしていたら、上階の埃が落ちて煙のように舞い、彼女の姿すらも見えづらくなってしまった。

 落ち着け…とにかく彼女に集中し…。


 ガンッ!


 頭に硬い物が衝突した感覚と、明確な痛みが身体に伝わる。

「ぐっ!」

 しまった…!埃のせいで瓦礫の認識ができなかった!

 特異のお陰か、なんとか軽い脳震盪で済んではいるが、それでもぐわぐわと目が回って気持ちが悪い…。

 埃の中での不意打ちは僕としては致命的だ。

 上空に気を付けないと…。

「ふんっ!」

「くっ!」

 朦朧とする中、煙に姿を隠していた高坂の攻撃を、なんとか紙一重で避ける。

 今度は瓦礫の落下や飛散に気をとられすぎだ…。

「さっきの声……衝撃は通じるのかしら…?」

 ナイフを片手に考える高坂の言葉に、ドキンと心臓が大きく波打った。

 まずい…気づかれたか…?

「まぁいい…。なに考えてるのか分かんないし…さっきからウザすぎ……。とっとと片付ける!」

 一応、気づかれているわけではないようだが、逆に考えることをやめた彼女は、次の手に移る。

「OPEN!」

 高坂は鍵を地面に刺して回す。

「うぉっ!」

 すると、突然にして地面が砂のような形状に変わり、一瞬で身体が引きずり込まれ、足を囚われた。

 コンクリートの硬い特性が無効化されたようだ。

「くっ!」

 四つん這いになり、なんとか地面を掴んで這い上がろうとするが、コンクリートだった地面が、蟻地獄のように少しずつ少しずつ円錐に陥没していくため、なかなか這い上がることができない…。

 このままじゃダメだ…。

 さっきから、自分が見てきた先駆者達のように動けない。

 水原くんのように機転は聞かないし、住浦さんのように頭の回転も早くない、赤城さんや郷仲さんのように強大な特異でもないし、陪川さん達のような体力もない…。

 だからこそ、考えるんだろ!

 この際、なんでもいい!

 僕なりに、僕の能力的に、僕の身体能力的に!

 どうすれば、打開できるか考えろ!

「ふぅ…ふぅ…」

 つけられた傷を塞ぎながら、一つ息を吐く。

 落ち着け…考えるならせめて冷静になれ…。

 まず整理しろ。

 自分の特異は無効化。

 しかし、無効化の能力持ちであっても、ハイドニウムは防げない。

 高坂のような異能力者はそういう外部からのジャマー効果が無いのが妬ましい…。

 ……そういえば、相手は異能力に害するプラマイ効果が殆んど無いことを良いことに、攻撃に様々な工夫を凝らしている気がする。

 "封印して無効化する"という概念をこれでもかと強引に使用して、こちらを翻弄するのが彼女のやり方かもしれない。

 余談だが、この前、同じ状況に陥った水原くんも「特異で強引に抜け出してやった」なんて言っていた…。

「そうか……」

 特殊異形能力は"普通では出来ないことを発揮する"ための能力。

 それぞれに与えられた能力を如何に使うか、如何に伸ばすか、如何に向き合っていくかってのは、おそらく僕らの手にかかっているのかもしれない。

 陪川さんの場合は、あくまでも一つの武装手段として使っていた。

 彼女の場合は"なんらかの概念を封印する"という伸ばし方をしている。

 水原くんや赤城さんの場合は、特異自体を自分の身体の一部として向き合っている。

 ということは、同じ無効化の特異を持つ自分も出来るはずだ。

 "無効化"という概念をこれでもかと乱用することを…っ!


「くぁぁぁあっ!」

 なら…この足場をも無効化できる!

 この纏わりついてくる砂の一粒一粒を、間接的な攻撃と認識してみるんだ…っ!

 自分自身の特異をイメージして、まずは這い上がるために右足に力をいれて前に出せ。

 少しでもこの足場が"砂であるということを無効化"し、踏ん張って立てた感触を認識したら、次は左。

 右、左、右、左…。

 慣れてきたなら…駆け上がれ!

