4-1『Y講習中、K仕事中』




 真っ白い日光が窓を通り、会社の内装を照らす。

 朝の涼しい風に、街行く人は清々しい気持ちで今日を行くのだろうが、低血圧で倦怠感に惑わされている僕は、億劫に猫背になりながら、職場へ行くために建物内を歩いていた。

 朝と言うものは憂鬱な存在だ。

 夜、溜まりにたまった一日の疲れを癒すためにようやく休めたと思えば、パッと目が覚めると、いつの間にかそいつはやって来ている。

 ベッドと言う名の生活必需型タイムマシンが恨めしく思ってしまうが、かといってそこに潜り込まなければ、翌日には寝不足で頭が壊れそうなほど痛くなる。

 だから朝と言うものは嫌いなんだ。

 しかもそれだけではなく、なんとなく今日は、昨日よりもまた面倒なことが僕の元へと流れ込んで来そうな気がするのだ…。

 まぁ、スプリミナルの規則として、どんだけ面倒でも僕は出社しないと行けないんだけれども…。

「ハァ…おはようございまーす…」

 溜め息一つ付きながらオフィスルームの扉を開くと、そいつは窓を背に向けている重役専用の椅子に腰を掛け、今日配達されたであろう新聞を開いていた。

「おはよう、ミズハラくん」

 今日もウザったく浮かべる無感情な笑顔が気にくわない。

 今も蔓延する様々なウイルスが可視化されているような気分だ。

「いやぁ…今も昔も、偏向報道が多いもんだねぇ…。でも、新聞紙は画材になるから良いものだ…」

 挨拶を無視してデスクの椅子に腰掛ける僕には全く動じず、郷仲は新聞を読みながら普通に話を続けた。

 こういうマイペースと言うか天然と言うか…そう言うのが気にくわないんだ僕は…。

 こいつなんかと一緒の空間にいるのが腹立たしいという気持ちが半分、けれどこいつがいないとこの社が成り立たないから仕方がないと諦める気持ちが半分…。

 あおいがなんでこいつのことが好きなのかわからないな…。 

「あれ…そういや、今日はサトナカくんだけだったっけ…?」

 嫌いとは言うが、この社を仕切っているのは彼なのだから、シフトの確認については彼に聞かないといけない。

 嫌いな奴が目の前にいると、嫌いすぎて話もしたくないと言う人間もいるが、僕はそこまでひねくれてはいない。

「今日は、TRYangleの三人がノーイン討伐の依頼を受けて、街に行っている。アオイくんはいつものお店番で、後は非番か出張だね。でも、ミヤマくんは午後から別地区の医療機関の視察から帰ってくるらしい」

 読んでいた新聞を机に置きながら、郷仲は応答した。

 それにしても、彼の重厚な低い声は、いつ聞いても少し身の毛がよだつ…。

 フィクションの悪役のボスはこんな声が好ましいのだろうと思ってしまう程。

 長くここにいる自分にとっても、彼の抱えているなにか恐ろしいオーラにはまだまだ慣れないものだ…。

「そう…んじゃ、今日のフリーは僕だけってことね…」

 頭の後ろで腕を組みながら床を蹴り、椅子と僕の身体をくるくると回転させた。

 フリーと言っても、一概に"自由"というわけではない。

 事件がない時こそ、ふとした時に来るかもしれない依頼であったり、警察では手に追えない事件に備えなければならない。

 というのが、スプリミナルとしての基本業務だ。

 そのため、粗方の隊員は街に出てパトロールしたり、社内に待機し、貯まった報告書の製作や可能な限り他の課の手伝い等をすることが多いのだが…。

「よーし、んじゃ、占い行こう。今日はどれくらい稼げるかねぇ~」

 そんなこと、僕がするわけない。

 とは言っても、サボっているわけでない。

 ストリートの占い師をするというのも、立派な街の観察と待機なのだから、別に社則を破ってるわけではないし、自分にはそこまで体力がないから、もしもパトロールをしまくって、ふとした時に足がポッキリと折れたりしたら大変だからね(棒)

