5-5『一番のSと越権裁判』




「…おい。なに勘違いしてんだよお前ら…」

 住浦さんから唐突に発せられた一言に、ざわついていた傍聴席やが静まり、ガードマンが足を止める。


「俺はまだ、犯人の名前を言い終えてねぇぞ?」

 

「なに…!?」

 住浦さんの言葉に、三度目の騒然が、また法廷内を駆け回る。

 今回は今までの物よりも大きく、そしてハテナの多いざわめきだ…。 

「ど…どういうこと…!?」

「まさか…二重にトリックが…!?」

 てっきり利郷さんが全ての犯人だと思っていた僕と水原くんも、その発現には驚きを隠せなかった。 

「ボイスレコーダーの声をしっかり聞かなかったか?ヒノデは"リッサ自信が脅迫をした"だなんて一言も言ってなかったんだよ…」

 住浦さんの言うとおり、ボイスレコーダーのやり取りを少し思い出してみると、確かに彼女は『リッサという投稿者を伸ばすために脅迫を受けた』とだけしか言っていなかった…。

 今回の事件はそんな言葉による思い込みや見落としが多いな…。

「つまり、その犯人はリッサの大ファンか、リッサの身内の可能性が高い……だろう?」

 住浦さんが傍聴席に向けて言うと、なるほど…と閃きの声が多く上がる。

 そうか、カテキンさんに日之出さんというカメラマンであり彼女であるバックがいたように、リッサにもなにかしらのバックの人間がいたということか…。

「つまり……」

 住浦さんの推理に多くの人間が固唾を飲んで見守る中、彼はついに、その真犯人である男を指さした。

 その指の行き先に居るのは、僕らが想像していなかった人物だった…。


「真犯人はリサト ジュリじゃなくて…お前だよ。裁判長」


 導き出された答えに、指された本人も含めて、その場にいる人間は驚きのあまりに声を失っていた。

「はぁ…?な……なにをバカなことを…っ!これは立派な法廷侮辱だ!」

「侮辱してんのはどっちだ?さっきから薄っぺらい誘導尋問しやがって……」

 目に見てもわかる裁判長の焦り様に、住浦さんは苛立ち混じりに彼に反論する。

「な…なに…?」

「調べはついてんだぜ…?裁判長。あんたの姓は、今宇宙人みたいに捕まれてるリサト ジュリと同じ『利郷』だってこと…。そんで、てめぇが何度も裏で脅迫をして、裁判の早期解決を仕立て上げたって噂もな…?」

 そう言えば、昨日も水原くんが第一発見者について調べていた時、利郷樹里の父親は裁判所で働いていると言っていた。

 それに、裁判長を見てみると、とかげのように少し釣っている目元が樹里さんとよく似ているし、リージェレンスは人間とリージェンのハーフだから、親子だと言われても自然だ…。