「うぁぁぁぁぁぁあっ!」

 咆哮。

 無我夢中のまま、足を動かし続ける。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!!」

 ズンと床に足を踏ん張れた感覚と共に、目をかっ開いた。

 すると、そこには蟻地獄はない…。

「這い上がってきた…?バカな…」

 ここまでほぼ無双の状態だった彼女も、さすがに混乱しているようだ。

 自分の無効化が、ようやく目立つような進化が出来たんだ…。

 この一瞬の隙なら、赤城さんを救える…っ!

 疲れが大きく蓄積されているが、それでも動け…っ!

「ふぅっ!」

 僕は足を前に出すと、爪先にコツンとなにかがぶつかった感触がした。

 見てみると、それはおそらく赤城さんが片付けたヴィーガレンツの連中がもっていたナイフ…。

 その数、3本程度…。

「いける……っ!」

 途端、無謀な作戦を思い付き、他の考えは無しにそのまま実行に移す。

 床に落ちていたその刃物を拾い上げ、即座に彼女に向けて投げた。

「ッチ!」

 苛つきを押さえられない彼女は、ローブから鍵を取り出して僕と同じようにそれを投げ、異能力を発動させる。

「OPEN!」

 すると、ナイフが"個体であること"を封印され、その形を崩壊させられる。

 しかし、まだナイフは残っている。

 走りながら、僕は残りナイフを、それぞれ軌道を変えながら二本とも投げる。

 一本は真正面から。

 そしてもう一本は、上から…。

「この…っ!」

 彼女は負けじとローブから鍵を2本取り出した。

 一本は、先ほど同様にナイフに向けて投げて、攻撃を崩壊させる。

 そしてもう一本は、自分に降りかかってこようとするその刃物に向けて、その場で異能力を発動させて、身を防いだ。

「危ないわね…。……っ!?」

 彼女が上から落ちてきたナイフを掴んだ頃、僕は彼女の背後を取っていた。

 ナイフはあくまでも目眩まし。

 彼女の死界から攻撃するためだ!

「ふんっ!」


 ガンッ!


「痛っ…!」

 殴れた…!

 拳銃のハンマーから、確実に頭を殴った感触が伝わった…。

「うざい…っ!」


 ドスッ!!