「とゆーわけで、用事があったら電話かメールで呼んで」

 デスクの真下にしまってある占いセットを取り出し、僕は軽快な足取りで、扉の方へ向かおうとする。 

「そうか、それなら今から用事だ」

 だが無情にも、郷仲がそれを止めた。

「はぁ?」

 事件とやらは、僕らの思う通りに自粛をしてくれるようなものではなかったようだ…。

「金城コーポレーションという中企業の社長が、緊急事態でスプリミナルを呼んでいるらしい。動けるのは君だけのようだ」

 依頼書類の入った封筒を手に、彼は僕に向けて仕事を回そうとするのだが…。

「はぁ~…?この前はユウキくんの件でバカなスライムと戦って、一昨日は猿芝居に付き合わされて、昨日は非番なのに引っ越しの手伝い、そんで今度は緊急事態?さすがに子供を酷使しすぎなんじゃないですかサトナカ社長さーん?」

 お生憎様あいにくさま、今の僕には、素直に指令を聞いてやれるほどのやる気は存在していない。

 少し比喩法を使ってみると、三徹で小さな家を作り終え、少々バーンアウトシンドローム気味になっている大工のよう、という感じだろうか…。

「とは言っても…君しか出れる人間はいないだろう?それに、スプリミナル機密保持のため、私が現場に出ることはあまりできない。それに、今日はイチカを保育園へ送ってあげて、その後にはS.Touriとしての業務も待ってるもんでね」

「私用ばっかりじゃねぇか」

 ダメだこいつ、社長業務よりも創作活動にまた身を置くつもりだ…。

「なにがなんでも、今日は僕は行かない。だってめんどくさいから」

 社長の怠惰への呆れと、自分の仕事への億劫がさ加減が強すぎてうっかり本音が出る…。

 なにせ悠樹くんの騒動も大変だった上に、あの後、武装警察側からビル倒壊に関する報告書を書けと言われてメチャクチャめんどくさかったのだから…(ちなみにまだ制作中)

 そんで、その翌日の猿芝居に付き合わされ、さらにその次には引っ越し作業の手伝い…。

 休憩自由の職場であっても、結局は業務完了までの労働もあるし、それに伴う事務課への申請やら、趣味の占いの時間やらも含めて、今日もまた沢山時間をとられたら堪ったもんじゃない…。


「そう……なら、私が行こうか…」

 大きくため息を付きつつ郷仲は立ち上がって書類を脇に抱えてゆっくりと歩きだす。

「しかしそう来ると…イチカの世話は誰がするのだろうか…」

 また始まったよ…。

 普通ならこれで黙っとけば済む問題なのだが、ここからが大変なのだ…。

「今日はカナエは新人研修で忙しいし、最近イチカは膀胱が緩いのかオネショをしやすくてね…。そのための世話から、朝食の世話、着替え、洗濯、掃除、それから……」

 誰も仕事をしたがらない時、こいつは独り言のように私情を話し、僕らの選択を狭めるような口撃をするのだ…。

「勝手にこっちに責任転嫁しないでもらえる!?」

 と、反論をしたところで、弁明テクニック的に有利な立場の郷仲くんが、諦めに動じるわけがない。

「あっ、そろそろイチカ起きてくるねぇ……。今日は漏らしてないと良いけど…」

「あー、ハイハイ!行けば良いんでしょ!行けば!!」

「んじゃ、頼んだよ」

 で、結局こうなる。

 待ち合わせ場所は封筒の中にいれてるからと、うざったらしくニコニコ微笑みながら、僕に依頼書類を渡すその姿が、また癪に触る…。

 この野郎とでも殴ってやりたいが、反応速度スキルからなにからなにまで上位の彼に歯向かうなんかバカのすることだ。

「この計算付サイコパス親父め……」

 僕は吐き捨てるように彼にそう言って、封筒を乱暴に受け取った。

 自分は実は本を読むことが好きで、昔、日本古来の忍術に関する本を読んだことがある。

 その書物の60ページぐらいの所に"五車の術"という人の感情を巧みに使って聞き出すと言うのが記載されていたのだが、彼のこのメンタリズム的口撃は、その技に似ている気がする…。