「なにを根拠の無いことを…」

「あぁ、脅迫したことは根拠はねぇなぁ?でも…リサトだってことは事実だろう?」

 言葉で口を紡がれてしまった裁判長。

 それを横目に住浦さんは、今度は日之出さんに目を向けた。

「ヒノデさん。脅迫してきたのはどっちだった?ジュリの方か?それとも、あの老害予備軍か?」

 笑顔を作りながら、住浦さんは日之出さんに聞くと、まだ涙を両の眼に貯めていた彼女は、住浦さんと同じく、裁判長に指をさす。

「法廷が始まってから…ずっと…そうだと思ってました……。脅迫の電話を受けた声が…全く同じだったので……」

 涙声の日之出さんから聞こえる言葉は、住浦さんの的確な推理が終えた今、真実と信じるには容易すぎる程だ。

「…っ!裁判長!真実はどうなのですか!?」

 彼女の行動は、弁護士の心も動かし、彼は裁判長を攻め立てると。

「そんな物……でたらめだ!」

 それでも尚、自分の罪を否定する裁判長に、傍聴席からフツフツとブーイングが涌き出てくる…。

 住浦さんも、彼の態度にはさらに苛立ちを見せている。

「でたらめじゃねぇよ…!これを証拠として提出する!」

 怒りと共に彼は、裁判長の目の前に、たった一枚の薄く小さな紙を突き付けた。

「それは…?」

 最早、置物となりつつあった検事が彼に聞く。

「これは、リサト ジュリが購入したこのボイスレコーダーの代金だ。50万円。これの小切手の口座名義は…リサト キュウドウ。お前の名前だ…」

 彼の眼光が鋭く突き刺さると、裁判長は苦虫を潰したような顔を見せる…。

「改めて詳しく解説してやる。ここに来る一日前、つまり兼井から依頼を受けた後のことだ。様々な聞き込みを経て、リサト ジュリのことが怪しくなった俺達は、様々な場所に掛け合ったり、データを集めたりして、リサト自信の身元を調べていた。すると、ジュリの父親は、裁判長としての仕事をしており、そこで数多くの裁判を見守ってきたとある…。その親父の名前は『利郷 灸堂』だったわけだ」

 住浦さんは得意気に言うけど、正直データを集めたのは僕と水原くんなんだがな…。

「あー…利郷の父親の名前か…確かに調べてた…」 

「ミズハラくん…忘れてた…?」

「いや、完っ全に…ノーマークだった…」

 まさか、調べてくれていた張本人ですら、利郷さんの父親には目をつけていなかったとは…。

 それ程、父親と言う立場は忘れやすく、尚且つカモフラージュがしやすい立場だったのだろうか。


「ちなみに、小切手の取引については、俺はなにも誘導も脅迫もしていない。ジュリのやつがこれを購入するとき、勇気を出してこの名前を書いたんだ」

 弁護士が住浦さんから小切手を受けとると、それを書画カメラで写した。

 小切手の口座名欄には、確かに『利郷 灸堂』という名前が記されている…。

「一応、口座についても少々調べさせてもらったんだが…。リッサの口座には500万円以上の預金があり、必ず払えると言っても過言ではない状況だ。しかし…何故、アイツはお前さんの名前を書いたのかなぁ…?」

 そう言って睨む住浦さんの眼が、完全に犯罪者を睨む冷たい物に変わる。

 眼光で咎められている裁判長、利郷灸堂は、傍聴席からでも目に見えてわかるほどの焦り様で、顔から大量に汗が吹き出し、瞳孔も全開だ…。

「バカな…。そんなもの偽造だ!それに彼はリージェレンスだぞ!私は人間だ!息子なんていない!」

 それでも認めようとしない裁判長に、傍聴席からブーイングが上がりはじめる。

 それでも否認しつづける彼の姿は、愚か極まりなさすぎて見るに耐えない…。

「だいたい…何がスプリミナルだ!公にもなっていない存在が、神聖な法廷の場を荒らしてはならないだろう!それに…血の繋がりなんて…」


「いい加減にしろよ糞親父っ!」


 拙い取り繕いをし続ける父親の姿に、ついに息子の怒りが爆発し、法廷内が一気に静まり返った…。 

「俺はいくら皮被れば良いんだよ……どんだけ社会に絶望すりゃ良いんだよっ!なぁっ!」

 利郷 樹里が怒りに任せて、裁判長の机を両手で殴ると、一人のガードマンに「やめなさい」と止められた。

 ずっと押さえつけられていたものを憤怒に任せてここぞとばかりに吐き出そうとする利郷さんだが、住浦さんが彼の頭に手を置いて、冷静にさせる。

「リッサ。それはお前の父親が作ったチャンネルだろう?再生回数を伸ばして、金を手に入れるため、そしてなにより"自分の快楽"のために……」

 住浦さんが聞くと、利郷さんは息を荒らげつつ、首を縦に振る。

 裁判長はその光景を見て、憎たらしげに歯を食い縛っている。

「これはあくまで推測だが…裁判長であるお前は、息子の社会的地位を落とせ落とすほど、自分の優越感に浸ることができたんじゃないのか?上に立つってのは、人間が求める自己顕示欲のひとつであり、それに到達した人間は、弱い人間を虐めて良いって勘違いをする者だからな…。お前はそれが、なによりの快楽となっているんだろう…?」

 住浦さんの言葉を聞いても、裁判長は物苦しげに彼と自分の息子を睨んでいるだけだ…。

「確かに…漫画とか小説とかでも、『同じ平社員だった頃のあなたは良かった~』なんてシチュエーションもあるからね…。住浦くんの言う通り、上に立つことの優越感は、人間を変えることがあるほど凶暴だよ…」