 しかし、後頭部を殴られてもまだ動きを緩めなかった高坂は、僕の腹をハイドニウムナイフで突き刺した…。

「うっ…ぐぅっ……」

 言葉にならないほどの尋常じゃない痛みが、腹を巡る…。

 思わず膝を着きたくなるが、それでも負けじと、僕は彼女の手とナイフの刃を掴んでやった。

「…っ!掴みやがった…」

 驚く高坂に、僕は軽蔑と渇望の目を向ける。

「負け…られない……このままじゃ……また誰かを…見殺しにする……」

 血が滲み出る腕のまま、刺さっているナイフを少しずつ抜く。

「強く…なるんだ……できることを…するんだ……しなくちゃいけないんだっ!!」

 今、僕の力を見ている背後霊よ。

 僕はこのままじゃ、終わらない。

「ぐぅぅぅぅぅうぅっ!!」

 ナイフに力をいれて抜く最中、僕はポケットに忍ばせておいたプリズンシールを取り出した。

「しまっ…!」

 計画の真意にようやく気づいた彼女だが、もう遅い。

 プリズンシールを刻々と瀕死になりつつあった赤城さんに投げ刺すと、その身体がそのなかに収納された。

「今だ…っ!」

 そのまま僕は、その力強く握られているナイフを後退して抜き取り、地面に転がったプリズンシールを拾い上げた。


「返してもらうよ……アカギさんを…」

 全てはこの時のためだったんだ。

 同じ無効化の能力を持っている僕という存在を大きく主張し、その隙にプリズンシールで赤城さんを回収する。

 その為だけに、僕は戦っていたようなものだ。

 腹を刺されるのは覚悟できていなかったが、高坂がこちらに力を集中してくれたお陰で、こちらも影で回収に集中することができた……。


「貴様…最初からそのつもりで…!」

「ははっ……僕は…詐欺師なんでね……」

 狼狽える彼女に向けて、ニヤリと微笑んだ。

 ここまで、清々しく悪く笑えたのは初めてだ…。

 勝利。

 その言葉が頭に浮かんだ瞬間、身体に疲れがドッと放出された…。

「もう…やばい…か……」

 持っていた全ての力が、全身から抜け落ち、僕は膝から崩れ落ちてしまった。

「ユウキさぁんっ!!」

 粗方回復した佑香ちゃんが、倒れた僕に駆け寄ってくれた。

「ユウカちゃん…これ…」

 血に濡れた手で、僕は彼女の兄が入ったプリズンシールを渡した。

「ごめんなさい…なにもできなくて…ありがとう……」

 泣きながら礼を言う佑香ちゃん。

 僕はと言えば、血液が腹からジワジワ流れ出し、四肢の先っぽから感覚が薄れ始めてきている。

 もう少し気張れば、身体も動かせるかもしれないが…favoriteに着く頃には、命がヤバいかも…。

「むかつく…っ!」

 高坂は、出し抜かれた悔しさをギリギリと噛みしめ、ナイフを再度握りしめながら僕を睨む。

「お前だけは…!私がここで殺すっ!!」

 彼女の怒りがメラメラと滾る。

 しかし、こちらの目的はもう達成しているから、あとは逃げるだけだが…どうするか……。


「やめて…」

 そんな中、赤城さんのプリズンシールを抱き締めるように握っている彼女が、ふと言葉を漏らす…。

「佑香ちゃん……?」

「もう嫌だ……もうやめてっ!」

 彼女は腕を捲り、迫ろうとする高坂の前に掌を広げる…。


「これ以上……私の大切な人を…傷つけないでぇっ!」


 彼女の右手がぱちぱちと火花を散らしながら発光し始める…。

 確か……彼女は異能力者。

 もしも赤城くんの特異と類似した物だったとしたら……!

「まずいっ…」



 ドガァァァァァァァァァアンッ!!