 自分も含めて、この忍術に乗っかってしまう連中が、善悪ひっくるめて何人もいるものだから、僕自信もまだまだ未熟者だと感じてしまうな…。

 ただまぁ…依頼を解決して金をもらうか、嫌いな奴の娘(幼女)のおしっこを片付けるか、と選択を迫られるとなったら、自分は依頼を受ける方がマシだな……。

「はぁーあ…んじゃ、行くか……」

 めんどくささに身を駈られながらも、僕は立ち上がり、しぶしぶ出口へと歩きだす。

 こんな手に引っ掛かる自分への落胆を忘れ、依頼を遂行させようと気持ちを入れ換えた。

 とその前に、一応依頼者との待ち合わせ時間を確認しないといけないため、僕は扉の上に備え付けられた時計に目をやった。

 「……あれ?」

 その時計の長い針は『ⅩⅡ』を、短い針は『Ⅸ』を刺している。

 ちょっと待て…。

 確か…『Ⅸ』ってアラビア数字では……。

「……あっ!」

 しまった!やられた!

「今9時なんだからイチカくんいなくない!?」


 バタンッ!ガチャッ!


 気づいた時には、郷仲くんは僕だけを残し、オフィスルームの奥、社長室への出入り口を使って逃走した。

 それだけならまだしも、終いには部屋に鍵まで掛けやがった…。

「あの野郎…絶対、今日も絵描くな…」

 郷仲への怒りで拳を震わせてももう遅い…。

 そもそも、郷仲凍利という人間は、考えることがわからない上に、こういう自由人のような考えるが先行しているから尚、腹立たしい。

 彼は社長であると共に、天才の言葉をもらうほどすごい画家を兼業しているため、その二足のわらじがとても大変なのはわかる。

 だけど、絵ばっかり描いてないで、こっちの本業もちゃんと時間作って向き合えっつーの…。


「あーあっ!リーダーがあんなのでこの先が思いやられるね!」

 あいつに聞こえるかどうかはわからんが、わざと大きな声で僕は嫌みを吐き出しながら、出口の扉を開けた。

「おっと!」

 そんな中、開いた扉の向こうから、新人が躓いて転びそうになりながら、オフィスルームのなかに入ってきた。

「おぉ…おはようユウキくん」

 扉を開けたらいきなり僕が出てきたことに少し驚いていたようだが、彼はすぐに冷静になり、体勢を立て直した。

「水原くん。仕事?」

「あぁ…めんどくさいけど、依頼が来てねぇ…。他に任せたいけど、今日はあおいも店番、他のメンバーも非番や出勤中で社長もそれに該当……。あー、めんど……」

 いけない、彼への返答ついでに、思わず郷仲への文句を言ってしまった。

「まぁ…がんばって…」

 予想通り、彼は苦笑いで相槌を返してくれたが、少し申し訳なかったな…。

「そっちもねぇ~…」

 愚痴り終えた僕と、それを聞き終えた彼は、互いの健闘を祈り、互いへと手を振って見送った。

 先日は、彼のいないところで、使えるかどうかを見極める…なんて僕にしては少々カッコつけた言葉を言ったが、とりあえずは人の愚痴を聞いてくれる点では役に立っているようだな。