 誰にも気づかれないくらいの声で水原くんがそう呟いていた。

 力を得て優越感に浸るというシチュエーションに類似した体験をしている人間は、確かに僕も何度か見たことはある。

 運動が誰よりもできる奴が、運動音痴の人間を苛めている…なんて奴は、どんなところにでも要たな。

「だからといって…息子に罪を追わせようとするなんて……」

 他者を見下すことに優越感を感じるような行為を『どこにでもある』として片付けては、絶対にいけない。

 未だ、罪を認めようとしない彼の険しい表情が、僕の中で苛立ちを燻らせている…。


「俺は…俺はあんたにずっと抑えられ続けてきた…」

 一切の非を認めない裁判長の態度に、利郷さんは怒りで拳を震わせている…。

「本当は……俺は、ゲーム実況だとか、歌ってみただとか、そう言う、誰かを楽しませる動画を投稿して…いろんな人に俺を見てもらいたかった…。なのに『お前なんかにこっちの路線が売れるわけない』なんてバカにした後に、アカウントを管理して、広告収入まで奪って…終いには俺に人を叩き続けろなんて言いやがって……」

 彼は、少しずつ涙が溜まっていく言葉を、ナイフのように父親に突き立てる…。

「そんなことない…それはお前が選んだ道だろっ!!愚かな道を選びおって…!私はお前のような嘘を並べるような奴は知らん!!それに、そのボイスレコーダーだって、言わされているに決まっている!」

 ついには開き直り、利郷さんを揶揄するような言葉を発した裁判長の態度を見て、ついに僕の中の何かがキレた…。


「水原くん…ごめん…」

 苛立ちが先走る前に、僕は彼に断りだけをいれた。

「さっきは"喋るな"みたいなこと言っちゃったけど…。この状況なら、声をあげてあげた方が依頼者の助けになる…」

 彼の態度が耐え難くなった僕を見ても、水原くんは止めようとしない。

「いってきな…。ぶちかましてこい…」

 むしろ、彼は僕にゴーサインを出した。

 ここまで腹を立てたのは久しぶりだ。

 僕は自分の素性を知られぬよう、静かにトランスをしてフードを被り、傍聴席の上に立ち上がる。


「ヒノデさんは…嘘なんかついてない!」


 僕が声を上げた瞬間、大勢の人間の視線がこちらに向く。

 その無数の目が、まるで銃口のようで、急にドッと緊張感が身体から涌き出てきた。

「誰だ貴様は…!」

 しかし、息子を辱しめ続けてきたそいつに、僕は一矢報わせてやらなければならない…。

「ボイスレコーダーの新人は僕だ…。レコーダーの音声が真実だと決める物的証拠はないけれど…彼女は本当にカネイさんのことを愛してることは知っている!僕がその証人だ!」

 怒りを乗せてその言葉を吐いた途端、今まで僕に向けて全く笑みを見せなかった住浦さんが、ニッと微笑んだ。

「やるじゃん…お前…」

 彼の笑顔から、そんな言葉が聞こえたような気がした。

 すると、住浦さんは僕を親指で指しながら、再度、裁判長を睨む。

「で……彼が本当にスプリミナルの新人であるってことも…ここで証明してやった方がいいか…?」

 彼がそう言うと、裁判長は罰が悪そうに口を慎み、机に手をついて項垂れた。

 証拠の証拠が出た時点で、裁判長の中で、でっち上げ反論をするための材料がなくなったのだ…。


「なぁ…リサト ジュリ。お前…親のことをどう思ってる?俺がお前なら…アイツのこと大嫌いだけど…?」

 最早これ以上、真犯人の裁判長を叩いてもなにもでないと判断した住浦さんは、利郷さんに親への思いを聞いた。

 すると、彼は今までずっと固く固く閉ざされ続けていた口を開き始めた…。

「その通りだよ……ちっちゃい頃から、兄貴や姉貴にはなんでも買ってたのに、俺にはなにも買ってくれない…。小学生の頃には、わざわざ好きな子に恥をかかせるようなことをして…。中学には、好きなアニメを見てただけで中二病扱い…?高校の時には、お前の言葉でストーカーに仕立て上げられて、社会人になっても、このリッサの仮面のせいで…どこにも行き場がない……。なんとか見つけた居酒屋で働いてても…またこれだよ……」