  ◆




 貫通して割れた天井の合間から、灰空が見える…。

 壁も床も真っ黒に焼け焦げて、舞っていた埃も火花となって焦滅した。

 耳をつんざくような轟音と共に、ビルの殆どが吹き飛んだのだ…。

 粉塵爆発。

 その言葉が頭をよぎる。

 高坂が崩した天井から落ちた埃と、砂になったコンクリートの砂が、佑香ちゃんの異能の影響で大爆発を引き起こしてしまったようだ…。

「ゲホッ!ゲホッ!!」

 特異のお陰でなんとか生きていた僕は思わず咳き込み、先ほど起きた自体をようやく理解できた。

「ユウキさん…」

 傷一つない佑香ちゃんが、プリズンシールを片手に僕に駆け寄った。

 彼女の異能がなんとなくわかった。

 おそらく、彼女は右腕から爆発のエネルギーを放出することが出きるのだろう。

 それによって被る自分へのダメージだけは無効、それ以外は確実に敵を燃やす…なかなか恐ろしい異能力だ。

 彼女が重たい扉を携えた倉庫のような場所で作業しなければならないのも納得だな…。

 粉塵のせいとは言え、こんな爆発的なエネルギーを受けたのなら、高坂も堪ったものじゃない筈…。

「ハァ…ハァ……痛…っ!」

 息を吐いた瞬間、傷口からチクンとカッターの刃のように大きな物が突き刺してくるような痛みが走った。

 粉塵のせいで喉が傷ついたのかも知れない。

「動かないで…!薬は…?」

「くす…り?」

「あ、そっか…まだ知らされてなかったよね…」

 僕の無知に嫌な顔一つせず、佑香ちゃんは立ち上がった。

「待ってて……今すぐ先生を…」

 彼女が助けを呼びに行こうとしたその時、がらがらと瓦礫が崩れる音がすると共に、その下から奴が現れる…。

「ハァ……すっごい危険だったわね…」

「そ…そんな……」

 信じたくなかった…。

 あんなに大きな爆発だったのに、僕でさえも不意打ちと衝撃によるダメージが加算されたと言うのに…。


 高坂沙羅には…傷が一つもない……。


「でも…こんなに楽しいの初めてかもね…。今度、うちのライブでやろうかしら…」

 余裕の表情を浮かべるどころか、相手の攻撃を私情にまで結びつけようとするその姿勢に度肝を抜かれた。

 きっと彼女の無効化が、迅速かつ正常に作動したのだ。

 鍵が対象物に触れなければならないというハンディがありながらも、あんなに早く対応ができるだなんて…。

 脱帽。

 弱々しくその二文字の熟語が頭を過った。

 こんな奴に…僕なんかが勝てるわけがなかったんだ…。

 今も…きっと、これからも……。


「さて……。一番片付けないと行けないのはあんただったのね…。こんなデカい異能力…危険きわまりない」

 そういって、生還した彼女が目を付けたのは、僕へのトドメではなく、赤城佑香の抹消。

「いや…そんな……」

 悪く微笑む高坂に恐れ、佑香ちゃんは腰を抜かしてしまった…。

 ダメだ…未だプリズンシールの中で眠っている赤城さんのため…今、彼女を失ってはならない…っ!

「やめ…ろっ!」

 彼女のために手を伸ばし、最後の力を振り絞って、立ち上がろうと踏ん張った…。




 スタッ!


 しかし、その瞬間、一人の人影が僕の目の前に現れた。

 新たな敵襲かと思ったが、黒地に白色の見慣れたラインのロングコートの裾がヒラリと舞った事で、敵ではないことを悟る…。

「あらあら…こんなに豪快に崩れちゃって…」

 まるで天使のように現れた黒いロングヘアーの女性は、得意気にそう言った。

 誰だ…?

 救援に来てくれたのはわかるが…彼女は何者なんだ……?

「お前…」

 邪魔された高坂は、憎らしく救援に来てくれた彼女を睨む。

「あら?貧乳のコウサカちゃんじゃない…。元気してた?」

「黙れ……。私を罵倒するな…」

 挑発を真に受けて青筋を浮かべる高坂に向けて、彼女はため息を付く。

「言葉を返すようだけど、あんたもうちの仲間をバカにしないでくれる?」

 彼女の返答に、高坂は今にもブチブチと堪忍袋の緒が切れるような音が響きそうだった。

「このクソビッチが…っ!」

 一触即発、高坂がコートのなかからまた鍵を取り出し、目の前の彼女もエンブレムを掴もうとする。


 ドドォォォオンッ!