 まぁ、重要なのは現場で役に立つのかということだし、初日だからあまり期待はしていないのだけれど…。


「あっ、ミズハラくん、もう新人くん来てる?」

 部屋から出て扉を閉めてエレベーターに歩き始めると、目の前から叶くんが歩いてきて、少し遠目から僕に聞いた。

「来てるよ。サトナカくんは引きこもってるけど」

 言葉の皿に皮肉を盛って彼女に投げつけるが、スルースキルの強い大人は、そんな弱い口撃筈が聞くはずがない…。

「あぁ…実は、数日後に品評会があって、それの追い込みみたい。トウくんが迷惑かけてごめんね」

 生意気なガキの言動にも動じず、世に言う冷静な大人の対応をする叶くん。

 しかし彼女は一応妻だから、夫の思いはできるだけ擁護していたいようだ…。

「まぁ良いよ。司令塔が死んだら、元も子もないし……僕は僕で、依頼に行ってくる」

 叶くんの家族愛を思い、郷仲を少しは肯定することを言ってやりながら、僕はまた歩きだした。

「気を付けてね!」

 すれ違いざま、笑顔で見送ってくれる彼女に向けて、僕は手をひらりと振った。

 依頼前の社員の不安をかき消すためか、単純に彼女は笑顔が好きなのかわからないけれど、叶くんは僕らだけじゃなく、色んな人にいつも笑顔を見せてくれている。

 30代後半であっても、とても若々しく見える彼女が、僕らのような社会不適合者を笑顔で見送るそのスタイルは、嫌いではない。


 彼女と別れた後、僕はエレベーターのボタンを押し、到着を待つ。

「中企業の社長ねぇ……」

 ふと、さっき受け取った封筒から書類を取り出し、そこに書かれた情報に目を通した。

 どうやら、依頼人の立場的に考えても、今回の依頼も一筋縄では行かなそうだ。

 ちなみに"あまり乗り気ではない"というのは、あくまでも自分の怠惰というだけだから、しょるいの写真に載っている依頼人とは全く関係ないことだけは言っておく。

「ふぅ…まっ、がんばりますか……」

 小さく息を吐いて、人並みに気合いをいれつつ、たったいま開いた扉の中へ、僕は足を踏み入れる。

 怠惰と気合いが織り混ざる中、今日も今日とて、僕の騒々しい一日が始まった訳だ…。



 




 昨日まで詐欺師だった僕は、目を疑うような様々な出来事を経て、特殊な探偵組織スプリミナルに加入することにした。

 生きてこのかた、24年住んでいたアパートを後にして、誰にも流されず、僕自信が決めたことへの一歩を踏みしめた。

「これどこやったっけな…」

 早朝、僕は段ボールを開く。

 昨日、事務の人に案内された社員専用の寮は、まるでビジネスホテルの一室のような広さで、収納もあれば、ベッドまで支給されていた。

 家電等はさすがに支給されなかったが、ずっと使ってきた物があるし、前のアパートとは違い、ガスや電気もしっかり通る上に、風呂とトイレ別の上に、Wi-Fiまで完備されている。(以前は家賃払ってない嫌がらせでちょくちょく切られてたのに)

 自分なんかがこんなに良いところを使っても良いのか?と思ってしまうが、長い間住んできたあの家と別れて、少し寂しさもあったりはするな…。

「よいしょっと……」

 なんてことを考えつつ、僕は段ボールから取り出した電子レンジを、冷蔵庫の上に置いて、ヒューズをつなげた。

 スプリミナルに加入を決め、前の大家に感謝ざまあみろを告げた後、スプリミナルの事務員の方達(ついでに駆り出された水原くんも含む)と一緒に、なんとか全ての荷物を運び終えたのが、昨日の夜前の頃だった。

 引っ越しがとりあえず完了した後、僕はそのまま眠ってしまい、次に起床したが早朝の5時前。

 出社時間の9時までには時間があったため、引っ越しの途中、寮の近くのコンビニで買った朝食を食べながら、片手間に荷物の整理をしていた。

「はぁ…やっと作業終わった…」

 そんな荷物整理も約4時間程かけて、ようやく引っ越し完了と共に、自分の部屋が完成した。

 特に、大きなインテリアは無かったし、捨てるものは捨ててしまったから、あるのは自分と妹の私物と電化製品、そして母の遺影代わりの写真くらいだ…。

「ごめんね…母さん。うち、追い出されちゃって……」

 一息ついた後、小さなテーブルの上に、仏壇のように飾った母の写真にそっと話しかけた。

「これからなにがあるか…わかんないけど……とりあえず、やってみるよ。ダメだったら…その時かな…」

 苦笑いでそう言うが、声が帰ってくるはずはない。

 けれど、きっと母なら『テツヤならなんとかなるから、頑張ってこい』って言って、背中をボンと叩いてくれるはずだ。

 そんな妄想をしながら僕は立ち上がり、パンが入っていた袋を今までの自分と一緒にゴミ箱に捨て、いつものマゼンタの上着を羽織った。

「よし…行ってきます」

 母にそう言ってから鞄を背負い、僕はその新しい寝床から外に出た。

 この建物はコンクリートで出来ているが、そこまで新しいというわけではない。

 正直、学生マンションがリフォームされた物と言った方が早いのかもしれない。(事務員さん談)