 今にも泣きそうな利郷さんに対し、裁判長はエゴ丸出しの怒りで、血管を浮き上がらせる…。

「黙れ……黙れ黙れ黙れっ!!先ほどから裁判長に侮辱ばかりしおって!お前は私の言うことだけを聞けばぁっ!」

「裁判長!静粛になさってください!今は、証人の尋問中です!」

 裁判長の荒ぶりを見ていた検事は、ついに彼に言葉をぶつけた。

「私たち検事は、真実を求めるためにこの法廷に立っている!それを侮辱しているのはどちらですか!?裁判長!」

 その言葉が引き金となり、多くの人間のブーイングや、裁判長に向けての沢山の罵声が、再度飛び交い始める。

 それはまるで、この法廷を鮨詰めにする程だ。

「あなたには幻滅しましたね…」

「これ以上、この事件を書記することはないですね」

 ついには、裁判官の人々ですらも、裁判長への軽蔑を始める。

 最早、誰も裁判を取り仕切るための長であるはずの人間を毛ほども信じていないようだ…。


「なぁ、リサト ジュリ!」

 住浦さんが彼の名前を呼んだ瞬間、裁判長への怒号が一旦、スンと静まった。

「あのクズ野郎の為に…なんて、屈辱だろうけど…なんか言うこと、あるんじゃねぇの?」

 彼が聞くと、利郷さんは下唇を噛んで俯いた。

 よく見ると、利郷さんの足は震えていて、顔からは冷や汗がだらりと出てきている。

 彼はきっと、謝るのが嫌なわけではなく、謝ることに恐怖を覚えているのだろう。

 今までやらされて来た事への積み重ねや、許してくれなかったときの恐怖だとか、この大勢の怒りが自分に向くんじゃないかとか、そういう精神的な恐れのしがらみが、足を引っ張っているのだと思う。

 似たような境遇に立ったことがあるから、なんとなくわかるんだ…。

「怖いか?なら一言いっといてやる」

 そう言うと、彼は利郷さんの肩にそっと手を置き、耳元で囁く。


「てめぇは親父にとっての家畜じゃねぇ…」


 彼が放ったその一言が、利郷さんの震えを止めた。

 出会ってたった数時間だけの人間の言葉一つで、彼の自信の恐怖が緩和されているようだ。

 言葉の力は弱くない。

 物的証拠で動くこの場所の、誰の耳にも届いていないそこで、彼はそれを証明しているのだ。

 今まで受けてきたことによる蟠りが外れた利郷さんは、大きく深呼吸をして、被害者の二人に振り返った。

「カネイさん…ヒノデさん……」

 波打つ心臓の音のせいで、未だに呼吸が揺れている。

 しかし、それでも彼の決心が固まり、利郷さんは彼らに深々と頭を下げる。

 微かに残る恐れを荒ぐ息に乗せて吐き出しながら、彼は頭を垂れたまま謝辞を陳べ始める。

「この度は本当に…申し訳ございませんでした……。あいつのせいだと言っても…俺は…多くの人間に迷惑かけました…。貴殿方にも…視聴者の方にも…この裁判を取り付けてくださった、関係者の皆様にも……。どんな形であれ…俺は…どうしようもないクソヤロウで……それで…それで……」

「もう良いんですよ、リサトさん」

 謝罪を続けようとする揺れる声を、被告人は遮った。

 手錠がついたまま、兼井さんはそっと利郷さんに近づいてしゃがみ、頭を下げている彼と目を合わせた。

「他の人が…どう思うかとか…そう言うのも、色々あるかもしれないですが……あなたがこうやって、頭を下げてまで謝ってくれたから…僕はそれで良いです。僕は、あなたが見せてくれた謝りを、全て受け入れます」

 腕が使えない兼井さんは、その優しい言葉で震える彼を包む…。

「これから…本当にやりたかったこと、本当に目指したかったこと、本当に言いたかったこと…全部ひっくるめて、一緒にがんばっていきましょうよ!僕はカテキンとして…あなたはリッサとして…。なにより…僕ら、動画投稿者として」