 しかし次の瞬間、二人の間に入るように、今度は大きな着地音を立て、地面に窪みを空けながら、一人の男が落下してきた。

「コウサカのぉ!助けに来たぞぉ!」

 ガタイの大きな男が、大きな声でそう告げる。

 高坂と同じコートのフードを深く被り、鬼のような異形な形をした仮面を付けているため、その男がどんな人間なのかは判断できなかった…。

「ッチ…くそ爺……」

「ハハ!そんなに怖い顔をするな!かっこいい顔立ちが崩れる!」

 ウザがる高坂と、腰に手を当て、胸を張る男。

 少々、陪川さんに似ているような気もしなくない。

「なんの用…?あんたがここに来るなんて珍しい…」

「ボスからの言伝てだ。『全面戦争回避のため、すぐに帰還しろ』とな。さぁっ!時は金なりだ!早く戻ろうぞ!」

 その伝言を聞くなり、彼女は怒りで目を見開いた。

「なんで…!?今ならあの新人を殺せる!私の実力なら、確実に全員殺せるのに!そんなの全然ロックじゃない!」

 焦る高坂。

 しかし、男が首を縦に振ることはなかった。

「言いたいことはわかる。だがコウサカ…」

 彼は高坂の肩をポンと叩くと、そっと耳打ちをする。

「ボスに逆らえばどうなるか…わかってるだろう?」

 元の声が大きいから、ホンの少しだが僕にも、その重くなにかに怯えるような言葉が聞こえた…。

 ボス…つまり、郷仲さんの旧友がどれ程恐ろしいのか、それは僕だけではなく、高坂も危惧していたようだ…。

「ッチ…。ウッザイ…」 

「上等!飛ぶゾッ!!」

 舌打ちをして諦める高坂を、男はまるで孫を抱きかかえるかのように、身体を掴んだ。

「ふぅぅぅぅうんっ!!」

 すると、異能力らしき力で空高く飛び、彼女らは退却する…。

 焦げた埃が地面から浮かび上がると共に、彼らが飛んでいったその空は、灰色を割いて青空を露出させていた。


 難は免れた…のだろうか?

 とりあえずよかった…佑香ちゃんに危険が及ばなくて…。

 そう思うと、全身の力が一気に抜け、半強制的に目蓋が目を覆った。

「先生…」

「アカギは無事?」

 目を閉じている中、佑香ちゃんの弱々しい声と、増援の彼女の少し強気な声が聞こえた…。

「あそこのプリズンシールに…」

「……バカね。妹つれていくなら、ちゃんと自分の身も守りなさいよ……」

「でも…お兄ちゃんは!」

「わかってる。あなたを守れたんだから、アカギはよくやった方よ。帰ってきたら、あなたがうんと誉めてあげなさい」

「……はい」

「それとこれ新人に」

「はい…」


 チクンッ!

 

「痛っ!」

 太股に針が刺された感触のおかげで、ようやく目が覚めた。

「大丈夫…この量なら、すぐによくなるから…」

 佑香ちゃんが注射器を抜くと、彼女の言葉通りの効能が、すぐに実感できた。

 まるで温泉にでも浸かっているような暖かさと共に、じわじわと身体から力が戻り始め、つけられていた全ての傷が一瞬で塞がっていた。

 あんなに動かなかった指も、開いて閉じてを繰り返せる位に回復している。

 なんてすごい薬だ…こんなこと一度も体感したことがない。

 これがあれば、アヤも元に戻ってくれるのだろうか…。

「新人」

 ふと、増援の彼女が赤城さんの入ったプリズンシールを片手に背を見せながら、僕に話しかける。

「プリズンシールに入れて保護するのは懸命だったと思うわ。でも…そこまで傷つくまで戦う選択をする時点で、あんたは甘い。ちゃんと特異点だって自覚は持っているの?」

 彼女の説教に気落ちする僕は、よろめきながら立ち上がる…。

「すみません…」

「ハァ…あんたね…」

 肩を落としながら返事をすると、目の前の彼女のオーラが憐れみと怒りに変わるのがわかった。

 叱責されるのは当然だ。

 潔く言葉を受け入れよう…。

「謝るくらいならもうしないで。人が一人死ぬかもしれなかったんだから、もっと早く安全策を考えなさい。そもそも新人、あんたはね……」

 彼女が鬼の形相で振りかえった瞬間、僕らの中で時が止まったような感覚が走った。


「…っ!」

「……!」


 僕らは互いの顔を見た途端、大きく目を見開かざるを得なかった…。

「うそ……そんな……だって…」

「先生…?」

 なにがなんだかわからない状態の佑香ちゃんを置き、僕らは互いの姿に感動していた…。

 敵の開けた晴天の穴から薄れ行く曇天、ボロボロのビル、圧倒的な力の前に大敗した後、僕は今日という日に、感謝することとなる…。

 

「テッチャン……?」

「カホ…ちゃん?」


 何故なら僕らは、互いにかけがえのない親友だったのだから…。




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