 最近の建物は、もっと生物が無駄な動きをしなくても良いように、オートメーション化が進んでいるのだろうが、ここは元々古い建物の改装というだけだから、Wi-fi以外のIoT的なシステムはほとんど内蔵されていないし、そもそも、特異点の人達が強いから、管理人もいらないらしい。

 まぁ、もしも特異点が暴走したら…なんて考えもあるのかもしれないから、管理人をつけない方が逆に良いのだろうな…。

「あ…そういやお隣さんどんな人だろ…」

 ふと興味本意で僕は両隣の部屋を見てみた。

 立て札には『瀬田』と『仙石』と書いてあるが…一体、どんな人で、どんな特異点を持っているのだろうか…。

 大学生や社会人に成り立ての頃のように、新生活に少しワクワクしている僕は、少し浮き足で寮の階段をかけ降りる。

 皆、仕事に行っているからか、一階まで降りても、寂しい程に人の気配は全く無かったが、玄関を開ければ朝日が燦々と街を照らしている光景が広がった。


「良い天気…」

 朝の心地よい日光と空気を浴び、僕はグッと伸びをした。

 これだけのんびりしていても、寮の出口からスプリミナル本部の入り口までは隣接していて、徒歩で約十数秒くらいしか掛からない距離だから、ギリギリまで作業をしてても普通に間に合う。

 まさに好立地で理想の場所な上、夢のようなホワイト企業と言ったところだろう。

 まぁ、業務内容を聞かなければ、だけど…。

 そんなことを考えつつ、僕はスプリミナル本部へと入り、近くのスイッチを押すと、金色の檻のようなアンティークの扉が開き、すかさずエレベーターに乗り込んだ。

 上階へ行くため、この個室を巻き取る機械音が、ゴウンゴウンとこの空間に響く…。

 ここがもう、いつも利用することになる場所になるんだ。

 目的の階に着いたら、もう自分はスプリミナルの一員なんだ。

 自分が馴染めるかという緊張感と、新たな職場への高揚感に、胸の鼓動が波打つ…。

「いじめられたりしないと良いけどな…」

 なんて苦笑を浮かべていると、エレベーターから到着のベルがなり、扉が開いた。

 一昨日の案内を思い出しながら、日の射し込む廊下を歩きつづけると、扉の横に『特異探偵課』とかかれた小さい看板が張り付けてある場所に着く。

 ここを開ければ、もう社員。

 身なりを整えて、大きく深呼吸をして、意気込む。

「初出勤……頑張らないと…っ!」

 しっかりと心の準備が整ったところで、目の前に扉のドアノブに、そっと手を掛けた。


 ガチャン!


「おっと!」

 しかし、ドアノブを回そうとした瞬間、扉がいきなり開き、そのまま転びそうになりながら部屋の中に入る形になってしまった。

 なんとも締まらない初出社だこと…。

「おぉ…おはようユウキくん」

 現在とまどっている僕の代わりに扉を開いたのは、水原くんだった。

「水原くん。仕事?」

 僕が聞くと、彼は一つため息をつく。

「あぁ…めんどくさいけど、依頼が来てねぇ…。他に任せたいけど、今日はあおいも店番、他のメンバーも非番や出勤中で社長もそれに該当……。あー、めんど……」

 事情説明と共に愚痴を溢す水原くん。

 部屋のなかで何か揉め事でもあったのか、少し苛立っているのが目に見えた。

「まぁ…がんばって…」

 何があったのか少し聞いてみたかったが、彼の不機嫌を逆撫でしないように、僕は苦笑いで言葉を返すだけにしておいた。

 多分、彼を怒らせたらめんどくさそうな気がするし…。

「そっちもねぇ~…」

 彼は仕事への怠惰な感情を持ちながらも、僕に手をヒラリと振って、そのまま行ってしまった。

「相変わらず大変そうだな……この仕事…」

 なにが不満だったのかはわからないけれど、とりあえず彼の無事を祈りつつ、僕は職場の中へと入った。

 内部を見渡すと、部屋の奥に郷仲さん用の大きなデスクが置かれており、壁には英数字の時計とカレンダーやホワイトボードが飾られ、川の字に置かれたそれぞれ使い古されている9個のデスクと椅子、机の上にはパソコンや書類等の仕事道具が備わっている。