 そう言って、兼井さんは柔らかな笑みを浮かべる。

 誰が聞いても分かる、その聖人君子のような彼の優しい一言が、利郷さんの中に押し込められ続けていた感情の鍵を開けた。

 その瞬間、今まで生気すら見られなかった利郷さんから、満ちたりすぎる程の強い心が、大量の涙と共に流れ出してきた…。

「ごめんなさい……ごめんなさいっ!俺……俺はっ!!!」

 怒っていた時よりも大きく響くその声は、ここにいる多くの人間の心を揺らがせる…。

 傍聴席には、もう利郷 樹里とリッサへのブーイングをする者はおらず、中には啜り泣いている声までも聞こえてきた。

「大丈夫…大丈夫…」

 リッサのために強迫をされていた日之出さんも、安堵のための言葉を乗せて、彼の背中を優しく撫でる。

 悪の仮面を被らされ続けてきた青年のアポロジーは、仮面すらも被らない善と、それを愛する者達に、きっと強く届いている。

 その証拠ではあるまいが、彼ら三人の行動に、多くの人間が盛大な拍手を送っていた…。


「んじゃ、邪魔者は去るとするか。後は勝手にやってくれ、バァイ♪」

 気楽に手をヒラリと振りながら、彼は法廷の出口へと歩きだした。

「スミウラさ……」

 僕は、住浦さんが前を通りすがろうとする時に声をかけようとしていたが、その前に彼が僕の背中をバシンと叩いた。


「いくぞ、新人。ミズハラ」




  ◆




 ようやく彼に話しかけられるようになったのは、法廷から出た後の事だった。

「待ってください!一体どこからわかってたんですか!?」

 僕の声に気づくと、彼はフードを脱ぎながら、こちらに振り替えった。

「あ?昨日からだよ。さっきもいったけど、ミズハラが持ってきた書類のなかに、裁判長の名前が書いてあって、それが加害者の名字と一致してたから、それを調べてたんだよ」

 そうか、昨日の単独行動は、その真実に気づいたからだったのか…。

「でも、なんで僕らを騙してまで…」

 正直、初めに教えてくれた方が早かった気もするんだが…。

 なんて思ってると、彼は何故か僕を鼻で嗤った。

「あのな…俺はわざわざ自分が気づいたことを誰かに教えるようなタチじゃねぇんだよ。それに俺はな…」


「待てぇっ!」


 突然、彼の話を遮ったのは、血相を変えて法廷から出てきた裁判長だった。

「貴様…どういうことだ…私を辱しめおって…」

 未だに自分の罪を棚にあげ続ける裁判長は、住浦さんの胸ぐらを掴み、我を忘れて彼を睨んだ。

「それはてめぇのせいだろう?なに人のせいにしてんだ…」

 住浦さんは正論で返すと、裁判長は歯をギリリと食い縛り、彼に顔を近づける。

「ふざけるなぁっ!私にどれだけの価値があると思ってる…どれ程の地位があると思ってる!あのバカ息子を誰が育てたと思ってる!」

 なにも悪ない住浦さんに向けて、勝手に燃やしている怒りを暴言と唾に乗せて吐き出す。

 八つ当たりも甚だしい彼は、ついに拳を握り始めた…。

「やめろ…っ!」

 住浦さんを殴る気だと察した僕は、彼を止めるために強く腕を掴むが、怒りで我を忘れている彼に、荒々しく押し倒されてしまった。

「私は……バラーディア中央裁判所の裁判長だぞぉっ!」

 ついに全てを吹っ切った彼は、固く握ったその拳で住浦さんを殴ろうと振りかぶる。


 ガギンッッ!


 しかし、そのまま勢い良く着弾したその拳は、人間の肉に着かず、何故か鈍く固い音が響き、共にその手が赤く腫れ上がった。

「痛っ…!がぁあっ!」

 何故か、血塗れた右腕を掴んで踞る裁判長。

「な…なにが…」

 僕は対する住浦さんを見ると、彼の頬は全く腫れておらず、何故か銀色に輝く冷たい鋼へと変化していた…。

 もしや…これが彼の特異か…!?

「裁判長……?片腹痛ぇわ…」

 住浦さんは、痛がる裁判長の髪を乱暴に掴んで彼を起こすと、精進とは全く違う、まさに強者とも言えるような構えをして、拳を作った。

「俺はこの世界の全てで一位になる男……住浦 秀だぜ…?」


ガァンッ!!


 言葉と共に振るわれたその拳は、先ほど同様に強固な鋼のような素材に、いつの間にか代わっていて、殴られた裁判長は顔を歪にされて約1メートルほど吹っ飛んでいった。

「ふぅ…スッキリした…」

 住浦さんに殴られた本人は、声も叫び声も出せるわけがなく、白目をひん向いて気を失っていた…。

「ひぇ…顎が……」

 顎が砕かれ、口からダラダラと流れ出す血に、僕は恐れ驚いた。

「スプリミナルの超金属武術使い、スミウラ シュウ。身体をあらゆる金属の素材に変えて、身体能力を補強する特異点さ。金にがめついクズだけど、その力はサトナカくんや僕とは比毛を取らないよ」

 水原くんが、僕にそう伝える。

 超金属使い…だから、氷でガッチガチに凍らされても平気だったのか…。

 僕が納得している傍ら、住浦さんはトランススーツのポケットから小切手帳を取りだして記入して、殴った人間の近くに投げ措いた。

「てめぇの息子から貰ったのと、俺の口座から、合わせて150万円だ。足らなかったらいつでも電話しろ。いくらでも出してやるよ」

 そう言って、真犯人に小切手を投げていた住浦さんの笑顔は、思わず身震いするほどにダークで、どこか格好いいとも思える産物だった…。


 殴られて伸びている真犯人を置いて裁判所から出ると、巻積雲いわしぐも浮かぶ晴れ空が、お疲れさまとでも言いたげに、仕事を終えた僕らを見下ろしていた。

「さ、帰って報告書作るか。新人、ちゃんと俺がすごかったって書いとけよ?」

 先頭を歩き、片方ずつ腕を伸ばしながら、住浦さんはトランスを解除した。

「スミウラさん…あの……」

「ごめんなさいとかすみませんとかは要らねぇからな。そう言うの俺は嫌いなんだよ」

 こちらに振り替える住浦さんは、謝ろうとしていた僕に指を指しながらそう言った。

「それに、俺はサトナカが言うような中立的立場で立ったから、てめぇをからかってやっただけだ。そんなもんで俺にわざわざこうべを垂れる義理はねぇ」

 彼が得意気にふんと鼻でほくそ笑む姿を、暖かな太陽がivc照らした。

「…はいっ!」

 僕は先輩に威勢良く返事を返す。

 少々難はあるが、スプリミナルとしての強さやたくましさは、確かにその小さめな身体の中にあるらしい…。

 詐欺師である罪を引きずって歩く自分も、水原くんやこの人のように、スプリミナルとしての逞しさを持てるようになりたいと思った。


「でも…なんか珍しいね。スミウラくんが低利益の方をとるなんて…」

 ふと水原くんが聞くと、住浦さんはフィクション作品のようにキョトンとしていた。

「低利益?んなわけねぇだろ」

「」

 彼はそう言うと、自らの小切手帳の中から一枚の小切手を取り出して、水原くんに渡した。

「なにこれ」

「500万円の依頼料だ」

「「ご…五百万っ!?」」

 住浦さんの口から出てきた、今までにリアルで聞いたことがない料金に、首をかしげていた僕らは

自然と声を合わせるほど驚いた。

 小切手の料金欄を見てると、確かに5の次に0が6つ、しっかりと記載されている…。

「い、い、い、依頼料ってどういうことですか!?」

 驚きで震えている声のまま、彼に聞く。

 確か、兼井さんは拘置所にいたから依頼料は渡せないし、そもそも面会のときには1億円とか言っていたはず…。

「あぁ、ヒノデの家系はバラーディアでも有数の富豪だったんだ。試しに500万程要求してみたら『そんなので良いんですか?』って言って、あっさり渡してくれたもんでな」

 口座の名義を見てみると、彼の言うとおり、日之出 公佳さんの名前が入っていた。

 そうか、日之出さんは富豪だからこそ、武装警察経由にも伝を聞かせることができて、そのまま依頼書を入手する事ができたわけか…。

「で…でも、一億円の話は!?」

「あぁ…あれは半分嘘だ。書類には『依頼遂行完了の場合、口頭にて述べた金額ではなく、甲の気持ち分の金を住浦 秀の口座へ』って書いてあるだけだ。一億なんて法外すぎんだろ?まぁ正直、いくら振り込まれるのか、楽しみだけどな~♪」