 そして、出入口から一番近い、机が並んでいる場所の一番端には、おそらく自分が今後座ることになるであろう新品のデスクがビニールに包まれたまま置かれている…。

 警察特殊認可特異行使結社…とは言ってたが、そこに特別そうなものはなく、ただありふれた仕事空間で、特になにか武器とかぶっとんだ装飾みたいなものはなさそうだった。

 仕事内容以外だと、案外普通の企業って感じがするな……。


「あっ、来たわね新人くん!」

 ふと、開いていた扉の奥から声をかけられた。

 少しビクンと肩を揺らしながら振り向くと、そこにはスーツ姿の叶さんがいた。

「あ、カナエさん!あ、えっと…」

 驚きと普通に話しかけようとする気持ちを抑えるため、僕は姿勢を正す。

「今日からお世話になります。ユウキ テツヤです。これから、よろしくお願いします」

 出会うのは初めてではないと言っても、彼女はこれから仕事仲間であり先輩になるわけだから、頭を下げてしっかりと挨拶をしなければならない。

「よろしくね。改めて、私は事務課長のサトナカ カナエ。事務的なことを中心にしてて、新入社員の教育もしてるの。そういや、寮の方はどうだった?良い感じ?」

 しかし、彼女は堅苦しいことは好きではなさそうで、結構フレンドリーに話しかけてくれた。

「はい!まぁ…生まれたときからいる場所から引っ越すのはあれでしたけど…」

 それでも一応敬語を貫きつつそう言うと、彼女は明らかに地雷を踏んだとでも言いたいように、眉をしかめてしまった。

「そっか…確か追い出されちゃったんだよね…ごめんねこんなこと聞いて…。できれば、うちが気に入ってくれると嬉しいけど…」

 この人、やっぱり普通にいい人だ…。

 そこまで気にしてはいないけど、ここまで言ってくれる人なんて、今まで出会ったことがなかったし、色んなことがあってちょっと人間不振気味だったから、言葉をかけてくれただけでも、僕は嬉しかった。

「それじゃあ、ちょっと気分を返るっていう意味も込めて、スプリミナル本部を見て回りましょう。デスクの場所とか、事務室や開発室の事とかも知っておきましょうね」

「はい!」

 久し振りに新社会人の時のような元気な返事をした。

 優しい叶さんになら、なんとか着いていけそうな気がする…。

「それで、その後にスプリミナルの事や特異点のことを解説するわ。それに、あなたのエンブレムの新調とか…とにかく今日は大変ね」

「新調…ですか?」

 そのワードに僕は首をかしげる。

 普通にこれでも使用できるけれど…キーホルダーを新調とはどう言うことだろうか?

「うん、エンブレムは使用者のライフスタイルや好みに合わせて変えることが出来るの。カドヤ君みたいなアクセサリーとかが一般的かもしれないけど、トウ君のように、筆とかの思い入れのある物や、アオイちゃんみたいな衣服でも全然ありなの」

 彼女の話を聞き、僕はポケットからキーホルダーを取り出して眺める。

「へぇ…そんなに種類が……」

 確かに、キーホルダーでも持ちやすいけど、それよりも自分に馴染みのある物の方が、持ち忘れとかも無くなるだろうから、そっちの方がいいのかもしれないな…。

「まぁでも、今はそれを仮の形にしておいて、形状の変更は覚醒の後にしてもいいかもね」

「覚醒…?」

 なにか、中二的な少年心をくすぐる言葉に僕はまた首をかしげてしまう。

「まぁ、それらは後で解説するにして、まずはあなたが働く場所を見ていきましょう」

 それ以上の説明はせず、彼女は扉を開いて、部屋の外に足を出した。

「あ、はい」

 もう少し覚醒について知りたかったが、とりあえず僕は言われるままに、彼女について行くことにした。

 特異点の事について色々聞けるのは、きっとこれからだろう…。




To be continue…

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