 住浦さんは依頼達成以上に喜んでいるようだ…。


「それと、あんな糞みたいな裁判長の地位なんざ、1円の価値もないんでね」


 彼は今までよりも悪そうにニヤリと笑うと、僕らから背を向けて、足取り軽く前を歩いていく…。


 正直言うと自分のなかで、住浦さんという人間への違和感がずっとあった。

 なぜ水原くん達が彼をクズと言うのか、なぜ彼が中立的な存在を保てるのか、何故、彼が利益にこだわり続けるのか…。

 それは、住浦秀という人間が、利己的な完璧主義者だからだろう。

 自分の利益のためならどれだけ嘘をついたって構わない、どれだけ裏切ったって構わない。

 そんな、どこか銭ゲバに似た性格の罪人だから、クズという烙印を押されてしまうのだろう。

 そんな利己的完璧主義者は、いったいどんな罪を背負って、スプリミナルにいるのだろうか…。



「スミウラさんって、なんというか……いい人なのか悪い人なのか……」

 僕らは彼の後ろを歩きつつ、ひそひそ声で水原くんに話す。

「ま、彼は個人的利益の目的でしか動かないからね」

 水原くんは気にせずに普通の声で話すが、住浦さんは自分の手の中にある五百万円に気を取られていて、こちらの会話を全く聞いていないようだ…。

「付き合っていく内にわかるよ。彼が何故1番に拘って、そして何故1番になれないのか…ね……?」

 首をかしげる僕を見ながら、水原くんはいつも通りにニヒルに微笑んでいた。

「そう……」

 未だ、謎の多い答えを聞いた僕は、前に歩く彼を見る。

 スプリミナルは罪人が集まる組織。

 なら、住浦さんにはどんな思いや罪を背負って、この組織で戦い続けているのか…。

 なんて考えている僕の目の前で、当人は近くの銀行へと足を進めていた…。




To be continue…


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

【オマケ】


「……そういや、ヒノデさんの家で言ってた面白いものって?」

「あぁ…ちょっとこれ見てみ?」

 水原くんはそう言って、僕にスマホの画面を見せる。

「ん……?うぇっ!?」

 スマホに写っていたのは一枚の画像。

 壁一面にカネイさんの写真や、カテキンのグッズ、さらにはなにかストローやティッシュのような物が入った瓶まであった。

「やばくない?」

「ヤバイって言うか…なんでこんな…」

 基本的に人の自由を尊重したい人間の僕でも、さすがにこれは引くというか……。

「ヒノデ キミカは通称ヤンデレって言われてたらしい。ちょっと調べてたら、子供の頃から一度も恋をしたことがなくて、たまたま落ち込んでいる時に、投稿サイトでカテキンを見つけてから、彼にゾッコン。彼が売れない時代の時からファンの追っかけをしてて、事務所にまで就職して、そんでようやく彼を掴んだんだってさ」

 そんな壮大で歪んだ物語があの人にあったのか…。

「初めてみたよ僕…ヤンデレなんて……」

「その上、カネイさんは聖人っていわれるほど滅茶苦茶いい人だからね。ヒノデさんの言動に120%の愛で返すような人らしいよ」

 なるほど……マイナスを越えるほどのプラスがあるからこそ、二人はこれほど愛せているということになるのか…。

 なんか、住浦さんに含めて、あの二人の見方も変わってしまった気がするな……。

「で…でも、それを先に言ってくれれば、ヒノデさんがウソをついてるってすぐにわかったんじゃ…」

「甘いね。ヒノデさんがウソをついてることくらい、初めからわかってたよ。スミウラくんと僕が目につけていたのは『何故ヒノデさんがウソをついていたのか』なんだよ。だから、これはこの事件には関係がないのさ」

「な…なるほど…?」

 良くわからないけど、まぁ問題に使うための公式が違う、っていうことにしておこう…。

「ただ、スミウラくんはこの事まったくしらないけどね~」

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